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初めて出会った時の第一印象は、かっこいいけどヘンなおじさんだなと思った。
上品なスーツを身に着ているのに、時々「つけといてくれ」と言って店を出る。マスターもそれを了承して、特に何も言うことは無い。
一度、ツケの金額が20万円にもなって不安になったけど、その人はどこから用意してきたのか次の日にはちゃんと20万を持ってきてマスターに支払っていた。
その日もお気に入りのウイスキーを飲んで、マスターや常連さんと少しお話をして帰っていった。
まだこのバーで働き始めて日の浅い私はマスターに尋ねた、彼は何者なのかを。
「あの人は赤木さんって言ってね、うちの常連さん。凄腕のギャンブラーだよ」
ギャンブラーと聞いて、正直私はあまりいいイメージは持たなかった。ギャンブルなんてお金をドブに捨てるようなものだ。何が楽しいんだと。
それに、ギャンブルなんてしてないで、ツケずに普通に代金を支払ってほしいものだ。
「そうですか……。赤木さんのツケ、結構な金額でしたから少し不安になって」
「ハハハッ、赤木さんは大丈夫。君も彼と接すれば分かるさ」
「はぁ……」
私は気の抜けた、少々腑に落ちない返事をして業務に戻った。
それからしばらくして、またあの人がやってきた。──赤木しげるさん、彼はカウンターの一番奥の席がお気に入りで、いつもそこに座る。
私は彼のお気に入りのウイスキーのボトルキープを見つけて手に取ると、いつも通りに作る。
クリスタルグラスを取り出し、丸くカットした純氷を入れ、ウイスキーを注ぎ軽くステアすれば完成だ。
「お待たせしました」
「おう、ありがとうよ」
今日は店長が用事があるとの事で遅番だ。
このこじんまりとしたバーの従業員は今のところ私だけだ。
秋の閑散期という事もあり、お客さんも少なく、テーブル席で飲んでいる年若い男女と、出入口付近のカウンター席で飲んでいる中年のサラリーマン二人と、私の目の前にいる赤木さん。
特にこれといった追加の注文の気配もないので、私はグラスをクロスで一つ一つ丁寧に拭いていく。
それからお客さんたちがポツポツ帰っていき、店には私と赤木さんだけになった。
手が空いて、次はなにかする事があるかと考えていたら、ふと声をかけられた。
「なあ、嬢ちゃん」
「は、はい」
「今、手ぇ空いてるだろ?ちょっと付き合ってくれや」
「?」
彼は手招きしており、私は大人しくカウンター越しに赤木さんの前にやってきた。
何事だろうかと少し警戒していると、赤木さんはジャケットの内ポケットからトランプを取り出した。
「暇なジジイにちょいとばかり付き合っちゃあくれねえか?」
ケースからトランプを出すと、慣れた手つきでカードを切っていく。
「で、でも……」
「なぁに、俺と嬢ちゃんしかいねえんだし、誰も見ちゃいねえさ。ずっと立ってるのも退屈だろ」
そう言うと赤木さんはカードを配り始めた。
「で、でも私……強くないですよ」
「いいんだよ、強い弱いなんてのは。ババ抜きでいいか?」
「は、はい」
やっぱり変なおじさんだ、ギャンブラーは皆こうなのかと私は配られたカードを見つめながら思った。
カードを捨てていき、手札が整理される。私の手にババはない。持っているのは赤木さんだろう。
お互い手札を引いていくと、遂に私は赤木さんの手札からババを引いてしまった。
「うっ……」
「ククク、引いちまったな」
「……」
悔しいので、私はカードをシャッフルしてから赤木さんに手札を引いてもらう事にした。
すると、意外にもすぐに赤木さんはババを引いた。内心、私がニンマリしていると赤木さんはあらら…と言って手札をシャッフルして、私に差し出す。
そして最後の最後、手札が少なくなってきた頃に、私は赤木さんからババを引いてしまった。
こんなタイミングになんて事だ、でも確率は1/5だ。また赤木さんがババを引いてくれればいいだけ。私はこの流れに身を任せるも、結局赤木さんのアガりで終わってしまった。
「ほい、おしまい」
「うぅ」
「ククク、嬢ちゃん分かりやすくて、素直で可愛いな」
「も、もう一回っ…!」
私は勝負に熱くなってしまい、赤木さんにもうひと勝負申し込む。
「ただ勝負するだけじゃあつまらねえなぁ。そうだな、負けた方は勝った方の聞かれた事に答えるってのはどうだ?」
「聞かれた事、ですか?そんな事でいいんですか?」
「いいんだよ。相手から金毟ったり服ひん剥くより遥かにマシだろ?」
言われてみたらその通りだ。それに彼はその道では最強のギャンブラーなのだ。寧ろ、そのくらいの事で済むのならこちらとしても好都合だ。
「じゃあ、嬢ちゃんの名前教えてくれや」
「名前、ですか?」
赤木さんはうん、と頷いた。名前なんて、聞かれたらこんな勝負をしなくとも答えるのに。
「名前です」
「名前か、よろしくな。それじゃあもうひと勝負といくか。次はお前がカードを切りな」
ババ抜き二回戦、私が勝ったら赤木さんに何を聞こうかと悩みながら手札を整理していると、お店のドアが勢いよく、大きな音を立てて空いた。
「あっ…赤木さんっ!いるかい!?」
「ま、マスター!?どうされたんですか?!」
マスターが息も絶え絶えになってやってきて、その場にしゃがみ込む。私と赤木さんはそんなマスターに駆け寄った。
「何があった?」
「そ、それが……うっ、けほっ……」
「マスター、お水です、飲んでください」
グラスにミネラルウォーターを注ぎ、マスターに差し出す。ミネラルウォーターをゆっくり飲み干すと、少し落ち着いたのかマスターは話を始めた。
「そ、それが……このビルの土地の権利書が、ヤクザに騙されてもってかれちまって……今日、なんとか代打ちを立てて取り返そうと頑張っているんだが……うちの代打ちがボロボロで、もう……頼れるのは、赤木さんしか……」
「ま、マスター……」
このビルの土地はマスターのお父様のものだと聞いた事はあった。しかし、そんな事になっていたとは知らず、私はただただ呆然とした。
「……分かった、引き受けよう」
「あ、赤木さん……!ありがとう…!ありがとうございます!」
マスターは涙を流して赤木さんに何度も何度も頭を下げた。
「報酬の事はまた後で構わねえ。名前、今日はもう店閉めな。行くぞ」
「えっ、わっ、私もですか!?」
「たりめーよ、ここに一人でいるより俺達といたほうが安全だ。ほれ、店の看板しまいな」
赤木さんに言われるがまま、私は店の看板をしまい、ドアの札を裏返してCLOSEにする。そのままマスターが停めてあったタクシーに乗り、私たちは目的地へ向かった。
向かった先はとある雑居ビルの前。そのビルの裏から階段を登り、三階のドアをマスターは開く。
漂ってくる重苦しい雰囲気と、濃い煙草の匂い。思わず鼻を塞ぎたくなる。
「だっ、代打ちを連れてきた……!勝負再開だ!」
震える声でマスターが言うと、雀卓に着いているヤクザらしき人たちと、それを取り巻くように煙草を吸っている顔つきの悪い人たちがこちらをギロリと睨みつけて見てくる。
「遅かったじゃねえか……って、アンタ……!赤木しげる!」
赤木さんが居ると知るや否や、ヤクザたちの態度が変わる。
動揺、困惑、狼狽、そういった感情がこの雀荘の空気に乗る。
「あ、アンタは……」
「変わりな、ここからは俺が引き受けよう」
マスターの立てた項垂れた代打ちの男性はフラフラとした足取りで立ち上がり、ソファへと座り込んだ。
「おう、それじゃ……はじめようかね」
赤木さんが卓に着くと、その場の空気が一気に変わった。まるで、その場所だけ温度が下がったように。冷たく、暗く、まるで──深海に沈んでしまったようだ。
麻雀は少ししか分からない私だが、赤木さんの凄まじさはすぐに理解できた。
混全帯幺を上手に使った和了、対戦相手の手牌を把握しているかのような打ち方、そしてその豪運。闇の中にいるのに──眩しい火花を、光を見ているようだ。
鮮烈で、強烈で、熾烈なその勝負は──
まさに神憑り。
「ロン、48000点で数え役満だ」
長い長い麻雀の勝負が終わった。ヤクザの人たちは顔を青くして赤木さんの倒した手牌を見つめている。
「や、やったぁー!勝ったー!」
マスターと代打ちの男性は肩を組みながら喜んでいる。
私は赤木さんの後ろでその麻雀を見て──麻雀の虜になっていた。
赤木さんの麻雀は、魔法のようだった。私もあんな風に麻雀ができたら──どれだけ楽しいのだろうか。
赤木さんと勝負ができたら──どれほど楽しいのだろうか。
「凄い……神憑りだ……」
無意識のうちに言葉にしていた。それを聞いていたのか、赤木さんが振り向き、ニヤリと笑った。
「ククク、ありがとうよ。格好つけた甲斐があったってもんだ」
マスターとヤクザの人たちが権利書の受け渡しと一筆を書いている間、私と赤木さんは雀荘の外で待っていた。
「赤木さん、私に麻雀教えてくれませんか?」
「ん?」
「私、赤木さんと麻雀やってみたいんです!赤木さんと勝負したいんです!だから……お願いします!」
頭を下げると、おいおい…と困惑した彼の声色が降ってくる。
「……それじゃあ、バーに戻ったら教えようかね」
私は嬉しくなり、またぺこりと頭を下げてお礼を言った。
それからバーに戻って、マスターの用意してくれた麻雀マットと牌を使って、赤木さんに教えられながら麻雀を打った。
その夜は私が麻雀の楽しさを覚えてしまい、朝まで皆で麻雀をやった。マスターと代打ちの男性、そして赤木さんは朝方とても眠たそうにしていた。
私の我儘に付き合わせてしまって申し訳ないと謝ると、皆笑って許してくれた。若い女の子が麻雀に興味を持ってくれて嬉しい、と言って。
それから私はバーでの仕事を終えると、近くの低レートの雀荘に入り浸り、そこの人達からも麻雀を教えて貰うようになった。
赤木さんにもバーで対局の事を話すと、楽しそうに聞いてくれた。そしてお店が暇な日は相変わらずババ抜き勝負やトランプで遊んでは負けた。
その度に、赤木さんに尋ねられたことに対して私は素直に答えた。
前は何処のバーで働いていたとか、最近あった面白い出来事、誕生日だったり、好きな食べ物だったり、そういった当たり障りのない、聞かれたら素直に答えるような事を彼は聞いてきた。
「最近麻雀はどうよ」
ウイスキーの入ったグラスをゆっくりと傾ける彼は尋ねる。
「最近、大三元和了ったんです…!」
「ほぉー、そりゃすげぇじゃねえか。イカサマ覚えたのか?」
「イカサマしてません、平打ちですよ!……赤木さん、いつ私と勝負してくれるんですか?」
彼はくるくると回していたグラスから視線を外し、私を見て頬杖をついた。
「んー、いつかな」
「もう、そればっかり」
赤木さんと知り合って数年が経つけれど、彼は一向に私と勝負をしてくれる気配がない。
勿論、彼が凄い人で──私なんか相手にならない事は分かっている。それでも、私は少しでも彼に近づきたくて、強くなりたくて麻雀を続けている。
「はははっ、赤木さんと打ったら名前ちゃんの命がないぞ〜。赤木さんは昔、おっかない人だったんだから」
「マスター、昔の赤木さんを知ってるんですか?」
「それはもちろん、赤木さんは昔ねぇ──」
マスターが赤木さんの昔話をしようとした時、その鋭い眼光が光る。
「ククク、マスター……おめえさんの恥ずかしい話を俺はたくさん知っているワケだが……」
「あっ、あぁ〜!やっぱりこの話はやめにしようかな!」
マスターも赤木さんも、どんな人生を歩んできたのかと私はただただ困惑した。恐らく、まともな人生は送ってこなかったのだろう。
「でも赤木さん、いつか勝負してくださいね!約束ですよ!」
私は赤木さんに小指を差し出す。少し面食らったように彼は目を見開くと、それから楽しそうに喉の奥でクツクツと笑うと、私の小指に彼の魔法の指が絡む。
「ああ、約束だ。まあ、名前がもうちっと強くなったらな」
「もちろん!すぐに強くなってみせます!」
それから私は強くなりたくて、色んな雀荘に行って、色んな人と対局をした。
一度だけ、ヤクザの人に声をかけられ代打ちをしないかと話を持ちかけられたけれど、その時は丁寧にお断りした。
あれから半年、赤木さんはお店に来ていない。きっと今でも何処かで代打ちか、別な博奕をしているのだろう。
バーの営業時間が終わり、締め作業をしている時、ドアのベルがカランカランと鳴り響く。
「すみません、本日営業はもう終わってまして……」
振り返って来店したお客さんにそう言うと、そこに彼が立っていた。
「おう、名前。飲みに来たワケじゃあねえんだ」
「赤木さんっ!お久しぶりです!」
駆け寄ると、彼はニッと微笑んでポケットから札束を出した。
「これ、ツケとマスターから借りてた金だ。渡しといてくれねえか?」
「あ、マスターならバックにいるので呼んできますね。マスター!赤木さんが来てます!」
マスターを呼ぶと、バックヤードで作業していたマスターは赤木さんに駆け寄ってきて、そのお金を受け取るとその場で少し何かを話すと、赤木さんをカウンターへ通した。
「名前ちゃんごめんね、赤木さんが一杯だけ飲みたいんだって、君の作ったお酒で」
「私の作ったお酒、ですか?」
「うん、ちょっと話があるみたいだよ」
私は首を傾げつつも、分かりましたと返事をしてシェイカーを出す。
「悪ぃな、名前、こんな時間に」
「赤木さんはこのお店の恩人なんです、これくらいサービスしますよ。何飲みます?」
赤木さんは少し考えると、私を真っ直ぐ見つめて答える。
「お前が思うものを作ってくれや」
「……かしこまりました」
つまりお任せ、というワケだ。赤木さんはウイスキーしか飲まない人だから、こんな事を言うなんて珍しい。
私が思うもの──それならば、と私の脳内にはあるカクテルが浮かんだ。
材料はたった三つ──しかし、その作り手によって味が大きく変わる、″バーテンダーの名刺代わり″とも呼ばれるカクテル。
──ジントニック。
「お待たせしました」
グラスをカウンターに置くと、赤木さんはほぉー、と興味深げに感嘆する。
「ジントニック、か」
「はい、でもただのジントニックじゃあありませんよ」
「?」
「飲めば分かります」
赤木さんはなるほど、と言うと私の作ったジントニックを飲んだ。
「こりゃあ……美味いな、俺好みの味だ」
「少し辛めに作ってみました。赤木さんは辛いお酒の方が好きだと思ったので」
「……ああ、美味いよ。ありがとうな、名前」
赤木さんに褒められて、私は軽く会釈をするけども、その頬はとても緩んでいたに違いない。
「なあ、名前……俺と麻雀勝負しねえか?」
「……えっ、え?」
その言葉に、私は聞き間違いではないかと耳を疑った。あんなに私が勝負をしてと頼んでも、のらりくらりと躱してきた赤木さんが──
最強のギャンブラーが、私に勝負を申し込んできたのだ。
「嫌だったか?」
「い、嫌じゃありませんっ!望むところです!赤木さんとずっとずーっと、勝負したかったんですから!」
私は嬉しくてついカウンターに上半身を乗り出し、赤木さんの顔を覗き込む。
「ククク、いい気合いだ。それじゃあ雀荘に行くかね。お代は……」
赤木さんがポケットからお金を取り出そうとするのを私は止めた。
「お代は結構です、このジントニックは私からの奢りですので」
「あらら、いいのかい?」
「はい、だから赤木さん、全力で来てください。私も全力で行きますから」
そう言うと、赤木さんの切れ長の目がスッと細まる。
「ほぉー、いいだろう。マスター、名前借りるぜ」
「いいけど、ちゃんと五体満足で返してよ」
「それじゃあ行くか、名前」
「はい、すぐに着替えてきますから待っててください!」
私は駆け足でバックヤードに戻り、更衣室で着替えるとマスターに「お疲れ様です」と言って赤木さんと共に雀荘に向かった。
赤木さんの行きつけの雀荘があるらしく、タクシーに乗ってそこへ向かう。その雀荘は少し寂れた雑居ビルの二階に入っている、何の変哲もない雀荘。
そこに入ると店員に通され、卓には二人の男性が待っていた。
「おう、待たせたな」
「赤木さん、その子が今日の対戦相手かい?」
「ああ、そうだ。お前ら付き合わせてわりぃな」
「いえ全然!寧ろ使いパシってください!」
普通のサラリーマンの風貌をした男性二人は、どうやら今日の為にこの雀荘に呼ばれたようだった。
「それじゃあ、始めるとするか」
「はい、よろしくお願いします」
卓につき、牌を中央の投入口に入れていく。自動雀卓とは本当に便利なものだ。
「ルールは半荘三回戦で、俺と名前の点棒を競い合う至ってシンプルなルールだ。それでいいか?」
「構いません」
麻雀牌が、卓の下から姿を現した。
「始めましょう」
半荘一回戦は私が二回連続で跳満で和了り、赤木さんに大差をつけて勝利した。
半荘二回戦、ここから赤木さんの反撃が始まるだろうと私は踏み、慢心はしない。
私の得意なシャボ待ちとカンチャン待ちを駆使して、時にはスピード重視で打っていく。
しかし半荘二回戦の南場、麻雀の不条理とも言える自摸和了。
赤木さんの三倍満 24000点で和了り、一気に差が縮まった。
さて、半荘三回戦──守るか、攻めるか。私は手牌を見て思案する。
点差は6000点、満貫以上が必要だ。しかし手牌があまり良くないので、ここは守りに徹する事にした。
東場を凌ぎ切り南場、私と赤木さんとの点差は8000点になる。ここは軽い手で逃げ切ろう。私はそう考えスピード重視、かつ守に徹する。
しかし、そんな私の考えを読むように、赤木さんは鳴く。
「カン」
赤木さんの暗槓、ドラを表示させると🀝。彼のカンは🀞、これはまずい。断幺九ドラ4、ラス親
の赤木さんが仮にその手牌にまだドラを抱えていたとしたら、跳満になってしまう。
私は打🀁をする。取り敢えず安牌を捨てて様子を見ようと思ったその刹那──
「カン」
赤木さんがまた鳴く。新ドラを捲り、リンシャン牌に手を伸ばし、カチッと牌が置かれる。そして、また手が動いた。
「カン」
嘘でしょ──これじゃあ三槓子、ドラ4、こんなの和了られたら──負けは確定じゃない。
負ける、そう分かっていても最善を尽くすのが麻雀だ。それが麻雀なのだ。
自分の手牌を見て、私はこれならという一枚 🀝を捨てた。そして赤木さんが山に手を伸ばし、牌を引く。
「ククク、こいつは……面白い──カン」
ぞくり、と背筋が凍る。こんなの初めてみた、四槓子だ。私も、卓につく男性達も、リンシャン牌に手を伸ばす赤木さんを、息を飲みながら見つめた。
今、この人は神様にでも成っているのだろうか。それとも、神が取り憑いているのだろうか。
伸ばされるその指に触れた牌に、赤木さんはニヤリと不敵に笑う。
「ツモ」
四槓子 48000点──私は笑うしかなかった。
「ふふふっ、ふふっ、あははははっ!すっごーい!赤木さん凄いです!!」
負けた、完膚なきまでに負けたのに──気分はスカッとして気持ちよくて、心の底から楽しめた。
手に汗握る熱い勝負だった。
朝焼け特有の紫色の空が広がっていた。赤木さんと雀荘を出ると、私は外の空気を吸ってうーんと体を伸ばし、その隣で赤木さんが煙草を吹かす。
「……なあ、名前よ」
名前を呼ばれて彼を見る。赤木さんは神妙な面持ちで空を見つめながら、私にこう尋ねた。
「どうして、ジントニックにしたんだ?」
昨日赤木さんに作ったお酒の事だろう。私は穏やかに微笑むと、赤木さんの目を見て答える。
「″強い意志″──これがジントニックのお酒言葉なんです。赤木さんにピッタリだと思って、ジントニックを作りました」
「強い意志……」
「はい、赤木さんの強くて、真っ直ぐで、どこまでも突き進む姿勢は、まさに強い意志だと思うんです。私、赤木さんのそういうところがカッコよくて、大好きですっ」
彼は目を丸くして驚く。私もそういう意味で言ったワケではないのだが、何だか告白したみたいになってしまって、おろおろと狼狽えていると、その様子を見て赤木さんは笑った。
「ハハハッ、そうか……そうかい」
彼は何処か納得したような、何かを飲み下し受け入れたような、そんな面持ちをしていた。
「ありがとうよ、名前。そうだな、俺は俺らしく……いくかね」
「?」
「俺はこっちだからここでお別れだ。じゃあな、名前」
「はい、今日はありがとうございました。とっても楽しかったです」
「ああ、俺もだ。いい勝負だった」
そう言うと赤木さんは街の中へと歩いていく。朝の静かな街の中、後ろ姿が朝靄と共に溶けていく。その前に、私は彼に声をかける。
「赤木さんっ!」
私の叫んだ声が街に木霊する。彼はゆっくりと振り返った。
「また遊んでくださいねー!」
そう言うと、彼はとっても嬉しそうに二カッと笑うと、おう!と片手を上げて街へと消えていった。
それから彼がお店を尋ねてくる事はなく、季節は巡った。
彼に最後に会ってから一年後、私はマスターから赤木しげるの訃報を聞いた。
彼の最期を、彼の在り方を聞いて私は泣いた。
涙が枯れるまで──。
✽
もう何度、この道を歩いただろうか。今年も私は花束と彼の愛煙していた赤マルと、彼のよく飲んでいたウイスキーボトルを持って、年に何度か通るこの道を歩く。
秋風に抱かれ、サラサラと木々が震える。
今年も彼の墓は去年よりも小さくなっていて、それでもたくさんのお供え物は健在で、彼が人々から愛されていたのが伝わってくる。
「今年も来ましたよー、赤木さん」
花束と赤マル、ウイスキーボトルをお供えすると、私は静かに手を合わせて目を瞑る。
「赤木さん、私また少し麻雀が上手くなったんですよ。最近はお休みの日に麻雀教室の講師をやっているんです。私が講師になるだなんて、思いもしなかったなぁ」
それから赤木さんのお墓の前で近況を報告する。バーのマスターの事、雀荘であった出来事、赤木さんと仲が良かったお客さんの事だったり。
「それから、最近井川さんって雀士の人と仲良くなったんです。彼、とっても強いんですよ。──打ち方が赤木さんに似てて、勝負してて楽しいんです。まだ勝てた事ないけど」
ふと、彼が最後に笑って手を振ってくれたあの日を思い出す。もしかしたら、あの時にはもうアルツハイマーになっていたのかもしれない。
だから、麻雀を忘れてしまう前に私と勝負をしてくれたのだろうか。
彼はたくさんの人に愛され、その命の灯火に自ら息を吹きかけ──消した。
私は彼のようには絶対になれない。
──だからこそ、私は私らしく命の灯火を燃やしていこう。その火が消えるまで、私は私として生きていく。
あの人が──赤木しげるとして生きて、死んだように。
今年も私はこの日になると、このカクテルを作って、月を肴に一杯やる。この日だけは、あの人と飲んでいるような気持ちになれるから。
あの人の在り方のように透明で、強い意志に──。
「乾杯」
ジントニックに花束を
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