英雄譚エルダー・エッダ
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6
一発目の緑谷VS爆豪の衝撃のせいで、そのあとの演習はどこかパッとしなかった。緑谷と爆豪の因縁が、その闘いを盛り上げていたのだろう。そのバトル以上の興奮は、ほかの組の対戦にはなかった。
緑谷は、強かった。それを誰もが認めた。爆豪も、もちろん強かった。しかし、緑谷の中の何かが、彼の何かを食ったのだった。その緑谷の何かは、戦闘終了と同時に満腹になって動けなくなったようだが。
それにしても、「頑張れって感じで、応援したくなる感じのデクだ!」と口の動きで分かったとき。その瞬間に、なまえは事情を知らない同級生の前で、大声で応援したくなるくらい、ぐっときた。よかった。あの時、頑張れ、と叫んでいなくて。
緑谷と爆豪の不仲は、今日の演習のせいでクラス中が知るところとなった。爆豪は何かにつけて緑谷を睨み、緑谷はぐぐっと唇を噛んで見返した。そのやりとりを見たのは、関係を知る人の多さとは裏腹に、恐らく席の近いなまえだけである。それは、一瞬の隙に行われたからだ。秘密めいた儀式のように。
その日の放課後は、なまえは麗日と飯田の三人で帰った。緑谷は用事があるから、とどこかへ行ってしまったのだった。なまえはといえば、卵ときのこを切らしていたので、買い物に行きたかった。
3人の話題は、専ら先ほどの戦闘訓練のことだった。特に麗日と飯田は対戦したもの同士話し足りないところが多いらしく、ずっとお互いに熱弁していた。なまえが入る隙間はなく、なまえは二人の話を聞きつつ、心は今日の夕飯のことを考えていた。
駅に着くと、飯田と麗日ははっとなまえの存在を思い出し、謝った。なまえはそんなことは特に気にしておらず、聞いてるだけでも面白かったよ、ひらひらと笑って手を振った。
麗日だけは方向が別だった。帰宅する人で混み合う改札で、麗日とは別れた。彼女は手がちぎれんばかりにこちらに手を振っていたので、可愛くて、なまえも笑いながら手を振り返した。
なまえと飯田は方向が同じで、なまえの最寄り駅は飯田のより遠い。
ホームに降りるとタイミングよく電車が来たため、2人は乗り込んだ。スーツを着込んだ人々の間になまえはうまく滑り込み、飯田はその隣に収まる。西日が丁度、肩幅のいいサラリーマンによって遮られた。体のはしからもれる光は飯田にあたり、彼は眩しそうに目を細めた。
「……みょうじくん」
「なに?」
「今日の君の動き、素晴らしかったよ」
「……え、あ、あ? えーっと、ありがとう」
声が、電車の振動のせいでなく、揺れた。
飯田はつり革につかまったまま、なまえの方を見下ろすことなく眼鏡を押し上げた。
「核のある部屋に入った後、あの体さばきは見惚れたよ。柔軟で、かといって力がない訳でもない。それになにより、1対2の中で冷静に立ち回れるのがさすがだった」
言えてよかった、と飯田は少し照れ臭そうに頬をかく。
「飯田くんだって、ターボすごいよ。あの加速あったら敵なしじゃん」
なまえはかろうじて笑って、飯田を見上げた。すると、彼の四角い眼鏡の向こう側で、視線が合った。飯田は誇らしげにふっと笑う。
「改善点はたくさんある。雄英はいい刺激を受けるな」
「そうだね」
それ以上のことは、なまえは言えなかった。
ちらりと車内電光掲示板を見上げると、飯田の最寄駅まであと3駅だった。
2人の間に沈黙が落ちる。電車の中で喋っている人はそもそも少なく、これが当然のような気がした。
車窓を流れる町並み、暮れていく日。それは普段、当たり前のように繰り返され、なまえもそれを当然と思っていた。物心ついてから今まで、それを何度見たことだろう。
『次はー大鶴川ー大鶴川ー』
ゆるゆると電車は速度を落として、飯田の最寄駅の一つ前に停車した。なまえの周りの人が降り、空いたと思ったら、また同じくらいの人数が乗り込んできた。なまえは飯田の隣をキープしながら、他の人の邪魔にならないよう動いた。
車両の後方から子どもの泣き声が聞こえた。ついでに、なまえの横に立つ壮年のサラリーマンの舌打ちも。あまりいい気分にはなれなくて、なまえはサラリーマンから意識を逸らすために飯田に話しかける。
「今日、あんまり混んでないね」
「そうだな。いつもだったらもっと押し合いへし合いになるのだが____」
どぅん。
くぐもった爆発音がした。車両の後ろの方だ。何だろう、と焦る気持ちはわかないまま、音の正体を確かめるために飯田となまえは後ろを向く。
ざわめく乗客。上を見ると、もくもくと黒い煙が漂っている。焦げたような匂いが充満してきた。なまえの周りの人たちは、何が起きたのか見えていないようだ。先ほど舌打ちしたサラリーマンも、目をぱちくりさせている。
飯田となまえは顔を見合わせた。飯田は弾かれたように、行こう、と言って音と煙の発生源へ人をかき分けていこうとする。なまえもそれについ続いてしまった。
「ああああああ!!!」
女性の悲鳴が耳をつんざいた。嫌な予感しかしない。なまえと飯田は、急いで後方へ向かう。人垣の奥に見えたのは、床をのたうち回る男性と、崩れ落ちた女性。そして、こぎれいな格好をした男性。その男性は、のっそりと顔を上げた。のっぺりとした表情で周りを見回す。
「……つかれた……」
ぼそりと言った。
「にっ、逃げろおおお!!」
飯田となまえの後ろから、そう叫ぶのが聞こえた。周りの乗客は我先にと前の車両へ移ろうとする。開けていく視界、床に倒れている男性は腕に、女性は足に、ひどい火傷を負っていた。飯田はそちらへ駆けだそうとしたが、はたと立ち止まった。
飯田はなまえに耳打ちした。
「今すぐ警察に連絡するんだ。僕が君を隠す」
「わ、わかった」
なまえは携帯端末を取り出すと110番を押した。飯田がなまえを庇うように立つ。
『こちら警察、火事ですか、事件ですか』
「事件です。電車の中で男が暴れています。怪我人が二人で_____」
言い終わることはできなかった。なまえの目の前で、飯田が横に吹き飛ばされ、なまえも脇腹に衝撃を受けたと同時に飯田とは反対に吹き飛ばされた。
彼ら二人の周りに人はいなかった。皆、後ろに逃れていた。なまえは座席に強かに背をぶつけ、ぐっと呼吸がつまる。携帯はどこかへ飛んで行ってしまっていて手の中にはない。
げほっと咳き込んでいると、なまえの頭上に影が差した。
「僕は……疲れてるんだよ……」
まずい。なまえの勘がそう告げた。痛みに軋む体を堪え、手に持っていた鞄を振り回した。男の下腿に直撃する。しかし、男はびくともしなかった。
「痛いじゃないか……」
ひゅっ、となまえは息を吸い込んだ。手がこちらにのばされる。なまえは姿勢を低くし、伸ばされた手とは反対の方向へ逃れた。
男は車両後方へ逃れたこちらを追う気はなかったようで、よたよたと乗客の方へ歩いていった。乗客はいまだ避難しきれず、大勢が列をなしている。最後尾の人が近寄ってくる男に気付いたようで、悲鳴を上げた。
まずいまずいまずい!
なまえの頭の中で、警報がけたたましく鳴り響く。この状況だったなら、数人が大火傷覚悟であの男に覆いかぶされば乗り切れるかもしれない。そうすればほかの乗客が移動する時間も稼げる。しかし、それだと確実に誰かは命を落とすことになるだろう。どうすればいい。頭の中が無駄に回転しているが、いい案は出てこない。
あれ。さっき、学校で、戦闘訓練したばかりなのに。
逃げる一般人。肉を焼くために燃える“個性”。邪魔者を消そうとする殺意。
全然、楽しくない。
怖い。
「待て!」
飯田が男に体当たりした。男は倒れはしなかったが、ざざっと横へ動いた。その男は、のそりと飯田の方を向いて、かっと目を見開いた。
「疲れてるんだよぉ……!」
ごおっと男の手から朱色の火が噴いた。飯田は間一髪で避けたが、火柱が直撃したポールはどろりと溶けた。火柱の周りはかげろうになって、あまりの暑さに景色がゆだっているように見える。
「足が……」
なまえの後ろからは、すすり泣く声が聞こえた。女性が足をおさえている。黒いスーツのスカートが焦げ、大腿部の皮膚が白っぽく変色していた。
火を振り回しながら、よたよたと乗客に近付く男。あの火は、本物だ。そして火は、今誰を欲しているのか。
「こっちを向くんだ!」
飯田が男にむかって叫んだ。その表情には、ありありと恐怖が浮かんでいる。なにが彼を駆動しているのだろう。なまえは、飯田につられて形だけでも立ち上がった。
男は、ぐるん、と飯田に顔を向けた。まるで、マリオネットのように。そして、飯田が怯えるのが、手に取るように分かった。
「うるさいよぉ……寝たいんだよぉ……」
よた、よた、と一歩ずつ、男は飯田に近付いていく。飯田の目論見は半分成功した。しかしその先は、飯田がプロヒーローになれるという前提がなくてはいけない。飯田は、一般市民を助けたかった。正義感が強かった。
だが飯田は、ただの高校生だった。
ついこの間、雄英高校ヒーロー科に入学したばかりの。
ごうごうと男の手から火が噴き出る。男の周囲には、ぼっぼっと火の玉が現れていた。飯田を見つめる目は、底なし沼のようだった。何を考えているのかは分からない。そこにあるのは、暗い暗い意志。その意志は、男の欲求を邪魔した飯田に向いていた。
飯田はこれまで、どす黒い何かには晒されずに生きてきた。初めてそれに脳天を貫かれ、神経を支配されたようだ。飯田の意思では、もう体は動かない。
なまえにはそれがよく分かった。飯田くんが死んじゃう。あのまま動かなかったら、あの炎に焼かれて、炭になっちゃう。
男は手を振り上げた。ごうっと一際大きく火柱が上がる。動けこの足、と飯田は震える棒切れを叱咤したが、神経は麻痺したままだった。
兄さん。
揺れる熱波を感じながら、生まれてから何度も呼んだ人を、思い出した。
途端、飯田の視界は、横に薙いだ。左半身に何かが強烈にぶつかって、そのまま右に倒れた。飯田は右半身を床に強く打ちつけ、飯田の上には誰かが乗っている。
「飯田くん……!」
息も絶え絶えのなまえだった。その目を見て分かった。僕たちは同じだ。あの男に、支配されている。
飯田はなまえの奥を見た。今まで飯田がいたところに、刀のように火柱が振り下ろされていて、その周りの床は溶け、座席はじりじりと燃えていた。
男はぐるん、と人形のような動きでこちらを見る。なまえの手が震えているのが飯田には感じ取れた。男の恐怖を何とか振り払って、彼女は自分を助けてくれた。その彼女も、助けることはできるが、闘えはしない。それは、飯田と同じだから。
目の前に待ち構えている死と、自分たちが背負わなければいけない命が、重くて、怖いから。
泣きそうな表情で、なまえは飯田の体を背で隠そうとした。飯田はその体を引っ張ろうとしたが、彼女の足は震えていた。飯田の手も震えていた。男は真っ直ぐこちらへやって来る。一歩一歩踏みしめるように。男の周りの火の玉は、もう両手では数えきれない。
「あっち行けよ……!」
電車の揺れで、彼女の声が散り散りになってゆく。
_____がしゃん!
ガラスの割れる音がした。彼女の小さな嗚咽は、それにかき消された。
「もう大丈夫だ! 助けに来たよ!」
なまえと飯田の前には、白い装甲をまとったヒーローがいた。ごうっと車両内に風が吹き込む。窓を壊して入ってきたのだ。なまえの髪が巻き上がった。飯田はその背を見て、一気に緊張が崩れたようだった。
韋駄天の足を持つ、インゲニウムだった。
「にい、さ」
「君たちよく頑張った! あとはプロに任せてくれ!」
わあっと歓声が上がった。乗客はまだ隣の車両に移りきれていていなかったのだ。
インゲニウムは片手に対“個性”用の特殊消火器を持っており、それを火男に吹きかけた。たちまち火男は白煙に包まれ、なまえたちの方にも消火器の煙はもうもうと流れてきた。男の掌からはただ青灰色の煙が上がっており、もう火が出なくなってしまったらしい。火の玉も消えていた。何度試しても不発の掌を見つめながら、火男は泣き崩れた。もう抵抗する気がない犯人をインゲニウムは拘束した。
次の駅で、その電車は停止した。駅のホームはヒーローの増援や救急隊員、警察によって立ち入り禁止になっていて、火男は直ちに警察へ引き渡しになった。大やけどを負った男女二人は担架で運ばれていき、乗客は他の電車に乗るよう誘導された。なまえと飯田は凶行に及んだ男にまがいなりにも立ち向かったとして、その場に残された。
なまえも飯田も、互いに言葉は交わさなかった。苦々しい顔のまま、警察管からの事情聴取を受けた。2,3の質問をされただけだったが、その間二人は黄色のテープの外にいる民間人にいやでも注目された。雄英の制服を着ていたし、それより何より、なまえと飯田が学生にも関わらず乗客を守ろうとしていた、と野次馬に事情を尋ねられた乗客が話してしまったからだ。
ちらり、となまえが飯田の顔を盗み見ると、血が滲むほど、飯田は唇をきつく噛んで、何かに耐えていた。
それが終わると、警察官と入れ替わりで白い装甲のヒーローがやって来た。それを見るなり、飯田は安心したように肩の力を抜いた。
「兄さん」
「よく頑張ったな、天哉。友達にもけがはなさそうで何よりだ」
そう言ってヒーローは、メットの前をぱかりと開けた。凛々しい顔つきの青年は、飯田にそっくりだった。
「あの、ありがとうございました」
なまえがそう言うと、彼は勇ましく笑う。綺麗な歯並びが見えた。
「お礼を言われることでもないさ。僕らヒーローの役目は、市民を守ることだから。たまたま今日はこっちに来ていたしね」
その笑顔は、正義の味方が共通して持っているものなのだろうか。なまえの胸は、ある人を思い出して途端に締め付けられた。この人も、気高くて、何よりも大切な矜持があって、それを為すためなら何にだってなれるのだろうか。
自分は今、そんな人になるための場所で、生きている。
手の先からすっと体が冷えた。警察がなまえに端末を渡してくれた。どうやら、吹き飛ばされたなまえの端末は回収できたようだった。保護者に事の顛末だけ簡潔にメールで連絡し、数駅分を徒歩で帰ることにした。飯田兄弟が送っていくと申し出たが、なまえは断った。
飯田には、また明日ね、と手を振った。彼は心配そうに眉を下ろしていた。