英雄譚エルダー・エッダ
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17
「お茶は私が出すからね。座ってて」
病院はオールマイトの要求に快く応じてくれ、会議室を貸してくれた。なんでもここの病院には、オールマイトの主治医がいるらしい。
オールマイトは会議室の端にあるポットからティーバックのお茶を淹れると、そのまま青と白の陶磁器の湯飲みをなまえの前に出した。茶色の折りたたみ机に向かいあって座ると、なまえが普段感じている以上にオールマイトが小さく感じる。
「さて、何から話せばいいのやら」
「俊典さんは怪我、大丈夫なんですか?」
「ああ、私? 君や相澤君に比べれば大したことないよ」
「わき腹に穴空いたのに?」
「君たちが助けてくれたからね。そういうなまえ君はどうなの?」
「特に問題はないそうです。頭を打ったから、今日は大事をとって経過観察って感じなので」
「ほんとに丈夫だなあ。でも無理しないでよ」
「俊典さんもですよ」
オールマイトは少しバツの悪そうな顔をして、お茶をすすった。
「とりあえず君に何もなくて良かった。それで次の話なんだけど」
「次の話?」
「ちょっと相澤君から気になる話を聞いたから」
オールマイトは湯飲みを置く。なまえも湯飲みに手を伸ばしていい空気ではなくなったのを感じた。オールマイトの落ちくぼんだ目が、気づかわしげに光る。
「あの主犯、死柄木弔っていう奴、君のこと知ってるみたいなんだよ」
「え?」
こっちはあの手男の名前すらたった今知ったというのに、あの犯罪者は自分のことを知っている? なまえでなくとも、寒気がする。相澤の腕はあの男の“個性”で朽ちたのに。背後が不安になって、もぞもぞと動いてしまう。
「で、でもその死柄木って手男は、私と会ったときは何も……」
「君は聞こえなかったかもしれないが、脳無が君を吹っ飛ばしたときに、死柄木が相澤君に聞いてきたらしい。“あの子の名前は?”って」
息が止まる。ぞわぞわっと鳥肌が立った。あの嗄れ声と顔面に貼りついた手は、なまえの大切なものをすべて奪いに来ていた。そんな殺人未遂犯に名前を知られるのは、恐怖以外の何物でもない。
なまえはこれまでに出会った人たちを思い出そうとしたが、あんな人物はまったく記憶にない。あれほど特徴的な見た目と声なら、会っていれば覚えていそうなものである。
「……全然知らない人なんですが」
「うん。私も、たまたま君が近くにいたのが原因だと思うんだけどね。万が一そうじゃなかったら危険だから、今後はあまり1人にならないように」
特に路地裏とかには絶対入らないこと! と念押しされた。ビルの隙間を通り抜ける道が駅からアパートまでの最短ルートだったのだが、2度とその道を使うまいと決めた。
「で、次の話なんだけど……」
「えっ」
「いやいや違うって。次のは怖い話じゃないから」
なまえの表情がひきつったのを見て、オールマイトは苦笑して手を振った。
「緑谷少年のことだよ」
「あ、ああ緑谷くんのこと」
その名前が出ると、あからさまになまえは安心した。これ以上、社会にはびこる敵のことを聞かされるのは苦痛だろう。それが自分のことを探ろうとしていたらなおさらだ。
「緑谷少年がね、君が私に向かって“死なせない”って言ってたのを聞いてて」
「言ってません」
「ずっと思ってたけど、君って素直じゃないだろ」
思ってはいた。目の前でオールマイトを、いや八木俊典を殺されるのは、自分が死んでも死にきれないほどつらい。でも、言ったかどうかは記憶が定かではない。何せあのときは必死だったから。自分の行動に確証はもてない。
何となく居心地悪くなって、目の前の湯飲みをくるくる手の中で回した。もうずいぶんとぬるくなっている。
「で、そう言ってたのを聞いてて、なまえ君が私と何か関係があるのではないかと尋ねてきたんだよ」
「隠す必要はないですよね? 消太さんのこととは違って」
「そうだね。だから休み明けにでも君たち2人呼んで、色々話しときたいんだ」
懐かしい。昔、たまたまオールマイトの秘密を聞いてしまったこと。オールマイトの昔の相棒のところに出入りしていたのも原因だが、彼からこっそり聞いたところによると、オールマイトは本当になまえを後継者にと考えていた時期もあるという。オールマイト本人から聞いたことはないが。きっと彼なりの気遣いで、それかなまえのヒーローになることへ対する心意気の低さを見て、なまえの将来を縛り付けることはしなかっただけだ。
だからこそ、気になった。何故、オールマイトは緑谷出久を後継者に選んだのか。真面目を通り過ぎて怖いくらい真剣に実習に打ち込む姿だとか、あの不純物のない笑顔だとか、麗日から聞いた入試の自己犠牲精神のこととか、オールマイトに似ているところは多いと思う。それ以上に、きっとオールマイト、もしくは八木俊典の心を打ち震わせるものがあったに違いない。それが、知りたかった。
「あの、俊典さん」
「うん?」
「答えられなかったらいいんです。なんで緑谷くんを後継者に選んだんですか?」
こんなふうに聞くのは、悪いことだろうか。胸の裏をくすぐるような感覚が波のように押し寄せてくる。ちらと視線をあげてオールマイトの表情を盗み見ると、懐かしむような笑みと、何とも言えないような優し気な形に目が細まっていた。
なまえを見るのとは、また違う顔だ。
「去年のヘドロ事件、覚えてる?」
「えー……と、何となく。調べてもいいですか」
「うん。出てきたの見せて」
なまえが白いスマホを出すと、オールマイトはじっと手元を覗き込んできた。心なしかわくわくしているようだ。白光りする検索窓に“ヘドロ事件”と入力すると、検索1ページ目を埋め尽くす大量のニュース記事が出てきた。その画面のままなまえがスマホを差し出すと、オールマイトは画面を下にスライドして、タップした。
「この記事見てみて」
見出しは“オールマイト、敵に捕らわれていた中学生を無傷で救出する”で、中身を読んでいくと、人質にとられた中学生のことも書かれている。筋金入りのタフネスで敵の攻撃を耐えきり、市中の被害を最小限にしたという。この国のヒーロー人材は不足がないとまとめていた。
「これがどこまで真実かは置いといて」
オールマイトによると、この記事は脚色がかなりされているらしい。他のネットニュースも同じようなものだという。
「この直前ね、私、活動限界だったんだよね。でも、プロはいつだって命がけ。それを思い出させてくれたのが緑谷少年」
緑谷は、かつては“無個性”で、それでもヒーローを目指していたという。力を持たない少年が、苦しむ幼馴染のために、他のどんなプロヒーローよりも先に敵の目の前に飛び出していった。自分も、その15分前に敵に窒息させられそうになったのに。
「彼は誰よりもヒーローに相応しい。この力は、そんな人物に受け継いでいってほしかったのさ」
あ、これ。
オールマイトはずっと後ろの検索ページに出てきた動画を指し示した。それを開いてみると、再生回数2桁の、あの事件当日の動画だった。
“誰か有利なヤツが来るのを待つしかねえ!”
“あの子には悪いがもう少し耐えてもらおう!”
観衆のざわめきと、プロヒーローたちの怒声が響き渡る。数秒経過すると、画面の中にいきなり学生服の少年が飛び込んできた。彼は群衆をかき分けると、真っすぐ前へ走ってゆく。その背中が人に紛れたとき、動画が終わった。
緑色の髪の少年だった。
「緑谷少年が映ってるの、これしかないんだよな」
「探したんですか?」
「ああ。初心忘れるべからず、さ」
緑谷少年には恥ずかしいから内緒ね。そんなお茶目な態度で口に人差し指をあてる姿は、世間の人たちは見たことがないだろうと思う。
そしてこれからは、弟子しか知らないオールマイトを緑谷出久は見ていくんだと思う。
それでいいと思った。彼がなぜあんなに純粋な表情をしているか理解した。憧れになれるとわかったからだ。彼は、憧れになる権利を、憧れから直接手渡された。だからあんなに眩しい。ひたむきにヒーローになりたいと、わき目もふらずに突っ走っている。次の平和の象徴になるために。
目の前の平和の象徴は、傷を受けて長い。もう体力だって衰えてきている。このタイミングで、血を分けた記憶もないのにそっくりな後継者が見つかって、運命だとさえ思える。
「彼、いい子だからさ。仲良くしてやって」
「仲良くなりましたよ」
なまえと緑谷が一緒に柔道の練習をしていたときは内心満面の笑みだったわけだ。目論見通り、というか。
手の中の湯飲みが冷えた。なまえはそれを一口飲む。いつもよりちょっと濃い気がした。ぬるく冷えた液体が、喉の中を滑り落ちてゆく。
平和の象徴は無敵じゃない。萌芽したばかりの平和の象徴は、守らなくてはいけない。老いてゆく平和の象徴のように、あちこちをもがれる前に。オールマイトがそうなまえに言ったわけではない。なまえが頭の片隅で、そう考えただけだ。そして、その任務を全うできるなら、緑谷と比べヒーローの資格のない自分が、オールマイトの無事を願っても許される気がする。
はっとして首を振った。
そんな劣等感は抱いちゃいない。オールマイトは、なまえのことを大切に思ってくれている、相澤と並ぶ恩人だ。感じているのは劣等感ではない。ならば、この飲み込みがたい不快感はなんなのだ。
オールマイトが、生きている。相澤も生きている。今は、それだけでいい。それ以上のことはまたいつか、考えればいい。
*
「どうですか、体調」
「それは俺が聞きたいが。どうだ、打ったところは」
「見た目は消太さんのが重症です」
憎まれ口を叩けるということは、もう大丈夫なのだろう。
相澤は無事に集中治療室から病棟の個室へと移動となり、面会が解禁された。今や左腕の点滴1本のみが体とつながっているだけだ。
昨日から今朝にかけて、ずっと明るい集中治療室で、モニターの音もやかましく、余計不調になると愚痴を言う相澤であった。なまえは両腕を首からつっている相澤を見て、苦々し気に顔をしかめるしかなかった。
「……私、一緒に戦えなかったですね」
結局、自分の力は、相澤を守れるほどなかった。
相澤は強い。そんなこと分かっている。自分の実力が、彼の足元には及んでいるかもしれないが、それ以上ではないことも知っている。
病院共通の茶色のパジャマで、包帯だらけの相澤。
一歩間違えれば、あの夜のオールマイトのようになっていた。
動かなくなった相澤。血だらけの相澤。名前を呼んでも返事してくれない、体に力が入っていない。相澤のくたびれたような目を見ると、あの姿を思い出して、内臓がきりきりと痛んだ。
相澤は、自分たちを守ろうとした。
その相澤を、自分は守れなかった。
相澤が傷つくのを見るのは、苦しかった。
戦うのをやめて、逃げてほしかったのだろうか。けれど、相澤は絶対そうしない。教師だから。ヒーローだから。
イレイザーヘッドじゃない。私にとっては、相澤消太だ。相澤が、目の前で、殴られて、ボロボロにされるのは、じっとしていられないくらいつらかった。思い出すと目頭が熱くなって、あの光景を忘れるために叫びだしたいくらいだ。
「妙なこと考えてるんじゃないだろうな」
「……?」
「余計な心配するな。これでもヒーローやってるんだ。怪我くらいする」
相澤はそう言いながら、備え付けミニテレビの下を顎で示した。なまえは、その示した先を追った。小さな冷蔵庫があった。
「中にチョコ入ってるから。オールマイトさんが差し入れでくれたんだ。持ってけ」
「あの、私のこと子ども扱いしてますか」
「さあな」
ちょっと憎まれ口をたたくと、なまえの気持ちはまぎれた。
確かに、ほぼないような冷蔵庫の中には、個包装のチョコレートが入っていた。キャンディーのようなカラフルな包みの詰め合わせ。ピンクや水色、グリーン、イエロー。なまえは冷蔵庫を締めながら、袋の裏側を見た。
「色んな味がありますね」
「全部持ってってもいいぞ」
「私も俊典さんからマシュマロ頂いてるんで。太ります」
なまえは相澤のベッドテーブルの上に、数個のチョコレートを置いた。
相澤の左手は、ギプスの間から指が覗いている。食べられないことはないだろう。
ピンクとグリーンに偏ってしまった。ピンクはミルクチョコ、グリーンはブラックチョコらしい。
ヒーローやってるから。怪我くらい。
今までもこんなに怪我したことがあるのか、なまえは聞きたくなって、やめた。
