悪魔と吸血鬼
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前回のあらすじ
人間社会で暮らす吸血鬼の名前は赤木しげるという人間にその正体がバレてしまった!
しかし彼は名前に興味を持ち、正体を言いふらさないと約束してくれたは良いものの、それ以降やたらと名前は赤木に絡まれる毎日を送っていた。
そして名前の借りているアパートに暫く居候させてくれと言われ、普通に嫌なので断るも赤木は引かず、麻雀勝負で名前が勝ったら大人しく出ていくと言うので、その勝負に乗った。
しかし、透視能力を使っても名前は勝てず、赤木しげるの居候が確定してしまった!
「おはよ、名前さん……」
「おはようじゃなくてただいま、ね」
ボストンバッグを札束でいっぱいにした赤木さんが、代打ちから眠たげに帰ってきた。
「ただいま……」
「はい、おかえりなさい。朝ごはんはどうします?」
「いや、眠いから寝る……」
「はーい、おやすみなさい。私はバイトあるので行ってきますね」
「うん、いってらっしゃい……」
私の生活の中に、一人の悪魔みたいな人間が入り込んできた。名前は赤木しげるという青年だ。
ひょんな事から彼と同居──というか、私の部屋に居座っている。別に私の部屋には盗られるものなんて無いからいいのだけれど。
彼は私の布団に潜り込むとそのまま寝息を立てて眠り始めてしまった。彼を起こさぬように静かにアパートの鉄製の扉を閉めて、私は雀荘へと向かった。
本日の業務をこなす事数時間、時刻は夜の19時に差し掛かる頃で、そろそろ退勤の時間だ。今日は赤木さんが遊びに来なかったから平和に終わった。
きっと今頃、部屋でクークー寝息を立てて眠っているか、暇になって何処かでフラフラしているか、部屋で煙草を吸ってのんびりとしているかの三択だろう。
「お疲れ様です、お先に失礼します」
私は挨拶をして雀荘を出ると、帰りに今日の夕飯の材料を買って帰路に着く。今日はカレーにしよう。
家に着くと赤木さんがいた。
「ただいまー」
「おかえり、名前さん」
赤木さんは案の定、窓を開けて煙草を吸っていて、のんびりと寛いでいた。
「ただいま、今日はずっと家にいたんですか?」
「ああ、昨日は疲れたからね。今日の夕食、なに?」
「カレーです、今から作るから待っててくださいね」
「俺、辛口がいいな」
「残念、私は辛口が苦手なので甘口です」
そう言うと彼は少し残念そうな面持ちをするも、静かにカレーが出来上がるのを待っている。
ワガママで、気まぐれで、フラッと数日どこかへ行っては帰ってくる彼は、まるで猫のようだ。
こうして人間と一緒に住むなんて何百年ぶりの事だから、楽しくて少し浮かれてしまう。
野菜を洗って、適当なサイズにカットしていく。それから野菜と牛肉をバターで焼いて炒めていく。
具材をバターで炒めると、カレーが甘くまろやかになって美味しくなると、百年くらい前に居た何処かの国のおばあさんから教えてもらった。
それから鍋に水をいれて、炒めた野菜たちをいれて火をかける。アクを取って具材が柔らかくなるまで煮込んで、カレー粉と砂糖を入れれば私特製の甘口カレーの完成だ。
「赤木さん、できましたよー」
お皿にカレーを盛り付けて、今日のご飯のできあがり。赤木さんの寛ぐテーブルに置いて、一緒に食べる前に手を合わせる。
「「いただきます」」
お互い食事は静かにするタイプなのか、私たちは食事中はほとんど話さない。ただ静かに、スプーンと食器がカチ、カチ、と微かに当たるだけの音が響く。
でも、今日は違った。
「ねえ、名前さん」
「?」
「明日、予定ある?」
自由な彼がそんなことを聞いてくるのが珍しくて、私は少し呆気にとられるも、ううんと首を横に振った。
「よかった。ねえ、明日デートしようよ」
「はいはい、デートですね………えっ」
カレーを掬ったスプーンが思わず止まる。彼は今、デートと言った?
私の聞き間違いではないかと思い、赤木さんを見ると、彼は満足気に笑っていた。
「今、なんて?」
「だから、デート」
「わ、私と……?」
彼はうん、と言って頷いた。
「ククク、アンタ以外誰がいるの?」
「え、えぇ〜……」
デートという甘やかな響きがなんだか嬉しいような、恥ずかしいような、心臓の辺りがむず痒い感覚がして、口をモゴモゴとさせながら私は狼狽える。
「イヤ?」
「いっ、嫌じゃないっ!けれど、その……私なんかでいいんですか?」
恐る恐る彼を見ると、どうして?とでも言いたげな表情をして小首を傾げた。
「アンタだからだよ、名前さん。俺は目の前の人とデートしたいから誘ってんだ」
そんなストレートに言われると思ってなくて、年甲斐もなく顔を赤くしてしまう。
でも赤木さんの事だ、きっと好奇心でデートしたいのだろう。吸血鬼の女とデートした、なんて人間の人生の中で経験できないだろうから。
それに代打ちで稼いだお金をパーにしたいといったところか。彼の稼いだ100万円、200万円は大体3日後にはほぼ無くなっている。
一体何に使っているのかと聞いたら、キャバレーに使ったり、美味しいものを食べたり、いい所に泊まったりしているのだそうだ。
今回は私でパーっと使ってみようという事かと合点がいき、私はデートを了承した。
「わ、分かりました。明日ですね、何時から行くんですか?」
「午後からだけど、俺は午前中ちょっと出るから。集合場所は銀座に13時で」
「分かりました……それじゃあ明日はよろしくお願いします」
彼にしては珍しく、優しく微笑むと私を見た。
「うん、楽しいデートにするよ」
端正な顔立ちをした青年にそんな事を言われてしまったら、流石の私も照れてしまう。彼に顔が見えないように、なるべく俯いてカレーを食べた。
そしてやってきた当日、彼は「それじゃ、銀座駅前で」とだけ言うと朝の10時に家を出た。
私はクローゼットから唯一持っているオシャレな服を引っ張り出し、それに着替えると化粧をして、髪を巻いてみた。
全身鏡の前に立ち、変なところはないか、服とバッグは似合っているか、色々チェックをする。
そして一通りチェックし終えると、冷静になり私はその場にしゃがみ込んだ。
気合を入れて化粧して、ちょっと地味だけど黒い上品なワンピースを着て、裾をヒラヒラさせて何をやっているんだ!これではまるで少女のようではないか!もうそんな年齢じゃないのに。
「……い、一応飲んでおこう」
家を出る前に血液の入った瓶を一つ飲み干す。往来の場で吸血衝動が出たらたまったもんじゃない。
靴箱から黒いパンプスを出して、それを履いて玄関のドアを開けた。さて、銀座へ向かおう。足取りは自然と軽くなり、ヒールを鳴らして歩いた。
電車に揺られて12時45分に銀座駅前に着いた。
彼はどこだろうと辺りを見渡していると、聞き慣れたテノールの声が私の名前を呼ぶ。
「名前さん」
振り返ると赤木さんがいた。けれど、いつものようなラフな服装ではなく、落ち着いた黒のセットアップに派手な花柄のシャツを着こなしている。
「あ、赤木さん……?」
「ごめん、待った?」
「い、いえ!私も今着いたところなので大丈夫です!」
私は照れているのを悟られないように、彼からスッと視線を外す。こんなの、本当にデートではないか。
「可愛いね、名前さん」
「えっ……?」
「似合ってるよ、その服」
「あ、ありがとう……ございます。赤木さんもお似合いです。その服装」
「ありがとう。あっちに車停めてあるから、行こう」
彼の指さす方には黒いベンツが停めてあった。赤木さんが車を持っているとは聞いた事がないし、恐らくどこかから借りてきたのだろう。
彼に導かれ助手席に座り、シートベルトを着用した。赤木さんは運転席に座ると鍵を差し込み、エンジンをかける。車が発進して、私は赤木さんに何処へ行くのか尋ねた。
「赤木さん、何処へ向かってるんですか?」
「東京タワー」
真っ赤な大きな電波塔、東京タワーへ到着した。テレビで何度か見た事はあったが、実際に来るのは初めてだ。
「わぁ〜、大きい」
「初めて来たがデカいな、これ」
私と赤木さんは並んで東京タワーを見上げる。平日なのにも関わらず大勢の人で賑わっており、カップルや家族が多い。
幸せそうな笑顔の人々を見ていると、こちらも心が洗われるような気持ちになる。
「名前さん、こっち向いて」
赤木さんにそう言われ振り向くと、パシャリとシャッターを切られる音がした。
「あっ……!?」
彼が手に持っているものはポラロイドカメラで、フィルム口から写真が出てくる。彼はそれを手に取るとまだ現像されない黒い写真を見つめる。
「ちょ、ちょっと!急に撮らないでくださいよ〜!」
「ククク、ごめん。じゃあそこに立って、綺麗に撮るから」
「もうっ、お願いしますよー!」
私は姿勢を正すと、赤木さんの構えるカメラレンズを見た。シャッターが切られ、ピカッとフラッシュしたのを確認すると、姿勢を楽にして赤木さんの元へ歩み寄る。
「次は私が赤木さんを撮ってあげますね」
「いや、俺はいいよ」
「えぇ〜」
そんなやり取りをしていると、二人の見知らぬ男女のカップルがこちらにやってきて声をかけた。
「あの、良かったらお二人の写真撮りましょうか?」
物腰の柔らかい小柄な女性がそう提案してきて、私と赤木さんは目を見合せた。
「赤木さん、折角ですから、ね?」
「……分かった」
「それじゃあ撮りますね〜!」
赤木さんは女性にポラロイドカメラを手渡すと、東京タワーの写る場所へと移動する。女性がもっと寄ってほしいと合図を送るので、私が一歩赤木さんに寄ると、彼の手が肩に添えられ、少しだけ引き寄せられる。
「ッ!?」
私が驚いている刹那、シャッターが切られた。
「もう一枚いきますね〜!はい、チーズ!」
背筋を伸ばし、私はなるべく動揺を顔に出さないように努めているが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
「撮れました〜!うふふ、お二人ともお似合いですね。それでは」
「あっ……!あぁ……!」
違う、違うんだお嬢さん、私と赤木さんは付き合ってる訳じゃなくて!そう言いたかったのに咄嗟の事で言葉が出てこなくて、ただただ意味不明な声をあげてしまった。
赤木さんはカメラとフィルムを受け取ると、それを満足気に見つめていた。
「さ、名前さん、中に行こうか」
「………はい」
しかし東京タワーの展望台に入れば、このモヤモヤした気持ちも吹き飛んでしまった。
「わぁああ……!凄い!東京が一望できます!」
「おお、すげえな」
私と赤木さんは大きなガラス窓を覗き込み、東京の街を見渡す。よく晴れているため、麻布周辺の街の向こうには富士山も見える。
「綺麗ですね」
「ああ、綺麗だ」
赤木さんは私をじっと見て鸚鵡返しをしてくる。適当に同調したのかと思って、私は少しムッとする。
「赤木さん、景色見て言わないと説得力ないですよ?」
「いや、アンタが綺麗だ」
「なっ、なぁっ……!?」
訳が分からず、私は口をパクパクとさせてしまう。それに赤木さんも何だか少し照れてるし、なんでそんな──口説き文句のような事を言ってきたんだ、この人は。
「けっ、景色見て言ってくださいよ!もう!……でも、ありがとうございます」
後半は恥ずかしくなりしりすぼみしてしまっていたが、それでも彼はちゃんと聞いていたようで、うんと頷いた。
「歩いて回ろうか」
「は、はい」
私と彼は展望台をゆっくり歩いていく。あそこは築地だとか、あの方角には私のアパートがあるとか、建設中のあのビルは何年後に建つだとか、そんな話をしながら見ていたら、あっという間に一周してしまった。
元いた場所にやってくると、私はまた街の景色を見て、目を細める。
戦争が終わり、日本が復興して、ここで人々が幸せに暮らしている。
歳月を重ね、皆幸せになろうと、より良い明日にしようと努力している。
それは私たち吸血鬼にはないものだ。
永遠の時を生きるから──より良い明日も、幸せも必要ない。
だからこそ思うのだ。
限られた時間の中で紡がれる人の営みは──かくも美しく、愛おしい。
「名前さん」
名前を呼ばれ、赤木さんを見る。彼は相変わらず無表情で、大人っぽいけれど、まだ少し幼さの残る顔立ちをしている。
「楽しい?」
彼がそんなふうに尋ねてくるのが何だか珍しく感じて、私は満面の笑みで答える。
「はいっ!とっても!」
「よかった。もう一周する?」
「ううん、もう大丈夫です」
「そう?じゃあ下の階で何か見ようか」
「はいっ!」
下の階へ降りるとそこは商業施設で、お土産だったり飲食店や雑貨屋、洋服屋が入っていた。
私と赤木さんはお互いの好奇心に任せて色んなお店に入っては無駄なものを買ったり、私は雀荘の仕事仲間達へのお土産を買い、最近流行りのアイスクリームショップがあったのでそこでアイスクリームを食べたりした。
ふと、洋服屋の前に差し掛かると私はショーウィンドウに並ぶ服に目がいった。
真っ白なクラシカルワンピースと、リボンが着いた白いヒール。
可愛い服装だと思った。それにこのクラシカルワンピースも私の好みだ。──でも、可愛い女の子ならまだしも、化物の私には過ぎたものだ。
それに、白は好きだけど血で汚してしまうかもしれないからあまり着れないのも難点。可愛いけれど、これは見送ろうと思った時だった。
「名前さん、この店見ようよ」
「え??あの、ここ……女の子の服のお店ですよ?」
「アンタの服見るの」
「いえ、いいですよ──ってちょっと!?」
赤木さんは私の手を取ると強引に店の中へと入っていく。明るい女性の店員さんがニコニコ笑顔で「いらっしゃいませー」と挨拶をしてきた。
「名前さん、あの服着て」
そう言って彼が指さした先には、私が見ていた白いクラシカルワンピースがあった。
「い、いや、私には似合わな──」
「着て」
「……はい」
こうなった赤木さんは着るまでテコでも動かないのは分かっているので、私は諦めて着る事にした。
まあ、試着するだけならタダだし良いだろう。
「お客様、何か試着されますか?」
「はい、あのワンピースお願いします」
「ご一緒にこちらのヒールもどうでしょう?今年の新作となっております」
「じゃあ、それもお願いします」
そうしてワンピースのサイズと靴のサイズを伝えると、店員さんはすぐに用意してくれて、試着室へ案内された。
黒いワンピースとヒールを脱いで、正反対の白いワンピースを着る。鏡を見て、眩しいほどに白いこの色は、吸血鬼の私にはやっぱり不釣り合いで──似合ってない。
「……まあ、分かってたけど」
気乗りしないが、私は試着室のカーテンを開けた。
「赤木さん、着ましたよ〜」
赤木さんはカーテンの前にある椅子に座っていた。彼は私を見るなり無言になった。やっぱり似合ってなかったか、まあしょうがないし、分かってた事だから良い。
「に、似合ってませんよね……こんな格好──」
「似合ってる」
「──えっ?」
彼は立ち上がると私の前に来て、手を取った。
「すげぇ似合ってる、可愛い。……正直、見惚れた」
そんなストレートに褒められるとは思っていなくて、彼の表情からも、その言葉が本心なんだと読み取れて、私は嬉しいやら恥ずかしいやらで口をきゅっと噤んでしまう。
「………」
「お客様、とってもお似合いです〜!お洋服も靴も完ペキに着こなせてますね!いかがでしょうか?」
「店員さん、この服と靴頼む」
「えっ!?えぇ〜っ!?」
「ありがとうございます!」
「赤木さん何で勝手に買ってるんですか〜!」
「いいじゃない、似合ってるんだし。それに……俺が着てほしいんだ、その服」
「〜〜〜ッ!!わっ、分かりましたから、そんなに色々言わないでください」
彼は私を見ると楽しそうにクツクツと笑う。店員さんにこのまま着ていくか尋ねられたが、それは断って赤木さんが買ってくれた服と靴は紙袋に入れてもらった。
そしてこの服と靴、結構いい値段がしてビックリした。私はやっぱりいいと断ったのだが、彼が引くはずもなく精算を終えて、私達は洋服屋を出た。
「クククククッ、いい買い物だったな」
赤木さんは買った服と靴の入った紙袋を持ってご機嫌な足取りで歩く。
「でも、俺はあそこであの服に着替えてほしかったんだけど。可愛いし、似合ってたし」
「……そ、それはダメっ」
確かにあの場で着替えてもよかった。しかし、恥ずかしいというのもあったが──それよりもっと別の理由が私にはあった。
「どうして?」
「……この服は、次のデートの時に……着たいから、です」
また、彼とデートしたいと思ったから。その時にちゃんと着たいと思ったから。
そう告げると、隣で歩いていた赤木さんが静かになった。私は気になって視線を上げると、彼は少し面食らったような表情をして私を見ている。
やっぱり、次のデートなんて自惚れすぎたか。発言を撤回しようと口を開いた時、彼の方が早かった。
「それって、俺とのデート?」
そう尋ねられ、私は少し間を置いてコクコクと頷いた。
すると、彼が私の手を不意にぎゅっと握ってきた。赤木さんを見ると、嬉しそうに笑っていた。
「クククッ、またデートしような」
年齢相応に笑う彼は、私からしたらそれはそれは子供っぽい。まだ20歳そこそこなんだと感じる。
でも、そんな彼の仕草や表情に胸がときめいてしまって、愛おしく思って──私は「はい」と返事をした。
それから東京タワーを出ると、お腹も空いた頃になり、赤木さんが予約している店があるからとまた車に乗って移動をした。
場所は東京タワーから日本橋へ移り、適当な駐車場に車を駐めると、私と赤木さんは車を降りる。
少し歩くと静かな料亭の前に到着して、赤木さんとそこへ入っていく。
ここ、絶対お値段高い所だ…!と思ったが、そもそも彼はこういった高級料亭に慣れているのか、女将さんに予約していた旨を伝えるとそのまま案内されていく。
でも、2、3日で200万や300万、それ以上のお金を使い果たすのだから、こういう所に慣れていても普通かと私は彼の背中を見て納得した。
個室に通されると、私と赤木さんは座布団に座り腰を落ち着ける。
「少ししたら飯来ると思うから、それまでのんびりしよう」
「は、はい……」
そう言われたけれど落ち着かないものは落ち着かない。そもそもご飯はどんなものが来るのか私は分からなかったので、出されたお茶を飲みつつ、彼に尋ねてみる事にした。
「あ、あの、今日は何を食べるんですか?」
「……フグ…!」
ふぐ料理かと納得し、私は「なるほど」と言うと彼がちょっとだけテンションが高い事が分かった。赤木さんってふぐが好きなのかな?なんて考えていると襖が開き、ふぐ料理が運ばれてきた。
「わぁあ……!美味しそう……!」
上品に盛り付けられたふぐ刺しに、小鉢に入っている季節の野菜を使ったお総菜、ふぐの唐揚げに泳ぎてっちり、色とりどりの手まり寿司、七輪が用意されてふぐの炭火焼き、そして香物にデザートと、ふぐ三昧だ。
「それではごゆっくり」
私と赤木さんは手を合わせ、いただきますと言うと料理を一つ一つ味わっていく。
「わあぁ……美味しいです、これがふぐ料理……!」
「食べるの初めて?」
「はい。まあ、食べようと思えば食べられたんですけど……毒がまわると苦しいので」
「苦しいで済むんだ……」
「まあ、死にませんから」
そう言って私は手まり寿司を食べて舌鼓を打った。これは美味しい、一生食べても飽きないかも。
あれもこれもと夢中になって食べてしまい、私も赤木さんも料理を平らげてしまった。
「はぁ〜、お腹いっぱい。ご馳走さまでした」
「ご馳走さま、美味かったね」
「はいっ!とっても!」
美味しいものを食べた後の幸福感に包まれてお茶を飲んでいると、ふと赤木さんが尋ねてきた。
「ねえ、吸血鬼って本当に死なないの?」
藪から棒に尋ねてくる彼に、私は頷いた。
「はい、死にません。……あっ、でも休眠期間ってのはあるんです」
「休眠期間?」
「ええ。例えば大怪我をして生命源である血を流し過ぎてしまった時、あまりにも長く活動し過ぎて体が摩耗したりすると、私達は眠りにつくんです。再生する為のとても長い眠り──それは50年程度の時もあれば、100年以上の眠りになったりもします」
お茶を飲んで一息ついて、私はまた話す。
「その期間中は棺桶に入って眠っているので……ある意味死んでるかもしれませんね」
「へえ、休眠期間中は棺桶なんだ」
「長い眠りにつくのにずっとベッドやお布団にいるのは不自然じゃないですか。だから、吸血鬼の仲間達で休眠期間中は棺桶に入ろうって事になったんですね」
「なるほど、だから吸血鬼は棺桶で眠ると」
「はい、そうです」
そう答えると彼はじーっと私を見つめてきた。何なんだろうと思っていると、赤木さんは小さく笑った。
「もしアンタが休眠期間になっちまったら、俺が棺桶用意するよ」
「大丈夫でーす。私が休眠期間に入る前に、赤木さんが寿命か病気か、危ない目にあって死ぬと思うので」
縁起でもない事を言ってくるので、私も縁起でもない事を言ってやると、何故か彼は嬉しそうに、楽しそうにまた笑った。
「クククッ、名前さんのそういうところ、好きだ」
「ふふっ、ありがとうございます」
私も彼のそういう所は──嫌いじゃない。
さっぱりしていて、着飾らなくて、いつだって本心を口にするその潔さ。時々こうやってからかってくるところ。
私を吸血鬼だと知っても変わらず接してくれる所が、私は好き。
──あのね、赤木さん。私、人間として暮らして、恋をして、人と愛し合った事はあるけれど……。
──吸血鬼として、″私″として、こんな風に恋をして、街を歩いて、デートをしたのは初めてなんですよ。
彼の運転する車の助手席で、彼の横顔を見て思う。私は──彼が好きなのだと。
「赤木さん、私ね……」
この想いを伝えようと思ったその刹那、私の吸血鬼としての自覚が湧き出てくる。
私は──どこまで行っても化物だ。彼は人間で、私は血を吸う醜い化物。釣り合うわけがないのだから。
「……ううん、なんでもありません」
車内には沈黙が流れる。暫く車を走らせていると、赤信号で停車した。
「名前さん、ちょっと寄りたい所あるんだけどいい?」
「はい、いいですよ」
そう言うと赤木さんはウインカーを出して、青信号になるとその目的地へと向かった。
到着した場所は閑静な公園で、駐車場に車を駐めると長い石階段を登っていく。
石階段を登りきって振り返ると、夕日に照らされた茜色の街並みが広がっていた。
そよそよと吹く風も心地よくて、草木の音に耳を澄ます。
誰もいない静かな公園には、私達の二人だけ。本当に世界から人々が消えてしまったような、そんな感覚になりそうだった。
「いい景色だろ、ここ」
「はい、とっても……」
そうして二人で静かに街並みを眺めていると、赤木さんが口を開いた。
「名前さんは、吸血なのにどうして人間と一緒に暮らすの?」
「どうしたんですか、急に」
「気になってたんだ、どうして人間以上に凄い力が使えるアンタが……人間と暮らしてるのか」
私はどう説明したものかと少し考え、でも、こうとしか説明しようがなくて、言葉を紡いだ。
「赤木さん、この街の景色って……綺麗だと思いませんか?」
「……うん、綺麗だ」
「それと同じなんです」
「同じ……?」
私は頷く。
「私は、人の営みが綺麗だと思ったんです。勿論、戦争や略奪、犯罪、そう言ったものも人の歴史にはあります。けれど、それでも──限られた時間の中で、より良い暮らしを、より良い明日を、より良い未来を築いていこうと歩んでいく。……そんな人間が好きなんです、綺麗だと思うんです。だから、傍で見守っていきたくて、こうして暮らしてるんです」
そう言うと、赤木さんは小さく笑って私を見る。
「そっか、名前さんって、やっぱり変わってて面白いな」
「吸血鬼の仲間にもよく言われます、人間みたいで変わってるって」
「クククッ、違いねえ」
私と赤木さんは笑い合うと、少し公園を散歩しながら話をした。主に赤木さんが私に色々と尋ねてくるかたちだったけれど、こんな風に隠し事をせず、自分の事を話すのは始めてだから楽しかった。
どんな風に生きて、どんな時代を生きて、どんな所で生きたかを、赤木さんに語った。
そして楽しい時間というものはあっという間に過ぎてしまい、赤木さんは私をアパートの前まで送ると、「車を返してくる」と言って一度別れた。
今日はとても楽しかった。こんなに伸び伸びと人と接する事ができたのは初めてで、とても幸せな時間だった。
ああ、本当に──楽しかったなぁ。
その刹那、後頭部に鈍い痛みが走った。
視界が揺らぎ、自分が倒れた事を自覚したのは黒い靴だけが何足か見えたから。
「────!!───!!」
「──っ!!──!」
頭上で誰かが何かを言っている。何て言っているかは分からないけれど、恐らく私はロクな目に遭わないだろう。
毒や薬には強いけれど、血の出る物理攻撃には弱いんだよね、私。血をたくさん吸ってる吸血鬼ならこんなの全然平気だけど、私はそうじゃない。
ここに来て血を飲むことを嫌がっていたツケが回ってくるとは思いもせず、ただただ後悔しながら私は後頭部から広がる血液を眺め、意識を手放した。
人間社会で暮らす吸血鬼の名前は赤木しげるという人間にその正体がバレてしまった!
しかし彼は名前に興味を持ち、正体を言いふらさないと約束してくれたは良いものの、それ以降やたらと名前は赤木に絡まれる毎日を送っていた。
そして名前の借りているアパートに暫く居候させてくれと言われ、普通に嫌なので断るも赤木は引かず、麻雀勝負で名前が勝ったら大人しく出ていくと言うので、その勝負に乗った。
しかし、透視能力を使っても名前は勝てず、赤木しげるの居候が確定してしまった!
「おはよ、名前さん……」
「おはようじゃなくてただいま、ね」
ボストンバッグを札束でいっぱいにした赤木さんが、代打ちから眠たげに帰ってきた。
「ただいま……」
「はい、おかえりなさい。朝ごはんはどうします?」
「いや、眠いから寝る……」
「はーい、おやすみなさい。私はバイトあるので行ってきますね」
「うん、いってらっしゃい……」
私の生活の中に、一人の悪魔みたいな人間が入り込んできた。名前は赤木しげるという青年だ。
ひょんな事から彼と同居──というか、私の部屋に居座っている。別に私の部屋には盗られるものなんて無いからいいのだけれど。
彼は私の布団に潜り込むとそのまま寝息を立てて眠り始めてしまった。彼を起こさぬように静かにアパートの鉄製の扉を閉めて、私は雀荘へと向かった。
本日の業務をこなす事数時間、時刻は夜の19時に差し掛かる頃で、そろそろ退勤の時間だ。今日は赤木さんが遊びに来なかったから平和に終わった。
きっと今頃、部屋でクークー寝息を立てて眠っているか、暇になって何処かでフラフラしているか、部屋で煙草を吸ってのんびりとしているかの三択だろう。
「お疲れ様です、お先に失礼します」
私は挨拶をして雀荘を出ると、帰りに今日の夕飯の材料を買って帰路に着く。今日はカレーにしよう。
家に着くと赤木さんがいた。
「ただいまー」
「おかえり、名前さん」
赤木さんは案の定、窓を開けて煙草を吸っていて、のんびりと寛いでいた。
「ただいま、今日はずっと家にいたんですか?」
「ああ、昨日は疲れたからね。今日の夕食、なに?」
「カレーです、今から作るから待っててくださいね」
「俺、辛口がいいな」
「残念、私は辛口が苦手なので甘口です」
そう言うと彼は少し残念そうな面持ちをするも、静かにカレーが出来上がるのを待っている。
ワガママで、気まぐれで、フラッと数日どこかへ行っては帰ってくる彼は、まるで猫のようだ。
こうして人間と一緒に住むなんて何百年ぶりの事だから、楽しくて少し浮かれてしまう。
野菜を洗って、適当なサイズにカットしていく。それから野菜と牛肉をバターで焼いて炒めていく。
具材をバターで炒めると、カレーが甘くまろやかになって美味しくなると、百年くらい前に居た何処かの国のおばあさんから教えてもらった。
それから鍋に水をいれて、炒めた野菜たちをいれて火をかける。アクを取って具材が柔らかくなるまで煮込んで、カレー粉と砂糖を入れれば私特製の甘口カレーの完成だ。
「赤木さん、できましたよー」
お皿にカレーを盛り付けて、今日のご飯のできあがり。赤木さんの寛ぐテーブルに置いて、一緒に食べる前に手を合わせる。
「「いただきます」」
お互い食事は静かにするタイプなのか、私たちは食事中はほとんど話さない。ただ静かに、スプーンと食器がカチ、カチ、と微かに当たるだけの音が響く。
でも、今日は違った。
「ねえ、名前さん」
「?」
「明日、予定ある?」
自由な彼がそんなことを聞いてくるのが珍しくて、私は少し呆気にとられるも、ううんと首を横に振った。
「よかった。ねえ、明日デートしようよ」
「はいはい、デートですね………えっ」
カレーを掬ったスプーンが思わず止まる。彼は今、デートと言った?
私の聞き間違いではないかと思い、赤木さんを見ると、彼は満足気に笑っていた。
「今、なんて?」
「だから、デート」
「わ、私と……?」
彼はうん、と言って頷いた。
「ククク、アンタ以外誰がいるの?」
「え、えぇ〜……」
デートという甘やかな響きがなんだか嬉しいような、恥ずかしいような、心臓の辺りがむず痒い感覚がして、口をモゴモゴとさせながら私は狼狽える。
「イヤ?」
「いっ、嫌じゃないっ!けれど、その……私なんかでいいんですか?」
恐る恐る彼を見ると、どうして?とでも言いたげな表情をして小首を傾げた。
「アンタだからだよ、名前さん。俺は目の前の人とデートしたいから誘ってんだ」
そんなストレートに言われると思ってなくて、年甲斐もなく顔を赤くしてしまう。
でも赤木さんの事だ、きっと好奇心でデートしたいのだろう。吸血鬼の女とデートした、なんて人間の人生の中で経験できないだろうから。
それに代打ちで稼いだお金をパーにしたいといったところか。彼の稼いだ100万円、200万円は大体3日後にはほぼ無くなっている。
一体何に使っているのかと聞いたら、キャバレーに使ったり、美味しいものを食べたり、いい所に泊まったりしているのだそうだ。
今回は私でパーっと使ってみようという事かと合点がいき、私はデートを了承した。
「わ、分かりました。明日ですね、何時から行くんですか?」
「午後からだけど、俺は午前中ちょっと出るから。集合場所は銀座に13時で」
「分かりました……それじゃあ明日はよろしくお願いします」
彼にしては珍しく、優しく微笑むと私を見た。
「うん、楽しいデートにするよ」
端正な顔立ちをした青年にそんな事を言われてしまったら、流石の私も照れてしまう。彼に顔が見えないように、なるべく俯いてカレーを食べた。
そしてやってきた当日、彼は「それじゃ、銀座駅前で」とだけ言うと朝の10時に家を出た。
私はクローゼットから唯一持っているオシャレな服を引っ張り出し、それに着替えると化粧をして、髪を巻いてみた。
全身鏡の前に立ち、変なところはないか、服とバッグは似合っているか、色々チェックをする。
そして一通りチェックし終えると、冷静になり私はその場にしゃがみ込んだ。
気合を入れて化粧して、ちょっと地味だけど黒い上品なワンピースを着て、裾をヒラヒラさせて何をやっているんだ!これではまるで少女のようではないか!もうそんな年齢じゃないのに。
「……い、一応飲んでおこう」
家を出る前に血液の入った瓶を一つ飲み干す。往来の場で吸血衝動が出たらたまったもんじゃない。
靴箱から黒いパンプスを出して、それを履いて玄関のドアを開けた。さて、銀座へ向かおう。足取りは自然と軽くなり、ヒールを鳴らして歩いた。
電車に揺られて12時45分に銀座駅前に着いた。
彼はどこだろうと辺りを見渡していると、聞き慣れたテノールの声が私の名前を呼ぶ。
「名前さん」
振り返ると赤木さんがいた。けれど、いつものようなラフな服装ではなく、落ち着いた黒のセットアップに派手な花柄のシャツを着こなしている。
「あ、赤木さん……?」
「ごめん、待った?」
「い、いえ!私も今着いたところなので大丈夫です!」
私は照れているのを悟られないように、彼からスッと視線を外す。こんなの、本当にデートではないか。
「可愛いね、名前さん」
「えっ……?」
「似合ってるよ、その服」
「あ、ありがとう……ございます。赤木さんもお似合いです。その服装」
「ありがとう。あっちに車停めてあるから、行こう」
彼の指さす方には黒いベンツが停めてあった。赤木さんが車を持っているとは聞いた事がないし、恐らくどこかから借りてきたのだろう。
彼に導かれ助手席に座り、シートベルトを着用した。赤木さんは運転席に座ると鍵を差し込み、エンジンをかける。車が発進して、私は赤木さんに何処へ行くのか尋ねた。
「赤木さん、何処へ向かってるんですか?」
「東京タワー」
真っ赤な大きな電波塔、東京タワーへ到着した。テレビで何度か見た事はあったが、実際に来るのは初めてだ。
「わぁ〜、大きい」
「初めて来たがデカいな、これ」
私と赤木さんは並んで東京タワーを見上げる。平日なのにも関わらず大勢の人で賑わっており、カップルや家族が多い。
幸せそうな笑顔の人々を見ていると、こちらも心が洗われるような気持ちになる。
「名前さん、こっち向いて」
赤木さんにそう言われ振り向くと、パシャリとシャッターを切られる音がした。
「あっ……!?」
彼が手に持っているものはポラロイドカメラで、フィルム口から写真が出てくる。彼はそれを手に取るとまだ現像されない黒い写真を見つめる。
「ちょ、ちょっと!急に撮らないでくださいよ〜!」
「ククク、ごめん。じゃあそこに立って、綺麗に撮るから」
「もうっ、お願いしますよー!」
私は姿勢を正すと、赤木さんの構えるカメラレンズを見た。シャッターが切られ、ピカッとフラッシュしたのを確認すると、姿勢を楽にして赤木さんの元へ歩み寄る。
「次は私が赤木さんを撮ってあげますね」
「いや、俺はいいよ」
「えぇ〜」
そんなやり取りをしていると、二人の見知らぬ男女のカップルがこちらにやってきて声をかけた。
「あの、良かったらお二人の写真撮りましょうか?」
物腰の柔らかい小柄な女性がそう提案してきて、私と赤木さんは目を見合せた。
「赤木さん、折角ですから、ね?」
「……分かった」
「それじゃあ撮りますね〜!」
赤木さんは女性にポラロイドカメラを手渡すと、東京タワーの写る場所へと移動する。女性がもっと寄ってほしいと合図を送るので、私が一歩赤木さんに寄ると、彼の手が肩に添えられ、少しだけ引き寄せられる。
「ッ!?」
私が驚いている刹那、シャッターが切られた。
「もう一枚いきますね〜!はい、チーズ!」
背筋を伸ばし、私はなるべく動揺を顔に出さないように努めているが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
「撮れました〜!うふふ、お二人ともお似合いですね。それでは」
「あっ……!あぁ……!」
違う、違うんだお嬢さん、私と赤木さんは付き合ってる訳じゃなくて!そう言いたかったのに咄嗟の事で言葉が出てこなくて、ただただ意味不明な声をあげてしまった。
赤木さんはカメラとフィルムを受け取ると、それを満足気に見つめていた。
「さ、名前さん、中に行こうか」
「………はい」
しかし東京タワーの展望台に入れば、このモヤモヤした気持ちも吹き飛んでしまった。
「わぁああ……!凄い!東京が一望できます!」
「おお、すげえな」
私と赤木さんは大きなガラス窓を覗き込み、東京の街を見渡す。よく晴れているため、麻布周辺の街の向こうには富士山も見える。
「綺麗ですね」
「ああ、綺麗だ」
赤木さんは私をじっと見て鸚鵡返しをしてくる。適当に同調したのかと思って、私は少しムッとする。
「赤木さん、景色見て言わないと説得力ないですよ?」
「いや、アンタが綺麗だ」
「なっ、なぁっ……!?」
訳が分からず、私は口をパクパクとさせてしまう。それに赤木さんも何だか少し照れてるし、なんでそんな──口説き文句のような事を言ってきたんだ、この人は。
「けっ、景色見て言ってくださいよ!もう!……でも、ありがとうございます」
後半は恥ずかしくなりしりすぼみしてしまっていたが、それでも彼はちゃんと聞いていたようで、うんと頷いた。
「歩いて回ろうか」
「は、はい」
私と彼は展望台をゆっくり歩いていく。あそこは築地だとか、あの方角には私のアパートがあるとか、建設中のあのビルは何年後に建つだとか、そんな話をしながら見ていたら、あっという間に一周してしまった。
元いた場所にやってくると、私はまた街の景色を見て、目を細める。
戦争が終わり、日本が復興して、ここで人々が幸せに暮らしている。
歳月を重ね、皆幸せになろうと、より良い明日にしようと努力している。
それは私たち吸血鬼にはないものだ。
永遠の時を生きるから──より良い明日も、幸せも必要ない。
だからこそ思うのだ。
限られた時間の中で紡がれる人の営みは──かくも美しく、愛おしい。
「名前さん」
名前を呼ばれ、赤木さんを見る。彼は相変わらず無表情で、大人っぽいけれど、まだ少し幼さの残る顔立ちをしている。
「楽しい?」
彼がそんなふうに尋ねてくるのが何だか珍しく感じて、私は満面の笑みで答える。
「はいっ!とっても!」
「よかった。もう一周する?」
「ううん、もう大丈夫です」
「そう?じゃあ下の階で何か見ようか」
「はいっ!」
下の階へ降りるとそこは商業施設で、お土産だったり飲食店や雑貨屋、洋服屋が入っていた。
私と赤木さんはお互いの好奇心に任せて色んなお店に入っては無駄なものを買ったり、私は雀荘の仕事仲間達へのお土産を買い、最近流行りのアイスクリームショップがあったのでそこでアイスクリームを食べたりした。
ふと、洋服屋の前に差し掛かると私はショーウィンドウに並ぶ服に目がいった。
真っ白なクラシカルワンピースと、リボンが着いた白いヒール。
可愛い服装だと思った。それにこのクラシカルワンピースも私の好みだ。──でも、可愛い女の子ならまだしも、化物の私には過ぎたものだ。
それに、白は好きだけど血で汚してしまうかもしれないからあまり着れないのも難点。可愛いけれど、これは見送ろうと思った時だった。
「名前さん、この店見ようよ」
「え??あの、ここ……女の子の服のお店ですよ?」
「アンタの服見るの」
「いえ、いいですよ──ってちょっと!?」
赤木さんは私の手を取ると強引に店の中へと入っていく。明るい女性の店員さんがニコニコ笑顔で「いらっしゃいませー」と挨拶をしてきた。
「名前さん、あの服着て」
そう言って彼が指さした先には、私が見ていた白いクラシカルワンピースがあった。
「い、いや、私には似合わな──」
「着て」
「……はい」
こうなった赤木さんは着るまでテコでも動かないのは分かっているので、私は諦めて着る事にした。
まあ、試着するだけならタダだし良いだろう。
「お客様、何か試着されますか?」
「はい、あのワンピースお願いします」
「ご一緒にこちらのヒールもどうでしょう?今年の新作となっております」
「じゃあ、それもお願いします」
そうしてワンピースのサイズと靴のサイズを伝えると、店員さんはすぐに用意してくれて、試着室へ案内された。
黒いワンピースとヒールを脱いで、正反対の白いワンピースを着る。鏡を見て、眩しいほどに白いこの色は、吸血鬼の私にはやっぱり不釣り合いで──似合ってない。
「……まあ、分かってたけど」
気乗りしないが、私は試着室のカーテンを開けた。
「赤木さん、着ましたよ〜」
赤木さんはカーテンの前にある椅子に座っていた。彼は私を見るなり無言になった。やっぱり似合ってなかったか、まあしょうがないし、分かってた事だから良い。
「に、似合ってませんよね……こんな格好──」
「似合ってる」
「──えっ?」
彼は立ち上がると私の前に来て、手を取った。
「すげぇ似合ってる、可愛い。……正直、見惚れた」
そんなストレートに褒められるとは思っていなくて、彼の表情からも、その言葉が本心なんだと読み取れて、私は嬉しいやら恥ずかしいやらで口をきゅっと噤んでしまう。
「………」
「お客様、とってもお似合いです〜!お洋服も靴も完ペキに着こなせてますね!いかがでしょうか?」
「店員さん、この服と靴頼む」
「えっ!?えぇ〜っ!?」
「ありがとうございます!」
「赤木さん何で勝手に買ってるんですか〜!」
「いいじゃない、似合ってるんだし。それに……俺が着てほしいんだ、その服」
「〜〜〜ッ!!わっ、分かりましたから、そんなに色々言わないでください」
彼は私を見ると楽しそうにクツクツと笑う。店員さんにこのまま着ていくか尋ねられたが、それは断って赤木さんが買ってくれた服と靴は紙袋に入れてもらった。
そしてこの服と靴、結構いい値段がしてビックリした。私はやっぱりいいと断ったのだが、彼が引くはずもなく精算を終えて、私達は洋服屋を出た。
「クククククッ、いい買い物だったな」
赤木さんは買った服と靴の入った紙袋を持ってご機嫌な足取りで歩く。
「でも、俺はあそこであの服に着替えてほしかったんだけど。可愛いし、似合ってたし」
「……そ、それはダメっ」
確かにあの場で着替えてもよかった。しかし、恥ずかしいというのもあったが──それよりもっと別の理由が私にはあった。
「どうして?」
「……この服は、次のデートの時に……着たいから、です」
また、彼とデートしたいと思ったから。その時にちゃんと着たいと思ったから。
そう告げると、隣で歩いていた赤木さんが静かになった。私は気になって視線を上げると、彼は少し面食らったような表情をして私を見ている。
やっぱり、次のデートなんて自惚れすぎたか。発言を撤回しようと口を開いた時、彼の方が早かった。
「それって、俺とのデート?」
そう尋ねられ、私は少し間を置いてコクコクと頷いた。
すると、彼が私の手を不意にぎゅっと握ってきた。赤木さんを見ると、嬉しそうに笑っていた。
「クククッ、またデートしような」
年齢相応に笑う彼は、私からしたらそれはそれは子供っぽい。まだ20歳そこそこなんだと感じる。
でも、そんな彼の仕草や表情に胸がときめいてしまって、愛おしく思って──私は「はい」と返事をした。
それから東京タワーを出ると、お腹も空いた頃になり、赤木さんが予約している店があるからとまた車に乗って移動をした。
場所は東京タワーから日本橋へ移り、適当な駐車場に車を駐めると、私と赤木さんは車を降りる。
少し歩くと静かな料亭の前に到着して、赤木さんとそこへ入っていく。
ここ、絶対お値段高い所だ…!と思ったが、そもそも彼はこういった高級料亭に慣れているのか、女将さんに予約していた旨を伝えるとそのまま案内されていく。
でも、2、3日で200万や300万、それ以上のお金を使い果たすのだから、こういう所に慣れていても普通かと私は彼の背中を見て納得した。
個室に通されると、私と赤木さんは座布団に座り腰を落ち着ける。
「少ししたら飯来ると思うから、それまでのんびりしよう」
「は、はい……」
そう言われたけれど落ち着かないものは落ち着かない。そもそもご飯はどんなものが来るのか私は分からなかったので、出されたお茶を飲みつつ、彼に尋ねてみる事にした。
「あ、あの、今日は何を食べるんですか?」
「……フグ…!」
ふぐ料理かと納得し、私は「なるほど」と言うと彼がちょっとだけテンションが高い事が分かった。赤木さんってふぐが好きなのかな?なんて考えていると襖が開き、ふぐ料理が運ばれてきた。
「わぁあ……!美味しそう……!」
上品に盛り付けられたふぐ刺しに、小鉢に入っている季節の野菜を使ったお総菜、ふぐの唐揚げに泳ぎてっちり、色とりどりの手まり寿司、七輪が用意されてふぐの炭火焼き、そして香物にデザートと、ふぐ三昧だ。
「それではごゆっくり」
私と赤木さんは手を合わせ、いただきますと言うと料理を一つ一つ味わっていく。
「わあぁ……美味しいです、これがふぐ料理……!」
「食べるの初めて?」
「はい。まあ、食べようと思えば食べられたんですけど……毒がまわると苦しいので」
「苦しいで済むんだ……」
「まあ、死にませんから」
そう言って私は手まり寿司を食べて舌鼓を打った。これは美味しい、一生食べても飽きないかも。
あれもこれもと夢中になって食べてしまい、私も赤木さんも料理を平らげてしまった。
「はぁ〜、お腹いっぱい。ご馳走さまでした」
「ご馳走さま、美味かったね」
「はいっ!とっても!」
美味しいものを食べた後の幸福感に包まれてお茶を飲んでいると、ふと赤木さんが尋ねてきた。
「ねえ、吸血鬼って本当に死なないの?」
藪から棒に尋ねてくる彼に、私は頷いた。
「はい、死にません。……あっ、でも休眠期間ってのはあるんです」
「休眠期間?」
「ええ。例えば大怪我をして生命源である血を流し過ぎてしまった時、あまりにも長く活動し過ぎて体が摩耗したりすると、私達は眠りにつくんです。再生する為のとても長い眠り──それは50年程度の時もあれば、100年以上の眠りになったりもします」
お茶を飲んで一息ついて、私はまた話す。
「その期間中は棺桶に入って眠っているので……ある意味死んでるかもしれませんね」
「へえ、休眠期間中は棺桶なんだ」
「長い眠りにつくのにずっとベッドやお布団にいるのは不自然じゃないですか。だから、吸血鬼の仲間達で休眠期間中は棺桶に入ろうって事になったんですね」
「なるほど、だから吸血鬼は棺桶で眠ると」
「はい、そうです」
そう答えると彼はじーっと私を見つめてきた。何なんだろうと思っていると、赤木さんは小さく笑った。
「もしアンタが休眠期間になっちまったら、俺が棺桶用意するよ」
「大丈夫でーす。私が休眠期間に入る前に、赤木さんが寿命か病気か、危ない目にあって死ぬと思うので」
縁起でもない事を言ってくるので、私も縁起でもない事を言ってやると、何故か彼は嬉しそうに、楽しそうにまた笑った。
「クククッ、名前さんのそういうところ、好きだ」
「ふふっ、ありがとうございます」
私も彼のそういう所は──嫌いじゃない。
さっぱりしていて、着飾らなくて、いつだって本心を口にするその潔さ。時々こうやってからかってくるところ。
私を吸血鬼だと知っても変わらず接してくれる所が、私は好き。
──あのね、赤木さん。私、人間として暮らして、恋をして、人と愛し合った事はあるけれど……。
──吸血鬼として、″私″として、こんな風に恋をして、街を歩いて、デートをしたのは初めてなんですよ。
彼の運転する車の助手席で、彼の横顔を見て思う。私は──彼が好きなのだと。
「赤木さん、私ね……」
この想いを伝えようと思ったその刹那、私の吸血鬼としての自覚が湧き出てくる。
私は──どこまで行っても化物だ。彼は人間で、私は血を吸う醜い化物。釣り合うわけがないのだから。
「……ううん、なんでもありません」
車内には沈黙が流れる。暫く車を走らせていると、赤信号で停車した。
「名前さん、ちょっと寄りたい所あるんだけどいい?」
「はい、いいですよ」
そう言うと赤木さんはウインカーを出して、青信号になるとその目的地へと向かった。
到着した場所は閑静な公園で、駐車場に車を駐めると長い石階段を登っていく。
石階段を登りきって振り返ると、夕日に照らされた茜色の街並みが広がっていた。
そよそよと吹く風も心地よくて、草木の音に耳を澄ます。
誰もいない静かな公園には、私達の二人だけ。本当に世界から人々が消えてしまったような、そんな感覚になりそうだった。
「いい景色だろ、ここ」
「はい、とっても……」
そうして二人で静かに街並みを眺めていると、赤木さんが口を開いた。
「名前さんは、吸血なのにどうして人間と一緒に暮らすの?」
「どうしたんですか、急に」
「気になってたんだ、どうして人間以上に凄い力が使えるアンタが……人間と暮らしてるのか」
私はどう説明したものかと少し考え、でも、こうとしか説明しようがなくて、言葉を紡いだ。
「赤木さん、この街の景色って……綺麗だと思いませんか?」
「……うん、綺麗だ」
「それと同じなんです」
「同じ……?」
私は頷く。
「私は、人の営みが綺麗だと思ったんです。勿論、戦争や略奪、犯罪、そう言ったものも人の歴史にはあります。けれど、それでも──限られた時間の中で、より良い暮らしを、より良い明日を、より良い未来を築いていこうと歩んでいく。……そんな人間が好きなんです、綺麗だと思うんです。だから、傍で見守っていきたくて、こうして暮らしてるんです」
そう言うと、赤木さんは小さく笑って私を見る。
「そっか、名前さんって、やっぱり変わってて面白いな」
「吸血鬼の仲間にもよく言われます、人間みたいで変わってるって」
「クククッ、違いねえ」
私と赤木さんは笑い合うと、少し公園を散歩しながら話をした。主に赤木さんが私に色々と尋ねてくるかたちだったけれど、こんな風に隠し事をせず、自分の事を話すのは始めてだから楽しかった。
どんな風に生きて、どんな時代を生きて、どんな所で生きたかを、赤木さんに語った。
そして楽しい時間というものはあっという間に過ぎてしまい、赤木さんは私をアパートの前まで送ると、「車を返してくる」と言って一度別れた。
今日はとても楽しかった。こんなに伸び伸びと人と接する事ができたのは初めてで、とても幸せな時間だった。
ああ、本当に──楽しかったなぁ。
その刹那、後頭部に鈍い痛みが走った。
視界が揺らぎ、自分が倒れた事を自覚したのは黒い靴だけが何足か見えたから。
「────!!───!!」
「──っ!!──!」
頭上で誰かが何かを言っている。何て言っているかは分からないけれど、恐らく私はロクな目に遭わないだろう。
毒や薬には強いけれど、血の出る物理攻撃には弱いんだよね、私。血をたくさん吸ってる吸血鬼ならこんなの全然平気だけど、私はそうじゃない。
ここに来て血を飲むことを嫌がっていたツケが回ってくるとは思いもせず、ただただ後悔しながら私は後頭部から広がる血液を眺め、意識を手放した。