月を見ていた
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ガチャリ、という玄関ドアの開く音で目が覚めた。
時計を見ると9時半を少し過ぎた頃。昨日自分は麻雀を終えて、それから熱を出して、赤木という男性が部屋まで運んでくれた事を思い出す。
その事から推察するに、きっと赤木が部屋を出て氷嚢を買いに行ったのだと美月は思った。
冷たい濡れタオルを額から布団の脇に置くと、だるい身体をなんとか起こしてタバコ臭くなった制服からパジャマに着替えた。
──タオル、冷たい……赤木さん、ずっと看病しててくれたんだ。
机の上には解熱剤と水の入ったコップが置いてある。美月は薬を飲むとまたベッドに入って体を休める。
しばらくすると赤木が帰ってきた。
「赤木さん、おかえりなさい」
「ただいま……永代さん、体調は大丈夫?」
「はい、昨日よりは大分楽になりました。ありがとうございます」
「そっか、良かった。氷嚢買ってきたから使いな」
「ありがとうございます、何から何まで。あの、私の事ならもう大丈夫ですから……」
そう言いかけた時、赤木の手が美月の首元に触れた。
「ひゃっ……!」
驚いて思わず美月は体を震わせ、小さく悲鳴を上げてしまう。それに対して赤木は無表情で美月の体温を掌で感じている。
「……まだ熱あるじゃない。ちょっと台所借りるよ」
「え、あ、あの……」
「腹減ったでしょ?何か食べないと治るモンも治らないよ」
「は、はい……」
有無を言わせず赤木は台所へと向かい料理支度を始める。美月はその間布団で大人しく待っていたものの、思うところがあり自然と涙が出てきていた。
その涙の理由と感情を理解して、美月はパジャマの袖で涙を拭いた。
──そっか、家に帰っても誰も居なくて、心細くて寂しかったんだ……こんなふうに誰かが居てくれるって、やっぱりいいなぁ。
顔を上げて台所に立つ赤木を見て、美月は嬉しさから微笑んだ。しばらくするとお粥と味噌汁を赤木が持ってきてくれた。
「ありがとうございます、いただきます」
「ああ」
食事をしている美月を見て、赤木は取り敢えず安心した。顔色も昨日より良くなっており、明日には回復するだろう。
ふと、赤木は美月の部屋の学習机に目が行った。机の上には教科書とノート、筆記用具、そして白い写真立ての中に両親と共に写る幼い頃の美月の写真が飾られている。
「…… 永代さんは一人暮らしなの?」
「はい、ほんのつい最近始めました。家は売りに出してしまったので」
「そっか……」
赤木はその発言から色々と事情を察した。家を売りにだしてもなお、昨日のヤクザからの借金があったのだろう。
想像できる、彼女がヤクザに囲まれ麻雀での勝負を持ちかけられているところが。
そして彼女の性格からするに、周りに迷惑をかけるくらいなら自分が受けると決めてその勝負を受けたのだろう。
──高校生の女の子相手に、よってたかって何やってんだか……。
赤木は内心で悪態をついた。
「昨日の君の麻雀、凄かったよ」
「そ、そうなんですか?」
きょとんとする美月に対して赤木は頷いた。
「ああ、天和で国士無双十三面待ちなんてこれからの人生でもう拝めないんじゃないかな?それこそ、昨晩で一生分の運を使い果たしたくらいにはね」
「そ、そんな……まだ運はあってほしいです」
「ククク…冗談だよ。でもそれくらい凄い事だったんだぜ?連中も面食らってたしね」
「ふふっ、皆さん驚いてましたもんね」
軽く談笑できるほどに美月の体調は回復したようで、お粥と味噌汁も残さず食べ、ご馳走様でしたと両手を合わせた。
「ご馳走様でした、美味しかったです」
「そう、なら良かった」
すると、ふぁ…と赤木は欠伸をした。それを見た美月は昨晩赤木が自分の事をつきっきりで看病してくれたのだと確信する。
「赤木さん、この通り体調はすっかり良くなりました。ありがとうございます。私は大丈夫ですから赤木さんもご自宅に戻ってゆっくりお休みになってください。赤木さんが風邪を引いては元も子もありませんし」
「……」
じっ…と赤木に見つめられ、美月は少し困ったような表情をしつつも言葉を紡ぐ。
「あの、本当に大丈夫ですから。後日改めてお礼をしたいので、良かったら……」
「礼なんていいさ。俺の気まぐれみたいなモンだしな」
「だ、ダメです!赤木さんは命の恩人なんです!ちゃんとお礼がしたいんです!」
赤木は美月を見て、少しだけ考える。
「そこまで言うんならそうだな……来週の土曜日の昼頃空いてる?」
「はい、空いてます」
「なら永代さんにして欲しい事があるんだ。お礼はそれでいいよ」
「はい、喜んでやらせて頂きます!玄関までお送りしますね」
美月は立ち上がると玄関まで赤木を見送った。
「じゃ、土曜日のお昼頃にまた来るから。その時に」
「はい、本当にありがとうございます。ではまた土曜日にお会いしましょう」
ぺこりと美月は赤木に頭を下げてお礼をする。そんな美月が微笑ましく思い、赤木も僅かに笑った。
「クク、楽しみにしてるよ」
赤木は美月の部屋を出ると、アパートの前に居る黒服の男に視線をやる。黒服の男は美月の部屋の窓を見つめていた。
明らかに怪しいと思ったが、昨晩の美月の父親の借金の事でやってきたのだろうと思い、赤木はその場を後にした。
赤木と美月の家はそう離れておらず、路面電車で2駅ほどしか変わらない場所にあった。
あれから2日が過ぎて月曜日になった。
彼女は順調に回復しただろうか。普通の生活を送れているだろうか、と漠然と赤木は考える。
一晩の出会いとはいえ、あの永代 美月という少女はしっかりしているが一人にしておくには少々危なっかしい。
今日は特に代打ちの予定もない赤木は暇を持て余し外へと出た。
夕方18時発の路面電車に乗り、2駅目で降りる。駅から歩いて10分ほどの場所に、2日前に向かった木造アパート さくら荘が見えた。そこの204号室の部屋の窓を見ると、敷かれたカーテンの隙間から電気の明かりが見える。
するとカーテンが開き、タオルを物干し竿に干す美月の姿が見えた。
元気そうにしている彼女を見て一安心した赤木は自宅へ帰る事にした。
踵を返し、駅までの道のりを歩く。
「……何してるんだかな」
タバコに火を付け、煙を吐くと赤木は小さく呟いた。
土曜日 美月は私服に着替えて部屋で赤木が来るのを待っていた。身だしなみは問題ないかと鏡の前で再度確認している時、部屋のチャイムが鳴った。
「はーい!」
返事をしてバッグを持って、パタパタと美月は玄関へと向かう。ドアを開けると、見慣れた白髪の青年が立っていた。
「赤木さん!こんにちは」
「こんにちは、永代さん。元気?」
「はい、お陰様でこの通り元気です」
「良かった、じゃあ行こうか」
「はい!」
美月は部屋を出て鍵を閉めるとアパートの階段を赤木と降りていく。その足取りは軽く、赤木が来るのを楽しみにしていたようだ。
「赤木さん、私にして欲しい事ってなんですか?」
「俺の仲間内で麻雀やるんだけどそのメンツに入ってほしくてね。ああ、前みたいな借金がどうとかじゃあないから安心しなよ」
そう伝えると美月はホッとした表情を浮かべていた。
「つまり普通の麻雀って事ですね、わかりました!私でよろしければ」
屈託のない笑みを浮かべる美月。
この時の彼女はまだ知らなかった──まさかこれから始まる事がヤクザの麻雀の代打ちで、大金を賭けた勝負になる事になるとは。
待ち合わせしている喫茶店に着くと、赤木は席を見渡し、店内の端の席へと歩みを進める。
そこにはサングラスを着けたスーツの男がコーヒーを飲んでいた。
「来たか、赤木」
「どうも、石川さん」
石川はコーヒーを一口飲むと赤木に視線を向けた。
「で、例の相方はどこだ?」
「ここに居るでしょ、この人が永代さん」
「はじめまして、永代 美月です」
赤木の後ろから現れた白いワンピースに桜色のカーディガンを着た少女を見て、石川と呼ばれた男性は面食らっていた。
赤木と同じくらいの年齢、はたまた少し年下だろうか。
本日はよろしくお願いします、と礼儀正しく頭を下げる少女を見て、石川は困惑しつつもよろしく、と答えた。
「石川さん、どうかした?」
「い、いや、何でもない。ただ、赤木の相方って言うからてっきり男だと思っていてな。ちょっと驚いただけだ」
「ああ、なるほど」
赤木がそう言うと石川は立ち上がる。
「車を用意してある。行くぞ、二人とも」
「はいっ」
喫茶店を出ると赤木は無言で石川の車に乗り、美月はよろしくお願いしますと一言添えて車に乗った。
──言葉遣いや立ち振る舞いからして随分と育ちのいいお嬢さんだな。本当にこの子が麻雀やるのか……?
「永代さん、あの後大丈夫だった?」
「はい、熱も引いてこの通り元気です、本当にありがとうございました」
「いいよ、礼なんて」
そう言うと赤木は車窓を開けるとタバコに火をつける。
「赤木さんって普段はどう過ごされてるんですか?」
少し考えると赤木は答える。
「適当な雀荘で打ってるかな。それからこうやって石川さんに頼まれて打ってる」
「そうなんですね、雀荘はこの前行ったきりです」
「ま、女の子が一人で来るところじゃないからね…… 永代さんは学校どうなの?」
学校という言葉に石川に電流走る。
──学校!?この子じゃあ高校生くらいか!?どういう経緯で赤木と知り合ったんだ……?
「学校は友達と毎日楽しく過ごしています。今は受験シーズンなので放課後に勉強会をしているんです」
「へぇ、そうなんだ。永代さんも大学行くの?」
「はい、私も進学予定です」
そんな二人の他愛のない話聞きながら石川は車を運転する。
──にしてもどこまでも普通のお嬢さんだが……本当に大丈夫なのか?
車は目的地の料亭の前に到着し、石川、赤木、美月は車から降りた。
美月は目の前にある高級料亭を見て首を傾げる。
「料亭……ですか?」
「ここで麻雀やるんだ。行くよ」
「あ、はいっ」
石川の後に続いて赤木と美月は料亭へと入った。石川は別室らしくそこで別れ、女将に通され個室へと案内される。
暫く待っていると赤木と美月の食事が運ばれてきた。
豪華な懐石料理が机にずらりと並び、美月は何が何やらで呆然としていた。
「あの、赤木さん、これは……?」
「お腹空いたでしょ?食べなよ。……ああ、お代なら石川さんのところが出してるから大丈夫だよ」
「い、石川さんがですか……!?後でお礼をお伝えしないとですね。それでは……」
姿勢を正すと、美月は両手を合わせる。
「いただきます」
「……いただきます」
それに釣られるように赤木も言うと、食事を始める。
「赤木さん」
「ん?」
「美味しいですね」
「……そうだね」
幸せそうに食事をする美月、それに対して淡々と食事をする赤木。ふと、赤木は美月の方を見た。魚の煮付けを箸先を使って器用に切り分け、一口サイズにして口に運ぶ。その一連の所作がゆっくり、だが流れるように美しいと感じた。
──この人、本当に育ちがいいんだな……。
礼儀正しく、育ちが良く、きちんと学校にも通い、真面目で普通の生活を今まで送ってきたのだろうと美月を見て思う。
しかしあの夜、赤木は美月にある違和感を感じていた。
まだその違和感は輪郭すらなく、朧気で手を伸ばせば消えてしまいそうなものだが──今日、ここでそれを暴く為に赤木は美月を連れてきたのだ。
「ご馳走様でした」
両手を合わせて美月は言う。赤木も美月に倣って手を合わせて言った。
「……ご馳走様」
その時、襖の外から赤木と美月を呼ぶ男の声がした。
「赤木、永代さん、いるか?」
「はい、います」
石川が襖を開けると、美月は姿勢を正して石川にお礼を言った。
「石川さん、お料理ご馳走様でした。とっても美味しかったです。本当にありがとうございました」
「あ、いや、そんな畏まらなくても」
「ご馳走様、石川さん」
「あ、ああ。今日だが予定通り15時から始まりだ。それまではゆっくりしててくれ」
「はい、分かりました。……あの、御手洗に行ってもいいですか?」
「ああ、案内しよう」
「ありがとうございます。それじゃあ少し行ってきますね」
そう言うと赤木は無言で頷いた。
石川に案内され屋敷を歩いていると、ふと石川から声をかけてきた。
「永代さん」
「はい」
「永代さんはその、赤木とはどこで知り合ったんだ?」
「雀荘です。色々あって麻雀を打っていたところを助けて貰ったうえに、風邪を引いたところを看病して貰って……」
「あの赤木が人助けを!?」
あまりの驚きで石川は思わず声をあげてしまう。
「そんなに意外ですか?」
「まあ……そうだな、どっちかって言うとあいつは鬼みたいな男だからな」
「鬼、ですか?」
「その辺のチンピラとはワケが違うんだ。永代さん、アンタみたいな人は今後あいつとは関わらないほうがいい」
「でも……あ、すみません、御手洗行ってきますね」
何かを言いかける美月だったが、その言葉を飲み込むと御手洗に入っていった。
そんな美月の姿を、庭から派手な和服を着崩した一人の男が見つめていた。
そして約束の時間になり、赤木と美月は石川に案内され別の部屋へと行く。襖が開かれると、そこには雀卓と座椅子4人分。座椅子には既に二人座っており、一人はスーツにサングラスの男、そしてもう一人は和服を着崩した男が座っていた。
その部屋の異様な雰囲気を、美月は最近感じた事があった。しかしあの時とは数段違う。もっとピリピリとして、殺気だったその雰囲気に美月は怯えてしまう。
しかし、それに対して赤木は慣れたように卓に着く。
「永代さん、こっちだよ」
「あっ、はいぃ!」
──う、うん。そうだよね、きっと雰囲気が怖い人たちってだけでやる事は普通の麻雀だよね……でも、やっぱり怖い……。
美月は既に泣きそうになっていた。
「アンタが赤木か。俺は榊って言います、ほなよろしく」
「……」
赤木は榊をチラリとだけ見ると、何も言わずにタバコを吸い始めた。
「ケッ、挨拶も無しかいな。……そっちの嬢ちゃん」
「はいっ!?」
榊に声を掛けられ、美月はビクッと体を震わせる。
「名前は?」
「え、えっと、永代 美月と言います。本日はよろしくお願い致します……」
震えた声で何とか自己紹介をすると、榊はニヤニヤと笑みを浮かべて美月を見た。
「なんや、エラいカタギって感じのお嬢さんですが大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です……」
「ならまあええですわ。レートは予定通り200でよろしいですか?」
「ああ、構わないぜ」
「じゃ、始めましょか」
勝負を始めようとしその時だった。美月は赤木に震えながら質問する。
「あ、あの……赤木さん、レートって……?」
「ん?麻雀のレート。ああ、レートってのは」
「それは分かります!そのレートの金額です!200って、まさか……」
美月のそのまさかだった。
「ああ、200万だけど」
当時の200万円は現在の貨幣価値に換算すると2000万円である。
「にっ、にひゃくまん……!?」
「まあこれヤクザの代打ちだからね。でも安心しな、これは俺とコイツの勝負だ。君は気楽に打ってれば良いよ」
「は、はい……」
そして始まる東一局 親は赤木になった。美月の手牌は悪くない。既に4シャンテン、ツモる牌が良ければ直ぐにでもリーチをかけられる。
──できた、これならリーチ、断幺九、平和、ドラ1、裏ドラが乗れば満貫。誰も鳴いてない今、ここで仕掛けよう。
「リーチ」
美月リーチを仕掛けた。しかしその6巡後、上家の榊がツモる。
「ツモ、断幺九面前ツモ、ドラ2。2000点ですわ」
榊が和了、点棒を渡して次の局へ。親は対面の対戦相手の組の者へと変わる。
しかし美月はここから不調になる。榊の満貫8000点に振り込んでしまい、更に次の局でも対面に振り込んでしまった。
美月の持ち点、僅か13500点になってしまう。
「……おい赤木、本当にこの子大丈夫なのか?」
不安になってきた石川が赤木に耳打ちをする。
「大丈夫ですよ………多分」
「多分!?」
しかし、赤木も今日の美月にはあの時感じた背中の覇気がないと感じたが理由は分かっていた。
美月には今日、賭けるものがないからだ。賭けるものがある勝負とそうでない勝負には差がある。
今日は赤木と榊の勝負なのだ。数合わせで来た美月は勝っても負けても何も無い。
しかし、美月はすぐにこの麻雀の趣旨を理解したのか、この局でリーチした赤木に差し込んだ。
「ロン、メンタンピンドラドラ、親マンだ」
──この麻雀は赤木さんと榊さんの勝負。なら、私ができる事は赤木さんの川からどんな手配かを察知してロン牌を差し込む事。
次局、美月は三色同順に白、鳴いたので三色同順は1翻下がり2000点、榊からロン上がり。
──それから、早い手で点数を稼いでそれを赤木さんに渡す。なるべく榊さんか対面の方からのロンで。
美月の動きが変わった事を見て、榊も動きを変えてきた。
「ロン、悪いなお嬢さん。跳満だ」
榊は赤木よりも先に手を作り、かつ美月からのロンで和了れるようにしてきたのだ。美月がサポートに回るや否や、その態勢を崩していく。
リーチ、海底、メンゼン、ドラが二枚乗って跳満。結局この局も美月が4位で終わってしまった。赤木は1位、2位は榊だ。
「すみません、赤木さん」
「謝る事はないさ、君は君のやりたいようにやればいい」
「は、はい、頑張ります」
健気な美月に赤木がふと微笑むと、それを見た榊は対照的にニヤリと笑った。
「なあお嬢さん、アンタ今いくつや?」
「えと、18歳です」
「18かぁ〜、若いのう。……なあお嬢さん」
「はい」
「麻雀やった事あるなら分かるかもしれへんけど、基本的に麻雀っちゅうのは最下位の人間がそのペナルティや罰を受けるモンなんや。例えるなら……そうや!脱衣麻雀とかそうやろ?」
「……はい」
美月は頷く。
「そこで提案なんやけど、今回の勝負で最下位になった人間……お嬢さんやったら俺の嫁さんになるなんてどうや?」
「……」
静寂に包まれるその場、そして次に美月の気の抜けたはい?という声が響いた。
「いや、お嬢さん見れば見るほどええ女やなぁ思ってな。将来別嬪さんになる事間違い無し!しかも麻雀もはじめたてなのに筋がええ!こんなええ女、欲しくないワケがないやん?」
「何言ってんだアンタ……」
流石の赤木もこれにはやや引いていた。当の本人である美月は状況が飲み込めず固まっている。
「別に兄ちゃんの女ってワケやないんやろ、この子」
「まあそうだけど」
「ならええやん!俺一生面倒見るし大切にするでぇ〜」
「……やです」
「あ〜ん?」
「い、嫌です……!」
震える声で、しかしはっきりと美月は言う。
「私、貴方のお嫁さんにはなりません。私まだやりたい事がありますから」
「ほ〜ん……ますますええ女や、気に入った!」
「ひえぇ……どうしてぇ……」
恐怖と混乱で涙を目いっぱいに溜めている美月。まさかこんな事になるとは思わず、そろそろ助け舟を出すかと赤木は動く。
「永代さんだけそんな条件はフェアじゃねえだろ、アンタが最下位になったら何を差し出すんだ?」
「お〜その事やったな!それなら安心せえ、アレ持ってこいや」
「はい!」
榊が命令すると黒服が返事をして棚から風呂敷を出した。風呂敷を広げると、そこにはいくつもの札束。
「こ、これは…!」
美月が驚きの声をあげると、榊がニヤリと笑う。
「ざっと500万やな、俺の全財産くれてやる。それでどうや?」
「ククク、いいだろう。俺は今生憎気が利いたモノがなくてね……そうだな、俺が負けたら煮るなり焼くなり好きにしな」
「あ、赤木さん、そんな!」
「大丈夫、最下位にならなければいいだけの話さ」
「で、でも……」
「ええなぁええなぁ!勝負って感じになってきたわぁ!」
榊の後ろにいる浜田組の組長、浜田はため息をつきつつもその様子を見守っていた。
榊はこの代打ちの界隈では狂人という通り名を持つ。自らの大金を見せ、無茶苦茶な条件をつけ、人生を賭けた勝負に持ち込み、相手を破滅させる。勝負事は己にとって快楽を得るための手段に過ぎない、刹那的快楽主義者。
しかしそんな快楽主義者はこの世界では一瞬にして消える。
榊が今までこの界隈で生き残ってきたのは麻雀の腕も一級品、関西では敵無しと言われた男であるからだ。
「じゃ、これから仕切り直して三麻にしましょか。おいお前、もうええで」
「はい」
榊がそう伝えると美月の対面の黒服は雀卓から離席する。
「三麻?」
「三人でやる麻雀だよ。永代さん初めて?」
「はい」
「説明してあげるからこっちに来な、麻雀のルールは変わらないけど、4人と違うところは……」
赤木は美月に三麻のルールを説明した。
三麻とは文字通り三人で麻雀をすることである。
二萬から八萬を抜き、108枚の牌で行う麻雀だ。
4人でやる時と変わるところは北家がいない事、チーができない事、北は全員の役牌になる事、ツモ和了時は2人で北家分の点数を折半する事などなどを説明した。
「大丈夫そう?」
「はい、大丈夫です……赤木さん、その、好きにしろってさっき仰っていましたけど……もし赤木さんが負けたら、どうなってしまうんですか?」
「まあ、殺されるだろうね。君も例外じゃないよ」
「え?」
「アイツ口ではああ言ってたけど、本当に嫁にする気があるかどうかすら怪しいね。大方、人をそういう口実で拉致して臓器でも売るって魂胆……」
そこまで言いかけた時、赤木はしまったと思い美月を見る。
余計に怖がらせてしまったかと思ったが、美月の表情は赤木が想像していたモノとは違った。
「そうですか……」
その表情は、ああそんなものかと。何事もないような普通の表情をしていた。
そして赤木は感じた。彼女の中の微かな違和感に確実に触れた。
「でも、どちらにせよ嫌ですし……赤木さんが殺されてしまうなんて以ての外です!頑張るしかありませんね」
「そうだね」
美月は雀卓に着くと、深呼吸をして胸を撫で下ろす。
「やる気満々やなぁ、お嬢さん」
「……はい、貴方に負けるわけにはいきませんから」
美月は覚悟を決め、目を開く。
あの夜、赤木が見た時と同じ目をしていた。凪いだ湖面のように綺麗で、しかしどこかギラついたその瞳。深い闇の中で輝く小さな星のような光。
その美月が見れた事で、赤木の中で美月という人物が輪郭を帯びて、そして見えた。
彼女の本質が──異質さが。
「ククク、調子出てきたじゃない永代さん…!それじゃ、始めようか」
ここから、美月の逆襲が始まる。
時計を見ると9時半を少し過ぎた頃。昨日自分は麻雀を終えて、それから熱を出して、赤木という男性が部屋まで運んでくれた事を思い出す。
その事から推察するに、きっと赤木が部屋を出て氷嚢を買いに行ったのだと美月は思った。
冷たい濡れタオルを額から布団の脇に置くと、だるい身体をなんとか起こしてタバコ臭くなった制服からパジャマに着替えた。
──タオル、冷たい……赤木さん、ずっと看病しててくれたんだ。
机の上には解熱剤と水の入ったコップが置いてある。美月は薬を飲むとまたベッドに入って体を休める。
しばらくすると赤木が帰ってきた。
「赤木さん、おかえりなさい」
「ただいま……永代さん、体調は大丈夫?」
「はい、昨日よりは大分楽になりました。ありがとうございます」
「そっか、良かった。氷嚢買ってきたから使いな」
「ありがとうございます、何から何まで。あの、私の事ならもう大丈夫ですから……」
そう言いかけた時、赤木の手が美月の首元に触れた。
「ひゃっ……!」
驚いて思わず美月は体を震わせ、小さく悲鳴を上げてしまう。それに対して赤木は無表情で美月の体温を掌で感じている。
「……まだ熱あるじゃない。ちょっと台所借りるよ」
「え、あ、あの……」
「腹減ったでしょ?何か食べないと治るモンも治らないよ」
「は、はい……」
有無を言わせず赤木は台所へと向かい料理支度を始める。美月はその間布団で大人しく待っていたものの、思うところがあり自然と涙が出てきていた。
その涙の理由と感情を理解して、美月はパジャマの袖で涙を拭いた。
──そっか、家に帰っても誰も居なくて、心細くて寂しかったんだ……こんなふうに誰かが居てくれるって、やっぱりいいなぁ。
顔を上げて台所に立つ赤木を見て、美月は嬉しさから微笑んだ。しばらくするとお粥と味噌汁を赤木が持ってきてくれた。
「ありがとうございます、いただきます」
「ああ」
食事をしている美月を見て、赤木は取り敢えず安心した。顔色も昨日より良くなっており、明日には回復するだろう。
ふと、赤木は美月の部屋の学習机に目が行った。机の上には教科書とノート、筆記用具、そして白い写真立ての中に両親と共に写る幼い頃の美月の写真が飾られている。
「…… 永代さんは一人暮らしなの?」
「はい、ほんのつい最近始めました。家は売りに出してしまったので」
「そっか……」
赤木はその発言から色々と事情を察した。家を売りにだしてもなお、昨日のヤクザからの借金があったのだろう。
想像できる、彼女がヤクザに囲まれ麻雀での勝負を持ちかけられているところが。
そして彼女の性格からするに、周りに迷惑をかけるくらいなら自分が受けると決めてその勝負を受けたのだろう。
──高校生の女の子相手に、よってたかって何やってんだか……。
赤木は内心で悪態をついた。
「昨日の君の麻雀、凄かったよ」
「そ、そうなんですか?」
きょとんとする美月に対して赤木は頷いた。
「ああ、天和で国士無双十三面待ちなんてこれからの人生でもう拝めないんじゃないかな?それこそ、昨晩で一生分の運を使い果たしたくらいにはね」
「そ、そんな……まだ運はあってほしいです」
「ククク…冗談だよ。でもそれくらい凄い事だったんだぜ?連中も面食らってたしね」
「ふふっ、皆さん驚いてましたもんね」
軽く談笑できるほどに美月の体調は回復したようで、お粥と味噌汁も残さず食べ、ご馳走様でしたと両手を合わせた。
「ご馳走様でした、美味しかったです」
「そう、なら良かった」
すると、ふぁ…と赤木は欠伸をした。それを見た美月は昨晩赤木が自分の事をつきっきりで看病してくれたのだと確信する。
「赤木さん、この通り体調はすっかり良くなりました。ありがとうございます。私は大丈夫ですから赤木さんもご自宅に戻ってゆっくりお休みになってください。赤木さんが風邪を引いては元も子もありませんし」
「……」
じっ…と赤木に見つめられ、美月は少し困ったような表情をしつつも言葉を紡ぐ。
「あの、本当に大丈夫ですから。後日改めてお礼をしたいので、良かったら……」
「礼なんていいさ。俺の気まぐれみたいなモンだしな」
「だ、ダメです!赤木さんは命の恩人なんです!ちゃんとお礼がしたいんです!」
赤木は美月を見て、少しだけ考える。
「そこまで言うんならそうだな……来週の土曜日の昼頃空いてる?」
「はい、空いてます」
「なら永代さんにして欲しい事があるんだ。お礼はそれでいいよ」
「はい、喜んでやらせて頂きます!玄関までお送りしますね」
美月は立ち上がると玄関まで赤木を見送った。
「じゃ、土曜日のお昼頃にまた来るから。その時に」
「はい、本当にありがとうございます。ではまた土曜日にお会いしましょう」
ぺこりと美月は赤木に頭を下げてお礼をする。そんな美月が微笑ましく思い、赤木も僅かに笑った。
「クク、楽しみにしてるよ」
赤木は美月の部屋を出ると、アパートの前に居る黒服の男に視線をやる。黒服の男は美月の部屋の窓を見つめていた。
明らかに怪しいと思ったが、昨晩の美月の父親の借金の事でやってきたのだろうと思い、赤木はその場を後にした。
赤木と美月の家はそう離れておらず、路面電車で2駅ほどしか変わらない場所にあった。
あれから2日が過ぎて月曜日になった。
彼女は順調に回復しただろうか。普通の生活を送れているだろうか、と漠然と赤木は考える。
一晩の出会いとはいえ、あの永代 美月という少女はしっかりしているが一人にしておくには少々危なっかしい。
今日は特に代打ちの予定もない赤木は暇を持て余し外へと出た。
夕方18時発の路面電車に乗り、2駅目で降りる。駅から歩いて10分ほどの場所に、2日前に向かった木造アパート さくら荘が見えた。そこの204号室の部屋の窓を見ると、敷かれたカーテンの隙間から電気の明かりが見える。
するとカーテンが開き、タオルを物干し竿に干す美月の姿が見えた。
元気そうにしている彼女を見て一安心した赤木は自宅へ帰る事にした。
踵を返し、駅までの道のりを歩く。
「……何してるんだかな」
タバコに火を付け、煙を吐くと赤木は小さく呟いた。
土曜日 美月は私服に着替えて部屋で赤木が来るのを待っていた。身だしなみは問題ないかと鏡の前で再度確認している時、部屋のチャイムが鳴った。
「はーい!」
返事をしてバッグを持って、パタパタと美月は玄関へと向かう。ドアを開けると、見慣れた白髪の青年が立っていた。
「赤木さん!こんにちは」
「こんにちは、永代さん。元気?」
「はい、お陰様でこの通り元気です」
「良かった、じゃあ行こうか」
「はい!」
美月は部屋を出て鍵を閉めるとアパートの階段を赤木と降りていく。その足取りは軽く、赤木が来るのを楽しみにしていたようだ。
「赤木さん、私にして欲しい事ってなんですか?」
「俺の仲間内で麻雀やるんだけどそのメンツに入ってほしくてね。ああ、前みたいな借金がどうとかじゃあないから安心しなよ」
そう伝えると美月はホッとした表情を浮かべていた。
「つまり普通の麻雀って事ですね、わかりました!私でよろしければ」
屈託のない笑みを浮かべる美月。
この時の彼女はまだ知らなかった──まさかこれから始まる事がヤクザの麻雀の代打ちで、大金を賭けた勝負になる事になるとは。
待ち合わせしている喫茶店に着くと、赤木は席を見渡し、店内の端の席へと歩みを進める。
そこにはサングラスを着けたスーツの男がコーヒーを飲んでいた。
「来たか、赤木」
「どうも、石川さん」
石川はコーヒーを一口飲むと赤木に視線を向けた。
「で、例の相方はどこだ?」
「ここに居るでしょ、この人が永代さん」
「はじめまして、永代 美月です」
赤木の後ろから現れた白いワンピースに桜色のカーディガンを着た少女を見て、石川と呼ばれた男性は面食らっていた。
赤木と同じくらいの年齢、はたまた少し年下だろうか。
本日はよろしくお願いします、と礼儀正しく頭を下げる少女を見て、石川は困惑しつつもよろしく、と答えた。
「石川さん、どうかした?」
「い、いや、何でもない。ただ、赤木の相方って言うからてっきり男だと思っていてな。ちょっと驚いただけだ」
「ああ、なるほど」
赤木がそう言うと石川は立ち上がる。
「車を用意してある。行くぞ、二人とも」
「はいっ」
喫茶店を出ると赤木は無言で石川の車に乗り、美月はよろしくお願いしますと一言添えて車に乗った。
──言葉遣いや立ち振る舞いからして随分と育ちのいいお嬢さんだな。本当にこの子が麻雀やるのか……?
「永代さん、あの後大丈夫だった?」
「はい、熱も引いてこの通り元気です、本当にありがとうございました」
「いいよ、礼なんて」
そう言うと赤木は車窓を開けるとタバコに火をつける。
「赤木さんって普段はどう過ごされてるんですか?」
少し考えると赤木は答える。
「適当な雀荘で打ってるかな。それからこうやって石川さんに頼まれて打ってる」
「そうなんですね、雀荘はこの前行ったきりです」
「ま、女の子が一人で来るところじゃないからね…… 永代さんは学校どうなの?」
学校という言葉に石川に電流走る。
──学校!?この子じゃあ高校生くらいか!?どういう経緯で赤木と知り合ったんだ……?
「学校は友達と毎日楽しく過ごしています。今は受験シーズンなので放課後に勉強会をしているんです」
「へぇ、そうなんだ。永代さんも大学行くの?」
「はい、私も進学予定です」
そんな二人の他愛のない話聞きながら石川は車を運転する。
──にしてもどこまでも普通のお嬢さんだが……本当に大丈夫なのか?
車は目的地の料亭の前に到着し、石川、赤木、美月は車から降りた。
美月は目の前にある高級料亭を見て首を傾げる。
「料亭……ですか?」
「ここで麻雀やるんだ。行くよ」
「あ、はいっ」
石川の後に続いて赤木と美月は料亭へと入った。石川は別室らしくそこで別れ、女将に通され個室へと案内される。
暫く待っていると赤木と美月の食事が運ばれてきた。
豪華な懐石料理が机にずらりと並び、美月は何が何やらで呆然としていた。
「あの、赤木さん、これは……?」
「お腹空いたでしょ?食べなよ。……ああ、お代なら石川さんのところが出してるから大丈夫だよ」
「い、石川さんがですか……!?後でお礼をお伝えしないとですね。それでは……」
姿勢を正すと、美月は両手を合わせる。
「いただきます」
「……いただきます」
それに釣られるように赤木も言うと、食事を始める。
「赤木さん」
「ん?」
「美味しいですね」
「……そうだね」
幸せそうに食事をする美月、それに対して淡々と食事をする赤木。ふと、赤木は美月の方を見た。魚の煮付けを箸先を使って器用に切り分け、一口サイズにして口に運ぶ。その一連の所作がゆっくり、だが流れるように美しいと感じた。
──この人、本当に育ちがいいんだな……。
礼儀正しく、育ちが良く、きちんと学校にも通い、真面目で普通の生活を今まで送ってきたのだろうと美月を見て思う。
しかしあの夜、赤木は美月にある違和感を感じていた。
まだその違和感は輪郭すらなく、朧気で手を伸ばせば消えてしまいそうなものだが──今日、ここでそれを暴く為に赤木は美月を連れてきたのだ。
「ご馳走様でした」
両手を合わせて美月は言う。赤木も美月に倣って手を合わせて言った。
「……ご馳走様」
その時、襖の外から赤木と美月を呼ぶ男の声がした。
「赤木、永代さん、いるか?」
「はい、います」
石川が襖を開けると、美月は姿勢を正して石川にお礼を言った。
「石川さん、お料理ご馳走様でした。とっても美味しかったです。本当にありがとうございました」
「あ、いや、そんな畏まらなくても」
「ご馳走様、石川さん」
「あ、ああ。今日だが予定通り15時から始まりだ。それまではゆっくりしててくれ」
「はい、分かりました。……あの、御手洗に行ってもいいですか?」
「ああ、案内しよう」
「ありがとうございます。それじゃあ少し行ってきますね」
そう言うと赤木は無言で頷いた。
石川に案内され屋敷を歩いていると、ふと石川から声をかけてきた。
「永代さん」
「はい」
「永代さんはその、赤木とはどこで知り合ったんだ?」
「雀荘です。色々あって麻雀を打っていたところを助けて貰ったうえに、風邪を引いたところを看病して貰って……」
「あの赤木が人助けを!?」
あまりの驚きで石川は思わず声をあげてしまう。
「そんなに意外ですか?」
「まあ……そうだな、どっちかって言うとあいつは鬼みたいな男だからな」
「鬼、ですか?」
「その辺のチンピラとはワケが違うんだ。永代さん、アンタみたいな人は今後あいつとは関わらないほうがいい」
「でも……あ、すみません、御手洗行ってきますね」
何かを言いかける美月だったが、その言葉を飲み込むと御手洗に入っていった。
そんな美月の姿を、庭から派手な和服を着崩した一人の男が見つめていた。
そして約束の時間になり、赤木と美月は石川に案内され別の部屋へと行く。襖が開かれると、そこには雀卓と座椅子4人分。座椅子には既に二人座っており、一人はスーツにサングラスの男、そしてもう一人は和服を着崩した男が座っていた。
その部屋の異様な雰囲気を、美月は最近感じた事があった。しかしあの時とは数段違う。もっとピリピリとして、殺気だったその雰囲気に美月は怯えてしまう。
しかし、それに対して赤木は慣れたように卓に着く。
「永代さん、こっちだよ」
「あっ、はいぃ!」
──う、うん。そうだよね、きっと雰囲気が怖い人たちってだけでやる事は普通の麻雀だよね……でも、やっぱり怖い……。
美月は既に泣きそうになっていた。
「アンタが赤木か。俺は榊って言います、ほなよろしく」
「……」
赤木は榊をチラリとだけ見ると、何も言わずにタバコを吸い始めた。
「ケッ、挨拶も無しかいな。……そっちの嬢ちゃん」
「はいっ!?」
榊に声を掛けられ、美月はビクッと体を震わせる。
「名前は?」
「え、えっと、永代 美月と言います。本日はよろしくお願い致します……」
震えた声で何とか自己紹介をすると、榊はニヤニヤと笑みを浮かべて美月を見た。
「なんや、エラいカタギって感じのお嬢さんですが大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です……」
「ならまあええですわ。レートは予定通り200でよろしいですか?」
「ああ、構わないぜ」
「じゃ、始めましょか」
勝負を始めようとしその時だった。美月は赤木に震えながら質問する。
「あ、あの……赤木さん、レートって……?」
「ん?麻雀のレート。ああ、レートってのは」
「それは分かります!そのレートの金額です!200って、まさか……」
美月のそのまさかだった。
「ああ、200万だけど」
当時の200万円は現在の貨幣価値に換算すると2000万円である。
「にっ、にひゃくまん……!?」
「まあこれヤクザの代打ちだからね。でも安心しな、これは俺とコイツの勝負だ。君は気楽に打ってれば良いよ」
「は、はい……」
そして始まる東一局 親は赤木になった。美月の手牌は悪くない。既に4シャンテン、ツモる牌が良ければ直ぐにでもリーチをかけられる。
──できた、これならリーチ、断幺九、平和、ドラ1、裏ドラが乗れば満貫。誰も鳴いてない今、ここで仕掛けよう。
「リーチ」
美月リーチを仕掛けた。しかしその6巡後、上家の榊がツモる。
「ツモ、断幺九面前ツモ、ドラ2。2000点ですわ」
榊が和了、点棒を渡して次の局へ。親は対面の対戦相手の組の者へと変わる。
しかし美月はここから不調になる。榊の満貫8000点に振り込んでしまい、更に次の局でも対面に振り込んでしまった。
美月の持ち点、僅か13500点になってしまう。
「……おい赤木、本当にこの子大丈夫なのか?」
不安になってきた石川が赤木に耳打ちをする。
「大丈夫ですよ………多分」
「多分!?」
しかし、赤木も今日の美月にはあの時感じた背中の覇気がないと感じたが理由は分かっていた。
美月には今日、賭けるものがないからだ。賭けるものがある勝負とそうでない勝負には差がある。
今日は赤木と榊の勝負なのだ。数合わせで来た美月は勝っても負けても何も無い。
しかし、美月はすぐにこの麻雀の趣旨を理解したのか、この局でリーチした赤木に差し込んだ。
「ロン、メンタンピンドラドラ、親マンだ」
──この麻雀は赤木さんと榊さんの勝負。なら、私ができる事は赤木さんの川からどんな手配かを察知してロン牌を差し込む事。
次局、美月は三色同順に白、鳴いたので三色同順は1翻下がり2000点、榊からロン上がり。
──それから、早い手で点数を稼いでそれを赤木さんに渡す。なるべく榊さんか対面の方からのロンで。
美月の動きが変わった事を見て、榊も動きを変えてきた。
「ロン、悪いなお嬢さん。跳満だ」
榊は赤木よりも先に手を作り、かつ美月からのロンで和了れるようにしてきたのだ。美月がサポートに回るや否や、その態勢を崩していく。
リーチ、海底、メンゼン、ドラが二枚乗って跳満。結局この局も美月が4位で終わってしまった。赤木は1位、2位は榊だ。
「すみません、赤木さん」
「謝る事はないさ、君は君のやりたいようにやればいい」
「は、はい、頑張ります」
健気な美月に赤木がふと微笑むと、それを見た榊は対照的にニヤリと笑った。
「なあお嬢さん、アンタ今いくつや?」
「えと、18歳です」
「18かぁ〜、若いのう。……なあお嬢さん」
「はい」
「麻雀やった事あるなら分かるかもしれへんけど、基本的に麻雀っちゅうのは最下位の人間がそのペナルティや罰を受けるモンなんや。例えるなら……そうや!脱衣麻雀とかそうやろ?」
「……はい」
美月は頷く。
「そこで提案なんやけど、今回の勝負で最下位になった人間……お嬢さんやったら俺の嫁さんになるなんてどうや?」
「……」
静寂に包まれるその場、そして次に美月の気の抜けたはい?という声が響いた。
「いや、お嬢さん見れば見るほどええ女やなぁ思ってな。将来別嬪さんになる事間違い無し!しかも麻雀もはじめたてなのに筋がええ!こんなええ女、欲しくないワケがないやん?」
「何言ってんだアンタ……」
流石の赤木もこれにはやや引いていた。当の本人である美月は状況が飲み込めず固まっている。
「別に兄ちゃんの女ってワケやないんやろ、この子」
「まあそうだけど」
「ならええやん!俺一生面倒見るし大切にするでぇ〜」
「……やです」
「あ〜ん?」
「い、嫌です……!」
震える声で、しかしはっきりと美月は言う。
「私、貴方のお嫁さんにはなりません。私まだやりたい事がありますから」
「ほ〜ん……ますますええ女や、気に入った!」
「ひえぇ……どうしてぇ……」
恐怖と混乱で涙を目いっぱいに溜めている美月。まさかこんな事になるとは思わず、そろそろ助け舟を出すかと赤木は動く。
「永代さんだけそんな条件はフェアじゃねえだろ、アンタが最下位になったら何を差し出すんだ?」
「お〜その事やったな!それなら安心せえ、アレ持ってこいや」
「はい!」
榊が命令すると黒服が返事をして棚から風呂敷を出した。風呂敷を広げると、そこにはいくつもの札束。
「こ、これは…!」
美月が驚きの声をあげると、榊がニヤリと笑う。
「ざっと500万やな、俺の全財産くれてやる。それでどうや?」
「ククク、いいだろう。俺は今生憎気が利いたモノがなくてね……そうだな、俺が負けたら煮るなり焼くなり好きにしな」
「あ、赤木さん、そんな!」
「大丈夫、最下位にならなければいいだけの話さ」
「で、でも……」
「ええなぁええなぁ!勝負って感じになってきたわぁ!」
榊の後ろにいる浜田組の組長、浜田はため息をつきつつもその様子を見守っていた。
榊はこの代打ちの界隈では狂人という通り名を持つ。自らの大金を見せ、無茶苦茶な条件をつけ、人生を賭けた勝負に持ち込み、相手を破滅させる。勝負事は己にとって快楽を得るための手段に過ぎない、刹那的快楽主義者。
しかしそんな快楽主義者はこの世界では一瞬にして消える。
榊が今までこの界隈で生き残ってきたのは麻雀の腕も一級品、関西では敵無しと言われた男であるからだ。
「じゃ、これから仕切り直して三麻にしましょか。おいお前、もうええで」
「はい」
榊がそう伝えると美月の対面の黒服は雀卓から離席する。
「三麻?」
「三人でやる麻雀だよ。永代さん初めて?」
「はい」
「説明してあげるからこっちに来な、麻雀のルールは変わらないけど、4人と違うところは……」
赤木は美月に三麻のルールを説明した。
三麻とは文字通り三人で麻雀をすることである。
二萬から八萬を抜き、108枚の牌で行う麻雀だ。
4人でやる時と変わるところは北家がいない事、チーができない事、北は全員の役牌になる事、ツモ和了時は2人で北家分の点数を折半する事などなどを説明した。
「大丈夫そう?」
「はい、大丈夫です……赤木さん、その、好きにしろってさっき仰っていましたけど……もし赤木さんが負けたら、どうなってしまうんですか?」
「まあ、殺されるだろうね。君も例外じゃないよ」
「え?」
「アイツ口ではああ言ってたけど、本当に嫁にする気があるかどうかすら怪しいね。大方、人をそういう口実で拉致して臓器でも売るって魂胆……」
そこまで言いかけた時、赤木はしまったと思い美月を見る。
余計に怖がらせてしまったかと思ったが、美月の表情は赤木が想像していたモノとは違った。
「そうですか……」
その表情は、ああそんなものかと。何事もないような普通の表情をしていた。
そして赤木は感じた。彼女の中の微かな違和感に確実に触れた。
「でも、どちらにせよ嫌ですし……赤木さんが殺されてしまうなんて以ての外です!頑張るしかありませんね」
「そうだね」
美月は雀卓に着くと、深呼吸をして胸を撫で下ろす。
「やる気満々やなぁ、お嬢さん」
「……はい、貴方に負けるわけにはいきませんから」
美月は覚悟を決め、目を開く。
あの夜、赤木が見た時と同じ目をしていた。凪いだ湖面のように綺麗で、しかしどこかギラついたその瞳。深い闇の中で輝く小さな星のような光。
その美月が見れた事で、赤木の中で美月という人物が輪郭を帯びて、そして見えた。
彼女の本質が──異質さが。
「ククク、調子出てきたじゃない永代さん…!それじゃ、始めようか」
ここから、美月の逆襲が始まる。