short
name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「……真実」
隣を歩く濡場色の髪を伸ばした男は、公園に咲く金木犀を見てポツリと呟いた。
「真実?」
オウム返しする名前は、その男の手を握っていた。
「ほら、金木犀咲いてるだろ?」
彼の指さす方には金木犀の木が佇んでいた。小さなオレンジ色の花を咲かせ、金木犀特有の香りが二人の鼻腔をくすぐる。
「金木犀の花言葉が、真実なんだってさ。あとは、謙虚とか、他にも色々あったけど……忘れちまった」
そう言いながら、少し恥ずかしそうに男は頬を人差し指で掻くと、名前は優しく笑った。
「カイジ君、花言葉詳しいんだね。何処で知ったの?」
「姉貴がさ、一時花言葉覚えるのにハマっててよ。その時よく俺に話してくれたんだ」
「へぇ〜、カイジ君のお姉さんロマンチック」
「そうかぁ?」
カイジ、と呼ばれた男は隣で笑う名前を見て、釣られて微笑む。
ふと、金木犀の木の前で立ち止まり、何となく二人はその可愛らしい花を見つめていた。
「金木犀の香り、好きだなぁ」
「ああ、俺も好きだ」
夜の公園の秋空の下、薄暗い街灯だけが二人を照らす。天気は生憎の曇りだが、さほど寒くなく、寧ろ半袖で心地よいくらいの気温だ。
伊藤開司と名前が付き合う事になったのはほんの二ヶ月前の事。伊藤開司が働くコンビニの新人アルバイトとしてやってきたのが、名前だった。
伊藤開司と性格は真逆で、社交的で明るく、朗らかな彼女は夜の十一時までのシフトで働いている。
伊藤開司はというと、夜の十時からのシフトなので、二人が会う時間はほんの一時間程度だ。
その一時間程度の、アルバイト同士最低限の会話しかしていないつもりの伊藤開司だったが、ある日、名前から連絡先を聞かれた。
アルバイトの事や、急遽シフトを代わってほしい時などに連絡がしたいから、と名前は言っていたがそれは建前。
本当は伊藤開司の事が気になっており、思い切って連絡先を交換したのだ。
伊藤開司はというと、そういう事ならと了承して快く連絡先を交換してくれた。
それから伊藤開司と名前は、メールや電話で一日数回はメッセージのやり取りをする仲になった。
好きなアーティストや、趣味、食べ物、休日はどう過ごしているか、そんな他愛のないやりとりをする事、数ヶ月。
告白してきたのは、名前からだった。
「私、伊藤さんの事が……カイジさんの事が好きです」
「……えっ、ええ!?」
いつもの様にメールのやり取りをして、名前から電話をかけていいかと聞かれたので、伊藤開司は電話に出た。
少し黙り込んだ電話越しの名前から、少しいつもと違う雰囲気を感じとってはいたが、まさか自分が告白されるなど、伊藤開司は思ってもいなかった。
「えっ、えぇっ、お、俺……?」
伊藤開司は思わず自分を指さす。電話越しの名前はうん、と呟いた。
「き、急にごめんなさい……その、私ずっと前から、カイジさんの事が好きだったんです」
名前の震える声が、ケータイのスピーカー越しに伝わる。伊藤開司はこの時、既に名前に好意を持っていた。
毎日のメールのやり取りや、電話での会話、アルバイト先で会う彼女の、明るいところや、意外と強気なところ、好きなアーティストが同じだったり、酒が好きだったりと、付き合うのなら名前のような女性がいいと、伊藤開司は思っていた。
「お、俺なんかで……よければ……!」
「──ッ!?ほ、本当?嬉しい……!カイジさん……ううん、カイジくん、私の方こそ……よろしくね」
こうして若い二人に春が訪れた。8月の末の事だった。
それから季節は流れ秋になり、今に至る。
静かに金木犀を見つめていると、名前が言葉を紡ぐ。
「金木犀ってね、自生できないんだって」
「えっ、そうなのか?」
名前はゆっくり頷くと、何故自生できないのかを語る。
「そう、金木犀って人の手で植えられないと生きられないの……だからね、金木犀を見ると思うんだ」
名前の繋ぐ手が、少し強くなる。
「此処には、金木犀が好きだった人がいたんだって」
彼女はカイジに優しく、愛おしそうに微笑んだ。
──だからね、カイジくん、忘れないで。
──貴方の事が好きな人がいるって事を。
✽
夢を見た。
とても懐かしくて、幸せな夢。
体を起こし、目を擦る。時刻は十五時、いつの間にか昼寝をしてしまっていたらしい。
はぁ、と一つため息をつくと、名前はケータイを開いて待受画面を見る。
待受画面には、去年の今頃にカイジと名前のツーショットが映っていた。金木犀をバックに撮った、秋の一枚だ。
「……カイジ君、何処に行っちゃったの?」
あの公園で最後に会ってから、名前は伊藤開司と連絡が取れていない。それどころか、もう一人のアルバイト店員の佐原という青年も、カイジと同じ時期に行方不明になってしまった。
名前は伊藤開司のアパートを知っていた為、向かうも既に蛻の殻で、大家に事情を聞いても何も話をせず、ただ首を横に振るだけだった。
その後、警察に行って事情を話したのだが、単なる家出、アルバイトをバックれたのだろう、実家にでも逃げたのだろうと取り合ってくれなかった。
その後、名前はあのコンビニでのアルバイトを辞め、別の場所でバイトをしている。
しかし、伊藤開司が好きなのは──今でも変わらない。
今日もアルバイトへ向かうため、上着を羽織りアパートを出る。少し寒くなった秋空の下を、一人歩く。
ザリ、ザリ、とアスファルトを踏み鳴らし、暫く歩いていると、金木犀の香りがした。
ふと顔を上げると、民家の庭に見事な金木犀が植えてあった。
──ここにも、金木犀が好きな人がいるのね。
金木犀を見つめながら歩いていると、ドンッと名前は何かにぶつかってしまった。
身体がよろけ、倒れそうになった所を間一髪で支えられ、なんとか持ち堪える。
「すっ、すみません!余所見をしていて……大丈夫ですか!?」
ふと、顔を上げるとそこには帽子を深く被り、サングラスにマスク、そして軍手を身につけた男性がいた。
その男性は名前を見ると少し驚いたように体を震わせるが、彼女を支えていた手をそっと離す。
男性はコクコクと頷くと、足早に去ってしまった。
「あっ……!」
手を伸ばすも、彼は走って角を曲がって行ってしまった為届かない。
その姿が、雰囲気が、何処か伊藤開司に似ていた。
「……人違い、かな」
ぽつりとそう呟くと、名前は伸ばした腕を下ろして、また歩みを進める。
秋空を見上げ、名前は一粒涙を流した。
「カイジ君、今でも貴方が好き……」
秋風に名前の髪が揺れた。冷たい風が頬を撫で、涙を拭って前を見る。
その名前の後ろ姿を、ぶつかった先の男性──伊藤開司は、角からそっと覗いていた。
「ごめんな、名前」
もう二度と、あの幸せな時間は過ごせない。取り立て屋に追われる日々の伊藤開司は名前が巻き込まれないように、姿を消した。
二度と会うことは無いと思っていた。今日も有り金をパチンコで全て失い、これからどうしようかと街をフラフラしていたら、ふと金木犀の香りがしたので、何となく伊藤開司はその香りがする方へと歩みを進めたのだ。
しかし、偶然にも名前にぶつかり、思わぬかたちで再会した。
彼女は自分に気が付いていなかったが、彼女に触れた時、伊藤開司は思ったのだ。
名前がまだ、好きなのだと。
好きだから、彼女を自分の事情に巻き込まない為にここで去ろう。
一時でも、こんな自分を好きだと言ってくれた名前の為に。名前が幸せに過ごせるように。
ふと、伊藤開司は姉が言っていた金木犀の花言葉を思い出す。
『カイジ、金木犀の花言葉には″真実の愛″ってのもあるのよ』
『離れていても、金木犀の香りのようにハッキリと分かる、隠し切れないもの、それが──』
「真実の愛……」
名前の後ろ姿を見送りながら、伊藤開司はポツリと呟いた。
彼女こそが、自分にとっての真実の愛だったのだと。
金木犀
4/4ページ