第一章・江戸編
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第五話 奇妙な宴~後編~
「おい、左之。いつものやってくれよ〜」
「よっ、左之さん、待ってました!」
酒も進み、場があたたまった頃、新八と平助が声を上げた。指名を受けた原田は満更でもなさそうに「しょうがねぇな〜」と言いながらいきなり腹に巻いていた布を解き、上着も脱ぎ捨てたのだ。原田の鍛え上げられた上半身があらわになり、千織は目のやり場に困った。そんな千織に構わず、すっかり酔いが回った新八は「左之の筋肉いい感じだろ~まあ~俺様のこの腕の筋肉には及ばないがな!」と絡む始末。千織はすっかり人がいなくなった上座を恨めしげに見つめるのだった。
上座にいた御三方は早々に宴を切り上げていた。
どうやら、近藤も土方も下戸だったらしく千織に気を遣ってかお猪口を一献傾けると後は食事だけ平らげて、自室に帰っていった。その際に沖田や井上など宴で騒がないらしい人達も皆、腰を上げたので私もそこで帰ろうとしたのだけれど、夜道を歩かせるのは忍びないと近藤が気を利かせて客間を用意してくれたらしく完全に機を逃してしまい流されるまま、ちびちびと酒を飲む斎藤とともに賑やかな三人が織りなす宴の渦中に座すしかなかった。
原田は腹の傷を見せつけながら役者の口上さながら傷の経緯を語り始めた。どうやらこの傷は昔、上役とのいさかいで自ら腹を切った際に出来たものらしい。すると、やや千鳥足の新八が筆を手に原田に近付き彼の腹に歪な目、鼻を書き、あろうことか原田ご自慢の切腹痕の上に唇を書いてしまったのだ。原田が筆がくすぐってえと身をよじる度に筋肉が動いて、原田の均整のとれた腹の上で落書きされた顔の間抜さが加速していく様に千織は思わず吹き出してしまった。
「おいおい、男の勲章を笑うなんざ野暮ってモンだぜ」
「す、すみま…ふっ…ふふふ」
「そりゃあ、そんな間抜けなモン見せられたら誰でも笑うって!!」
「ちげぇねな…ちょ、左之、その角度はやめろって、ぶはははは」
千織は笑って目尻に溜まった涙を拭った。そういえば、普段は真面目な父が酒を飲むと赤くなった頬してドジョウすくいのひょっとこ顔のような表情を作って家族を笑わせてきたことが思い出された。平助が笑い転げている。それが兄の笑い転がった姿に重なる。千織の楽しく幸せな遠い記憶。不思議だ、会ったばかり人達なのにここはとても居心地がいい。千織が声を出して笑えるくらいに――。
こうして天上に昇った月が沈みかけた頃、新八、平助、原田は酔い潰れてしまい宴は終わりを迎えた。斎藤はいつの間にかいなくなっていたので千織は床に寝転がる三人に布団をかけてから、膳を台所まで運んで休もうと思ったが、肝心の客間の場所を聞けておらず、そのままなんとなく広間に戻る途中にあった庭の見える縁側に腰を下ろした。試衛館に静かな夜が満ちていった。冷たい風が火照った頬を撫でる。酒が弱い訳ではないのに何故か酔いが回ってしまったようで、胸がふわふわと弾んだ心地がして落ち着かなかった。久し振りに声を出して笑った…。
「ここにいたのか」
闇から浮き上がってきたかのように斎藤が現れる。
「勝手にすみません。少し、休んでいました」
「そうか。こちらも新八達が羽目を外してすまなかったな。今夜は冷えるからもう客間で休むといい」
「あ、あの…もう少しだけ風にあっていてもいいですか?客間の場所だけ教えていただければ自分で休みますから」
いつもならこんなこと言わないのに眠るのが惜しい気がして千織は思わずまだ数度しか会っていない斎藤に頼んでしまった。
「……それならば俺も少し酔いを覚まそう」
そう言うと斎藤は千織から少し離れた場所に腰を下ろした。どう見ても酔っているようには見えないので恐らく千織に気を遣ってくれているのだろうが、無表情で座っても特に話題を振ってくる訳でもなくただ一緒にいてくれるだけなので、端から見ると分かりづらい心配りで、でもそれが千織には心地よかった。
「そういえば、斎藤さんはどちらで剣を学ばれたんですか?」
幾ばくかの沈黙が続いてふと千織は斎藤に話し掛けた。
「…学んだと言える道場はない。ここも、左利きの俺を受け入れてくれた近藤さん達がいるから顔を出しているだけであって俺は元々、門下生でもなんでもない」
「そう…だったんですね。すみません、踏み込んだ事を聞いてしまって」
「いや…剣を志す者同士が集えば気になる話題だ。俺も先程の席であんたの事情を聞いてしまっているからこれで相子 だろう」
「聞いていたんですか」
意外だ。なんとなく斎藤は人に関心を持たない質だと思っていたから。
「私もたまたま縁があって道場に入ったので周りからの心証は良くなかったと思います…女だし…でも、そこで私を認めてくれる人がいたので短い間でしたけど道場で剣を学べました。だから、斎藤さんのお気持ちは少しだけ分かる気がします。試衛館の人達は誰も私が女だからって侮らなかった。ここは居心地がいいですよね」
斎藤の方を振り向くと、斎藤は初めて口元に笑みをたたえていた。
「あぁ、そうだな」
その笑みは千織にというより試衛館の者達に向けたものだろうが、千織の胸はあたたかなものに包まれた。冷たく澄んだ印象のある斎藤に初めて温度を感じた瞬間だった。
「っ…。そろそろ客間で休みます。斎藤さんも休んでください」
「あぁ。ではな」
その夜、千織は家族の夢を見た。真面目で剣術一筋な父、優しくうららかな母、快活で聡明な兄。三人が幸せそうに笑っている。千織の堅く閉じられた目に涙が浮かび、頬を伝った。久方ぶりの家族の夢だった。もう触れられないあたたかさだった。
そうしてぽつぽつと家族の姿が消えていった。そして雪が降ってきた。静かな雪。すっかり降り積もっていてどこまでも白い世界なのだが、そこに一本桜が咲いていた。淡い薄紅色に白が被っている。その桜の木の下に人がいた。全身が黒のような藍のような色をしていて……。
千織が目を開くと睫毛に絡まっていたらしい涙の滴が零れた。
朝の光が千織を照らしている。
――あれは、誰なんだろう
「おい、左之。いつものやってくれよ〜」
「よっ、左之さん、待ってました!」
酒も進み、場があたたまった頃、新八と平助が声を上げた。指名を受けた原田は満更でもなさそうに「しょうがねぇな〜」と言いながらいきなり腹に巻いていた布を解き、上着も脱ぎ捨てたのだ。原田の鍛え上げられた上半身があらわになり、千織は目のやり場に困った。そんな千織に構わず、すっかり酔いが回った新八は「左之の筋肉いい感じだろ~まあ~俺様のこの腕の筋肉には及ばないがな!」と絡む始末。千織はすっかり人がいなくなった上座を恨めしげに見つめるのだった。
上座にいた御三方は早々に宴を切り上げていた。
どうやら、近藤も土方も下戸だったらしく千織に気を遣ってかお猪口を一献傾けると後は食事だけ平らげて、自室に帰っていった。その際に沖田や井上など宴で騒がないらしい人達も皆、腰を上げたので私もそこで帰ろうとしたのだけれど、夜道を歩かせるのは忍びないと近藤が気を利かせて客間を用意してくれたらしく完全に機を逃してしまい流されるまま、ちびちびと酒を飲む斎藤とともに賑やかな三人が織りなす宴の渦中に座すしかなかった。
原田は腹の傷を見せつけながら役者の口上さながら傷の経緯を語り始めた。どうやらこの傷は昔、上役とのいさかいで自ら腹を切った際に出来たものらしい。すると、やや千鳥足の新八が筆を手に原田に近付き彼の腹に歪な目、鼻を書き、あろうことか原田ご自慢の切腹痕の上に唇を書いてしまったのだ。原田が筆がくすぐってえと身をよじる度に筋肉が動いて、原田の均整のとれた腹の上で落書きされた顔の間抜さが加速していく様に千織は思わず吹き出してしまった。
「おいおい、男の勲章を笑うなんざ野暮ってモンだぜ」
「す、すみま…ふっ…ふふふ」
「そりゃあ、そんな間抜けなモン見せられたら誰でも笑うって!!」
「ちげぇねな…ちょ、左之、その角度はやめろって、ぶはははは」
千織は笑って目尻に溜まった涙を拭った。そういえば、普段は真面目な父が酒を飲むと赤くなった頬してドジョウすくいのひょっとこ顔のような表情を作って家族を笑わせてきたことが思い出された。平助が笑い転げている。それが兄の笑い転がった姿に重なる。千織の楽しく幸せな遠い記憶。不思議だ、会ったばかり人達なのにここはとても居心地がいい。千織が声を出して笑えるくらいに――。
こうして天上に昇った月が沈みかけた頃、新八、平助、原田は酔い潰れてしまい宴は終わりを迎えた。斎藤はいつの間にかいなくなっていたので千織は床に寝転がる三人に布団をかけてから、膳を台所まで運んで休もうと思ったが、肝心の客間の場所を聞けておらず、そのままなんとなく広間に戻る途中にあった庭の見える縁側に腰を下ろした。試衛館に静かな夜が満ちていった。冷たい風が火照った頬を撫でる。酒が弱い訳ではないのに何故か酔いが回ってしまったようで、胸がふわふわと弾んだ心地がして落ち着かなかった。久し振りに声を出して笑った…。
「ここにいたのか」
闇から浮き上がってきたかのように斎藤が現れる。
「勝手にすみません。少し、休んでいました」
「そうか。こちらも新八達が羽目を外してすまなかったな。今夜は冷えるからもう客間で休むといい」
「あ、あの…もう少しだけ風にあっていてもいいですか?客間の場所だけ教えていただければ自分で休みますから」
いつもならこんなこと言わないのに眠るのが惜しい気がして千織は思わずまだ数度しか会っていない斎藤に頼んでしまった。
「……それならば俺も少し酔いを覚まそう」
そう言うと斎藤は千織から少し離れた場所に腰を下ろした。どう見ても酔っているようには見えないので恐らく千織に気を遣ってくれているのだろうが、無表情で座っても特に話題を振ってくる訳でもなくただ一緒にいてくれるだけなので、端から見ると分かりづらい心配りで、でもそれが千織には心地よかった。
「そういえば、斎藤さんはどちらで剣を学ばれたんですか?」
幾ばくかの沈黙が続いてふと千織は斎藤に話し掛けた。
「…学んだと言える道場はない。ここも、左利きの俺を受け入れてくれた近藤さん達がいるから顔を出しているだけであって俺は元々、門下生でもなんでもない」
「そう…だったんですね。すみません、踏み込んだ事を聞いてしまって」
「いや…剣を志す者同士が集えば気になる話題だ。俺も先程の席であんたの事情を聞いてしまっているからこれで
「聞いていたんですか」
意外だ。なんとなく斎藤は人に関心を持たない質だと思っていたから。
「私もたまたま縁があって道場に入ったので周りからの心証は良くなかったと思います…女だし…でも、そこで私を認めてくれる人がいたので短い間でしたけど道場で剣を学べました。だから、斎藤さんのお気持ちは少しだけ分かる気がします。試衛館の人達は誰も私が女だからって侮らなかった。ここは居心地がいいですよね」
斎藤の方を振り向くと、斎藤は初めて口元に笑みをたたえていた。
「あぁ、そうだな」
その笑みは千織にというより試衛館の者達に向けたものだろうが、千織の胸はあたたかなものに包まれた。冷たく澄んだ印象のある斎藤に初めて温度を感じた瞬間だった。
「っ…。そろそろ客間で休みます。斎藤さんも休んでください」
「あぁ。ではな」
その夜、千織は家族の夢を見た。真面目で剣術一筋な父、優しくうららかな母、快活で聡明な兄。三人が幸せそうに笑っている。千織の堅く閉じられた目に涙が浮かび、頬を伝った。久方ぶりの家族の夢だった。もう触れられないあたたかさだった。
そうしてぽつぽつと家族の姿が消えていった。そして雪が降ってきた。静かな雪。すっかり降り積もっていてどこまでも白い世界なのだが、そこに一本桜が咲いていた。淡い薄紅色に白が被っている。その桜の木の下に人がいた。全身が黒のような藍のような色をしていて……。
千織が目を開くと睫毛に絡まっていたらしい涙の滴が零れた。
朝の光が千織を照らしている。
――あれは、誰なんだろう
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