月を見ていた
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少し寒い風が吹き込むようになってきた秋。昼下がりの陽気に包まれて赤木は窓際で煙草を吸い、美月は洗濯物を干していた。
すると、けたたましく黒電話のベルが鳴り響く。美月は小さくあら、と言うと洗濯物を中断し、電話が置いてある棚へと足を運ぶ。
「もしもし、永代です。はい……はい、はい、ええ、いらっしゃいます。はい……はい、お代わりしますね。……赤木さん」
電話のスピーカーを手で抑えると、赤木を呼んだ。
「警視庁刑事の安岡さんという方からお電話です」
「ああ、代わるよ。もしもし、赤木です」
電話を代わると、美月は少し不安そうな表情をしつつも、会話の盗み聞きはよくないと思い、洗濯物の続きに着手した。
しかし、警察から電話がかかってきたことがやはり気がかりで、美月は悶々と考えてしまう。
──警察、赤木さん何かあったのかな……?それともしちゃった、とか?
赤木はお世辞にも常識があるかないかで言われれば──残念ながら無い部類に入る。良くも悪くも常識に囚われない人間だ。
美月の知ってる範囲では麻雀の代打ち、辻斬り、賭場荒らしと、いつどんな組織に、どんな人物に目をつけられてもおかしくない。
──ああ、どうしよう……もし赤木さんが逮捕なんてされちゃったら……。
ソワソワとしながら美月は洗濯物を終えて、ちょこんと座布団に座る。電話を終えた赤木が戻ってくると、そんな様子の美月を察して事情を説明してくれた。
「ああ、この前君を突き落とした犯人をあの後警察に引き渡してね、それの電話だよ」
「そ、そうだったのですね!」
美月はほっと胸を撫で下ろすと安堵の表情を浮かべた。
「あの、犯人はどのような方だったのですか?」
そう訊ねると、赤木は美月を一瞥してから窓を開け、煙草に火をつけた。
「犯人は若い男で……君に好意を持っていたんだってさ」
「こ、好意……ですか?」
美月は釈然としない様子だ。赤木は紫煙を燻らせながら言葉を紡ぐ。
「ああ、君への感情が暴走してああいった行為に及んだみたいだ。……理解に苦しむな」
最後の言葉を、赤木は呆れたように呟いた。
「そうですか……。それは、私も理解できない、ですね。好きだから傷つけるなんて」
美月は理解のできない、得体の知れない恐怖を感じた。好きだからといって自分を傷つけて、その後どうするつもりだったのか。
監禁か、そのまま襲おうとしたのか、それとも最悪殺人か。
「それで、ここからが本題なんだけど……俺の知り合いの刑事が色々と君に聞きたいことがあるみたいでさ、今時間って大丈夫?」
「……はい、大丈夫です」
美月はなんとか気丈に振る舞い、返事をした。
それから赤木と共に警察署へと向かい、彼の知り合いである安岡刑事を紹介され、突き落とされた時の時間や現場などを聞かれ、軽くではあるが調書を取られた。
そして、突き落とした犯人の写真を安岡に見せられたとき、美月は絶句した。
その人物は自分に親切にしてくれていると思っていたサークル仲間の一人、紺野だったのだから。
それから安岡から紺野は傷害罪で逮捕されること、美月とは今後一切の接触をしないこと、彼は大学を辞めて実家に戻る旨、その他諸々の説明をされると漸く解放された。
待合室に向かうと赤木はまだおらず、美月はソファに座って待つことにした。
──紺野先輩……どうして?ううん、思えば不審な点はあった。最寄り駅に来ていたり、サークルにいる時によく声をかけてきたり……。それから、先輩は多分知ってたんだ、私が永代の人間だってことを。
美月は亡き父から、言い寄ってくる男性、好意を向けてくる男性には一旦警戒しなさいと言い聞かされていたことを思い出す。
それは自分が永代の人間であり、婿養子に入れば相手は将来が安泰と見ているからだと。
──嫌だなぁ、私は永代の人間だけど、父と一緒に勘当されたも同然だし……あの家は好きじゃない。自分の家系が心底、イヤになる。
ぎゅっと美月は片腕を握り、静かに俯いた。
*
「それにしても驚いたよ、お前の知り合いってあのお嬢さんのことだったのか」
取調室で対面した赤木と安岡は、取り調べという名の雑談が繰り広げられていた。
二人分の紫煙が電球のオレンジ色を白みさせる。
「そうだけど?」
「いや、俺はてっきり男かと……。まあいい、取り調べはこれで終わりだ。あのお嬢さん、大分参ってたから励ましてやれ」
「言われなくても」
そう言うと赤木はパイプ椅子から立ち上がり、安岡も取調室を後にした。鉄のドアを開けると、蛍光灯の白い光が赤木を照らす。
「ところでお前、あのお嬢さんとお付き合いしてんのか?」
安岡は少し気になり、質問を赤木に投げかける。
「いいや、付き合ってねえよ」
「そ、そうか……」
さらりと答える赤木は歩みを進めて美月の待つ場所へと向かう。
少し薄暗い待合室で、彼女は項垂れていた。
「美月さん」
「……あ、赤木さん」
少し力無いその声色から、彼女が精神的に参っているのがすぐに分かった。赤木は美月の目の前に跪くと目線を合わせ、彼女の手を優しく取る。
「美月さん、大丈夫?」
「はい……なんとか……。ああ、でも少しショックで……ごめんなさい」
ここまで落ち込んでいる美月を見るのは初めてで、赤木は自分にできることはないかと思考する。その時、調書を取っていて自分たちはまだ昼食をとっていないことに気がついた。
腹が膨れれば、美月の気持ちも少しは良いものになるだろうかと赤木は思い、美月に尋ねる。
「……そう言えば、まだ飯食ってなかったね。なにか食べたいものとかある?」
「食べたいもの……」
少し考えると、美月はぽつりと呟く。
「秋刀魚が、食べたいです」
「秋刀魚……」
秋の味覚、この時期にぴったりの食べ物だ。洒落た喫茶店や洋食店ではなく、季節の食べ物が出てくる飾り気のないところが、美月らしいと赤木は思った。
「いいね、それじゃあ行こう。美味い店知ってるんだ」
赤木がそう声をかけると、美月は何とか笑顔を作って返事をする。指し伸ばさ赤木の手を美月は取り、そのまま手を繋いで待合室を後にする二人を安岡は絶句しながら見ていた。
──赤木お前…っ!マジか!?あれであのお嬢さんと付き合ってないって……お前マジか!!
安岡は思わず煙草を床に落とし、わなわなと震えていた。
赤木と共に向かったのは駅の近くの定食屋だった。
店内に入ると焼き魚のいい香りが鼻腔をくすぐる。
適当な座敷の席に座り、赤木は胡座をかいて、美月は姿勢を正して正座になっていた。
「美月さん、どれにする?」
メニューには焼き魚を主とした定食の名前かずらりと並んでいた。秋刀魚以外にも鯖やホッケ、赤魚の煮付け、鮎の塩焼きなどがあった。
「……秋刀魚定食にします」
「俺も同じのにするよ。すみません」
赤木はテーブルを拭いていた女性を呼ぶと、二人分の注文を済ませてコップに注がれた水を一口飲む。
「散々だったな、今日は」
「……はい」
「君は何も悪くない、そう気を落とすなよ」
「……はい。すみません、気を遣わせてしまって」
「俺がやりたくてやってることだ、気にする必要はねえよ」
「……ありがとうございます」
やっと美月が微笑んだ。まだ少し表情が堅いが、先程よりは良くなったことに赤木は安堵する。
しばらくすると秋刀魚の定食がやってきた。こんがりとした焼き色のついた秋刀魚からは秋を感じさせる匂いがする。
味噌汁、漬物、そしてピカピカに輝いた白米は忘れていた美月の空腹を思い出させる。
「食べようか」
「はい」
「「いただきます」」
二人は手を合わせ、静かに定食を食べる。
ふと赤木は、この近くにプラネタリウムの施設ができた事を思い出した。
「美月さん、プラネタリウムって行ったことある?」
「プラネタリウムですか?いいえ、まだ行ったことないんです。いつか行きたいなって思っていて」
「じゃあさ、今日行こうよ。この後」
「え、えぇっ……!?」
予想とは違うリアクションに、赤木は首を傾げる。
「イヤだった?」
「い、いいえ!その……嫌じゃないです!全然!」
少し美月は考えるように俯く。少しすると何か納得したのか顔を上げる。
「行きたいです、プラネタリウム」
「うん、行こう」
美月の表情はどこか照れくさそうなものだった。何故そのような表情になっていたのか、赤木は件のプラネタリウムのある会場に到着して漸く気がつく事になる。
──なるほど、道理で美月さんが照れるワケだ。
プラネタリウムのチケット売り場の列は、カップルばかりが並んでいた。
手を繋いだり、腕を組んだり、男の肩に頭を預ける女性だったりと、甘やかな雰囲気が漂っている。
ここは所謂、デートスポットだ。
そんな光景を美月は見ていられず、顔を赤くして俯くばかりだ。
ずっと女子しかいない環境に身を置いていた美月は、こういったものに無縁だったが故に耐性がない。
恋愛小説などで知識はあるが、現実となるとやはり気恥しいのだ。
「美月さん、大丈夫?」
「は、はい……大丈夫です。ごめんなさい、こういった場所には慣れてなくて……」
あまりにも純情 な反応に赤木の心臓が甘く締め付けられるような感覚になる。
「でも、プラネタリウムとっても楽しみです。連れてきてくれてありがとうございます」
向けられる純粋無垢な笑顔に、赤木の心はときめく。心に矢が一気に三本ほど突き刺さったような感覚になり、表情にはしないものの赤木は動揺していた。
──なんだ?日増しに美月さんが可愛く見える……なんだこれ……。
そんな赤木の心境は露知らず、美月は小首を傾げるのだった。
暫く並びながら美月と何気ない話をしていると、ふと周囲を見て赤木は言う。
「俺達もああいうカップルだと思われてるのかね」
赤木の目には恋人繋ぎをしてイチャついているカップルが映る。赤木も年頃の男性、好きな女性が隣にいるというのに、未だ恋人の関係ではなく友人の関係なのが内心惜しくて堪らなかった。
それに対し、美月は少し顔を赤くするとカップルを視線から外すべく俯いてしまう。
「ど、どうなんでしょう……私たちは、きっと兄妹に見られてるんじゃないでしょうか?」
何処にこんなチンピラの兄と育ちの良い妹の兄妹がいるだろうか、と赤木は思う。それに少し前まで手を繋いでいたではないかと赤木は幾分か悶々としていた。
──色々と美月さんにアプローチしてみたが、どれも効果ナシだな。
さて、もう少しストレートにいくか、このまま変化球でいくか赤木が思案していると、チケット売り場前にある張り紙が目に入る。
──これだ、もっとストレートにいこう。
チケット代は赤木が奢るとの事で話がつき、遂に二人はチケット売り場の受付に到着した。
美月が代金を支払う赤木の様子をなんとなく見ていると、彼が急に手を繋いできた。しかも、周りの恋人たちがしているような、指を絡めた繋ぎ方で。
その繋いだ手を少し上にあげると、受付の女性に見せつけた。
「恋人なんで、カップル割でお願いします」
「!!!???ぇ、えっ……!!??」
「ありがとうございます、カップル割で代金3000円でございます」
美月は顔を真っ赤にして、声にならない声を上げて赤木を見る。赤木は何事もないようにチケットを受け取ると、手を繋いだままプラネタリウムの中へと入っていく。
「あ、あの……!あのあのあの……!?」
「? どうしたの?」
「わ、私たち……!その、こ、こここ恋人では──」
慌てふためき、顔を真っ赤にしている美月に赤木の顔が近づいた。
「俺が恋人はイヤだった?」
「あっ……う、うぅ……で、でも、ダメですよ……!カップルじゃないのに割引を使うなんて……!」
目をぐるぐるとさせながら必死に言葉を紡ぐ美月が愛らしくて、赤木はもう少し彼女をからかってやろうという悪戯心が沸いた。
「ふーん、じゃあ美月さんの中のカップルの定義ってなに?」
そう尋ねると、彼女はまた顔を赤くして俯いてしまった。それは…と美月の小さな声を、赤木は聞き逃さなかった。
「それは……その、まずはお友達から始めて、お互い気持ちを伝えあって……お付き合いをして……仲を深めあうのが、か、カップルなのではないでしょうか?」
恋愛小説や映画でしか知識を持ち合わせていない美月らしい答えに、赤木は成程と納得すると同時に、これは少々ストレートに行き過ぎたかと反省した。
そんな美月は赤木の何を考えているか分からない自由な振る舞いに、心臓は早鐘を打っている。
好意を寄せ、慕っている男性に恋人宣言をされ、デートスポットにいるのだ。舞い上がってしまいそうな気持ちになるも、彼女は心を落ち着かせるべく自分に言い聞かせる。
──だ、ダメよ美月!赤木さんは私が落ち込んでるのを見て励まそうとしてくれているだけ!善意なのよ!それにカップル割も、きっと割引されてお安くなるから!勘違いしちゃダメ!
美月は心臓の鼓動を落ち着かせようと深呼吸をする。
「赤木さん、そろそろ席へ行きませんか?プラネタリウム、はじまりそうですよ」
「ああ、そうだね。行こうか」
「はい」
座席に二人並んで座る。その間も手を繋いでいるため、美月は気が気ではないが、プラネタリウムが始まり、辺りが一気に暗くなる。
今の季節の東京の空から見える星座、アンドロメダ座の解説と、それにまつわる神話が語られ、美月は赤木と手を繋いでいることをすっかり忘れて神話と投影される星々に夢中になっていた。
そんな彼女の横顔を微笑ましく、満足気に赤木は見つめる。
暫く美月を見つめていると、彼女の視線が天井ではなく前の座席に座っている男女に移った。赤木も美月の視線の先に何があるのかと見つめると、なんと前の座席の男女はキスをしている真っ最中だった。
赤木は内心溜息をつきつつも、美月がこんな光景を見てしまっては大変な事になっているのではと思い、隣を見やる。
案の定、美月は暗がりでも分かるほど顔を赤くして、静かに慌てていた。
そして赤木の視線に気がついて、美月は助けを求めるように見つめている。
そんな弱気な表情の美月が可愛いらしく、赤木は繋いでいた手の力を少しだけ込めた。
すると、プラネタリウムが終わり辺りが明るくなっていく。
他の客たちが席を立っていく中、二人は何も言わずに最後まで残り、そして人気の無くなった館内を出ていった。
──き、気まずい……。
お互い顔が見れず、ただ無言で手を繋いで歩いていく。チラリと赤木が美月を見ると、まだ顔を赤らめていた。
「まあ、驚いたな。あんなところでキスするなんて」
「………は、はい………」
弱々しく返事をする美月は頭から湯気が出そうな勢いだ。そんな顔を見られたくないのか、彼女は手で隠している。
「あ、あんな公共の場でき……キス……をするなんて……」
キス、の部分だけとても小さな声で言う美月に赤木は胸のときめきが止まらずにいた。
「あんなことしたら、こ、子供ができてしまいます……!」
「…………は?」
美月の口から出た衝撃の発言に、赤木は思わず声を漏らす。それに対して美月は小首を傾げた。
「だって、その……キス、すると、子供ができるって……」
「それ、誰から教わったの?」
「子供の頃に、父からです……」
赤木は美月が本当に大切に育てられてきたのだろうと思うのと同時に、ここで美月にキスをしても子供はできないことを訂正すべきか、そのままにしておくか少し迷った。
もし訂正すれば、知的好奇心が旺盛な美月のことだ、「では何をしたら子供はできるのですか?」と聞かれることが想像できる。
しかし、このままでは美月が自分が知らぬ間に何処かで恥ずかしい思いをするのではと心配にもなり、それとなく教えることにした。
「美月さん、キスじゃ子供はできねえよ」
「そ、そうなのですか……?それじゃあ、子供はどうしたらできるのでしょう?」
「まあ、そこはいずれ、おいおい知っていけばいいよ」
「は、はい……」
何とか危機を回避した赤木。そのまま二人は帰路につき、道中で今日見たプラネタリウムの話に花を咲かせた。
そして家に着き、美月の作った料理を食べてその日は床について終わった。
次の日、美月が大学に行く前に赤木が声をかける。
「美月さん、今日ここを出るよ。また暫く旅に行ってくる」
「そうなのですね……この度は本当に色々とありがとうございます!今度お会いしたら、何かお礼をさせてください!」
「別に礼なんていいけど……そうだな」
赤木は少し考えると、ニヤリと笑って美月に一歩近づく。
「12月に帰ってくるよ。その時また一緒にどこかへ出かけてくれる?」
「そ、そんなことでいいんですか?」
キョトンとする美月。どうやらこれがデートのお誘いと思っていないようだ。それならば、と赤木は自身の小指に美月の小指を絡めた。
「デートの約束だから、よろしく」
「…………え??えっ、えっ!?!?」
赤木の口から紡がれた「デート」という言葉に、素っ頓狂な声を思わず出してしまう。美月は顔を赤くして見開いた潤んだ瞳で赤木を見た。
「じゃ、そういうことで。また12月にね」
「あ、ま、待ってください!赤木さんっ!で、デ、デートって……!」
「ククク、言葉通りだけど?」
「っ──!」
トドメの一言に美月は遂に目を逸らし、照れを隠すように髪をいじる。
「帰れる日が決まったら電話する。楽しみにしてて」
「は、はい……あの、気をつけていってらっしゃい……!」
いつもは笑顔で送り出してくれる美月だが、今日は顔を真っ赤にして、恥ずかしいのか目も合わせてくれない。
しかし、その仕草が赤木の心を擽ってやまないことを美月は知らない。
「うん、いってくるよ。君も気をつけてね」
こくこくと必死に美月は頷く。そんな彼女を見て満足気に微笑むと、赤木はさくら荘を後にした。
秋風に吹かれ、煙草を吸いながら一人歩く赤木は美月のことを思う。
色んな表情の美月が浮かんでは消えて、赤木は思わず頬が僅かに緩んだ。
──あ〜、可愛かったな、美月さん。デート楽しみだな。
上機嫌になり、赤木は旅立つべく駅へと歩みを進めた。
その頃、美月は一人頭を抱えていた。
「で、デートって……デートって、何するんだろう〜!?」
部屋に響く少し気の抜けた悲痛な叫びは、秋空へと消えていった。
すると、けたたましく黒電話のベルが鳴り響く。美月は小さくあら、と言うと洗濯物を中断し、電話が置いてある棚へと足を運ぶ。
「もしもし、永代です。はい……はい、はい、ええ、いらっしゃいます。はい……はい、お代わりしますね。……赤木さん」
電話のスピーカーを手で抑えると、赤木を呼んだ。
「警視庁刑事の安岡さんという方からお電話です」
「ああ、代わるよ。もしもし、赤木です」
電話を代わると、美月は少し不安そうな表情をしつつも、会話の盗み聞きはよくないと思い、洗濯物の続きに着手した。
しかし、警察から電話がかかってきたことがやはり気がかりで、美月は悶々と考えてしまう。
──警察、赤木さん何かあったのかな……?それともしちゃった、とか?
赤木はお世辞にも常識があるかないかで言われれば──残念ながら無い部類に入る。良くも悪くも常識に囚われない人間だ。
美月の知ってる範囲では麻雀の代打ち、辻斬り、賭場荒らしと、いつどんな組織に、どんな人物に目をつけられてもおかしくない。
──ああ、どうしよう……もし赤木さんが逮捕なんてされちゃったら……。
ソワソワとしながら美月は洗濯物を終えて、ちょこんと座布団に座る。電話を終えた赤木が戻ってくると、そんな様子の美月を察して事情を説明してくれた。
「ああ、この前君を突き落とした犯人をあの後警察に引き渡してね、それの電話だよ」
「そ、そうだったのですね!」
美月はほっと胸を撫で下ろすと安堵の表情を浮かべた。
「あの、犯人はどのような方だったのですか?」
そう訊ねると、赤木は美月を一瞥してから窓を開け、煙草に火をつけた。
「犯人は若い男で……君に好意を持っていたんだってさ」
「こ、好意……ですか?」
美月は釈然としない様子だ。赤木は紫煙を燻らせながら言葉を紡ぐ。
「ああ、君への感情が暴走してああいった行為に及んだみたいだ。……理解に苦しむな」
最後の言葉を、赤木は呆れたように呟いた。
「そうですか……。それは、私も理解できない、ですね。好きだから傷つけるなんて」
美月は理解のできない、得体の知れない恐怖を感じた。好きだからといって自分を傷つけて、その後どうするつもりだったのか。
監禁か、そのまま襲おうとしたのか、それとも最悪殺人か。
「それで、ここからが本題なんだけど……俺の知り合いの刑事が色々と君に聞きたいことがあるみたいでさ、今時間って大丈夫?」
「……はい、大丈夫です」
美月はなんとか気丈に振る舞い、返事をした。
それから赤木と共に警察署へと向かい、彼の知り合いである安岡刑事を紹介され、突き落とされた時の時間や現場などを聞かれ、軽くではあるが調書を取られた。
そして、突き落とした犯人の写真を安岡に見せられたとき、美月は絶句した。
その人物は自分に親切にしてくれていると思っていたサークル仲間の一人、紺野だったのだから。
それから安岡から紺野は傷害罪で逮捕されること、美月とは今後一切の接触をしないこと、彼は大学を辞めて実家に戻る旨、その他諸々の説明をされると漸く解放された。
待合室に向かうと赤木はまだおらず、美月はソファに座って待つことにした。
──紺野先輩……どうして?ううん、思えば不審な点はあった。最寄り駅に来ていたり、サークルにいる時によく声をかけてきたり……。それから、先輩は多分知ってたんだ、私が永代の人間だってことを。
美月は亡き父から、言い寄ってくる男性、好意を向けてくる男性には一旦警戒しなさいと言い聞かされていたことを思い出す。
それは自分が永代の人間であり、婿養子に入れば相手は将来が安泰と見ているからだと。
──嫌だなぁ、私は永代の人間だけど、父と一緒に勘当されたも同然だし……あの家は好きじゃない。自分の家系が心底、イヤになる。
ぎゅっと美月は片腕を握り、静かに俯いた。
*
「それにしても驚いたよ、お前の知り合いってあのお嬢さんのことだったのか」
取調室で対面した赤木と安岡は、取り調べという名の雑談が繰り広げられていた。
二人分の紫煙が電球のオレンジ色を白みさせる。
「そうだけど?」
「いや、俺はてっきり男かと……。まあいい、取り調べはこれで終わりだ。あのお嬢さん、大分参ってたから励ましてやれ」
「言われなくても」
そう言うと赤木はパイプ椅子から立ち上がり、安岡も取調室を後にした。鉄のドアを開けると、蛍光灯の白い光が赤木を照らす。
「ところでお前、あのお嬢さんとお付き合いしてんのか?」
安岡は少し気になり、質問を赤木に投げかける。
「いいや、付き合ってねえよ」
「そ、そうか……」
さらりと答える赤木は歩みを進めて美月の待つ場所へと向かう。
少し薄暗い待合室で、彼女は項垂れていた。
「美月さん」
「……あ、赤木さん」
少し力無いその声色から、彼女が精神的に参っているのがすぐに分かった。赤木は美月の目の前に跪くと目線を合わせ、彼女の手を優しく取る。
「美月さん、大丈夫?」
「はい……なんとか……。ああ、でも少しショックで……ごめんなさい」
ここまで落ち込んでいる美月を見るのは初めてで、赤木は自分にできることはないかと思考する。その時、調書を取っていて自分たちはまだ昼食をとっていないことに気がついた。
腹が膨れれば、美月の気持ちも少しは良いものになるだろうかと赤木は思い、美月に尋ねる。
「……そう言えば、まだ飯食ってなかったね。なにか食べたいものとかある?」
「食べたいもの……」
少し考えると、美月はぽつりと呟く。
「秋刀魚が、食べたいです」
「秋刀魚……」
秋の味覚、この時期にぴったりの食べ物だ。洒落た喫茶店や洋食店ではなく、季節の食べ物が出てくる飾り気のないところが、美月らしいと赤木は思った。
「いいね、それじゃあ行こう。美味い店知ってるんだ」
赤木がそう声をかけると、美月は何とか笑顔を作って返事をする。指し伸ばさ赤木の手を美月は取り、そのまま手を繋いで待合室を後にする二人を安岡は絶句しながら見ていた。
──赤木お前…っ!マジか!?あれであのお嬢さんと付き合ってないって……お前マジか!!
安岡は思わず煙草を床に落とし、わなわなと震えていた。
赤木と共に向かったのは駅の近くの定食屋だった。
店内に入ると焼き魚のいい香りが鼻腔をくすぐる。
適当な座敷の席に座り、赤木は胡座をかいて、美月は姿勢を正して正座になっていた。
「美月さん、どれにする?」
メニューには焼き魚を主とした定食の名前かずらりと並んでいた。秋刀魚以外にも鯖やホッケ、赤魚の煮付け、鮎の塩焼きなどがあった。
「……秋刀魚定食にします」
「俺も同じのにするよ。すみません」
赤木はテーブルを拭いていた女性を呼ぶと、二人分の注文を済ませてコップに注がれた水を一口飲む。
「散々だったな、今日は」
「……はい」
「君は何も悪くない、そう気を落とすなよ」
「……はい。すみません、気を遣わせてしまって」
「俺がやりたくてやってることだ、気にする必要はねえよ」
「……ありがとうございます」
やっと美月が微笑んだ。まだ少し表情が堅いが、先程よりは良くなったことに赤木は安堵する。
しばらくすると秋刀魚の定食がやってきた。こんがりとした焼き色のついた秋刀魚からは秋を感じさせる匂いがする。
味噌汁、漬物、そしてピカピカに輝いた白米は忘れていた美月の空腹を思い出させる。
「食べようか」
「はい」
「「いただきます」」
二人は手を合わせ、静かに定食を食べる。
ふと赤木は、この近くにプラネタリウムの施設ができた事を思い出した。
「美月さん、プラネタリウムって行ったことある?」
「プラネタリウムですか?いいえ、まだ行ったことないんです。いつか行きたいなって思っていて」
「じゃあさ、今日行こうよ。この後」
「え、えぇっ……!?」
予想とは違うリアクションに、赤木は首を傾げる。
「イヤだった?」
「い、いいえ!その……嫌じゃないです!全然!」
少し美月は考えるように俯く。少しすると何か納得したのか顔を上げる。
「行きたいです、プラネタリウム」
「うん、行こう」
美月の表情はどこか照れくさそうなものだった。何故そのような表情になっていたのか、赤木は件のプラネタリウムのある会場に到着して漸く気がつく事になる。
──なるほど、道理で美月さんが照れるワケだ。
プラネタリウムのチケット売り場の列は、カップルばかりが並んでいた。
手を繋いだり、腕を組んだり、男の肩に頭を預ける女性だったりと、甘やかな雰囲気が漂っている。
ここは所謂、デートスポットだ。
そんな光景を美月は見ていられず、顔を赤くして俯くばかりだ。
ずっと女子しかいない環境に身を置いていた美月は、こういったものに無縁だったが故に耐性がない。
恋愛小説などで知識はあるが、現実となるとやはり気恥しいのだ。
「美月さん、大丈夫?」
「は、はい……大丈夫です。ごめんなさい、こういった場所には慣れてなくて……」
あまりにも
「でも、プラネタリウムとっても楽しみです。連れてきてくれてありがとうございます」
向けられる純粋無垢な笑顔に、赤木の心はときめく。心に矢が一気に三本ほど突き刺さったような感覚になり、表情にはしないものの赤木は動揺していた。
──なんだ?日増しに美月さんが可愛く見える……なんだこれ……。
そんな赤木の心境は露知らず、美月は小首を傾げるのだった。
暫く並びながら美月と何気ない話をしていると、ふと周囲を見て赤木は言う。
「俺達もああいうカップルだと思われてるのかね」
赤木の目には恋人繋ぎをしてイチャついているカップルが映る。赤木も年頃の男性、好きな女性が隣にいるというのに、未だ恋人の関係ではなく友人の関係なのが内心惜しくて堪らなかった。
それに対し、美月は少し顔を赤くするとカップルを視線から外すべく俯いてしまう。
「ど、どうなんでしょう……私たちは、きっと兄妹に見られてるんじゃないでしょうか?」
何処にこんなチンピラの兄と育ちの良い妹の兄妹がいるだろうか、と赤木は思う。それに少し前まで手を繋いでいたではないかと赤木は幾分か悶々としていた。
──色々と美月さんにアプローチしてみたが、どれも効果ナシだな。
さて、もう少しストレートにいくか、このまま変化球でいくか赤木が思案していると、チケット売り場前にある張り紙が目に入る。
──これだ、もっとストレートにいこう。
チケット代は赤木が奢るとの事で話がつき、遂に二人はチケット売り場の受付に到着した。
美月が代金を支払う赤木の様子をなんとなく見ていると、彼が急に手を繋いできた。しかも、周りの恋人たちがしているような、指を絡めた繋ぎ方で。
その繋いだ手を少し上にあげると、受付の女性に見せつけた。
「恋人なんで、カップル割でお願いします」
「!!!???ぇ、えっ……!!??」
「ありがとうございます、カップル割で代金3000円でございます」
美月は顔を真っ赤にして、声にならない声を上げて赤木を見る。赤木は何事もないようにチケットを受け取ると、手を繋いだままプラネタリウムの中へと入っていく。
「あ、あの……!あのあのあの……!?」
「? どうしたの?」
「わ、私たち……!その、こ、こここ恋人では──」
慌てふためき、顔を真っ赤にしている美月に赤木の顔が近づいた。
「俺が恋人はイヤだった?」
「あっ……う、うぅ……で、でも、ダメですよ……!カップルじゃないのに割引を使うなんて……!」
目をぐるぐるとさせながら必死に言葉を紡ぐ美月が愛らしくて、赤木はもう少し彼女をからかってやろうという悪戯心が沸いた。
「ふーん、じゃあ美月さんの中のカップルの定義ってなに?」
そう尋ねると、彼女はまた顔を赤くして俯いてしまった。それは…と美月の小さな声を、赤木は聞き逃さなかった。
「それは……その、まずはお友達から始めて、お互い気持ちを伝えあって……お付き合いをして……仲を深めあうのが、か、カップルなのではないでしょうか?」
恋愛小説や映画でしか知識を持ち合わせていない美月らしい答えに、赤木は成程と納得すると同時に、これは少々ストレートに行き過ぎたかと反省した。
そんな美月は赤木の何を考えているか分からない自由な振る舞いに、心臓は早鐘を打っている。
好意を寄せ、慕っている男性に恋人宣言をされ、デートスポットにいるのだ。舞い上がってしまいそうな気持ちになるも、彼女は心を落ち着かせるべく自分に言い聞かせる。
──だ、ダメよ美月!赤木さんは私が落ち込んでるのを見て励まそうとしてくれているだけ!善意なのよ!それにカップル割も、きっと割引されてお安くなるから!勘違いしちゃダメ!
美月は心臓の鼓動を落ち着かせようと深呼吸をする。
「赤木さん、そろそろ席へ行きませんか?プラネタリウム、はじまりそうですよ」
「ああ、そうだね。行こうか」
「はい」
座席に二人並んで座る。その間も手を繋いでいるため、美月は気が気ではないが、プラネタリウムが始まり、辺りが一気に暗くなる。
今の季節の東京の空から見える星座、アンドロメダ座の解説と、それにまつわる神話が語られ、美月は赤木と手を繋いでいることをすっかり忘れて神話と投影される星々に夢中になっていた。
そんな彼女の横顔を微笑ましく、満足気に赤木は見つめる。
暫く美月を見つめていると、彼女の視線が天井ではなく前の座席に座っている男女に移った。赤木も美月の視線の先に何があるのかと見つめると、なんと前の座席の男女はキスをしている真っ最中だった。
赤木は内心溜息をつきつつも、美月がこんな光景を見てしまっては大変な事になっているのではと思い、隣を見やる。
案の定、美月は暗がりでも分かるほど顔を赤くして、静かに慌てていた。
そして赤木の視線に気がついて、美月は助けを求めるように見つめている。
そんな弱気な表情の美月が可愛いらしく、赤木は繋いでいた手の力を少しだけ込めた。
すると、プラネタリウムが終わり辺りが明るくなっていく。
他の客たちが席を立っていく中、二人は何も言わずに最後まで残り、そして人気の無くなった館内を出ていった。
──き、気まずい……。
お互い顔が見れず、ただ無言で手を繋いで歩いていく。チラリと赤木が美月を見ると、まだ顔を赤らめていた。
「まあ、驚いたな。あんなところでキスするなんて」
「………は、はい………」
弱々しく返事をする美月は頭から湯気が出そうな勢いだ。そんな顔を見られたくないのか、彼女は手で隠している。
「あ、あんな公共の場でき……キス……をするなんて……」
キス、の部分だけとても小さな声で言う美月に赤木は胸のときめきが止まらずにいた。
「あんなことしたら、こ、子供ができてしまいます……!」
「…………は?」
美月の口から出た衝撃の発言に、赤木は思わず声を漏らす。それに対して美月は小首を傾げた。
「だって、その……キス、すると、子供ができるって……」
「それ、誰から教わったの?」
「子供の頃に、父からです……」
赤木は美月が本当に大切に育てられてきたのだろうと思うのと同時に、ここで美月にキスをしても子供はできないことを訂正すべきか、そのままにしておくか少し迷った。
もし訂正すれば、知的好奇心が旺盛な美月のことだ、「では何をしたら子供はできるのですか?」と聞かれることが想像できる。
しかし、このままでは美月が自分が知らぬ間に何処かで恥ずかしい思いをするのではと心配にもなり、それとなく教えることにした。
「美月さん、キスじゃ子供はできねえよ」
「そ、そうなのですか……?それじゃあ、子供はどうしたらできるのでしょう?」
「まあ、そこはいずれ、おいおい知っていけばいいよ」
「は、はい……」
何とか危機を回避した赤木。そのまま二人は帰路につき、道中で今日見たプラネタリウムの話に花を咲かせた。
そして家に着き、美月の作った料理を食べてその日は床について終わった。
次の日、美月が大学に行く前に赤木が声をかける。
「美月さん、今日ここを出るよ。また暫く旅に行ってくる」
「そうなのですね……この度は本当に色々とありがとうございます!今度お会いしたら、何かお礼をさせてください!」
「別に礼なんていいけど……そうだな」
赤木は少し考えると、ニヤリと笑って美月に一歩近づく。
「12月に帰ってくるよ。その時また一緒にどこかへ出かけてくれる?」
「そ、そんなことでいいんですか?」
キョトンとする美月。どうやらこれがデートのお誘いと思っていないようだ。それならば、と赤木は自身の小指に美月の小指を絡めた。
「デートの約束だから、よろしく」
「…………え??えっ、えっ!?!?」
赤木の口から紡がれた「デート」という言葉に、素っ頓狂な声を思わず出してしまう。美月は顔を赤くして見開いた潤んだ瞳で赤木を見た。
「じゃ、そういうことで。また12月にね」
「あ、ま、待ってください!赤木さんっ!で、デ、デートって……!」
「ククク、言葉通りだけど?」
「っ──!」
トドメの一言に美月は遂に目を逸らし、照れを隠すように髪をいじる。
「帰れる日が決まったら電話する。楽しみにしてて」
「は、はい……あの、気をつけていってらっしゃい……!」
いつもは笑顔で送り出してくれる美月だが、今日は顔を真っ赤にして、恥ずかしいのか目も合わせてくれない。
しかし、その仕草が赤木の心を擽ってやまないことを美月は知らない。
「うん、いってくるよ。君も気をつけてね」
こくこくと必死に美月は頷く。そんな彼女を見て満足気に微笑むと、赤木はさくら荘を後にした。
秋風に吹かれ、煙草を吸いながら一人歩く赤木は美月のことを思う。
色んな表情の美月が浮かんでは消えて、赤木は思わず頬が僅かに緩んだ。
──あ〜、可愛かったな、美月さん。デート楽しみだな。
上機嫌になり、赤木は旅立つべく駅へと歩みを進めた。
その頃、美月は一人頭を抱えていた。
「で、デートって……デートって、何するんだろう〜!?」
部屋に響く少し気の抜けた悲痛な叫びは、秋空へと消えていった。
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