英雄譚エルダー・エッダ
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16
なまえが救急車で搬送されたのは、雄英から一番近い総合病院だった。なまえの前には相澤を乗せた救急車が走っており、2人同時に同じ病院の救急搬送口へ担ぎ込まれたのだった。
病院ではなまえよりも意識のない相澤が優先で検査を受けたので、なまえは結果を執拗に近くの看護師に尋ねた。あまりにもしつこかったのか、とうとう看護師は本気で目を吊り上げて、“身内ではない人には患者情報は教えられない”と怒鳴った。
確かに、なまえと相澤は戸籍上のつながりはない。看護師の言葉に反論もできず、なまえは胸にぽっかりと穴が空いた気持ちで、すごすごと自分のベッドに戻った。
なまえも相澤もその日は病院に一泊することになった。なまえの状態は医師いわく良好らしく、経過観察のために大部屋、相澤は要注意のために24時間観察のできる個室に移動された。
相澤は検査後、しばらくしてから意識を取り戻し、なまえの容態を心配する余裕すらできたのである。眼窩の骨折という不穏なワードはあったが、相澤は今のところは特に何ともないと看護師伝いでなまえに教えてくれた。まだ面会はできないらしい。なまえの胸にぽっかり空いた穴が、幾分か塞がった。
その日の夜は、なまえのもとにたくさんの連絡がきた。蛙吹や麗日に始まり、なまえの怪我を間近で見ていた緑谷、峰田、助けてくれた切島、ほかにもA組の女子は全員お見舞いのメッセージをよこしてくれた。
もちろんオールマイトからも来ている。正直、オールマイトにはなまえの身よりも自分の体の心配をしてほしいところだ。
そして、長文のメッセージが一通、最後に届いた。飯田のものだった。
*
怪我は大丈夫かい? 返信はしなくていい。ただ君のことが心配だったんだ。それと、どうしても君に伝えたいことがある。直接言うのは恥ずかしいから、これで許してほしい。
先日の電車での一件を覚えているかな。あのとき、僕は足がすくんで何もできなかった。乗客の方々を助けられなかったどころか、君に守られた。ヒーローが立ち向かうものがどんなものなのか、僕はわかっていなかった。
けれど、今日の襲撃で敵を恐れず動けたのは、電車でのことがあったからなんだ。今日、足がすくんでいたら、僕の後悔1つでは済まなかった。そしてそうならなかったのは、みょうじ君のおかげでもある。君が電車で見せてくれた勇気が、ずっと忘れられなかった。だから僕は変われたということを、どうしても君に報告したかったんだ。次は僕も守ってみせる。
長くなってしまってすまない。明日は学校が休みになったので、明後日会おう。それでは、お大事に。
*
なまえは、乗客を守ろうだなんて考えていなかった。ただ飯田が死ぬのが嫌だと、脚や腕が燃やされるのは嫌だと、そう思っていただけだ。飯田はなまえを買いかぶりすぎだ。
今日の事件、飯田が教師たちを呼んでくれなかったら、USJの中にいた全員殺されていたかもしれない。オールマイトも、相澤も。それは彼の力によってなしえたことで、おそらくなまえは関係ない。彼の中に燃える正義感と、ヒーローの素質、“個性”、責任感、まだまだたくさんあるだろう。その中の1つにでもなまえは関わったかというと、答えはNoだと思う。
けれど、訂正する気は起きなかった。文章で訂正するのは無理だ。そして、誤解が多分に含まれていようとも、彼がつづったことが、彼の中にある事実なのだ。それを矯正するだけの語彙や熱意や体力は、今のなまえにはなかった。
『飯田くんの勇気と実力があってこそだと思うよ。私は体の方は特に問題ないので、明後日には退院します。メッセージありがとう。また学校でね』
そう返信して、なまえは横たわった。端末を持つ腕が、いやに重たい。
ふと目覚めると、見慣れない天井が目に飛び込んできた。ゆっくり体を起こすと、背中や脚、腕がずきずき痛む。筋肉痛の痛みだ。なまえの寝ているパイプベッドの周りはカーテンに囲まれていて、なまえはようやく自分が入院中だったことを思い出した。
枕もとのスマートフォンの画面を見ると、現在朝の5時。いつもなら、これからランニングに行く時間。医師に、今日は絶対安静を厳しく言い渡されていたので、なまえは大人しく再び目を閉じた。
あの勢いで吹き飛ばされたのに、筋肉痛で済んでしまう自分の体に、なまえは驚きだった。体が丈夫なことは昔からの取り柄だが、想像以上のタフネスである。脳も異常がないというし、今日は念のための入院、ということだった。自分の骨の頑丈さにこれほど感謝したことはない。
なんだか昨日は、頭が澄んでいた。電車で火男に出会ったときとは違う。目的がはっきりしていて、自分のすべきこともわかっていて、自分が何をしたいかもわかっていた。
守らなければいけなかったのが、自分の大切な人たちだったから。
知らない不特定多数を守るっていうのは、自分の性に合わない。それだったら、好きな人だけ守っていたい。
生活リズムが規則正しいなまえは、目をつむっていてもこれ以上寝られなかった。諦めて寝返りを打って目を開けると、カーテンにぼんやりと日の光がにじんでいる。中心が一番まぶしい。この季節の朝5時は日の出からほんの少し経過した時間だ。布にうつった光は赤く、朝焼けのはずなのに夕焼けのように輝いている。
なまえはゆっくりと身を起こした。内側から強い力で押されているように全身が痛んで、それと調子を合わせるようにパイプベッドが軋む。相部屋の人たちを起こさないように、そっとベッドの下にあるスリッパをはいて、カーテンをちょっとずつ開けた。
ランニング中によく見る空だ。偶然にも、ここの病室は東向きであるらしい。建物の間から太陽が昇って、赤々とぎらついている様は、まさに払暁と言ったところである。空には東雲が敷かれていて、空全体が赤く光って、これが夕暮れならばあれは赤光と名付けられるのに、今の時間帯であの光に付けられる言葉をなまえは知らなかった。
薄味の病院食が運ばれてくるころには、すっかりなまえは身支度をすませていた。と言っても洗顔くらいしか許されていなかったが。窓の外では雲が空を覆って、太陽の光は白をすかして地上に降り注ぐ程度だった。
なまえにとって、病院食は味が乏しいし量は少ないし、腹5分目にしかならなかった。なまえの隣のベッドの年下の女の子は、空を飛ぶ“個性”で失敗して、足を折ったらしい。なまえは自分も似たようなものだとお茶を濁した。その程度の会話を2,3交わして、なまえはまたベッドの上で1人に戻った。外から見えないようにベッドの周りだけカーテンを閉め、すぐ横の窓の方だけ開けておいた。きれいな晴天というわけでもないが、なんとなく風景は遮断する気にはなれなかった。
相澤に会えないだろうか。彼はなまえより重症で、命に別状はないとはいえ、今は安静のため面会謝絶である。でも一夜明けたのだから、何とか挨拶くらいできないだろうか。
枕もとのスマートフォンを手に取ると、食器を下げられてから30分も経っていない。時間の流れがゆっくりを通り過ぎて、カタツムリの上に乗って景色を眺めているようだった。
外からかつかつ、という革靴の音が聞こえる。誰かの面会者だろうか。医師も看護師も履いているものはクロックスで、こんな音はしない。
なまえはスマホのチャットアプリを開いて、誰かからメッセージがきていないか確認した。もちろん来ていない。トーク一覧の一番上には、昨夜飯田に返信した自分のメッセージが表示されていた。次にメールを確認する。こちらも迷惑メール以外はめぼしいものがない。迷惑メールを選択して、まとめて削除する。
「やあ。元気かい?」
突然声をかけられて、なまえは布団にスマホを取り落とした。はっと顔をあげると、見覚えのある保護者が。ちょっとくすんだ黄色の髪、ガリガリに痩せた顔、ひょろっとした体躯、落ちくぼんだ目。オールマイトだ。
「お……俊典さん」
病院で大騒ぎを起こすわけにはいかない。慌ててなまえは彼の本名を呼びなおすと、スマホを枕もとに戻した。オールマイトはカーテンの内側に入ってきて、その隙間を再び閉めた。
「どうしたんですか?」
「連絡いれなかったっけ? 学校の荷物持ってくよって」
「えーっと……」
なまえは再びスマホの画面をつけた。メールを開いて更新すると、数十秒ののち、「八木俊典」という送り主からのメールが現れた。
「メールより俊典さんが先に来たみたいです」
「ええっ、私“個性”使ってないんだけど……。まあそれはそれとして、はいこれ。学校に置きっぱなしだった鞄」
「ありがとうございます。明日直接病院から学校に行けそうです」
「あとこれ、はい。お見舞い」
「あ、ありがとうございます。これは……」
「マシュマロだよ。可愛いしおいしそうだろ?」
オールマイトは提げていた紙袋から、いくつか小袋を出しながら言った。掌サイズの小包の中には、大きいマシュマロがもっちりと詰まっていた。口紐についているカードには、それぞれ“ばにら”、“いちご”、“さいだー”、“めろん”とゆるい丸文字のフォントで印刷されている。
「今日の検査は何時?」
「午後の3時です」
「じゃあ時間あるね」
オールマイトは周りを気にしながら、これまでなまえが聞いたこともないくらい声を潜めてこそこそと話した。
「ここだと防音が心配だし……体調が悪くなかったら、別室でちょっと話さないか?」
緑谷ではないが、断る道理はなかった。首を縦に振ると、オールマイトは嬉しそうに笑った。
