英雄譚エルダー・エッダ
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11
雄英に入学して、最初の1週間が終わった。特に友人との約束があるわけではないなまえは、土曜日はのんびり過ごし、日曜日は雄英のジムに行くことにした。雄英高校の公式サイトを確認したら、年中無休で開いているという。
朝のランニングを終えて、なまえはシャワーを浴びた。居間に戻って時計を見ると、6時15分。待ち望んだ休日の始まりである。
なまえは、手始めに図書館に行こうと思った。トレーニングに次ぐ趣味が読書なのである。図書館は静かだし、本が無料で読める。雄英までの定期券を使えば、交通費もかからない。
そういうわけで、なまえは家を出た。休日の空いた電車に乗り、雄英高校前駅で降りる。この駅の周辺は学生街で、安い定食屋や喫茶店、小さいアパートなどが集まっている。そんな雑多な街並みのなかで目立つ大きな建物の1つが、市立図書館だ。
なまえは絨毯の敷き詰められたエントランスを通り抜け、館内に入った。図書館の中は静寂が満たしていて、衣擦れの音でさえ犯罪的である。
3台並んだ貸出機を通り過ぎ、なまえは本棚の間に入っていった。
ここの図書館は、手前に小説、奥に入ると伝記や辞書、新書などが配置されており、扉から最も遠いところに机や椅子がならべてある読書・自習スペースがある。なまえは手前の小説を選び、奥に進み読書するスペースを確保した。
机は自習したい人のために、と思い、なまえは壁に沿うように点々と置いてある椅子に腰を沈め、本を開いた。
半分くらい読み終わって、ちょうど章の終わりだったので顔を上げた。腕時計を確認すると、正午ちょっと過ぎ。ちょうどお腹が減ってきたところである。なまえは貸し出しを済ませようと椅子から立ち上がる。
1冊だけ借りるというのもなんだかもったいない気がするので、その辺の本棚をうろついて、めぼしいものを手に取る。あらすじを見て、ピンとこなかったら戻す。びびっと来たら腕に抱える。棚をずらしてそれを繰り返し、なまえは棚の列に沿って移動していった。
作家の苗字の頭文字が変わる。著者ごと本を隔てる仕切りのすぐ隣にあった本を取り出したら、紙製の仕切りが落ちてしまった。
「大丈夫ですか」
可憐な声の持ち主がさっとかがんでくれて、なまえがひざを折る前に仕切りを拾ってくれた。お礼を言いながら白い手を視線でたどると、その先にあった顔は、クラスメイトのものだった。端麗な顔が、ノルンを下から覗き込む。
「みょうじさん?」
「……八百万さん?」
彼女は白いワンピースを着ていた。学校では高いポニーテールだったのが、今日は低い位置でのハーフアップである。一瞬誰なのか分からず、何度かまばたきをしてしまう。
八百万は少し顔を赤らめて、視線をなまえからずらした。その仕草に何となく羞恥心をあおられ、自然となまえも彼女から目をそらした。八百万は立ち上がってスカートの裾をなおす。なまえは気まずさから、立ち去ろうと思っていたが、八百万の視線がなまえの腕に固定されたのを感じ、動くのをやめた。
「こんなところでお会いするなんて、意外ですわ」
「本読むの好きなんだよ。八百万さんも?」
「ええ。……えっと、ペルシャ神話?」
「うん」
「ど、独特ですわね……」
なまえが先ほど館内で読んでいたほうである。2冊抱えるうちもう1冊のほうは青春小説だったのだが、八百万はそちらではないほうに興味を持ったようである。
「辞典と化学資料集と純文学のほうが独特じゃない?」
「そうかしら? 昔からこの組み合わせで借りることが多いのですが……」
純文学は、彼女の趣味だろう。ほかの2冊は、彼女の個性に絡むものであろう。教室で“個性”談議になったとき、彼女は自分の“個性”について話していた。
創造するためには、条件が2つある。1つは、生物ではないこと。2つ目は、八百万が物質の組成を知っていること。
「休みでも“個性”の訓練かあ。努力家なんだなあ」
「と、当然のことですわ。雄英生ですもの」
八百万は、意外にも顔を赤く染めて、恥ずかしそうに頬を手で覆う。実習のときに、自信満々に講評を述べた姿とは似ても似つかない。彼女は推薦で入学したそうである。一般推薦だ。なまえとは違う、立派なヒーロー候補である。
彼女はじっとなまえの目を見つめる。それになまえが気付いたのは、数秒経ってからであった。視線がどうも熱っぽくて、しかし目をそらすのも気が引け、なまえは首をかしげてみた。
「あの、みょうじさん。このあとのご予定は?」
「特には……」
控えめに八百万が顔を輝かせる。
「お昼ご飯、ご一緒しませんか?」
れを断るのは、どんな朴念仁でも不可能だ。彼女の純粋な瞳に見つめられ、なまえは浮遊感を味わった。自分が男であったなら、恋に落ちてしまうレベルである。
結果、八百万は、完璧なテーブルマナーをファミレスで披露した。なまえが対面していて恥ずかしいと思うくらいには、彼女は上品であった。しかし、八百万が小声でなまえだけに聞こえるように、「こういうところは初めてですので、失礼がないか心配で……」とささやいた瞬間、なまえがかすかに覚えた劣等感など吹き飛んでしまった。
かわいいお嬢様は、かわいいのである。
そのままなまえは彼女に流され、2人で街歩きをすることになった。八百万とかわす会話は、他愛もないことである。好きなものの話や、自分たちの中学生時代のことなど。
「編み物もできるの?」
「手慰み程度ですわ。ピアノのほうが得意ですの」
「書道もやってたんでしょ? むしろ八百万さんにできないことってなに?」
八百万の話は、なまえが知らない世界の話だった。小さいぼろアパートで暮らしていたなまえが、経験することのない世界だ。小説の中をのぞいているような気がした。
しばらく歩いていると、飲食店は減り、代わりに日常生活用品の店や100均が増えてくる。女性をターゲットにしているのか、色とりどりである。
いきなり八百万が足を止めた。そこは、小さな雑貨屋だ。
「入る?」
「いいんですの?」
「うん。私もあれ見たい」
なまえは、ショーウィンドウから見える写真立てを指さした。
ガラスばりの扉をくぐると、つるされているチャイムが、ちりん、と軽く鳴った。金色に光るチャイムがきらきら光っている。いらっしゃいませ、と若い店員が一瞬だけ2人を見た。
こじんまりした雑貨店だ。木の柱のむき出しの壁がメルヘンな雰囲気を醸し出す。そして内装を裏切らず、売っている品々も、メルヘン全開である。トランプ柄のアクセサリー、お菓子の家の置物、きのこのランプ。八百万の目に留まったのは、池で泳ぐ白鳥が蓋にデザインされた、オルゴールだった。
なまえはといえば、先ほど指さした写真立てを手に取った。実は、写真立てが欲しいわけではない。八百万に合わせるために、咄嗟に口から出てきたのである。しかし、この写真立てのデザインは、見れば見るほど心くすぐられる。フレームからぶら下がる小人たちが、7人が7人とも違う表情で写真を見ているふうだ。
「写真立て、とっても素敵ですわね」
「小人かわいいよね。それ、白鳥?」
「ええ。昔バレエを習っていたことがありまして。発表会で“白鳥の湖”のオデットをさせていただきました」
「オデット?」
「主役ですわ……恥ずかしながら」
昔、絵本で読んだことがある。主人公のオデットと悪魔のオディールが、白と黒で対照的に美しく描かれていた。なるほど確かに、八百万は白が似合う。オデットにぴったりだ。
八百万はオルゴールを棚に戻した。なまえもそれに合わせて、写真立てをもとあった場所に置く。もういいのか、と声をかけようとすると、八百万は壁に貼ってあった紙に目を奪われていた。
「手作りミサンガ?」
「お時間よろしければ、ご一緒しませんか?」
わくわくした表情の八百万の誘いを無下にできるわけはなく、なまえはいいよと言っていた。彼女はその返答を聞くと、すぐさま店員に声をかけた。先ほどと同じ若い店員は朗らかに応じ、奥のスペースに通される。色とりどりの糸が、身長よりも高い棚にグラデーションの順で並んでいた。
テーブルに座って、糸を選ぶ。なまえは青と黄色、八百万はピンクと水色を選んだ。店員の指示に従い、糸を編む。八百万はすいすいといとも簡単そうに編むが、なまえは長いひもが絡まりあうのに苦戦していた。
「あれ、なんでかな。色がちがう……」
「お貸しください。こうですわ」
「あ、ありがとう!」
思わず大きな声が出た。
くすくす笑う八百万にきまり悪くなって、なまえは少し顔を熱くする。
「運動部の人たちって、みんなこうやってたんだなあ」
「そういえば、私の中学でも流行っていましたわ。大会前にマネージャーの方々が選手の皆さんに渡してらっしゃいました」
なまえは八百万にビーズの通し方を教えてもらい、何とかまともに編めるようになってきた。余裕ができると、口数も増える。なまえは、八百万からほかにもいろんなことを聞いた。かぎ針で糸を編む方法、生け花の授業のこと。なまえは、過去の自分の習いごとのことを話してみた。柔道や空手など、様々な武術を1通りこなしたこと。八百万は驚いていた。
「まあ! お強い……」
「私の通ってた中学ではみんなやってたんだよ」
なまえからしてみれば八百万は珍しく、八百万からしてみればなまえは珍しい。
そうこうしているうちに、八百万のミサンガは完成した。それにちょっと遅れて、なまえも留め具代わりのウッドビーズを通して、無事に完成させた。
くるくるねじれるミサンガだ。なまえは部活に入っていなかったため、こういうものをつけたことがなかった。八百万が嬉々として手首に巻き付けているのを見て、なまえもはめてみた。
「おそろいですわ!」
「そうだね」
八百万のに比べると、なまえのミサンガは結び目がガタガタしていて、不格好だった。けれど、おそろい、という言葉は不思議なもので、その不ぞろいの編み目に味が出ていると錯覚してしまうのである。
ミサンガ代を支払って、なまえと八百万は店を後にした。そろそろいい時間である。八百万は駅近くに下宿しているそうで、2人は駅まで一緒に行くことにした。
「今日は楽しかったですわ。ありがとうございました」
「こちらこそ」
八百万はミサンガを撫でている。たいそう気に入ったようだ。
「……その、みょうじさん」
「うん?」
彼女は遠慮がちに小声で言った。その声の小ささは、今日一番である。八百万の瞳が、下から覗き込むようになまえを見つめた。その視線は、図書館で食事に誘われたときと同じ目である。少しだけ熱に浮かされたような、こちらが面映ゆくなってしまうようなまなざし。
なまえが何も言わず八百万を見つめていると、彼女は促されたように話し出した。
「私、あの、怖そうですか?」
「……ん?」
「だから、その、私、怖そうに見えますか? つまりその、えーっと……」
しどろもどろの八百万の説明を要約すると、こういうことだそうだ。
先日のヒーロー科の実習で、八百万は講釈を述べた。緑谷たちの初戦だけではなく、ほかのチームへの指摘も彼女のは的確だった。オールマイトもそう褒めた。その日、どうも彼女は言いすぎだったのではと後悔したらしく、思い返せば思い返すほど、同級生の目に自分の性格がきつく映ったのではと心配するばかりであるらしい。
なまえは思わず吹き出してしまった。仕草だけでなく、悩みもかわいいお嬢様である。
「青泉さん、私は真剣に……」
「大丈夫だよ。ヒーロー科にそんなこと言う人いる? あのときの八百万さん、かっこよかったよ」
なまえの笑顔に八百万は安心したようだった。彼女が破顔する。大輪の牡丹が咲き誇るようで、美人が笑うとこんなにもたとえが詩的になるのか、となまえは自分の中だけで驚いた。
「その笑顔が最強」
「ふふっ、ありがとうございます」
なまえは、柄にもない自分の言葉に頬が上気するのを感じた。それ以上に、八百万の笑顔でも顔に血が集まってきたことにも。
*
週明けの月曜日。なまえは、いつもと同じ時間に登校する。すると、いつもと同じ電車に乗ってきた飯田と大体同じ場所で出会うのである。緑谷と会うこともあるが、今日は2人だった。教室への1番乗りはなまえと飯田だ。次に来る人はまちまちで、尾白や八百万、口田などなど。それから順に教室の席が埋まり始め、チャイム間近に駆け込んでくるのは峰田や上鳴だ。
「おはよっ、みょうじ!」
「おはよ」
上鳴は今日も始業2分前に教室に入ってきて、なまえの席を後ろから通り過ぎ、自分の席についた。
耳郎が、朝からうるさ、とつぶやいていたのは、上鳴にはわざわざ伝えないなまえだった。
「あれー、ヤオヨロズさん、それ手作り?」
「そうですわ。みょうじさんとおそろいですのよ」
八百万の腕にあるカラフルな飾りに気付いたのは、芦戸だった。休み時間のことである。八百万はミサンガを誰かに見せたくて仕方がなかったようで、嬉々として制服の袖をまくった。
「ミサンガ! 懐かしーなあ! 見せてよみょうじ!」
芦戸はぴょんぴょんと跳ぶようになまえの机までやってきた。その後ろには葉隠がついている。
なまえは筆箱に括り付けたミサンガを見せた。八百万のものと違ってほころびが目立つ。
「なまえちゃん、なんで腕につけないの?」
「私よく動くから。なくしちゃったら嫌だし」
近くに来ていた八百万と目線が合い、少しこそばゆい。
なまえと八百万は女子たちに囲まれ、話題はミサンガにとどまらず、どんどん移り変わっていった。ヒーロー科は女子が少ないのである。仲良くなるのも当然と言えなくはない。
「その雑貨屋さん見たことない」
「今度行ってみよ」
そんな会話が交わされたあと、授業開始のチャイムに追い立てられるように女子たちは解散した。