英雄譚エルダー・エッダ
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14
週明け1日目に実習の文字が入ってから、A組はわっと浮き立った。その実習は、なんと教師が3人立ち会うものらしい。午後からの実習は、人命救助訓練だ。先日の柔道の練習が生きなくて、緑谷はちょっとだけ残念そうな顔をした。
なまえは、そんな緑谷の様子を横目で見ていた。
相澤の説明を横流しにしながら、じっと緑谷を見る。彼の表情は、相変わらず輝いている。飯田と同じように。彼らには、目指すところがあるのだ。それに向かって一生懸命。特に緑谷は、背負うものが重い。
緑谷に気付かれる前に、そっと視線を外した。
訓練場は校舎から離れたところにあるらしく、バスに乗って移動することになった。なまえは麗日の近くにいたはずだったが、バスの座席の都合で轟の隣になっていた。なまえは通路側だ。その斜め前に座った麗日は、なまえに向かって残念そうに手を振った。彼女の隣は、八百万だった。
なまえの隣の轟は、座るなり目を閉じた。バスは騒がしくなる一方だし、なまえの前には爆豪がいたしでとても眠れる状況ではない。なまえの思った通り、轟は寝ていたのではなく、外部とのかかわりを断つために目を閉じているだけだった。寝息はまったく聞こえない。
「あなたの“個性”、オールマイトに似てる」
蛙吹がそう発言したときだけ、轟の目はうっすらひらいた。なまえからは赤い目が見えた。
ドーム型の訓練所USJにはすぐ着いた。そこでは13号が待っていて、その指示に従いゲートをくぐる。中には大きなブースが、噴水広場を中心としていくつもあった。一番奥で轟音を上げているのは、火災現場の再現だという。
教師はこの場に2人しかいない。それでも13号が話を始めたので、もう1人を待つ気はないようだ。そのもう1人はおそらくオールマイトだろう。きっと今朝も通勤中に悪人を懲らしめて、マッスルフォームを維持できないのだ。
13号が意味ありげに相澤に向かって指を3本立てた。オールマイトのことだ。どれくらいで来るのか、という話なら、生徒の前でもできる。あれは、活動限界の話だ。3時間、という意味なら、オールマイトは実習には来られないだろう。午前中で3時間くらい使い果たしていそうだ。
13号は、“個性”について、とくとくと説いた。傷つけるために使うのではなく、助けるために使ってほしい。飯田が13号から目をそらさず、じっと耳を傾けているのがなまえから見えた。
話が終わって、13号は芝居がかった礼をした。拍手につつまれたその場の中で、なまえは突然、刺すような寒気を覚えた。
なんなんだろう、これは。死角を気にせずにはいられなくなるような、この不気味さ。発信源を確かめたくなる、この不安。
背後から相澤が動く気配がして、恐る恐る振り返った。噴水の前にぽつんと現れた黒いもやが少しずつ大きくなって、大きくなって、大きくなって。そこにぽっかりと口をあけた。
その中から出てきたのは、手。
寒気の正体がわかった。
暗闇の中、思わず振り向いてしまうような、逃げても逃げても逃げられない、恐怖。
「一かたまりになって動くな!」
相澤は叫ぶと同時に、ゴーグルを装着した。イレイザーヘッドの臨戦態勢だ。どろどろと雪崩打つようにもやから異形が流れ出る。その中央にいるのは、全身を手で武装したようないでたちの男。なまえは、寒気の正体が彼だと悟った。
相澤は指示もそこそこに、敵たちに向かって躍りかかる。はっきり形を成した恐怖が、ぞわぞわとなまえを蝕んだ。
殺されるかもしれない恐怖。そう宣言されたわけではない。目の前の光景を源泉にして、目に見えない冷えたヘドロが流れ出ているようだ。それに、みんな足を取られている。ヘドロは心臓にむかって、蛇が這うようにのぼってくる。これが心臓に達した時、全身が恐怖に支配されて動けなくなるのだ。この間の、電車のときのように。ヒーローは、このヘドロを吹き飛ばさなければいけない。
13号の指示にクラス一同従おうとしたが、あざ笑うかのようにゲートの前には黒いもやが渦巻いた。
「初めまして。我々は敵連合」
そのもやは、徐々に人型をなした。その声は地面の下を響く。なまえは総毛だった。低い声で、もやは目的を語った。
オールマイトの殺害
なまえが想起したのは、スーパーヒーローから笑顔が消えたあの夜のこと。私はどうして泣いたんだっけ。何が怖かったんだっけ。
恐れたのは、オールマイトが死んでしまうこと。
そこまで答えは出た。けれど、なまえは途方もない悪意の前に、慄いてしまった。ヘドロはむしゃむしゃとなまえの体を飲み込んでいった。ヘドロのせいで心臓の中に大きな石ができて、それが全身に送り出されているみたいだ。息が苦しい。頸動脈に詰まった石が、血流を妨げるばかりでなく、気道も圧迫する。
ここにオールマイトがいなくて良かった。
私、オールマイトが大切だ。
叫びだしそうになったとき、爆豪と切島がもやの前に躍り出た。オレンジの光が、暗いもやを脅かす。
「ダメだ! どきなさい2人とも!」
13号の一瞬の隙をついて、黒いもやはぶわっと広がった。なまえの全身は鳥肌が立つ。だめだ。殺される。火男のときよりも研がれた殺意にさらされて、なまえの体は固まった。
後ろでは、消太さんが戦ってるはずだ。なまえが助けを求めるように、鉛を曲げるように無理やり振り向くと、彼は、噴水の前で大量の敵に囲まれていた。
相澤は、肩で息をしている。1人で、人外と化した敵と戦わなければならない相澤。目にも止まらぬ勢いで白布が舞う。それですべての敵が絡めとれるわけもなく、相澤の腹に巨大化した怪物の拳が入った。
私、消太さんも大切だ。
目の前で、消太さんが殴られたから。こんなに頭が熱い。
助けなきゃ。
その拳は、同時に、それを目に映しただけのなまえにも襲い掛かる。拳はなまえの体の中に入り、体中を重くしていた石を、凄まじい速さで1つずつ砕く。
心臓の巨石が砕けると同時に、なまえは後ろにとんだ。ヘドロからも自由になる。このもやに殺されないように。
お前のカタをつけたら、消太さんを助けなきゃ。
しかし、もやはなまえに追いついた。振り返りざまに噴水広場を見下ろしたら、相澤の敵はさきほどよりも増えていた。
「消太さん!」
相澤がわずかにこちらを見た。
数瞬のうちに、相澤の姿が掻き消えて視界は真っ暗になった。体がぽっかりと浮いて、ぐるぐるぶん回されて、何が何だか分からなくなったころ、突然ぱかりと目の前が開けた。
上下の感覚があべこべになっていても、頬を切る風の音で、自分が落下しているのはわかった。何度か頭を振って自分を取り戻して、地面につくぎりぎりで体の方向を転換させる。足場の悪いがれきに何とか着地すると、敵に囲まれていた。
それと同時に、ひやりとした空気を吸い込んだ。異形の敵を見回すと、なまえのすぐ横に轟が立っている。
「どけ」
轟は言葉少なに言った。敵を威嚇したのではない。目だけをなまえにむけて、吐き捨てた。
「ずいぶん余裕じゃねえか!」
敵はどうやら、自分たちがコケにされたと思ったらしい。
なまえは素直に轟のいうことに従った。確かに彼は、実力が頭1つ以上抜けている。この場は彼に任せるのが正解だろう。目の前の敵たちを相手するより、なまえには気にかかることがある。彼がこの大群を引き受けてくれるというなら、願ったりかなったりだ。轟は左の腕を静かに振り上げる。
なまえはきゃああという悲鳴を聞きつけると、上空を仰ぐ。落下してくる手袋と靴を見つけて、その真下まで移動し、葉隠を受け止める準備をした。
「なまえちゃん! そっちじゃない! 逆! 逆!」
「こっ、こうかな!?」
どさっとなまえが上手に葉隠をキャッチするころには、轟は敵たちの足元を氷漬けにしていた。なまえは葉隠を地面に下ろすなり、彼女への心配の言葉もそこそこに、動けずにいる敵の間を走り抜けた。
「なまえちゃん!?」
「助けなきゃいけない人がいる!」
なまえは土砂ゾーンを抜けると、目の前の大きな噴水の向こう側に敵が大勢いるのを見る。それだけでない。高い声から低い声までの叫びが聞こえる。捕縛布らしきものが縦横無尽に舞っているのもわかった。
気付いたら、走り出している。遠回りする時間が惜しくて噴水のふちを走り、なまえに気付いた敵の頭を勢いのまま蹴飛ばす。噴水から助走がついたまま何人もの敵の頭を乗り越え、うごめく集団の中に降り立った。
「なまえ!?」
相澤の声だ。なまえは咎めるような響きを無視して、地面に指をつく。コンクリートがなまえを中心としてひび割れて、敵の足元がぱっくりと口をあけた。何人もの敵が奈落の底へ落ちていく。なまえに襲い掛かってきた者たちは、なまえの手によって谷底へ突き落とされた。
相澤の左手の敵をなまえは一掃したことになった。相澤のそばに行くと、再び腰を落として臨戦態勢をとる。
「何で来た」
彼の声は、怒っている。なまえはその怒りに反省を示すどころか、肩をすくめてみせた。
「足手まといにはなりません」
私を遺すなんて許さない。
目の前にせまった敵を殴り倒し、なまえは言い放った。
火男のときのような震えは、なまえの体のどこを探してもない。今の自分には、目的がある。心強い味方がいる。そしてその味方に、何があっても死んでほしくないと思っている。大切な人を守るんだ。それだけで、何にでも立ち向かえる。
血はつながっていなくても。消太さんに私より守りたい人がいたとしても。私は、消太さんを守るんだ。
相澤は小さく舌打ちして、なまえの背側に回った。
攻撃の主軸は、相澤の“個性”。相澤の視線の邪魔をしないように、なまえは低い姿勢を保ったまま、敵を迎え撃った。思っていたよりも、敵は有象無象だ。1人1人は大したことはない。ただ、数が多すぎる。
ぞくん、となまえの体に、震えが走った。
はっと相澤のほうを振り返ると、手を防具のように装備した男に襲い掛かられているところだった。
首筋がちりちりして、その手男から、無性に離れたくなった。
「本命か」
相澤の声は冷静である。なまえは目前に迫った敵を蹴り飛ばし、そのすぐ後ろの裂け目へ落とした。腰を落として敵の足を払い、それと同時に地面に触れて相澤の周りの割れを直す。
手男を相手取る相澤に、3人の敵が一斉にとびかかる。そんな卑怯なことさせるものか、となまえは相澤の周りの敵を殴り飛ばし、地面を割ると、バランスを崩した敵は無様にコンクリートの割れ目に吸い込まれていった。
「無理をするなよ、イレイザーヘッド」
その声色は、周囲の人の恐怖を集める力がある。なまえは反射的に振り返ると、相澤に加勢しようとしたが、相澤はプロらしく不気味な主犯格をあしらった。
なまえは体勢が悪い相澤に追い打ちをかけようとする敵を引き受け、1人目を引き倒して柔らかくしたコンクリに埋め込み、もう1人は蹴飛ばして同じ末路を辿らせた。
なまえのあけたコンクリートの穴は、大勢の敵を食ったようだ。残ったのはほんの数人。その敵たちもただむやみやたらに攻撃しても意味がないと思ったのか、距離を軽率に詰めてこなくなった。
なまえと相澤は背中合わせに立つ。なまえは烏合の敵に、相澤は手男に、向いている。
いくら考えても、烏合の敵は烏合だったようであった。しびれを切らして数人がなまえと相澤を挟み撃ちにして向かってくる。なまえはその2人を十分ひきつけ、目にもとまらぬ速さで地面をなでて、ぱくっと地面を割った。右手の敵はその穴に真っ逆さまに落ちていったが、左手の敵はそうもいかなかった。ジャンプして、上から斧を振りかざす。
火男のときに怯えたのが、嘘のようだ。次に何をすべきか、目の前の映像から理解する。相澤を傷つけさせないように立ち回る。それだけのことだった。簡単だった。ただ、相澤を守るために、反射のように体を動かすのが。
相澤消太が、傷つくのが怖いから。
相澤消太だけを、守りたいから。
「私がやるから」
なまえは相澤にそう言い残すと、相澤と距離をとった。その敵は大がらで、その上柄の長い斧を振りかざしていたので、腹ががら空きである。刃が落ちてくるまで待って、斧の一閃を避ける。空振りに憤りを隠しきれない敵は、次は着地してからめちゃくちゃに斧を振り回しながら、なまえに迫ってきた。
なまえは横に飛びのきながら、いらだちに任せた大振りを交わすと、がら空きののどめがけて作って隠し持っていた石礫を投げつけた。見事命中した礫は、敵の気道を押し潰し、体をのけぞらせた。なまえはすかさずその体に体当たりして、その背後に待ち構えていた亀裂の中へ巨体を葬った。
「くそっ、このガキが!」
敵が穴の底で吠える。すかさずなまえは、周辺の裂け目をコンクリートのひと撫ででふさいだ。
周りを見ると、もう雑魚はみな倒れていた。相澤がやったのだ。相澤のほうを見ると、手男が地面に伏していた。
「消太さん」
「お前は下がってろ」
なまえは相澤に駆け寄る。相澤は身を起こそうとする手男をにらんでいた。そして、なまえの手を掴んで自分の背後に回そうとしたが、なまえは無言でその手を払い、拒んだ。
相澤の息は上がっている。そして、ゴーグルで見えないが、相澤の目は、もう限界かもしれない。そう考えて、相澤に守られるのは現実的でないと結論を出す。そもそも、サポートする気はあっても守られる気は毛頭ない。
相澤の腕がぼろぼろなのが視界に入った。なまえの肌に鳥肌が立った。
「へええ、いいなあ、いいなあ、生徒の目の前で雄姿を見せびらかせるんだ」
無邪気に、手男が言う。指の間から赤目が鈍く光る。目の形はゆがんで、おそらく手の下で、あの男は笑っているのだ。
なんで、あの男は、こんなに怖いんだろう。
相澤の髪がぶわりと上がる。それと同時に地面をけり、手男に攻撃を仕掛ける。なまえは相澤の後ろを追いかける。イレイザーの邪魔にならないように。それでいて、イレイザーの死角を埋めるように。手男の表情は変わらない。
相澤の捕縛布が、主犯の手を絡めとる。
「ところでヒーロー、本命は俺じゃない」
ばきぃ。
いやな音がした。なまえの視界は相澤を追っていたはずだったのに、突如として横にゆがんだ。
