水面に揺らめく人魚の影
「さぁ、今回芸能人チームの新メンバーは?」
「Procellarumの文月海です!」
水着の姿の海が爽やかに挨拶をする。アナウンサーがにこやかに「よろしくお願いします」と答えた。
「文月さんは今回初挑戦ですが、自信のほどはいかがですか?」
「スポーツは全般得意なので勝つ自信あります!」
海の言葉に他のチームメイトから歓声が上がる。バラエティー番組らしく盛り上がる芸能人から少し離れたところで、僕は微笑みを浮かべ頷いた。
ゴールデンタイムに放送される芸能人とスポーツ選手が対決する番組、そのゲストに海が選ばれた。マネージャーの大の話だと、以前無人島ロケで海の運動神経の良さを見初めてくれたディレクターによって打診されたらしい。
知名度は出てきたものの、まだまだ僕たちを知らない人は多い。ゴールデンタイムで老若男女が見る番組に出演できるのだから、断る理由はどこにも無かった。
競技は水泳で、せっかくならサッカーの方が良かったんじゃないかと僕が問えば、海は笑って「どんなスポーツでも結果を残すよ」と言い放った。さすが、プロセラの参謀は頼もしい。
アナウンサーの顔が海から僕の方へと向けられた。カメラは既にこちらを向いている。
「本日は同じグループの霜月さんも応援に駆けつけてくださいました!」
アナウンサーの紹介とともに、カメラに向かって笑顔で手を振る。
出演の打診があったのは海一人だが、応援という形でリーダーの僕にも出演してもらえたらと追加で要請が来た。
もちろんそれにも了承して、水着姿の人たちの中、一人服を着て立っている。
「霜月さん、文月さんに何か一言お願いします」
「そうですね。海は本番に強いので心配はしてないです。
……いつも通り、楽しんでね。海」
海の方を見て、視線を合わせ言霊に力を籠める。勝っても負けても番組的に盛り上がれば問題ないのだろうが、どうせなら勝って欲しい。
海はそんな僕の想いを受け取ったのか、にかっと笑い返した。
その後、他の芸能人のやり取りがいくらかあって、ディレクターからカットがかかる。競技をする人たちはそのまま準備運動へ、応援の僕は応援席へと移動する。
「霜月さんも撮影させていただくので、よろしくお願いいたします」
「はい」
スタッフの言葉に頷いてから、準備運動をしている海の方へと視線を送る。
何度か共演したことのある芸人さんの姿もあったからか、海にはあまり緊張した様子が見られない。無防備な笑顔を見せる海に、安堵と少しの嫉妬が入り混じった複雑な感情を心の中に落とし込む。
今回、対戦するのは次期オリンピック日本代表候補の選手だ。200メートルを選手は一人で、芸能人チームは4人でバトンを繋ぐ。1対4はものすごいハンデのように思えるが、選手の方はそれでも大丈夫だと自信ありげに頷いていた。
完全に傍観者気分で眺めていると、準備運動が終わり全員がポジションについていた。
「それでは参りましょう!」
「Take your marks」の声と直後に鳴るシグナルで、勢いよく飛び込む水音がプール中に響いた。
海は3番目の泳者で、第一泳者が居なくなった今飛び込み台の上に立つ。
試合は若干芸能人が優先で進んでいるが、あくまでも若干で、ほとんど差はあってないようなものだ。引き継ぎに少しでもミスをすれば抜かれて差を付けられてしまう。
「海……」
その時が近づく。海は姿勢を整え、第二泳者が壁に触れた瞬間勢いよく水の中へと飛び込んだ。
「っ、」
息をのむ美しさとはまさにこの事ではないだろうか。
まるで水の中で生きる人魚のように優雅にしなやかに、それでいて力強い海の泳ぎは見るものすべてを魅了する。
「……綺麗」
無意識のうちに声が出た。カメラを向けられていることなんて頭に無かった。
海の泳ぎは美しいだけでなく、先程よりも差を大きくしている。疲労していないおかげもあるのだろうが、それにしても海の泳ぎは早い。
50メートルはあっという間に過ぎて、最終泳者が飛び込んだ。周りはレースに盛り上がっているが、僕の目はキャップを外して首を振る海を映している。
30秒にも満たない時間で、海は僕の知らない一面を見せてきた。そのことに動揺していたのかもしれない。
結果は芸能人チームの勝利に終わった。ゴールの瞬間、喜ぶテンポが遅れてしまったのは海を見つめていたからだ。
ただ、僕のキャラクターは腕を上げて喜ぶタイプでは無いからか、ワンテンポ遅れても支障は無かった。
*****
「海、お疲れ様」
収録が終わり、まだ少し濡れた髪の海に声をかける。ふっと振り返った海はいつものように明るい笑顔を見せた。
「おう! いや~無事に勝ててよかった」
「ふふふ、さすがだね」
くるり、周りを見渡すと大は電話をしていて、まだ帰るには時間があるようだ。
「ねぇ、海」
「ん?」
「海って前世人魚だったりするの?」
「……は?」
意味がわからないといった様子で訝し気に僕を見る。
それでも僕の言葉に興味を持ってくれたらしく、黙って僕の言葉を促す。僕は口角を上げて、さっき見た人魚の話を海本人にした。
海は照れた時に出る頭をかく癖をしながら、嬉しそうにはにかんだ。
「なんか、恥ずかしいな」
照れる海の姿に、もう人魚の影は見えない。けれど、僕にとってはずっと魅力的だ。
人目につく場所だから、抱きしめたくなる欲を押さえて海の手を取り、自分の唇の方へ引き寄せる。
掌に唇を押し付ける。唇にするのとは違う、冷たいキス。
「……帰ったら、もっと綺麗な姿を僕に見せてね?」
海は顔を真っ赤にさせて、僕に向かって何か言おうとしていたが、電話を終えた大の声に制止させられた。
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