愛し、此の世界
白い髪に白い肌、抹茶色の瞳、それは僕が生まれ持ったもの。
名家で初めての子、母が妊娠した時それはそれは喜ばれたらしい。しかし生まれてきた子は男であったものの、両親のどちらにも無い特徴を携えていた。
特に白い髪はどうにも誤魔化せない特徴で、生まれてすぐの僕は隔離され人目につかないところで育てられた。
幸い、家が大きいため離れで子一人隠すぐらいは問題なかった。周囲には何とか気づかれないように振舞っていたという。
しかし、そんな平穏も長くは続かない。10年経ったとある日、唐突にその日はやって来た。
霜月家には奇妙な子がいる、そんな噂が村中に広がるには一日もかからなかった。
『ごめんね、隼。貴方を普通に生んであげられなくて』
そんな風に言って母はずっと泣いていた。父は苦しそうな表情のまま山奥に僕を置き去りにした。
僕が、親に捨てられた瞬間だった。
10年も育ててもらったのだから、感謝の気持ちこそあれど憎む気持ちは無い。両親にも体裁があって、あのまま村に住むためにはこうするしかなかった。
僕は着の身着のまま、山の奥深くへと歩き続けた。生きる術など持ち合わせてはいなかったが、歩き進めれば何か変わるような気がしたからだ。
「なぁ」
どのくらい進んだのだろうか。不意に僕を呼び止める声がした。
「なぁ、子どもがこんなとこで何してんだ?」
声のする方に向けば父よりも背の高い、不思議な服を身に纏った男が立っていた。
「君こそ、誰?」
「おい、俺年上……ってまぁいいか。敬語苦手だし。俺は海って言うんだ。お前は?」
「隼、だよ」
僕の名前を呼んで、快活に海は笑う。何がそんなにおかしいのか首を傾げていると、海はゆっくりと僕の方に近づいた。
「で、お前さんはこんな山奥で何やってるんだ? 迷子か?」
「ううん。もう村には戻れないから」
「戻れない?」
「そう。捨てられたんだ」
にっこり笑ってそう言うと、海の顔は分かりやすく歪んだ。
その態度に海はいい人なんだろうなとぼんやりと思った。少なくとも僕が村で聞いた噂で、僕に対する哀れみの感情は一度も無い。
「住むところが無いのか」
「う~ん、というか本当に何も無いかな」
僕の答えに海は何か考え事をするように、手を顎にあて唸り始める。
しばらくそんな状態が続いて、海はようやく口を開いた。
「うち、来るか?」
大きな手が僕の方へと差し伸べられる。
きっと普通ならよく知らない人の手なんか取ったりしないのだろう。けれど僕は迷わずに海の手を取った。
「お、本当に来るか?」
「迷惑じゃなければ」
僕が笑えば、海もにっこりと笑って僕の手をぎゅっと握る。そのまま手を引かれて、さらに山奥へと向かって歩いた。
道無き道を進んで行くと、唐突に開けた場所に出てきた。小さな山小屋があり、そこが海の住処のようだ。
「ここが家だ」
扉を開けると、外から見ているよりは広い部屋が出てきた。台所と居間が一つの部屋にあり、床は板敷のままだ。
僕が少し前まで生活の場にしていた離れよりは広い。不満は何一つ無かった。
「素敵な家だね。本当にこれから僕も一緒に暮らしてもいいの?」
「ああ、大丈夫だ。飯もあるし、布団も余分あるしな」
海の笑顔に、安心して僕も笑った。
いつ無くなってもおかしくないと思っていた命なのに、こうして拾ってもらうと生きたいと思ってしまうから不思議だ。
まずはお茶を入れようと言い、海は台所のほうに向かう。僕はその背中を見送って、適当なところに座った。
少しくるりと部屋を見回していると、扉を叩く音が聞こえた。
「うわ、もう来たか……」
海がそう呟く。手を止め、すぐに扉の方へと駆け出した。
誰か客人だろうか。邪魔にならないよう隠れることも考えたが、結局僕は座ったままじっと様子を見守ることにした。
「やぁ、海」
「春……」
海の体の隙間からちらり、客人の姿が見える。まるで鶯のような髪色を持った海と同じくらい背の高い男が立っていた。
身に纏う白い布はどこか人間離れした印象を抱かせる。春と呼ばれたその男はすぐに僕の姿を視界に捉えた。
「君かぁ」
ふわっと笑った顔は名前の通り、春のような暖かさだ。海と同じく優しい人なのだとすぐにわかる。
立ち上がって扉の方に寄って行くと、海が驚きで目を丸くしていた。
「僕は隼だよ。君は?」
「春だよ。ふふ、よろしくね、隼」
「よろしく、春」
挨拶を終えると、海は小さくため息をついた後「とりあえず上がれよ」と春に言った。そしてすぐ台所の方へと戻って行く。きっと春の分のお茶も入れに行ったのだろう。
春は慣れた様子で家に上がり、座布団の上にゆっくりと座った。
「ねぇ、隼」
手招きする春に誘われるように近づく。
春の近くに腰を下ろせば、春は小さく笑って僕に視線を合わせた。
「君はどこから来たの?」
「この山を下りたところにある村だよ」
「そう。家出?」
「ううん。親に捨てられたんだ」
海にした時と同じように、春にも僕の出生から今までの話をかいつまんで説明した。春は静かに僕の話を聞いていた。
「なるほどね。そういうことだったんだ」
全てを理解したように春は頷く。それだけの動作なのに、春はやっぱり人間離れした印象を僕に与える。
ちょうど話が一段落した時、海が器用に三人分の湯呑を持ってやって来た。春と僕の前に一つずつ湯呑を置き、自分は僕の隣に座りこむ。
「で、春。もしかしてここに来たのは始の遣いか?」
「ご名答。さすがだね、海」
「まぁ、いつかは来るだろうと思ってたけどな。まさかこんなに早く来るとは」
海と春の会話を聞いている限り、元々会う約束をしているわけでは無かったようだ。
僕は傍観者を決め込み、じっと二人の会話を聞いていた。
「そりゃ人の気がしたら、始だけじゃなくて俺も心配になるよ」
「だろうな」
二人の会話から得られる情報は極めて少ない。
僕は海の入れてくれたお茶を飲んで、頭に浮かぶ考えをそのまま言葉にすることにした。
「ねぇ、海、春」
「ん? どうした?」
「二人は“人”じゃないの?」
僕の言葉に隣の海がぴくりと反応する。体を震わしたのはほんの一瞬の事だったけれど、慌てているのは明らかだった。
海とは対照的に、春は全く表情を変えていない。僕が指摘することも想像がついていたようだ。
春は口角を上げたまま、真っすぐに僕を見つめる。
「どうして、そう思ったの?」
鶯の羽のような美しい緑に僕の姿が映る。不思議な力のようなものを視線から感じた。
「海も春も、村の人たちとは違う目をしているから、かな」
僕は世界を知らない。離れの外から出ることは基本的に許されていなかったし、両親とたった一人のお世話係以外とは顔を合わせることも無かった。
知識はお世話係が持ってくる本と、高い所にある小窓から見える風景から得たもの。そんな僕が村の人たちを語るのはおかしいことなのかもしれない。
だけど、扉の隙間から聞こえる外の煩わしい声、そこから想像する人たちと海たちは全然違う。美しいのだ。
僕の考えていることを理解したのか、春はくすりと笑った。
「隼は本当すごいね。海、俺が帰ったらちゃんと説明しなよ」
「……あぁ、分かった。あと、今度始にも会わせるから」
「うん。そうした方がいいね。あ、今度の宴会に連れてくれば?」
「宴会……他の奴らは大丈夫かな」
「大丈夫でしょ。だってあの子たちだもん」
春は楽しそうに笑った後、湯呑に残っていた少しのお茶を飲み干して立ち上がった。
「じゃあ、俺は帰るね。お邪魔しました」
そう言って春はすっと扉の外へと向かって行った。どこからどうやって来たのかは分からないけれど、僕が見送りに追いかけた時にはもう姿は見えなかった。
家の中では海が気難しい顔をして何か考え事をしている。きっとさっき春が言った説明について考えているのだろう。
「……なぁ、隼」
「なぁに?」
「お前に言わなきゃいけないことがあるんだ」
あまりに真剣な表情で言うものだから、心の中でもくもくとふざけたい気持ちが湧き上がってくる。
「それは、人じゃないって事?」
先手を打てば、海は少し驚いた表情をした後、ゆっくりと首を縦に動かした。
「……烏天狗って知ってるか?」
「読んだ本の中に出てきたことがあるかな。妖の一人でしょ?」
「ああ、そうだ。それで、俺はその烏天狗なんだ」
そう言うと、海は何か呪文のようなものを唱え始めた。言い終わった瞬間、海の背中から大きな翼が生える。目元は青で縁取られていて、優美さを増していた。
烏天狗なんて物語や噂の中だけの生き物だと思っていた。でも、目の前の海は間違いなく現実に存在している。
「……俺の事、怖いって思うか?」
心配そうに海が僕の顔を覗き込む。ずっと黙っていたから僕が海を恐れていると勘違いしたのだろう。
その心配を振り切るように、首を横に振って笑ってみせた。
「見惚れていたんだ。本当に、美しいから」
「っ、そ、そうか?」
海は顔を赤くして頭をかいた。優美さから一転、今度は可愛らしく見える。
「ねぇ、海。海が妖なら春も妖なの?」
「あぁ、そうだ。春は雲外鏡って言うんだが知ってるか?」
「う~ん……名前は見たことあるけど、詳しくは知らないかなぁ」
村の伝承に烏天狗にまつわるものはいくつか聞いたことがあるが、雲外鏡にまつわるものは聞いたことが無い。
僕がそれを伝えれば、海は丁寧に雲外鏡について教えてくれた。鏡の妖で、様々なものの真実の姿を映し出すことが出来るのだと言う。
「ただ、春自身何かに対抗できるような力は持っていないんだ。だから始っていう黒天狐と一緒にいる」
「始? そういえばさっきの会話に何回か出てきていたね」
海の説明によると普段春と黒天狐の始は一緒に暮らしているらしい。それは春の力を欲する他の妖たちに春が襲われないよう、始の力で護っているということだそう。普通なら出来ないが、黒天狐の力は強大で他を寄せ付けない、だから春を護れるのだと何故か海が誇らしげに話してくれた。
春や始の他にも仲のいい妖たちがいて、頻繁に集まって宴会を開催するらしい。次回は三日後に開催することになっている。
「で、今度の宴会に隼も連れて行きたいと思っているんだが……どうだ?」
「愚問だね、海。その始にも会ってみたいし、行くに決まっているじゃない」
「あはは、そうか! お前が物怖じしない子どもで助かったわ」
くしゃくしゃと海の大きな手が僕の髪を撫でる。乱暴なようで力はとても優しい。
……そうしてこの日から、僕と烏天狗の海との生活が始まった。
名家で初めての子、母が妊娠した時それはそれは喜ばれたらしい。しかし生まれてきた子は男であったものの、両親のどちらにも無い特徴を携えていた。
特に白い髪はどうにも誤魔化せない特徴で、生まれてすぐの僕は隔離され人目につかないところで育てられた。
幸い、家が大きいため離れで子一人隠すぐらいは問題なかった。周囲には何とか気づかれないように振舞っていたという。
しかし、そんな平穏も長くは続かない。10年経ったとある日、唐突にその日はやって来た。
霜月家には奇妙な子がいる、そんな噂が村中に広がるには一日もかからなかった。
『ごめんね、隼。貴方を普通に生んであげられなくて』
そんな風に言って母はずっと泣いていた。父は苦しそうな表情のまま山奥に僕を置き去りにした。
僕が、親に捨てられた瞬間だった。
10年も育ててもらったのだから、感謝の気持ちこそあれど憎む気持ちは無い。両親にも体裁があって、あのまま村に住むためにはこうするしかなかった。
僕は着の身着のまま、山の奥深くへと歩き続けた。生きる術など持ち合わせてはいなかったが、歩き進めれば何か変わるような気がしたからだ。
「なぁ」
どのくらい進んだのだろうか。不意に僕を呼び止める声がした。
「なぁ、子どもがこんなとこで何してんだ?」
声のする方に向けば父よりも背の高い、不思議な服を身に纏った男が立っていた。
「君こそ、誰?」
「おい、俺年上……ってまぁいいか。敬語苦手だし。俺は海って言うんだ。お前は?」
「隼、だよ」
僕の名前を呼んで、快活に海は笑う。何がそんなにおかしいのか首を傾げていると、海はゆっくりと僕の方に近づいた。
「で、お前さんはこんな山奥で何やってるんだ? 迷子か?」
「ううん。もう村には戻れないから」
「戻れない?」
「そう。捨てられたんだ」
にっこり笑ってそう言うと、海の顔は分かりやすく歪んだ。
その態度に海はいい人なんだろうなとぼんやりと思った。少なくとも僕が村で聞いた噂で、僕に対する哀れみの感情は一度も無い。
「住むところが無いのか」
「う~ん、というか本当に何も無いかな」
僕の答えに海は何か考え事をするように、手を顎にあて唸り始める。
しばらくそんな状態が続いて、海はようやく口を開いた。
「うち、来るか?」
大きな手が僕の方へと差し伸べられる。
きっと普通ならよく知らない人の手なんか取ったりしないのだろう。けれど僕は迷わずに海の手を取った。
「お、本当に来るか?」
「迷惑じゃなければ」
僕が笑えば、海もにっこりと笑って僕の手をぎゅっと握る。そのまま手を引かれて、さらに山奥へと向かって歩いた。
道無き道を進んで行くと、唐突に開けた場所に出てきた。小さな山小屋があり、そこが海の住処のようだ。
「ここが家だ」
扉を開けると、外から見ているよりは広い部屋が出てきた。台所と居間が一つの部屋にあり、床は板敷のままだ。
僕が少し前まで生活の場にしていた離れよりは広い。不満は何一つ無かった。
「素敵な家だね。本当にこれから僕も一緒に暮らしてもいいの?」
「ああ、大丈夫だ。飯もあるし、布団も余分あるしな」
海の笑顔に、安心して僕も笑った。
いつ無くなってもおかしくないと思っていた命なのに、こうして拾ってもらうと生きたいと思ってしまうから不思議だ。
まずはお茶を入れようと言い、海は台所のほうに向かう。僕はその背中を見送って、適当なところに座った。
少しくるりと部屋を見回していると、扉を叩く音が聞こえた。
「うわ、もう来たか……」
海がそう呟く。手を止め、すぐに扉の方へと駆け出した。
誰か客人だろうか。邪魔にならないよう隠れることも考えたが、結局僕は座ったままじっと様子を見守ることにした。
「やぁ、海」
「春……」
海の体の隙間からちらり、客人の姿が見える。まるで鶯のような髪色を持った海と同じくらい背の高い男が立っていた。
身に纏う白い布はどこか人間離れした印象を抱かせる。春と呼ばれたその男はすぐに僕の姿を視界に捉えた。
「君かぁ」
ふわっと笑った顔は名前の通り、春のような暖かさだ。海と同じく優しい人なのだとすぐにわかる。
立ち上がって扉の方に寄って行くと、海が驚きで目を丸くしていた。
「僕は隼だよ。君は?」
「春だよ。ふふ、よろしくね、隼」
「よろしく、春」
挨拶を終えると、海は小さくため息をついた後「とりあえず上がれよ」と春に言った。そしてすぐ台所の方へと戻って行く。きっと春の分のお茶も入れに行ったのだろう。
春は慣れた様子で家に上がり、座布団の上にゆっくりと座った。
「ねぇ、隼」
手招きする春に誘われるように近づく。
春の近くに腰を下ろせば、春は小さく笑って僕に視線を合わせた。
「君はどこから来たの?」
「この山を下りたところにある村だよ」
「そう。家出?」
「ううん。親に捨てられたんだ」
海にした時と同じように、春にも僕の出生から今までの話をかいつまんで説明した。春は静かに僕の話を聞いていた。
「なるほどね。そういうことだったんだ」
全てを理解したように春は頷く。それだけの動作なのに、春はやっぱり人間離れした印象を僕に与える。
ちょうど話が一段落した時、海が器用に三人分の湯呑を持ってやって来た。春と僕の前に一つずつ湯呑を置き、自分は僕の隣に座りこむ。
「で、春。もしかしてここに来たのは始の遣いか?」
「ご名答。さすがだね、海」
「まぁ、いつかは来るだろうと思ってたけどな。まさかこんなに早く来るとは」
海と春の会話を聞いている限り、元々会う約束をしているわけでは無かったようだ。
僕は傍観者を決め込み、じっと二人の会話を聞いていた。
「そりゃ人の気がしたら、始だけじゃなくて俺も心配になるよ」
「だろうな」
二人の会話から得られる情報は極めて少ない。
僕は海の入れてくれたお茶を飲んで、頭に浮かぶ考えをそのまま言葉にすることにした。
「ねぇ、海、春」
「ん? どうした?」
「二人は“人”じゃないの?」
僕の言葉に隣の海がぴくりと反応する。体を震わしたのはほんの一瞬の事だったけれど、慌てているのは明らかだった。
海とは対照的に、春は全く表情を変えていない。僕が指摘することも想像がついていたようだ。
春は口角を上げたまま、真っすぐに僕を見つめる。
「どうして、そう思ったの?」
鶯の羽のような美しい緑に僕の姿が映る。不思議な力のようなものを視線から感じた。
「海も春も、村の人たちとは違う目をしているから、かな」
僕は世界を知らない。離れの外から出ることは基本的に許されていなかったし、両親とたった一人のお世話係以外とは顔を合わせることも無かった。
知識はお世話係が持ってくる本と、高い所にある小窓から見える風景から得たもの。そんな僕が村の人たちを語るのはおかしいことなのかもしれない。
だけど、扉の隙間から聞こえる外の煩わしい声、そこから想像する人たちと海たちは全然違う。美しいのだ。
僕の考えていることを理解したのか、春はくすりと笑った。
「隼は本当すごいね。海、俺が帰ったらちゃんと説明しなよ」
「……あぁ、分かった。あと、今度始にも会わせるから」
「うん。そうした方がいいね。あ、今度の宴会に連れてくれば?」
「宴会……他の奴らは大丈夫かな」
「大丈夫でしょ。だってあの子たちだもん」
春は楽しそうに笑った後、湯呑に残っていた少しのお茶を飲み干して立ち上がった。
「じゃあ、俺は帰るね。お邪魔しました」
そう言って春はすっと扉の外へと向かって行った。どこからどうやって来たのかは分からないけれど、僕が見送りに追いかけた時にはもう姿は見えなかった。
家の中では海が気難しい顔をして何か考え事をしている。きっとさっき春が言った説明について考えているのだろう。
「……なぁ、隼」
「なぁに?」
「お前に言わなきゃいけないことがあるんだ」
あまりに真剣な表情で言うものだから、心の中でもくもくとふざけたい気持ちが湧き上がってくる。
「それは、人じゃないって事?」
先手を打てば、海は少し驚いた表情をした後、ゆっくりと首を縦に動かした。
「……烏天狗って知ってるか?」
「読んだ本の中に出てきたことがあるかな。妖の一人でしょ?」
「ああ、そうだ。それで、俺はその烏天狗なんだ」
そう言うと、海は何か呪文のようなものを唱え始めた。言い終わった瞬間、海の背中から大きな翼が生える。目元は青で縁取られていて、優美さを増していた。
烏天狗なんて物語や噂の中だけの生き物だと思っていた。でも、目の前の海は間違いなく現実に存在している。
「……俺の事、怖いって思うか?」
心配そうに海が僕の顔を覗き込む。ずっと黙っていたから僕が海を恐れていると勘違いしたのだろう。
その心配を振り切るように、首を横に振って笑ってみせた。
「見惚れていたんだ。本当に、美しいから」
「っ、そ、そうか?」
海は顔を赤くして頭をかいた。優美さから一転、今度は可愛らしく見える。
「ねぇ、海。海が妖なら春も妖なの?」
「あぁ、そうだ。春は雲外鏡って言うんだが知ってるか?」
「う~ん……名前は見たことあるけど、詳しくは知らないかなぁ」
村の伝承に烏天狗にまつわるものはいくつか聞いたことがあるが、雲外鏡にまつわるものは聞いたことが無い。
僕がそれを伝えれば、海は丁寧に雲外鏡について教えてくれた。鏡の妖で、様々なものの真実の姿を映し出すことが出来るのだと言う。
「ただ、春自身何かに対抗できるような力は持っていないんだ。だから始っていう黒天狐と一緒にいる」
「始? そういえばさっきの会話に何回か出てきていたね」
海の説明によると普段春と黒天狐の始は一緒に暮らしているらしい。それは春の力を欲する他の妖たちに春が襲われないよう、始の力で護っているということだそう。普通なら出来ないが、黒天狐の力は強大で他を寄せ付けない、だから春を護れるのだと何故か海が誇らしげに話してくれた。
春や始の他にも仲のいい妖たちがいて、頻繁に集まって宴会を開催するらしい。次回は三日後に開催することになっている。
「で、今度の宴会に隼も連れて行きたいと思っているんだが……どうだ?」
「愚問だね、海。その始にも会ってみたいし、行くに決まっているじゃない」
「あはは、そうか! お前が物怖じしない子どもで助かったわ」
くしゃくしゃと海の大きな手が僕の髪を撫でる。乱暴なようで力はとても優しい。
……そうしてこの日から、僕と烏天狗の海との生活が始まった。
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