第一章・江戸編
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第四話 奇妙な宴~前編~
ここはドクダミ長屋。名前の通りドクダミが茂る少し傾いた、江戸ではよくある長屋。独り身から子持ちまで多種多様な人々が住んでいる。その奥の、日がやっと差し込む一画の部屋で水瀬千織は一枚の手拭いを前に一人唸っていた。先日、便利屋の仕事で試合をした天然理心流の道場・試衛館で、沖田という青年に借りたそれだ。洗って返すことになったのだが、借りたということは何かお礼の品を添えて返すべきなのか、そしてお礼の品は何にすればいいものなのか、と悩んでいたのだ。
「道場の人達に喜ばれるもの…男所帯だから、お酒とか…?」
便利屋の仕事で手伝った飯屋で美味しそうに酒を飲む男達の姿が思い浮かんだ。この長屋でも隣の隣に住む大工の男が仕事終わりによく酒を飲んで共用の井戸の前で、大きな徳利を抱えて眠りこけている姿をよく見ていた事もあり、千織は江戸っ子は酒好きなのだと自然と刷り込まれてしまっていた。
昼に一件、依頼をこなした千織は酒を買ったその足で試衛館に向かう。酒屋で店主の長々とした酒売り文句に捕まってしまったため、外はすっかり日が暮れていた。家々から漏れる灯りで吐いた息が白くなって消えていくのが見える。今日はやけに寒い。
右手に提げた徳利からちゃぽんちゃぽんと涼しげな音がするが、重量はなかなかのものでやや手に紐が食い込んでいた。酒屋の店主にあれよあれよと言われるまま一升分の酒を買わされたのだ。今月はまだあまり依頼がなく手持ちが寂しい千織としては、これは重量と同じくなかなかの出費だった。そもそも、手拭いを借りた事に対して一升分の酒を渡すというのはどう考えてもお礼にしては行き過ぎだろう。それでも、千織がこの酒を試衛館の人達に渡すのは、神聖な道場で女だからと侮らず、対等な相手として良い試合をさせてもらえた事に対する感謝の気持ちがあったからだ。
――ごぉ~ん、ごぉ~ん
暮れ六つの鐘がなる。思っていたより試衛館に着くのが遅くなってしまったが夕飯時だろうから、この酒も喜んでもらえるはず。千織は自然と歩みを速めていた。
「もし、御免ください」
外門はすでに閉まっていたが、中の道場から人の気配がしていた。声が聞こえたのだろう。誰かが近付いてくるのが分かった。見知らぬ場所を訪ねる時はいつも心が固くなるような緊張感を覚える。外門が薄く開き、滑るように黒い影が出てきた。
「…あんたは」
出てきたのは先日の試合で審判を務めた斎藤という青年だった。見知った人物が出てきた事に少しほっとした千織はさっさと手拭いと酒を渡してしまおうと挨拶もそこそこに本題に入った。
「先日、お世話になった水瀬です。訪問の連絡もなく訪ねてしまい申し訳ないです。実は沖田さんからお借りした手拭いを返しに、あと、これ良ければ道場の皆さんで召し上がってください」
斎藤は千織が差し出した手拭いと酒をじっと見つめ暫し固まり、表情も変えずに答えた。
「用件は理解した、が…手拭いを借りた程度であんたが俺達に酒を振る舞う道理がよく分からんのだが……」
どうやら斎藤は過分なお礼に戸惑ってるようだった。千織がどう返答するべきかと悩んでいると、そこに場違いなほど明るい声が響いた。
「話は聞かせてもらった!この嬢ちゃんがくれるって言ってんだからよぉ。貰っちまえよ、斎藤!」
門からグイッと出てきた男がいつの間にか千織の手から大きな徳利を掻っ攫って頬ずりしていた。斎藤よりも背も体格も大きいにも関わらず、お茶目なその仕草に自然と千織はこの男への警戒心がほどけてしまっていた。
「新八…」
斎藤がどこか呆れたように男の名を呼ぶ。それに気付いているのかいないのか、新八と呼ばれた男は千織に話しかけた。
「嬢ちゃん、あれだろ?総司とやりやったっていう女剣士だろ?総司から話聞いてよ、どんな子か会ってみてぇって思ってたところだ。丁度これから飯食うとこだし。上がってけよ!ほれほれ」
そう言うやいなや、新八は千織をぐいぐい引っ張っていく。
「わ、え、で、でも…」
戸惑いなすがままの千織がちらりと後ろの斎藤を見やると、新八の強引さに呆れながらも千織を連れて行くのには反対していないのだろうか、溜息をついて外門を閉じていた。
道場の横を通り過ぎ母屋らしき建物に入ると、そこは勝手場となっており忙しそうに女性が夕飯の支度をしていた。
「ツネさん、すまねえが、この子にも飯を食わせてやってくれ!」
「…わかりました」
女性は顔だけをこちらに向けて、千織にぺこりと頭を下げた。新八はずんずんと千織を連れて行く。勝手場から上がり少し歩くと居間だろうか広めの部屋にやって来た。既にあらかた食事が運び込まれており、何人かが膳の前いた。その中には沖田もいて千織は小さく頭を下げた。
「おや、永倉君。その子は…」
この中で一番年長者らしい男性が膳を盛り付ける手を止めて声を掛けてきた。
「あぁ、源さん。準備任せきりで悪ぃな。この子はあれだ、前、総司が話してた矢部道場とひと悶着あった時の子だよ」
「あぁ。話には聞いていたけど、こんなに華奢な子だなんて驚いたよ。それじゃあ、もう一膳、もらってこようかね。私は井上源三郎。君もゆっくりしていきなさい」
穏やかな笑みを浮かべて井上は部屋を出て行った。新八はこっちだと言って千織を上座に近い場所に連れて行く。正面には沖田が座っている。
「こないだ振りだね。手拭い返しに来てくれたの?」
沖田はこの状況を予想していたのだろうか。あまり驚きもないようで、世間話のごとく話し掛けてきた。
「はい…返しに来ただけのつもりだったのですけど…」
――ドタドタドタドタッ
廊下から騒がしい足音が聞こえたかと思うと小柄な少年と大柄で赤髪の男が部屋に飛び込んできた。
「ほら!左之さん、オレの見間違いじゃなかったじゃんか!新八っつぁんが女の子連れて来てるって!!」
「なっ!そんな馬鹿なッ…」
二人は大口を開けてこちらを凝視しつつも、そろりそろりと近寄ってきて物凄い勢いで新八の首に腕を回した。それはもう絞め殺さんばかりに。
「ぐぅ、ぐ、ぐるじぃ…」
新八は二人の腕を叩き、降参の意志を示す。
「新八。てめぇ、いつの間にこんな別嬪さん捕まえてきたんだよ」
「新八っつぁんに…女の子…。オレ、まだ信じらんねえよ」
赤髪の男がニヤニヤと新八の首から肩に腕を回し変え、激しく揺さぶり、小柄な少年はその隣で頭を抱えていた。もがき苦しんでいた新八は二人の言葉に目をぱちくりとさせ、「へぇっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「いやいやいやいや、この子はあれだよ、総司が言ってた矢部道場の女剣士…だろ?」
どこか助けを求めるような目で同意を求めてきたのでやや内容は間違えているが千織は頷いてみせた。
「水瀬千織と申します。…お邪魔しております」
「な、なぁ~んだ、左之さんの勘違いかよ~」
小柄な少年が頭の後ろで手を組み、目を泳がせる。
「あぁ?平助が言い出したんだろ。新八が女を連れて来たって」
「いやいや、左之さんだってッ…「騒がしいぞ、平助、原田」あ、土方さん!」
声のした方を見ると、斎藤と先日の役者顔負けの美丈夫・土方の他に見知らぬ二人の男が立っていた。
「おぉ、君が水瀬君か」
見知らぬ男のうちの一人が千織に声を掛けてきた。千織は立ち上がり頭を下げる。
「初めまして、水瀬と申します」
「あぁ、総司と斎藤君から話は聞いているよ。俺はここの道場主をしている近藤勇だ。で、こっちのしかめっ面をしているのがトシで、こちらが、食客の山南君だ。貧乏道場ゆえ大したもてなしは出来ないが、ゆっくりしていってくれ。君の話も聞いてみたいしな」
近藤は人の良さそうな笑みを浮かべて千織に席につくよう促した。上座に左から土方、近藤、山南が座った。千織は新八に勧められた山南の正面の位置に座った。
「永倉君が無理矢理、連れて来てしまったようで申し訳ありません。彼も悪気はないのですが少々、強引なところがありまして…後で言って聞かせておきますね」
山南は眼鏡を光らせてふふふっと笑みを深めた。このとき千織はこの人だけは怒らせてはいけないと本能的に悟ったのだった。
膳が行き渡り、皆が腰を落ち着けるのを見届けた近藤は一つ頷き声を上げた。
「皆、揃ったな。それでは夕飯を頂こうか。水瀬君も遠慮せず食べてくれ」
近藤に促されて千織はおずおずと膳にあった小鉢に箸をつけた。
簡素ながら丁寧に作られた料理に舌鼓を打っていると、横から食事中に聞かないであろうドタバタと騒がしい音が聞こえた。見ると、永倉と平助と呼ばれていた青年がおかずの取り合いをして箸を突き合っているのだ。「ったく、あいつらは客がいるってのに…」土方が苦い顔をしてそう呟く。二人の攻防を見つめていると、赤髪の男が膳を片手によっこらせと隣に腰を下ろした。
「騒がしくてすまねぇな。俺は原田左之助だ、よろしく」
「水瀬千織です。こちらこそ急にお邪魔してしまって…」
千織が恐縮していると、原田は少し身を屈めて千織にだけ聞こえる声で言った。
「気にすんな。そこの馬鹿二人と俺とかもここに入り浸ってるだけの食客だからな。…それに、タダ飯はしっかり食っとくに限るぜ」
なっ!とあまりに清々しい笑顔で言うので千織は思わず口元が緩んでしまった。
原田とポツポツと話をしていると近藤が膳の前にやって来て「水瀬君はいける口かな?」と銚子を軽く振ってみせた。
「あ、いただきます」
近藤は千織のお猪口に酒を注ぐと、乾杯と脇に置いていた自分のお猪口を千織のに寄せた。カンという小さな音がして千織はお猪口を傾ける。
「そう言えば、水瀬君はどこの道場で剣術を習ったのかな?」
「はい。わずかな間でしたが、桶町千葉道場というところで「え!?千葉道場!ってことは俺と同門じゃんか!」
平助が叫ぶと、近藤が補足してくれた。
「うちでは平助と山南君が北辰一刀流を修めているんだ」
同門だったことで親近感が湧いたのか「俺は藤堂平助!んで、こっちの厳ついのが新ぱっつぁんこと、永倉新八。歳も近そうだし、俺のことは平助でいいぜ!」「おい、厳ついとは何だ、厳ついとは!…まぁいいや、俺は永倉新八!よろしくな、千織ちゃん!」と二人も話の輪に入ってきて、「千葉道場にはどんくらいいたんだ?」「免許とか持ってんの?」「好きな食いもんあるか?」「普段は何やってんだ?」と、次々とやって来る彼らからの質問に目を回しながら千織は慣れない喧噪に流されていくのだった。
「失礼します」
食事が半分ほど進んだところで襖から声がかかった。先程、勝手場で支度していた女性が酒を運んできてくれたようだ。
「あぁ、紹介しよう。これは妻のツネだ」
「ツネです。よろしくお願いいたします」
ツネは美しい所作で頭を下げた。
「水瀬千織と申します。突然の来訪にも関わらず、もてなしていただきありがとうございます」
千織の言葉に小さく「いえ…」と返して、ツネは持ってきた銚子をそれぞれの元に手際よく配っていく。ツネの表情があまり変わらないため、千織はその感情を窺いしれなかった。
「おお!こりゃあ、千織ちゃんが持ってきてくれた酒か!熱燗にしてくれるなんておツネさんも気が利くね~」
新八は嬉しそうにそう零すと、勢いよく立ち上がった。
「よ~し、みんな!今日はこの、千織ちゃんが持ってきてくれた酒で、楽しく飲むぞ~」
新八の音頭に藤堂や原田が乗って、この奇妙な宴はますます熱を上げていくのだった。
ここはドクダミ長屋。名前の通りドクダミが茂る少し傾いた、江戸ではよくある長屋。独り身から子持ちまで多種多様な人々が住んでいる。その奥の、日がやっと差し込む一画の部屋で水瀬千織は一枚の手拭いを前に一人唸っていた。先日、便利屋の仕事で試合をした天然理心流の道場・試衛館で、沖田という青年に借りたそれだ。洗って返すことになったのだが、借りたということは何かお礼の品を添えて返すべきなのか、そしてお礼の品は何にすればいいものなのか、と悩んでいたのだ。
「道場の人達に喜ばれるもの…男所帯だから、お酒とか…?」
便利屋の仕事で手伝った飯屋で美味しそうに酒を飲む男達の姿が思い浮かんだ。この長屋でも隣の隣に住む大工の男が仕事終わりによく酒を飲んで共用の井戸の前で、大きな徳利を抱えて眠りこけている姿をよく見ていた事もあり、千織は江戸っ子は酒好きなのだと自然と刷り込まれてしまっていた。
昼に一件、依頼をこなした千織は酒を買ったその足で試衛館に向かう。酒屋で店主の長々とした酒売り文句に捕まってしまったため、外はすっかり日が暮れていた。家々から漏れる灯りで吐いた息が白くなって消えていくのが見える。今日はやけに寒い。
右手に提げた徳利からちゃぽんちゃぽんと涼しげな音がするが、重量はなかなかのものでやや手に紐が食い込んでいた。酒屋の店主にあれよあれよと言われるまま一升分の酒を買わされたのだ。今月はまだあまり依頼がなく手持ちが寂しい千織としては、これは重量と同じくなかなかの出費だった。そもそも、手拭いを借りた事に対して一升分の酒を渡すというのはどう考えてもお礼にしては行き過ぎだろう。それでも、千織がこの酒を試衛館の人達に渡すのは、神聖な道場で女だからと侮らず、対等な相手として良い試合をさせてもらえた事に対する感謝の気持ちがあったからだ。
――ごぉ~ん、ごぉ~ん
暮れ六つの鐘がなる。思っていたより試衛館に着くのが遅くなってしまったが夕飯時だろうから、この酒も喜んでもらえるはず。千織は自然と歩みを速めていた。
「もし、御免ください」
外門はすでに閉まっていたが、中の道場から人の気配がしていた。声が聞こえたのだろう。誰かが近付いてくるのが分かった。見知らぬ場所を訪ねる時はいつも心が固くなるような緊張感を覚える。外門が薄く開き、滑るように黒い影が出てきた。
「…あんたは」
出てきたのは先日の試合で審判を務めた斎藤という青年だった。見知った人物が出てきた事に少しほっとした千織はさっさと手拭いと酒を渡してしまおうと挨拶もそこそこに本題に入った。
「先日、お世話になった水瀬です。訪問の連絡もなく訪ねてしまい申し訳ないです。実は沖田さんからお借りした手拭いを返しに、あと、これ良ければ道場の皆さんで召し上がってください」
斎藤は千織が差し出した手拭いと酒をじっと見つめ暫し固まり、表情も変えずに答えた。
「用件は理解した、が…手拭いを借りた程度であんたが俺達に酒を振る舞う道理がよく分からんのだが……」
どうやら斎藤は過分なお礼に戸惑ってるようだった。千織がどう返答するべきかと悩んでいると、そこに場違いなほど明るい声が響いた。
「話は聞かせてもらった!この嬢ちゃんがくれるって言ってんだからよぉ。貰っちまえよ、斎藤!」
門からグイッと出てきた男がいつの間にか千織の手から大きな徳利を掻っ攫って頬ずりしていた。斎藤よりも背も体格も大きいにも関わらず、お茶目なその仕草に自然と千織はこの男への警戒心がほどけてしまっていた。
「新八…」
斎藤がどこか呆れたように男の名を呼ぶ。それに気付いているのかいないのか、新八と呼ばれた男は千織に話しかけた。
「嬢ちゃん、あれだろ?総司とやりやったっていう女剣士だろ?総司から話聞いてよ、どんな子か会ってみてぇって思ってたところだ。丁度これから飯食うとこだし。上がってけよ!ほれほれ」
そう言うやいなや、新八は千織をぐいぐい引っ張っていく。
「わ、え、で、でも…」
戸惑いなすがままの千織がちらりと後ろの斎藤を見やると、新八の強引さに呆れながらも千織を連れて行くのには反対していないのだろうか、溜息をついて外門を閉じていた。
道場の横を通り過ぎ母屋らしき建物に入ると、そこは勝手場となっており忙しそうに女性が夕飯の支度をしていた。
「ツネさん、すまねえが、この子にも飯を食わせてやってくれ!」
「…わかりました」
女性は顔だけをこちらに向けて、千織にぺこりと頭を下げた。新八はずんずんと千織を連れて行く。勝手場から上がり少し歩くと居間だろうか広めの部屋にやって来た。既にあらかた食事が運び込まれており、何人かが膳の前いた。その中には沖田もいて千織は小さく頭を下げた。
「おや、永倉君。その子は…」
この中で一番年長者らしい男性が膳を盛り付ける手を止めて声を掛けてきた。
「あぁ、源さん。準備任せきりで悪ぃな。この子はあれだ、前、総司が話してた矢部道場とひと悶着あった時の子だよ」
「あぁ。話には聞いていたけど、こんなに華奢な子だなんて驚いたよ。それじゃあ、もう一膳、もらってこようかね。私は井上源三郎。君もゆっくりしていきなさい」
穏やかな笑みを浮かべて井上は部屋を出て行った。新八はこっちだと言って千織を上座に近い場所に連れて行く。正面には沖田が座っている。
「こないだ振りだね。手拭い返しに来てくれたの?」
沖田はこの状況を予想していたのだろうか。あまり驚きもないようで、世間話のごとく話し掛けてきた。
「はい…返しに来ただけのつもりだったのですけど…」
――ドタドタドタドタッ
廊下から騒がしい足音が聞こえたかと思うと小柄な少年と大柄で赤髪の男が部屋に飛び込んできた。
「ほら!左之さん、オレの見間違いじゃなかったじゃんか!新八っつぁんが女の子連れて来てるって!!」
「なっ!そんな馬鹿なッ…」
二人は大口を開けてこちらを凝視しつつも、そろりそろりと近寄ってきて物凄い勢いで新八の首に腕を回した。それはもう絞め殺さんばかりに。
「ぐぅ、ぐ、ぐるじぃ…」
新八は二人の腕を叩き、降参の意志を示す。
「新八。てめぇ、いつの間にこんな別嬪さん捕まえてきたんだよ」
「新八っつぁんに…女の子…。オレ、まだ信じらんねえよ」
赤髪の男がニヤニヤと新八の首から肩に腕を回し変え、激しく揺さぶり、小柄な少年はその隣で頭を抱えていた。もがき苦しんでいた新八は二人の言葉に目をぱちくりとさせ、「へぇっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「いやいやいやいや、この子はあれだよ、総司が言ってた矢部道場の女剣士…だろ?」
どこか助けを求めるような目で同意を求めてきたのでやや内容は間違えているが千織は頷いてみせた。
「水瀬千織と申します。…お邪魔しております」
「な、なぁ~んだ、左之さんの勘違いかよ~」
小柄な少年が頭の後ろで手を組み、目を泳がせる。
「あぁ?平助が言い出したんだろ。新八が女を連れて来たって」
「いやいや、左之さんだってッ…「騒がしいぞ、平助、原田」あ、土方さん!」
声のした方を見ると、斎藤と先日の役者顔負けの美丈夫・土方の他に見知らぬ二人の男が立っていた。
「おぉ、君が水瀬君か」
見知らぬ男のうちの一人が千織に声を掛けてきた。千織は立ち上がり頭を下げる。
「初めまして、水瀬と申します」
「あぁ、総司と斎藤君から話は聞いているよ。俺はここの道場主をしている近藤勇だ。で、こっちのしかめっ面をしているのがトシで、こちらが、食客の山南君だ。貧乏道場ゆえ大したもてなしは出来ないが、ゆっくりしていってくれ。君の話も聞いてみたいしな」
近藤は人の良さそうな笑みを浮かべて千織に席につくよう促した。上座に左から土方、近藤、山南が座った。千織は新八に勧められた山南の正面の位置に座った。
「永倉君が無理矢理、連れて来てしまったようで申し訳ありません。彼も悪気はないのですが少々、強引なところがありまして…後で言って聞かせておきますね」
山南は眼鏡を光らせてふふふっと笑みを深めた。このとき千織はこの人だけは怒らせてはいけないと本能的に悟ったのだった。
膳が行き渡り、皆が腰を落ち着けるのを見届けた近藤は一つ頷き声を上げた。
「皆、揃ったな。それでは夕飯を頂こうか。水瀬君も遠慮せず食べてくれ」
近藤に促されて千織はおずおずと膳にあった小鉢に箸をつけた。
簡素ながら丁寧に作られた料理に舌鼓を打っていると、横から食事中に聞かないであろうドタバタと騒がしい音が聞こえた。見ると、永倉と平助と呼ばれていた青年がおかずの取り合いをして箸を突き合っているのだ。「ったく、あいつらは客がいるってのに…」土方が苦い顔をしてそう呟く。二人の攻防を見つめていると、赤髪の男が膳を片手によっこらせと隣に腰を下ろした。
「騒がしくてすまねぇな。俺は原田左之助だ、よろしく」
「水瀬千織です。こちらこそ急にお邪魔してしまって…」
千織が恐縮していると、原田は少し身を屈めて千織にだけ聞こえる声で言った。
「気にすんな。そこの馬鹿二人と俺とかもここに入り浸ってるだけの食客だからな。…それに、タダ飯はしっかり食っとくに限るぜ」
なっ!とあまりに清々しい笑顔で言うので千織は思わず口元が緩んでしまった。
原田とポツポツと話をしていると近藤が膳の前にやって来て「水瀬君はいける口かな?」と銚子を軽く振ってみせた。
「あ、いただきます」
近藤は千織のお猪口に酒を注ぐと、乾杯と脇に置いていた自分のお猪口を千織のに寄せた。カンという小さな音がして千織はお猪口を傾ける。
「そう言えば、水瀬君はどこの道場で剣術を習ったのかな?」
「はい。わずかな間でしたが、桶町千葉道場というところで「え!?千葉道場!ってことは俺と同門じゃんか!」
平助が叫ぶと、近藤が補足してくれた。
「うちでは平助と山南君が北辰一刀流を修めているんだ」
同門だったことで親近感が湧いたのか「俺は藤堂平助!んで、こっちの厳ついのが新ぱっつぁんこと、永倉新八。歳も近そうだし、俺のことは平助でいいぜ!」「おい、厳ついとは何だ、厳ついとは!…まぁいいや、俺は永倉新八!よろしくな、千織ちゃん!」と二人も話の輪に入ってきて、「千葉道場にはどんくらいいたんだ?」「免許とか持ってんの?」「好きな食いもんあるか?」「普段は何やってんだ?」と、次々とやって来る彼らからの質問に目を回しながら千織は慣れない喧噪に流されていくのだった。
「失礼します」
食事が半分ほど進んだところで襖から声がかかった。先程、勝手場で支度していた女性が酒を運んできてくれたようだ。
「あぁ、紹介しよう。これは妻のツネだ」
「ツネです。よろしくお願いいたします」
ツネは美しい所作で頭を下げた。
「水瀬千織と申します。突然の来訪にも関わらず、もてなしていただきありがとうございます」
千織の言葉に小さく「いえ…」と返して、ツネは持ってきた銚子をそれぞれの元に手際よく配っていく。ツネの表情があまり変わらないため、千織はその感情を窺いしれなかった。
「おお!こりゃあ、千織ちゃんが持ってきてくれた酒か!熱燗にしてくれるなんておツネさんも気が利くね~」
新八は嬉しそうにそう零すと、勢いよく立ち上がった。
「よ~し、みんな!今日はこの、千織ちゃんが持ってきてくれた酒で、楽しく飲むぞ~」
新八の音頭に藤堂や原田が乗って、この奇妙な宴はますます熱を上げていくのだった。