英雄譚エルダー・エッダ
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12
その週のヒーロー実習は、うち1限は柔道、もう1限は“個性”を使った対人戦ということになった。緑谷は練習の成果を見せるときがきたと意気込んでいた。
前の授業と同じようにブラドキングが講師になった。今回は、準備運動ののちに二人一組となり、技をかけあう練習をするようである。なまえは、てっきり女子と組むものかと思っていたが、人数の都合上男子と組むことになった。
相手は、爆豪である。あちらこちらから凄まじい視線を感じるが、なまえはむずがゆさを首をひっかくことで耐えた。経験者の尾白と砂糖はそのペアで組んでおり、なまえは内心、そのどちらかと組みたかった。
なまえが腱を伸ばしていると、蛙吹が恐る恐る近寄ってきた。彼女は耳郎と組むようである。
「なまえちゃん、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「入学式の日に爆豪ちゃんと喧嘩してたわよね」
「あれは向こうから喧嘩売ってきたの」
蛙吹は特になまえの身を非常に心配しているようである。なまえと爆豪は、誰より先にトラブルを起こした2人だ。心配されるのも仕方ない。それに加え、先週の実習によってできた“闘ったらヤバい奴ランキング”1位を争う戦闘力を持つ爆豪と、女の力で対抗できるのかという問題もある。
「緑谷のほう見てみ」
耳郎が背中の方を指さした。そこには、何とも言い難い目をした緑谷がいて、なまえに話しかけようか迷っているようだった。幼馴染として、爆豪の実力は一番よく知っている緑谷である。その彼が何かを言わんとしているのだから、爆豪が恐ろしいのは間違いない。
「大丈夫だよ。死ぬわけじゃないんだから」
死ぬわけではない。なまえは本心からそう言った。
ここは学校である。悪意ある攻撃なんて誰もしてこないのだ。
なまえは爆豪と向かい合った。すでに彼の目はすわっている。隣は切島緑谷ペアで、2人ともはらはらした表情でなまえと爆豪のペアを見守っていた。
「よろしく、爆豪くん」
彼は、赤い目でなまえをにらみつけただけだ。
ブラドキングの号令で、お互いに腕と襟元をつかむ。柔道着ではないので、襟のところが少し心もとない。爆豪はさすがの握力とでもいうべきか、腕を握りつぶさんばかりの勢いである。
握力じゃないか。怒りか。
のんきになまえがそんなことを考えていると、なまえの体が浮いた。くるりと世界が回る。一本背負いだ、と気付くころには、なまえは反射で受け身をとった。ばん! という武道館中に響く音がしたが、なまえのダメージはほとんどない。爆豪は上手に投げてくれたのである。
上手すぎて、なんだか、微妙な気分だ。
敵視しているなら、もっと乱雑に扱えばいいものを。
なまえが立ち上がって構えなおしたら、意外にも爆豪はそれに応じた。目つきは最悪だったが、余計な戦いは仕掛けてこない。しかし爆豪は、なまえが技をかけるときはこれでもかというほど抵抗し、彼の沸点の低さをすでに学んでいるなまえは諦めて技をかけられてやるのだった。
「ねえ、爆豪くん。私受けてばっかなんだけど」
「腰抜けクソ野郎。俺と戦う気ねえのかよ」
なるほど。これは挑発のようだ。生憎なまえは、投げ飛ばされただけで怒るタイプではない。しかも授業内に。なまえが肩をすくめると、思いっきり足を払われて前に投げられた。なまえは上手に受け身をとって、薄く笑った。
「まさか。無駄なトラブルは嫌だもん」
爆豪の目が見たこともないくらい吊り上がった。
ただひたすら投げられただけのなまえの体は、授業が終わるころには体中が衝撃のせいでじんじんと痛んでいた。結局なまえは爆豪の喧嘩を買うことなく、のらりくらりと技を受け流し、不要の争いを回避したのである。イラつかなかったかと言われればそうでもないが、理不尽な言いがかりをつけられたわけでもないので、以前ほど怒りはわかなかった。
というか、そうやってやり過ごされた方が彼は怒りを覚える質のようで、なまえはイラついている爆豪に、ざまあみろ、としか思わなかった。
「おい、大丈夫か?」
制服に着替えて教室に戻ると、切島が話しかけてきた。彼も蛙吹と同様、入学式の日になまえと爆豪の喧嘩を見ていた。
「大丈夫。なんにもなかった」
「あんなに投げられてたのに?」
「爆豪くん上手だったからそんなに痛くないよ」
「うううん」
切島は腕を組んで、何かいろいろと考え込み始めた。
なまえとしては、爆豪との関係はそんなに重要事項ではない。まだ実害は出てないからだ。けれど、切島はそうではないらしい。彼にとっては割と大事なことのようである。
「爆豪、なんであんなにこだわるんだろうな」
「何に?」
「緑谷とかみょうじとかに」
「私は受験かなあ。実技試験でロボット獲っちゃったから」
「ああー……爆豪なら怒りそう」
「いやちがうっしょ」
ひょっこりと話に入ってきたのは、今しがた戻ってきた上鳴である。彼は冷やかすような表情で切島と肩を組んだ。
「爆豪、みょうじのこと好きなんじゃね」
「気のせいにもほどがある。ってか嫌だな。フツーに」
上鳴はあっけらかんと言い放った。なまえはそれを一蹴して、肩をすくめる。面白がりたいだけの上鳴には、一言で十分である。
「なーどう思うよ緑谷ー」
「いやないないないない……ってその、みょうじさんがどうこうってわけじゃなくて、かっちゃんの方があのその」
1人で戻ってきた緑谷を無理やり上鳴は引き込んだ。緑谷には上鳴の声が聞こえていたようで、顔を赤くしているのか青くしているのかわからない。切島も緑谷と同じ意見のようで、苦笑するばかりである。
「でもみょーに手加減してたじゃん。あれってやっぱ、アレ? 爆豪って好きな子にはちょっかいかけちゃうタイプ?」
「絶対違うと思う……。かっちゃん変なとこでみみっちいから」
緑谷はちらちらと廊下を確認していた。まだ爆豪は教室にいないので、いつ彼が戻ってくるか気が気でないらしい。
「何の話ー?」
葉隠と芦戸が嬉々として割り込んできた。彼女たちは人並みに噂話が好きらしい。
「あのなー、実は爆豪がなー」
「上鳴くん、デマを流さない。何でもないよ」
なまえはその場を逃れて、葉隠と芦戸の肩を押した。2人は不満そうである。
「えええ、教えてよー」
「たった今上鳴くんが大ウソつこうとしてました」
「つまんなーい」
*
週の頭の食事は日曜日のつくり置きで済ますのがなまえのルールである。それは大体、相澤が来たとしても火曜日まで持つ。麗日とはお互いの家の事情を知る仲のなまえは、今日は2人で帰らなかった。麗日は夕方のバーゲンに行くそうだ。お互い家計が潤沢でない同士、節約できるところは節約するのである。
そんなわけで、なまえは雄英のジムをフル活用したあとで帰宅したのだった。帰りの電車の中で相澤からメールがきて、「次は水曜日に様子を見に行く」とだけ書いてあった。最寄りの駅で降りて、街頭がちらちら見える道を歩き、細い路地に入る。きれいな裏道とは言えないが、ここからが一番アパートに近いのだ。家々に囲まれた中のぽっかり空いた場所にある、さびれたアパート。ここは普段、出張ヒーロー用の無料宿泊所なだけあって、なまえ以外の部屋には誰もいない。1ヶ月に1人来るか来ないか、その程度。そのアパートに明かりがついていれば、不思議な気分である。
それが自分の部屋ならなおさら。
少なくとも相澤ではない。なまえは不審に思ったが、すぐにその考えを打ち消した。端末の画面を見ると、メールがもう一通来ている。差出人は、八木俊典。
思った通り、玄関の扉を開けると、くたびれた大きいスニーカーがきれいにそろえられていた。
「ただいまー」
「おかえり」
トゥルーフォームのオールマイトが出迎えてくれた。スニーカーと同じくらいくたくたのパーカーと、緩めのジーンズのオールマイトは、あのスーパーヒーローとは誰も思わないだろう。落ちくぼんだ目には、優しい笑みが浮かんでいる。昼間の勇ましい顔とは似ても似つかないような、姪のような存在を見守る目だ。
「ちょっとだけ時間が空いたんだ。一緒に夕飯食べよう」
「はい。ご飯解凍しますね」
「私がやっとくから着替えておいでよ」
なまえはいったん自分の部屋に戻って、鞄をそこらへんに置きジャージに着替えた。袖や裾が擦り切れている、家着用ジャージである。
オールマイトは、めったになまえの家に来ない。それはそうだ。忙しいし、何よりきれいな身なりの人が来たらおかしいほどのアパートなのだ。目立たないはずがない。けれど、オールマイトは昔から着ているパーカーとジーンズで、眼鏡とキャップも装備して、来てくれた。
なまえが居間に戻ると、オールマイトは年季の入った電子レンジに2人分の冷凍ご飯をセットしていた。
「ねえ、買い替えようよ。これ何年物?」
「あー……」
その電子レンジは、入れたものがちっとも温まらない不思議なレンジである。それでもあと少しと頑張っていたのだが、そろそろ限界だ。
「家電詳しくないんですよねえ……」
「相澤君に聞いてみたら? お金なら私出すからさ」
「あ、ありがとうございます」
なまえが冷蔵庫を開けると、買った覚えのない総菜や真空パックの肉魚が詰まっていた。しかも、普段なまえが決して買うことのない、デパートの地下で売られているような、いわゆる生活費の振り込み日にたまに食べられるかもしれない美味しいやつだ。肉も魚も、一見していいものだというのがパッケージで分かる。
「あの、オールマイト、これ……」
「ああ、それ? 大丈夫。賞味期限長いやつしか買ってきてないよ」
「ありがとうございます。どれ食べますか?」
「私は君の手作りがいいな。ああ、こっちこっち」
オールマイトは、パックの隙間からのぞくタッパーを取り出した。中身は、あじの南蛮漬けと鶏肉ときのこの包み蒸しだ。オールマイトは見覚えのありすぎる、彩りがかろうじて保たれた残り物のタッパーを片手に、もう一つ白い紙箱を手前に引っ張り出してきた。ケーキ屋で渡されるような形だ。
「シュークリームは2人で食べよ」
「えっ、あ、ありがとうございます!」
今日は食後も楽しみである。
いつもよりとんでもなく華やかな冷蔵庫を閉めて、南蛮漬けはそのままテーブルに置いた。包み蒸しはつくったその日がおいしいのだが、買った材料が思ったより多くて食べきれなかったのだった。再びアルミでくるんでグリルに入れて、味噌汁は豆腐とわかめとねぎだけの、いたって地味なものをさっとつくった。市販の出汁パックを使っているので、こんなに適当でもそれなりの味にはなってくれるはずである。あとは野菜室で眠っているキャベツをざく切りにして、キュウリと一緒に塩昆布であえてごまをふりかければ、完成だ。
「……やっぱりお惣菜出しましょう。地味すぎる」
「なまえ君が食べたいものあったら出しなよ。私のことは気にしなくていい。あったかいご飯を大事な子と食べるんだ。なかなか味わえない幸せさ」
ようやく温まったご飯をレンジから取り出して、オールマイトはなまえに笑いかけた。
「やっぱり電子レンジ買い替えたほうがいいよ」
「はあい」
なまえは恥ずかしいのを腕をひっかくことでごまかして、器を棚の奥から出した。普段使いの自分用の食器は手前にあるのだが、週3日来る程度の相澤の物でさえ食器棚の奥にしまってある。それ以外は滅多に日の目を見ることはない。オールマイトに用意したものは来客用の物だった。
なまえはいつもよりきれいに配膳した。盛り付けも、食べられればいいや程度の雑さはさすがに改めた。包みなおした鶏肉ときのこは、グリルから取り出すときにばらばらに散らかってしまったので、オールマイトに見られないうちに並べなおした。ついでに気になっていたローストビーフも冷蔵庫から出して、そのまま食卓に置いてみた。蓋の値札がはがされていたのは、オールマイトの気遣いだ。赤いローストビーフだけ、場違いに豪華である。
「おいしそうだね! すっかり料理が板について」
「私もう高校生ですよ」
「あはは……」
つくったものを褒められて悪い気がする人がいるわけない。なまえは照れ隠しについ素直になれなかったが、オールマイトは気分を害したわけでもなく、恥ずかしそうに笑っただけだった。
「君が中学校に入ったのがつい昨日のことのようで……いつの間にこんなに大きくなったんだと思ってねえ」
そういいながら食卓につくオールマイトは、うきうきしていてちょっとうれしそうである。相澤から、ほとんど家に来られないものの、オールマイトは昔から自分のことをとても気にかけてくれていると聞いていた。
本当に、どこか血のつながった親戚のおじさんみたいだ。
なまえは、血縁者を知らない。物心ついたころから相澤に育てられてきたし、その事実を聞かされたときも、不思議と衝撃はなかった。相澤と自分はまったく似てないし、親にしては若すぎる。そのことに気付いているくらいには、なまえの中身は子どもではなかった。相澤やオールマイトに淡白すぎると驚かれたのはいい思い出にもなっている。
だからなまえは、赤の他人である自分に愛情を注いでくれる2人に感謝しているのだ。
つくりたてでもない料理を、オールマイトはおいしいと何度も言いながら食べてくれた。彼は専ら、なまえのつくった南蛮漬けを食べていた。それを見ているだけで、なまえは満足感でいっぱいになる。
食後のシュークリームを食べながら世間話をしていると、オールマイトの端末が鳴った。平和の象徴の休憩は終わってしまったのだ。
オールマイトは名残惜しそうに席を立った。なまえは急いで余りのご飯でおにぎりを握った。中身は、梅と昆布とおかかである。適当なタッパーに詰めて、玄関でオールマイトに押し付けた。
「なまえ君……」
「お腹空いたときに食べてください。オールマイトはスーパーヒーローなんだから、エネルギー切れなんてかっこ悪いですよ」
「大事に食べるね。それと何で相澤君のことは名前で呼ぶのに私はヒーローネームなんだい?」
「だってオールマイトとはテレビ越しに会うことが多いから」
「もっと家に来ればよかった……!」
「……オールマイト、」
不意になまえは、のどが詰まった。
何かを言おうとしたわけではない。何も考えていない。それでも、やせ衰えた恩人に何か伝えようとした。
それは、伝えてもいいものかわからない。けれど7年前、この部屋に息も絶え絶えで入ってきたオールマイトは、誰も手の届かない遠い所へ行ってしまいそうな状態で、なまえはそれを見ていた。どうしてこんな時に思い出したのか。
オールマイトが、私とご飯を食べたいと言ってくれたからだ。
「明日も無事で」
オールマイトは、目を丸くした。一拍遅れて優しい笑みに戻ると、やせ細った手でノルンの頭を撫でる。
「もちろんさ。明日も学校で会おう」
「はい」
「おにぎりありがとね」
「頑張ってください」
「うん。行ってくるよ」
オールマイトは、最後までなまえに笑いかけて玄関を出ていった。後ろ髪引かれる思いだ。今回呼び出しを受けたのは、逃走する詐欺グループのアジトをたたくための増員だった。そんなに大きいグループではないし、暴力団との関わりも薄そうである。だから、以前彼女を怖がらせたようなことは、今回は起こらない。オールマイトは、泣きじゃくっていたなまえの姿を、よく覚えている。
「子どもがいたらあんな感じなのかなあ……」
今度エンデヴァーに聞いてみようかなあ。家族ってどんな感じ?って。そういう話も避けられちゃうかなあ。
アパートから出た後に、オールマイトはつぶやいた。普通の幸せを味わってしまったのか、今日の仕事はいつになくやる気に溢れている。紙袋に入っているぬくもりが、今夜の原動力だ。
その日の夜、ネットニュースに“さびれた住宅街からオールマイトが登場! 自宅特定なるか!?”という記事が掲載されたのを、オールマイトもなまえも、翌日ほかの人から聞くまで知らなかった。
*
翌日なまえが学校へ行くと、机の中に小さい紙が入っていた。飯田となまえの2人しかいない教室だ。なまえは教室から出ていくと、紙に書いてあった通り、仮眠室へ行った。
「おはよう、なまえ君。昨日はよく眠れたかい?」
仮眠室で待っていたのは、トゥルーフォルムのオールマイトだった。やせこけた顔でも、その笑顔はまぶしい。けれど、細長い首には包帯がまかれている。昨日まではなかった。仕事で怪我をしたのだった。
「おはようございます」
「タッパーを返そうと思ってね。はい。おいしかったよ」
なまえに渡された紙袋の中には、リボンで飾り付けられた箱と、その下に透明なタッパーが入っていた。
「わざわざまた……」
「私はあまり会いに行けないから。その分、ね」
「……ありがとうございます」
この姿を見られてはまずいオールマイトと、生徒と先生が2人でいることはよくないと考えているなまえは、話を早々に切り上げ、別々に部屋を出た。
なまえが教室に戻るころには、八百万と尾白が来ていた。おはよう、と手を振ると、八百万はおはようございます、と手を振り返してくれた。
昨夜、なまえは珍しく弱音を吐いた。思った以上に、オールマイトの大怪我のことやこの間の電車で出会った火男のことが尾を引いているのかもしれない。
平和の象徴、最強のスーパーヒーロー、そんなオールマイトに、無事でいて、なんて信用していないも同然だ。それでも、なまえの心情を受け止めてくれた彼は、本当になまえを大切に思ってくれているのだろう。久しぶりに、相澤にも日ごろの感謝をこめて、少し手の込んだ料理をつくってあげようと思う。
血のつながらない保護者が2人いる。なまえの心はそれで十分満たされているのだ。