比叡のはなし。
私は戦艦比叡。国防乙女でした。
今は黄泉の国をさまよっています。
早くお姉さまや妹たちと会いたいです。
私は大正三年、巡洋戦艦として海軍に引き渡されました。
その後すぐ、東シナ海へと派遣されました。第一次世界大戦です。
昭和に入ってから改装を受けて、能力が上がったときはとっても嬉しかった。練習戦艦だったときもあったけれど、役に立つことができたし。背も伸びたしね。だいぶ年をとってしまったけど、まだまだ活躍できるって。そう思っていましたよ。
観艦式では御召艦も務めることができて、とっても誇りに思いました!
昭和十六年、真珠湾攻撃。このときは護衛として参加していました。
太平洋戦争開戦。
そしてこの戦いが、日本の運命を大きく変えていくことになるのです。
私たち金剛型は、積極的に出撃しました。多分老艦だからでしょうね。その分、他の戦艦はあまり戦いに参加していませんでした。
こうして何度も海戦を繰り返しました。
皇国の四方を守るべし、と。
昭和十七年十一月十三日、第三次ソロモン海戦。
ガダルカナル島飛行場砲撃に、私と霧島が参加することになりました。
金剛お姉さまと榛名がやり遂げたのだから、私もやらなきゃいけないんだ。
けれども、計画は破綻。攻撃前に敵艦隊が現れたのです。私と霧島の主砲には三式弾が装填されていたから、艦艇攻撃に威力が発揮できなかった。
そのとき。
私の舵に弾が直撃し、航行不能になってしまいました。
痛い。どうしよう。
助けて。
どうにか耐えて、夜を明かしたと思ったら、航空機が向かってくる。きっと爆撃する気なんだ!
ああ、私は沈むんだわ。
本当に、本当に、ごめんなさい。
その後のことはよく覚えていません。
気が付いたら薄暗い場所にいました。そう、私は黄泉の国にきてしまったのです。けれど、近くには誰もいませんでした。運命を共にしたであろう乗組員の姿もありません。
ただあてもなくさまようだけの生活をしなければなりませんでした。人を見つけたら情報収集、食べるものも頂きながら、ずっと、歩きつづける…。
何年、何十年経ったのでしょうか。
人影が見えて、やがて増えていく…。人が集まっている。近づこうと、歩くペースを上げて、はっきり見えてきたのは…!
「比叡姉さま!」
それは霧島の声でした。聞こえた瞬間に、まるで子供のように駆け出して…。
ああ!榛名も!扶桑さんや長門さんもいる…!
「よくこの場所を見つけてくださって…」
「ここにいるのは私たちだけではありませんよ、乗組員さんも暮らしてるんです…」
「よかった…ここで皆さんが待っていてくれて……」
やっと一人ではなくなるのです、とても嬉しくて嬉しくて…。
でも…
「金剛お姉さまは…?」
金剛お姉さまが居なかった。
後で聞いたところによると、金剛お姉さまは今も見つかっていないと…。
それでも。
皆さんに会えて本当に良かった。
私、比叡に関わってくださった方々へ。
ありがとう。
そして未来を生きている人たちへ。
自分を大事に、生きてください。
金剛型高速戦艦「比叡」より。
今は黄泉の国をさまよっています。
早くお姉さまや妹たちと会いたいです。
私は大正三年、巡洋戦艦として海軍に引き渡されました。
その後すぐ、東シナ海へと派遣されました。第一次世界大戦です。
昭和に入ってから改装を受けて、能力が上がったときはとっても嬉しかった。練習戦艦だったときもあったけれど、役に立つことができたし。背も伸びたしね。だいぶ年をとってしまったけど、まだまだ活躍できるって。そう思っていましたよ。
観艦式では御召艦も務めることができて、とっても誇りに思いました!
昭和十六年、真珠湾攻撃。このときは護衛として参加していました。
太平洋戦争開戦。
そしてこの戦いが、日本の運命を大きく変えていくことになるのです。
私たち金剛型は、積極的に出撃しました。多分老艦だからでしょうね。その分、他の戦艦はあまり戦いに参加していませんでした。
こうして何度も海戦を繰り返しました。
皇国の四方を守るべし、と。
昭和十七年十一月十三日、第三次ソロモン海戦。
ガダルカナル島飛行場砲撃に、私と霧島が参加することになりました。
金剛お姉さまと榛名がやり遂げたのだから、私もやらなきゃいけないんだ。
けれども、計画は破綻。攻撃前に敵艦隊が現れたのです。私と霧島の主砲には三式弾が装填されていたから、艦艇攻撃に威力が発揮できなかった。
そのとき。
私の舵に弾が直撃し、航行不能になってしまいました。
痛い。どうしよう。
助けて。
どうにか耐えて、夜を明かしたと思ったら、航空機が向かってくる。きっと爆撃する気なんだ!
ああ、私は沈むんだわ。
本当に、本当に、ごめんなさい。
その後のことはよく覚えていません。
気が付いたら薄暗い場所にいました。そう、私は黄泉の国にきてしまったのです。けれど、近くには誰もいませんでした。運命を共にしたであろう乗組員の姿もありません。
ただあてもなくさまようだけの生活をしなければなりませんでした。人を見つけたら情報収集、食べるものも頂きながら、ずっと、歩きつづける…。
何年、何十年経ったのでしょうか。
人影が見えて、やがて増えていく…。人が集まっている。近づこうと、歩くペースを上げて、はっきり見えてきたのは…!
「比叡姉さま!」
それは霧島の声でした。聞こえた瞬間に、まるで子供のように駆け出して…。
ああ!榛名も!扶桑さんや長門さんもいる…!
「よくこの場所を見つけてくださって…」
「ここにいるのは私たちだけではありませんよ、乗組員さんも暮らしてるんです…」
「よかった…ここで皆さんが待っていてくれて……」
やっと一人ではなくなるのです、とても嬉しくて嬉しくて…。
でも…
「金剛お姉さまは…?」
金剛お姉さまが居なかった。
後で聞いたところによると、金剛お姉さまは今も見つかっていないと…。
それでも。
皆さんに会えて本当に良かった。
私、比叡に関わってくださった方々へ。
ありがとう。
そして未来を生きている人たちへ。
自分を大事に、生きてください。
金剛型高速戦艦「比叡」より。
1/2ページ