斎藤一
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蒼に魅せられて
それはうちの人生の中で見た、最も鮮烈な蒼 だった――。
「父様ー!片桐さまがお見えどす!」
奥に向かって声をかけると「今行く」という返事が小さく聞こえた。うちはくるりと向き直り、常連客の片桐さまに「ただいま店主が参りますよって」と返事をした。
「父上は日中も鍛冶場に引きこもっておるんか」
「ええ、口下手やからってうちに店番任せきりなんどす。片桐さまからも、もう少し外に出ろと言っておくれやす」
「はははは、職人というのはどこか変わった者が多いからなあ。まあ、千織ちゃんの頼みだ。今度、飲みにでも誘おうか」
「お頼みします」
そんな話をしていると、父がのっそりと奥から出てきた。ここ数日、鍛冶場に篭りきりだったから顔は汗と煤で黒々と光り、目は疲労で落ちくぼんで生気がない。まばらに伸びた髭なんてみっともなくてぷつぷつと1本ずつ、抜いてやりたいほどやった。表に出てきたというのに、いつまでもくたびれた手拭いを頭に巻きっぱなしなのも気に食わない。そう、うちは今、父と絶賛、戦 中なのだ。まあ、向こうがそのつもりかは知らんけど…。
「父様。表に出るときは手拭い外してってなんべんも言うとるやろ」
「おぉ、忘れとった。すまん。…片桐様もお待たせいたしました」
「いやいや、忙しいところすまんな。で…今日聞きたいんは――」
父と片桐さまが仕事の話を始めたのでうちはその場をそっと離れた。この後、うちは人生初の大一番の勝負に出る。その緊張からなのか今日は店番にもあまり身が入らん。気を紛らわそうと、ぼんやりと店先を眺めると今日は久し振りの五月晴れだからか、暖簾の隙間からのぞく人出がいつもより多かった。すると、一際、鮮やかな浅葱色と抜けるような白いだんだら模様が目に入った。嫌やわ、壬生の乱暴者らも肩を回して練り歩いとる。目が合ったら絡まれるかもと、ついと視線を逸らした先に、同じ年頃の女の子達が連れたって楽しそうに右から左へ歩いていく。
ああやって生きるのも悪くはない、と思う。…でも、うちは父様のように刀を打って生きていきたい。父様の築いてきたこの店をなくしたない。これは幼い頃から抱いていた想いだった。
もう、おぼろげな記憶やけど、まだ母様が元気やった頃、家の縁側から父様のいる鍛冶場を母様に抱かれながら二人で眺めていた。
「母様ね、昔は刀になんて興味なかったんやけど、ここに嫁いで父様の刀を初めて見たときに、刀ってこんなに綺麗なもんやったんや~って驚いたんよ」
「かたな、きれ~?」
「そうそう、き・れ・い。言うてみ?」
「きれ~…い?」
「わ、言えた!千織はえらいな~…ま、私らは鍛冶場には入れんから、どうやってあんな綺麗な刀ができるのかは見られへんけど、父様の作った素敵な刀が人様に届くようにお店を守らなぁな。千織も店番、頼むよ~」
そう言うと母様は笑いながら、うちの頬をうりうりとこねるように撫で回すのだ。
――うちが刀を打たんくても、刀工のお婿さんに来てもらえればお店は守れるんやと思う。でも…うちは知ってしまった、刀の美しさを…そして、そんな美しいものを作れることへの憧れを。
母様が流行り病にかかって三日もしないうちに亡くなり、近親者のみのしめやかな葬儀を終えた父様は一人、鍛冶場に篭り続けた。近所の人が幼いうちを心配して握り飯やらを持ってきてくれたり、風呂屋に連れて行ってくれたりしたから生きるのには困らんかったけど、母様も父様もいない静かな家は寂しくて、父様が出てこないかと縁側から鍛冶場を一日中眺めていた。鍛冶場には近付いてはいけないと母様からきつく言われていたからだ。けれど、幼かったうちは我慢できずある日、近所の人から貰った握り飯を抱えて父様に会いに行くことにした。眺めてばかりいた鍛冶場は近付くごとに大きくなって、悪いこととは知りながらも少し冒険しているかのような気持ちになった。刀を打つ高い音も大きくなってきて、うちは高鳴る胸をおさえてそっと薄く開いた戸から中を覗いた。薄暗い部屋の中で、炉の火がパチパチと小さく爆ぜている。そして、その炉の前で父様が鉄を打っているのが見えた。カン、カン、カン、カンと何度も何度も、打ち続けていた。その姿は真剣そのもので子どもながらに厳かさというものを感じた。だが、よくよく見てみると父様の肩が時折、細かく震えていた。
「…ぐっ……うぅ…」
漏れ聞こえた声で、うちはやっと父様が泣いていることに気付いた。母様が息を引き取った瞬間も、みんなが泣いていたお葬式でも、涙のひとつ見せなかった父様が一人、鍛冶場で母様を想って泣きながら刀を打っていたのだ。うちは黙って握り飯を戸の前に置いて、鍛冶場の外壁を背にして座り込んだ。そして、静かに父様と一緒に泣いた。お葬式以来、初めて泣いた。ひたひたの手拭いを絞っていくみたいに涙がぼたぼたと目から溢れて顔も着物も濡らしていく。母さまに会いたい。抱きしめて頬を撫でて、うちとお話ししてほしい……。
それからは縁側ではなく鍛冶場の外から中を覗き、朝夕に握り飯を戸の前に置いておくようにした。そうして、暫くして、鍛冶場から一振りの刀を持って父様が出てきた。刀装具も鞘もない、剥き出しの刃だった。普段、刀のことを話さない父様がうちに初めて見せてくれた刀だった。艶を感じさせるまでの輝きを放つその刀に、うちは母様に教えてもらったあの言葉が浮かんだ。
「……きれい」
父様が静かに大きく目を見開いた。そして、だんだんと表情が歪んだかと思うとキツく目を閉じて「そうか」とだけ口にした。母様の刀は家の床の間に置かれて、父様は鍛冶場に篭もらなくなった。父様は店に並んだ刀についてうちに少しずつ教えてくれるようになった。でも、母様の刀より綺麗な刀は店のどこにもなかった。うちが父様のように綺麗な刀を打てるようになりたいと思うのは必然だった。
そして、1年と少し前、うちは父様に弟子入りしたいと告げたのだ。
「…あかん。店を継ぐなら婿を取ればいい。女に刀鍛冶は無理や」
「なんで?力が足らんから?火が危ないから?」
「それもある、けど、お前は綺麗な刀を打ちたいんやろ?刀は火の神さんのお力を借りて打つんや。女じゃお力は借りれんから綺麗な刀なんて打てへん」
「なにそれ…そんな迷信みたいなことで…うちがどうしようも出来ないことで刀が打てへんの!?……刀鍛冶になれないのに父様はなんでうちに刀のこと教えたん…」
「それは……お前の母様に刀のことをなんも話さんかったから」
「そんなん……意味分からん!」
父様が刀鍛冶の昔からの風習を重んじているのは知っていた。でも、いざ面と向かって言われるとどうしようもない悔しさが込み上げてきて上手く言い返すことも、説得することも出来ずに話を終えてしまった。そやから、うちは綺麗な刀を打って女なんか関係ないって見せつけたることに決めた。当てはあった。父様の知り合いの刀鍛冶に前衛的なことをしている人がおる。その人に文を送ると、すぐさま返事が来て、うちは父様に隠れて店番の合間に鍛冶場に通って刀を打ち始めた。父様が刀を打つ様は最初から最後まで見てきたから、打ったことはないがやり方は刷り込まれていた。だが、実際にやってみると思うようにいかないことばかりで、まる1年かかって短刀1本を形にした。今日はその短刀を受け取りに行って父様に見せて、もう一度弟子入りを申し込む勝負の日なのだ。
「父様、うち出掛けるからお店の方よろしゅう」
「買いもんか?」
「うん、夕方には戻るわ」
父様は刀のことには鋭いのに、他のことはストンと抜けてしもうてる人で、うちの企みにも気付く素振りはなかった。
「お世話になりました!……上手くいかんかったらここに弟子入りさせてくださいよ」
「おう!ええで、俺は大歓迎やから。…でも、千織が弟子入りしたいんは俺じゃなくて父上やろ?……気張ってきぃ!」
ドンと背中を押されよろけながら鍛冶場を出ると、ニコニコと白い歯を見せた師匠がいた。
「(ほんま……この人は…)そうでしたわ!それじゃあ、また!」
短刀をぎゅっと胸に抱きなおし、うちは歩き出す。師匠に押された背が軽くて、自然と足も速くなる。早く、早く父様に見せたい。夕方の人通りの少なさが余計に足を速めていたのかもしれない。小屋の横を通り過ぎようとしたそのとき、小屋の影から人が出てきた。うちは突然のことで少しも避けられず真正面からぶつかってしまった。受け身もとれず、胸に抱いた短刀を手から放してしまった。
「ッ」
「いってぇな…どこ見てんだ小娘?」
運がなかったと言えばそれまでなんやけど、こんなときにという気持ちが思わず顔に出てしまった。
「あぁ?文句あんのか?」
すると後ろからこの男の連れなのだろう二人の男がやって来た。
「どうした?」「いや、この小娘がぶつかってきてよ」「おい、これなんだ?」
後から来た男の一人がうちの短刀を拾い上げた。
「それは…大事なもんなんどす。返してください」
焦って思わず余計なことを言ってしまったと思っても後の祭り。男達はニヤリと笑って互いを見やった。
「そうかそうか。どれ…ほぅ、短刀か。随分と上等そうなもんだ。これは俺達、勤王の志士が持っておくのが世の理ってもんだ」
「そんな…!うちのやさかい!返してください!」
知らず知らずのうちに涙が流れていた。周りを見ても人はいなくて助けなんか来ない。うちの刀が…。
「返してほしいんなら、詫びに酌でもしてもおうか。ほら、来い」
男が乱雑にグイッとうちの腕を引っ張り上げる。痛くて悔しくて、でもどうしようもない。嫌や、嫌やと言葉がこぼれる。誰か…助けて……。
「何をしている」
静かで低い声が聞こえた。視線を上げると、小屋の方に若い男が立っていた。夕陽のせいで黒っぽく見えるが、その髪は深い藍色で、着ている羽織は新選組のそれだった。…新選組の人?
「助け、もごっ」
私が声を出そうとすると男が凄い力で口を覆ってきた。
「いや、なに連れが騒いでいるだけで、お前には関係ない」
「俺はその娘に聞いている」
新選組の人はうちをじっと見ている。うちも必死に見返した。助けて助けて助けて。
「その娘を離せば、あんたらのことは見逃してやる」
男達の空気が途端にぴりりとした。
「見逃してやる…だ?おい!」
男が声をかけると他の二人がすらりと刀を抜いてじりりと迫っていく。新選組の人はそれでも動かない。うちは息を詰めるしか出来なかった。二人の男達が間合いに踏み込もうとしたその瞬間、うちにはガキンという音と一陣の風、そして見たこともない程の鮮烈な、果てしない蒼穹のような蒼 が見えた気がした。男達の手には既に刀がなく、新選組の人がいつの間にか刀を構えていたことで、二人の刀が抜きざまに弾かれたのだと、少しして分かった。男達は顔を青くして刀も放り出して逃げていった。うちはへなへなとその場に座り込んだ。
「大事はないか?」
新選組の人が刀を収めて、うちを見下ろしていた。
「あ……た、助かりました」
それを言うのが精一杯だった。怖かった。刀鍛冶の家に生まれたからって斬り合いとはほぼ無縁の生活なのだ。刀が斬る道具なのは分かっているつもりだった。分かっている、つもりだったのだ。…刀は人を傷付けるもの。けれど、今の新選組の人は刀で誰も傷付けずにうちを守ってくれた。早すぎて蒼 の色としか認識できんかったけど、あれがきっとこの人の太刀筋。なんて、なんて、綺麗なんやろ……。
ふと、この人に刀を打ちたいと思った。
「これは……あんたの短刀か?」
新選組の人が落とした短刀を拾ってくれていた。
「あ、はい」
短刀を受け取るために手を差し出して、その体勢のままやや時が流れた。はてと、彼を見上げると何故か、短刀を持ったまま視線を泳がせている。ずっと無表情な人やと思っていたのに、少し雰囲気が柔らかくなった気がする。
「その…この短刀、見せてもらえないだろうか」
「え、えっと……どうぞ?」
何か調べたいことでもあるのだろうと頷くと、新選組の人は小さく「かたじけない」と言って短刀を鞘から静かに抜き去る。そして、じっと刃を見つめた。時々、角度を変えたり、夕陽に透かすようにしたりして、それはそれはじっくり見ていた。
「あの……」
うちが痺れを切らして声を掛けると、ハッとしたように目を見開いてわざとらしい咳払いをした。
「すまない。つい…。この刀はあんたが打ったものなのか?」
「え…何故、それを」
「粗さは感じられるが、歪みがなく美しい刀身だ」
「…ありがとう…ございます。あの、何故、うちが作った刀やって分かったんですか?」
「…この刀とあんたの纏う空気が同じだった。実直で、芯がある」
そう言うと、短刀を鞘に収めて渡してきた。
「変なお方やな。女の打った刀が美しいやなんて…女は綺麗な刀を打てない。それが昔から刀鍛冶の間で決まっとることなんどす…」
おかしいな、うちは女でも打てると信じてきた筈やのに、なんでこの人にこんなこと言うてしもうてるんやろ。自分を信じたいのに、刀鍛冶の長い習わしがうちを押し潰そうとしてくるような恐怖感が迫ってくる。ちょっと怖い思いをしたからってこんな見ず知らずの…よく知りもしないで嫌っていた新選組の人に縋ってしまうなんて。
「…あんたの刀を俺は“綺麗な刀“だと思った。それは俺の中で変わらない事実だ。誰か一人でも己のことを認めてくれる人がいるだけで、切り拓ける未来もある、と俺は信じている」
どこか遠くを見ながらそう言った彼の姿は、うちには眩しくて初めて父様の刀を打つ姿を見たときのような真剣さが思い出された。
「あの、あの…うち、刀鍛冶の娘なんどす。その、良かったらうちの店に来てください。…父の刀、素晴らしいさかい」
「…あぁ、ではこれで失礼する」
新選組の人はそのまま静かに去って行った。白い襟巻きがやけに目を引いて、姿が見えなくなるまで目で追ってしまった。
「…言えんかった」
うちの打った刀を見に来てほしいって。うちの刀を使こうてほしいって。気恥ずかしくて父様の刀を引き合いに出して…。
「なんやろ…このふわふわした感じ」
お空で母様が笑っているような気がした――。
着物の砂を払い、気合いを入れる。店はもう閉まっていて、暖簾も外されてすっかり静まり返っている。深呼吸して中に入ると、父様は居間に座って帳簿を眺めていた。
「父様…これ見て。父様と母様のこと考えて、うちが打ってん」
父様は黙って短刀を受け取って、鞘から抜いた。じっと見て表情も変えなければ何も言わない。父様が真剣に短刀と向き合ってくれているのが分かったから、うちは重苦しく密度の濃い時間も必死に息を詰めて父様の言葉を待っていた。
――ポタッ
突然、水滴が床板に落ちた。濡れた床から視線を上げると、はらはらと父様が泣いていた。
「…これ、お前が作ったんか、いつの間に……。なんや……ほんまに、きれぇ…やな」
…きれ………い?うちの刀、綺麗?
「綺麗や、綺麗……あぁ母様に見せてやりたいなぁ」
父様が何度も綺麗やなって言うもんだから、うちも釣られてぐすぐすと泣いてしまった。
翌日、うちの短刀は母様の刀と一緒に床の間に並んだ。父様のと比べるとどうしたって不格好で、頼りなさげやけど、それでも、これは綺麗な刀なんやってあの人が思わせてくれる。
「うちも早く一人前になって、あの人に刀貰ろうてもらわな」
そしたら、また見れるだろうか、あの鮮烈な蒼を――。
それはうちの人生の中で見た、最も鮮烈な
「父様ー!片桐さまがお見えどす!」
奥に向かって声をかけると「今行く」という返事が小さく聞こえた。うちはくるりと向き直り、常連客の片桐さまに「ただいま店主が参りますよって」と返事をした。
「父上は日中も鍛冶場に引きこもっておるんか」
「ええ、口下手やからってうちに店番任せきりなんどす。片桐さまからも、もう少し外に出ろと言っておくれやす」
「はははは、職人というのはどこか変わった者が多いからなあ。まあ、千織ちゃんの頼みだ。今度、飲みにでも誘おうか」
「お頼みします」
そんな話をしていると、父がのっそりと奥から出てきた。ここ数日、鍛冶場に篭りきりだったから顔は汗と煤で黒々と光り、目は疲労で落ちくぼんで生気がない。まばらに伸びた髭なんてみっともなくてぷつぷつと1本ずつ、抜いてやりたいほどやった。表に出てきたというのに、いつまでもくたびれた手拭いを頭に巻きっぱなしなのも気に食わない。そう、うちは今、父と絶賛、
「父様。表に出るときは手拭い外してってなんべんも言うとるやろ」
「おぉ、忘れとった。すまん。…片桐様もお待たせいたしました」
「いやいや、忙しいところすまんな。で…今日聞きたいんは――」
父と片桐さまが仕事の話を始めたのでうちはその場をそっと離れた。この後、うちは人生初の大一番の勝負に出る。その緊張からなのか今日は店番にもあまり身が入らん。気を紛らわそうと、ぼんやりと店先を眺めると今日は久し振りの五月晴れだからか、暖簾の隙間からのぞく人出がいつもより多かった。すると、一際、鮮やかな浅葱色と抜けるような白いだんだら模様が目に入った。嫌やわ、壬生の乱暴者らも肩を回して練り歩いとる。目が合ったら絡まれるかもと、ついと視線を逸らした先に、同じ年頃の女の子達が連れたって楽しそうに右から左へ歩いていく。
ああやって生きるのも悪くはない、と思う。…でも、うちは父様のように刀を打って生きていきたい。父様の築いてきたこの店をなくしたない。これは幼い頃から抱いていた想いだった。
もう、おぼろげな記憶やけど、まだ母様が元気やった頃、家の縁側から父様のいる鍛冶場を母様に抱かれながら二人で眺めていた。
「母様ね、昔は刀になんて興味なかったんやけど、ここに嫁いで父様の刀を初めて見たときに、刀ってこんなに綺麗なもんやったんや~って驚いたんよ」
「かたな、きれ~?」
「そうそう、き・れ・い。言うてみ?」
「きれ~…い?」
「わ、言えた!千織はえらいな~…ま、私らは鍛冶場には入れんから、どうやってあんな綺麗な刀ができるのかは見られへんけど、父様の作った素敵な刀が人様に届くようにお店を守らなぁな。千織も店番、頼むよ~」
そう言うと母様は笑いながら、うちの頬をうりうりとこねるように撫で回すのだ。
――うちが刀を打たんくても、刀工のお婿さんに来てもらえればお店は守れるんやと思う。でも…うちは知ってしまった、刀の美しさを…そして、そんな美しいものを作れることへの憧れを。
母様が流行り病にかかって三日もしないうちに亡くなり、近親者のみのしめやかな葬儀を終えた父様は一人、鍛冶場に篭り続けた。近所の人が幼いうちを心配して握り飯やらを持ってきてくれたり、風呂屋に連れて行ってくれたりしたから生きるのには困らんかったけど、母様も父様もいない静かな家は寂しくて、父様が出てこないかと縁側から鍛冶場を一日中眺めていた。鍛冶場には近付いてはいけないと母様からきつく言われていたからだ。けれど、幼かったうちは我慢できずある日、近所の人から貰った握り飯を抱えて父様に会いに行くことにした。眺めてばかりいた鍛冶場は近付くごとに大きくなって、悪いこととは知りながらも少し冒険しているかのような気持ちになった。刀を打つ高い音も大きくなってきて、うちは高鳴る胸をおさえてそっと薄く開いた戸から中を覗いた。薄暗い部屋の中で、炉の火がパチパチと小さく爆ぜている。そして、その炉の前で父様が鉄を打っているのが見えた。カン、カン、カン、カンと何度も何度も、打ち続けていた。その姿は真剣そのもので子どもながらに厳かさというものを感じた。だが、よくよく見てみると父様の肩が時折、細かく震えていた。
「…ぐっ……うぅ…」
漏れ聞こえた声で、うちはやっと父様が泣いていることに気付いた。母様が息を引き取った瞬間も、みんなが泣いていたお葬式でも、涙のひとつ見せなかった父様が一人、鍛冶場で母様を想って泣きながら刀を打っていたのだ。うちは黙って握り飯を戸の前に置いて、鍛冶場の外壁を背にして座り込んだ。そして、静かに父様と一緒に泣いた。お葬式以来、初めて泣いた。ひたひたの手拭いを絞っていくみたいに涙がぼたぼたと目から溢れて顔も着物も濡らしていく。母さまに会いたい。抱きしめて頬を撫でて、うちとお話ししてほしい……。
それからは縁側ではなく鍛冶場の外から中を覗き、朝夕に握り飯を戸の前に置いておくようにした。そうして、暫くして、鍛冶場から一振りの刀を持って父様が出てきた。刀装具も鞘もない、剥き出しの刃だった。普段、刀のことを話さない父様がうちに初めて見せてくれた刀だった。艶を感じさせるまでの輝きを放つその刀に、うちは母様に教えてもらったあの言葉が浮かんだ。
「……きれい」
父様が静かに大きく目を見開いた。そして、だんだんと表情が歪んだかと思うとキツく目を閉じて「そうか」とだけ口にした。母様の刀は家の床の間に置かれて、父様は鍛冶場に篭もらなくなった。父様は店に並んだ刀についてうちに少しずつ教えてくれるようになった。でも、母様の刀より綺麗な刀は店のどこにもなかった。うちが父様のように綺麗な刀を打てるようになりたいと思うのは必然だった。
そして、1年と少し前、うちは父様に弟子入りしたいと告げたのだ。
「…あかん。店を継ぐなら婿を取ればいい。女に刀鍛冶は無理や」
「なんで?力が足らんから?火が危ないから?」
「それもある、けど、お前は綺麗な刀を打ちたいんやろ?刀は火の神さんのお力を借りて打つんや。女じゃお力は借りれんから綺麗な刀なんて打てへん」
「なにそれ…そんな迷信みたいなことで…うちがどうしようも出来ないことで刀が打てへんの!?……刀鍛冶になれないのに父様はなんでうちに刀のこと教えたん…」
「それは……お前の母様に刀のことをなんも話さんかったから」
「そんなん……意味分からん!」
父様が刀鍛冶の昔からの風習を重んじているのは知っていた。でも、いざ面と向かって言われるとどうしようもない悔しさが込み上げてきて上手く言い返すことも、説得することも出来ずに話を終えてしまった。そやから、うちは綺麗な刀を打って女なんか関係ないって見せつけたることに決めた。当てはあった。父様の知り合いの刀鍛冶に前衛的なことをしている人がおる。その人に文を送ると、すぐさま返事が来て、うちは父様に隠れて店番の合間に鍛冶場に通って刀を打ち始めた。父様が刀を打つ様は最初から最後まで見てきたから、打ったことはないがやり方は刷り込まれていた。だが、実際にやってみると思うようにいかないことばかりで、まる1年かかって短刀1本を形にした。今日はその短刀を受け取りに行って父様に見せて、もう一度弟子入りを申し込む勝負の日なのだ。
「父様、うち出掛けるからお店の方よろしゅう」
「買いもんか?」
「うん、夕方には戻るわ」
父様は刀のことには鋭いのに、他のことはストンと抜けてしもうてる人で、うちの企みにも気付く素振りはなかった。
「お世話になりました!……上手くいかんかったらここに弟子入りさせてくださいよ」
「おう!ええで、俺は大歓迎やから。…でも、千織が弟子入りしたいんは俺じゃなくて父上やろ?……気張ってきぃ!」
ドンと背中を押されよろけながら鍛冶場を出ると、ニコニコと白い歯を見せた師匠がいた。
「(ほんま……この人は…)そうでしたわ!それじゃあ、また!」
短刀をぎゅっと胸に抱きなおし、うちは歩き出す。師匠に押された背が軽くて、自然と足も速くなる。早く、早く父様に見せたい。夕方の人通りの少なさが余計に足を速めていたのかもしれない。小屋の横を通り過ぎようとしたそのとき、小屋の影から人が出てきた。うちは突然のことで少しも避けられず真正面からぶつかってしまった。受け身もとれず、胸に抱いた短刀を手から放してしまった。
「ッ」
「いってぇな…どこ見てんだ小娘?」
運がなかったと言えばそれまでなんやけど、こんなときにという気持ちが思わず顔に出てしまった。
「あぁ?文句あんのか?」
すると後ろからこの男の連れなのだろう二人の男がやって来た。
「どうした?」「いや、この小娘がぶつかってきてよ」「おい、これなんだ?」
後から来た男の一人がうちの短刀を拾い上げた。
「それは…大事なもんなんどす。返してください」
焦って思わず余計なことを言ってしまったと思っても後の祭り。男達はニヤリと笑って互いを見やった。
「そうかそうか。どれ…ほぅ、短刀か。随分と上等そうなもんだ。これは俺達、勤王の志士が持っておくのが世の理ってもんだ」
「そんな…!うちのやさかい!返してください!」
知らず知らずのうちに涙が流れていた。周りを見ても人はいなくて助けなんか来ない。うちの刀が…。
「返してほしいんなら、詫びに酌でもしてもおうか。ほら、来い」
男が乱雑にグイッとうちの腕を引っ張り上げる。痛くて悔しくて、でもどうしようもない。嫌や、嫌やと言葉がこぼれる。誰か…助けて……。
「何をしている」
静かで低い声が聞こえた。視線を上げると、小屋の方に若い男が立っていた。夕陽のせいで黒っぽく見えるが、その髪は深い藍色で、着ている羽織は新選組のそれだった。…新選組の人?
「助け、もごっ」
私が声を出そうとすると男が凄い力で口を覆ってきた。
「いや、なに連れが騒いでいるだけで、お前には関係ない」
「俺はその娘に聞いている」
新選組の人はうちをじっと見ている。うちも必死に見返した。助けて助けて助けて。
「その娘を離せば、あんたらのことは見逃してやる」
男達の空気が途端にぴりりとした。
「見逃してやる…だ?おい!」
男が声をかけると他の二人がすらりと刀を抜いてじりりと迫っていく。新選組の人はそれでも動かない。うちは息を詰めるしか出来なかった。二人の男達が間合いに踏み込もうとしたその瞬間、うちにはガキンという音と一陣の風、そして見たこともない程の鮮烈な、果てしない蒼穹のような
「大事はないか?」
新選組の人が刀を収めて、うちを見下ろしていた。
「あ……た、助かりました」
それを言うのが精一杯だった。怖かった。刀鍛冶の家に生まれたからって斬り合いとはほぼ無縁の生活なのだ。刀が斬る道具なのは分かっているつもりだった。分かっている、つもりだったのだ。…刀は人を傷付けるもの。けれど、今の新選組の人は刀で誰も傷付けずにうちを守ってくれた。早すぎて
ふと、この人に刀を打ちたいと思った。
「これは……あんたの短刀か?」
新選組の人が落とした短刀を拾ってくれていた。
「あ、はい」
短刀を受け取るために手を差し出して、その体勢のままやや時が流れた。はてと、彼を見上げると何故か、短刀を持ったまま視線を泳がせている。ずっと無表情な人やと思っていたのに、少し雰囲気が柔らかくなった気がする。
「その…この短刀、見せてもらえないだろうか」
「え、えっと……どうぞ?」
何か調べたいことでもあるのだろうと頷くと、新選組の人は小さく「かたじけない」と言って短刀を鞘から静かに抜き去る。そして、じっと刃を見つめた。時々、角度を変えたり、夕陽に透かすようにしたりして、それはそれはじっくり見ていた。
「あの……」
うちが痺れを切らして声を掛けると、ハッとしたように目を見開いてわざとらしい咳払いをした。
「すまない。つい…。この刀はあんたが打ったものなのか?」
「え…何故、それを」
「粗さは感じられるが、歪みがなく美しい刀身だ」
「…ありがとう…ございます。あの、何故、うちが作った刀やって分かったんですか?」
「…この刀とあんたの纏う空気が同じだった。実直で、芯がある」
そう言うと、短刀を鞘に収めて渡してきた。
「変なお方やな。女の打った刀が美しいやなんて…女は綺麗な刀を打てない。それが昔から刀鍛冶の間で決まっとることなんどす…」
おかしいな、うちは女でも打てると信じてきた筈やのに、なんでこの人にこんなこと言うてしもうてるんやろ。自分を信じたいのに、刀鍛冶の長い習わしがうちを押し潰そうとしてくるような恐怖感が迫ってくる。ちょっと怖い思いをしたからってこんな見ず知らずの…よく知りもしないで嫌っていた新選組の人に縋ってしまうなんて。
「…あんたの刀を俺は“綺麗な刀“だと思った。それは俺の中で変わらない事実だ。誰か一人でも己のことを認めてくれる人がいるだけで、切り拓ける未来もある、と俺は信じている」
どこか遠くを見ながらそう言った彼の姿は、うちには眩しくて初めて父様の刀を打つ姿を見たときのような真剣さが思い出された。
「あの、あの…うち、刀鍛冶の娘なんどす。その、良かったらうちの店に来てください。…父の刀、素晴らしいさかい」
「…あぁ、ではこれで失礼する」
新選組の人はそのまま静かに去って行った。白い襟巻きがやけに目を引いて、姿が見えなくなるまで目で追ってしまった。
「…言えんかった」
うちの打った刀を見に来てほしいって。うちの刀を使こうてほしいって。気恥ずかしくて父様の刀を引き合いに出して…。
「なんやろ…このふわふわした感じ」
お空で母様が笑っているような気がした――。
着物の砂を払い、気合いを入れる。店はもう閉まっていて、暖簾も外されてすっかり静まり返っている。深呼吸して中に入ると、父様は居間に座って帳簿を眺めていた。
「父様…これ見て。父様と母様のこと考えて、うちが打ってん」
父様は黙って短刀を受け取って、鞘から抜いた。じっと見て表情も変えなければ何も言わない。父様が真剣に短刀と向き合ってくれているのが分かったから、うちは重苦しく密度の濃い時間も必死に息を詰めて父様の言葉を待っていた。
――ポタッ
突然、水滴が床板に落ちた。濡れた床から視線を上げると、はらはらと父様が泣いていた。
「…これ、お前が作ったんか、いつの間に……。なんや……ほんまに、きれぇ…やな」
…きれ………い?うちの刀、綺麗?
「綺麗や、綺麗……あぁ母様に見せてやりたいなぁ」
父様が何度も綺麗やなって言うもんだから、うちも釣られてぐすぐすと泣いてしまった。
翌日、うちの短刀は母様の刀と一緒に床の間に並んだ。父様のと比べるとどうしたって不格好で、頼りなさげやけど、それでも、これは綺麗な刀なんやってあの人が思わせてくれる。
「うちも早く一人前になって、あの人に刀貰ろうてもらわな」
そしたら、また見れるだろうか、あの鮮烈な蒼を――。
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