月を見ていた
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──恋をすると世界が変わる。
映画や小説で見聞きしたこの台詞は本当なのだと、私は妙に納得した。
朝起きて、隣で眠る好きな人の寝顔を見る。勝負事の時とは打って変わった、年齢相応の無防備な寝顔が愛しくて──この寝顔を毎日でも観察していたい。
「……ん、美月さん」
起きた彼は目を擦り、気だるそうに上半身を起こした。
「おはようございます」
「……ん、おはよう」
寝癖でボサボサになった髪を気だるそうに掻き、ここを仮宿としている赤木さんはしばらくボーッとしている。
赤木さんは少し朝が弱い。
朝8時、朝食を作るために顔を洗って身支度を整えると、私は台所に立つ。それと入れ替わるように赤木さんが洗面所へと入って言った。
いつだって私の作る朝食はシンプルなもので、ほうれん草の胡麻和えに、とうふとわかめ、長ネギの味噌汁、白米に納豆、そして卵焼きだ。
調理の様子を赤木さんは相変わらずそばで見ていて、高鳴る心臓の鼓動が彼に聞こえていないか不安になる。
聞こえるはずがないのは分かっている。
けれど──好きな人がそばにいるだけで、こんなに鼓動が早くなるだなんて知らなかった。
二人で食べるいつもの朝食が、好きな人と一緒だとこんなに美味しくなる事も。
赤木さんがふと笑う顔を見て、目が離せなくなる事も。
いってらっしゃいと見送ってくれる幸せも。
全部、全部──初めてで、少し前まで見ていた私の世界はモノクロだったのかと錯覚してしまうほどに。
恋をしてから、私の目に映る何気ない日常の景色が彩やかに見える。
そして、彼と離れている時間が切なくも愛おしい──こんな感情、今まで無かった。
電車の移動中、大学の講義中のふとした瞬間、バイトの少し暇になった時間に、彼は何をしているかな、何処の雀荘にいるかな、帰ったら居るかな、なんて取り留めなく考えてしまう。
──ああ、これじゃあまるで病気みたいじゃない。
「なんか美月さ、ちょっと変わった?」
「え?」
共に昼食を摂っていた中学校からの友人にそう言われ、私は思わず箸を止める。
「いや、なんか雰囲気っていうの?上手く言えないんだけど何か変わったなぁ〜って。化粧変えた?うーん」
「そんなにまじまじ見ないでよ」
唸る友人の勘は当たっていて、確かに私は変わった。主に私の在り方、考え方が。
私の人生はただ死に向かって歩み続けるだけの過程に過ぎないと思って生きていた。私が目指すのは死のみ。だから過程なんて正直、どうでもよかった。
生き急ぐのみ、歩みを止めるべからず、だった。──彼に恋をするまでは。
桜の木の下で彼は言っていた、恋をしたら考えが変わるかも、と。全く持ってその通りだ。
人を初めて好きになって、こんなにも過程が、生きる事が楽しいと思えた。前向きに生きてみようと思えた。
「ま、とにかく良い意味で変わったよ。私は今の美月、好きだな」
包み隠さず、正直な思いを伝える彼女に私は微笑み、ありがとうと礼を言う。時計を見るとあと20分で次の講義の時間だ。そろそろ移動しなければならない。
「私、次の講義あるからそろそろいくね」
「うん、頑張って〜」
ひらひらと手を振る彼女に私も手を振り返し、弁当箱をバッグにしまうと席を立ち移動した。
今日の講義を全て終えて帰路につく。電車に揺られて降車駅に到着する頃には17時になっていた。赤木さんは今朝、種銭に1000円貸してほしいと言っていたので、私は以前赤木さんが置いていったお金を渡した。赤木さんのお金なので返さなくていい、と一言添えて。
帰ってきているだろうか、それともまだ麻雀を打っているだろうか。それとも麻雀ではない別の博奕をしているのか。どちらにせよ、きっとお腹を空かせて帰ってくるだろうから、帰ったら夕食の準備に取り掛かろう。
今日の献立を考えながら歩いていると、タバコ屋の前に差し掛かり、白い髪に見慣れたポロシャツを着た彼の姿が見えた。
「赤木さん……!」
こちらに気がついた赤木さんは軽く手を振って私を見た。どうやら煙草を買っていたようで、ハイライトの青い箱を二つ持っている。
「大学お疲れ様」
「赤木さんもお疲れ様です、今日はどうでした?」
「別に特段強い相手じゃあなかったな。……ああ、そうだ、明日組の代打ちする事になったんだ。明後日の朝になったら帰るよ」
「分かりました、明後日ですね。明後日……」
ふと、言ってから気がついた。赤木さんは、私の部屋に帰ってくるつもりなのだと。そんな事を言われるのは初めてで、少し嬉しくなってしまう。
「明後日は、その……朝ご飯は組で食べてきますか?」
「いいや、終わったらすぐ帰る」
「分かりました、それじゃあ朝ご飯作って待ってますね」
「悪いね、ありがとう」
そんな他愛のない会話をしていると、住まいのさくら荘が見えてきた。階段を上り、アパートのドアを開けて部屋に入る。ただいま、と言うと赤木さんも続いてただいま、と言った。
晩御飯を作っている最中、赤木さんは相変わらず私の隣で料理をしている様子を見ている。
見ているのだけれど──何だかやっぱり、少し距離が近いように感じる。
包丁を使っている時や、フライパンを使っている時は距離を取っているけれど、それ以外がなんだか全体的に近いような……私の意識のし過ぎだろうか。
何はともあれ、本日のメインディッシュ 麻婆茄子のできあがり。それから中華風スープに白米、切り干し大根を器によそって今日の晩御飯の完成だ。
晩御飯を食べながら、お互いラジオに耳を傾けニュースを聞いていた。去年開催された東京オリンピックの選手のインタビューが流れ、メダルを獲得した選手がその時の心境を語っている。
「赤木さん、去年のオリンピック見ましたか?」
「見たけどたまたまやってた体操だけだな。そん時は代打ちやってた組のテレビで見たっけな」
「あ、私も体操見ました。大家さんの部屋で見せて頂いたんですけれど、凄かったですよね」
「ククク、そうだね」
そんな世間話をしながら食事をして、いつもの様に一緒に洗い物をすると、私は勉強をしなければならないので赤木さんに先にお風呂に入るように伝えた。
彼が入浴している間に布団を広げ、卓袱台を退けると学習机に座って勉強をする。今日の予習と新たに出された課題をしていると、赤木さんがお風呂を終えて居間にやってきた。窓を開けて灰皿を手に取り、窓際に置いて一服している。
その様子をちらりと見て、私は勉強にまた集中する。図書館から借りてきた統計学の本を広げ、今日纏めたノートを睨んでいると、ふと視界に大きな骨張った手が見えた。そして近くなるハイライトの匂い。
振り返ると赤木さんが後ろにいる。片手を机の上に置いて、私の頭の上からノートを覗き込んでいた。
「あの……」
どうかしましたか?と聞こうとした時、こんなに至近距離にいるとは思わずにドキドキしてしまう。
今にも体温が伝わってきそうな距離に、私はなんとか平静を装って尋ねる。きっと何か用事があるのがしれない。
「どうかしましたか?」
「……勉強、何してるのかと思って」
どうやら私が何を勉強しているのか気になったようで覗いているみたいだ。赤木さんと私の生活は大分違う、きっと彼の好奇心が沸いたのだろう。
「今日は統計学です」
「統計学?」
「はい、簡単に言うと過去のデータから規則性や不規則性を導き出すんです。あ、それこそ博奕にも使ってる方はいますよね」
「経済学部ってそういうのも勉強するんだ、文系かと思ってた」
「確かに経済学部って文系のイメージが強いですけど、学ぶ事は結構理数系なんです」
いけない、普通に話せているだろうか。赤木さんとの距離が、彼の匂いが近くて、心臓が破裂してしまいそうだ。
「へぇ、こういう感じなんだ」
椅子の背もたれに赤木さんの手が置かれ、もっと距離が近くなる。私の顔の横に、赤木さんの顔がある。
ダメ、ダメだ──心臓が破裂しそうなくらい動いてる。
顔が熱くなって、息が苦しくて、離れてほしいのに──このままでいたいと思ってしまう。矛盾した気持ちがせめぎ合う。
「ねえ、美月さん」
名前を呼ぶ赤木さんの低い声が少し耳にかかって、目がぐるぐると回るような感覚に襲われ、ぎゅっと目を瞑る。それが限界だった。
「す、すみません、少しお手洗いにいってきますね!」
立ち上がり、私はそそくさとお手洗いに駆け込んで心臓の鼓動が落ち着くのを待った。
違う、赤木さんのそばから離れたかったわけじゃないのに──でも、今の私を見られたくなくて、恥ずかしさと赤木さんが好きという気持ちで頭がいっぱいになってしまって、それが何故だか辛くて、平常心を保てなくなる。
人を好きになるとは、恋をするとは、こんな気持ちになるものなのかと私は胸を抑えた。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。もう大丈夫のはず、居間に戻ると赤木さんは窓を開けて本を読んでいた。
リリリ…リリリ…と秋の虫達の声が聞こえて、秋の訪れを感じさせる。私は椅子に座りまた勉強に着手した。それから数分後、今日の分からなかった部分の予習が完了し、私はうーんと声を上げて体を伸ばす。
「お疲れ様、美月さん」
「ありがとうございます。あら、赤木さん三四郎読んでるんですね」
「ああ、これね。昨日から読み始めた」
私は赤木さんの隣に座ると、三四郎の本を覗き込む。物語は三四郎がヒロインの美禰子と出会った辺りだ。
ふと、二人が出会う場面を見て私は思い出す。去年の今くらいの時期に、赤木さんと出会った夜の事を。
あの日も、こんな月が綺麗な夜だった。
思えば私は赤木さんの事をよく知らない。よく知らない、と言うのは博奕の他に何が好きとか、何が嫌いとか、何処に住んでいたのかとか、学生時代はどうだったのか、そう言った今の彼を象っているものを、私は何一つ知らない。
彼の在り方は知っているのに、そう言ったものを知らないなんて、よく考えてみたらおかしなものだ。
赤木さんの事をもっと知りたい、心の距離が少しでも近くなれたら嬉しい。思い切って私は赤木さんに色々聞いてみる事にした。
「赤木さんは、読書は好きですか?」
「まあ、宿とかで暇つぶし程度には。乱読ってやつだな。君の部屋にあった魂の存在定義についてって本は、なかなか興味深かったよ」
「あの哲学書、面白いですよね。私も好きです。魂は輪廻転生するっていう考え方は、私は良いなって」
「俺もだ」
ふと、その本の話題になって私は赤木さんにある質問をしてみた。
「赤木さんはもし生まれ変わったら何になりたいですか?」
そう尋ねると、彼は本を閉じて少し外を見てから、考えるかのように黙り込む。暫くして私の方を見て言った。
「そうさな……姿かたちはどうあれ、また俺は俺として生きられたらいいな」
その答えは、とても彼らしくて素敵だと思えた。この人はとても心が、魂が綺麗なのだと感じた。
赤木さんの高潔さは、きっとこういう所から来ているのかもしれない。
「美月さんは?」
「え……」
「美月さんは生まれ変わったら、何になりたい?」
赤木さんに同じ質問をされて、私は少し驚いてしまった。生まれ変わったら、私は何になりたいだろうか。
以前なら、別の答えだった。
狂ったように生き急ぐこんな人生、死を好奇心から求める人生は間違っている。だから、もしも生まれ変わるのなら、私は私じゃない生き物になりたいと答えただろう。
でも、今なら──まだ自信はないけれど、答えられる。
「私も……また、私として生まれ変わりたいです。でも、次はもう少し普通の子になりたいかな」
この恋がまたできるのなら、生まれ変わっても私であってもいいかもしれない。彼に出会って、そう思えるようになれた。
「そう?俺は今の君も……良いと思ってる」
「あ、ありがとうございます……」
その言葉が嬉しくて、少し恥ずかしくて照れてしまう。照れを隠すべく、私は話題を変える事にした。
「赤木さんって、学生の頃はどう過ごしてたんですか?」
「急にどうしたの?」
「いや、赤木さんって昔はどうだったのかなって少し気になって。私、赤木さんの事あまり知らないので……」
自分で尋ねておいて、変な質問をしてしまったのではないかと気が気でない。しかし、赤木さんはいつものように穏やかでゆったりとした口調で答えてくれた。
「ククク、どこにでもいるチンピラ学生だったな。喧嘩して、チキンランして、代打ちして」
「喧嘩、チキンランは分かりますけど学生の頃から代打ちやってたんですか?!」
「中学生の頃にね。ま、普段は学校行かないでフラフラしてたかな。それからは工場で働いたり、辞めたりを繰り返して、またこうしてフラフラしてんだ」
私には到底想像できない人生をこの人は送ってきたのだろう。
でも、確かに分かる事もある。
彼は博奕の才気、己の直感と感性、そして博徒としての矜恃で、今までを生きてきて──そして、これからもそうして生きる。
それは並の人間では決して歩む事のできない修羅の道。彼はその道をどこまでも真っ直ぐに、時に愚直に進むのだろう。
「ねえ、美月さんは学生時代どうだったの?」
「わ、私ですか?私はその……普通に学校に行って、普通に授業を受けて、友達と遊んで」
自分で言っていて、どこまでも普通の学生時代で面白みのない話になってしまう。その時、ふと卒業アルバムがあった事を思い出した。これを見ながら話せば、多少は面白みのある話になるかもしれない。
「良かったら卒業アルバム見ますか?」
「いいの?」
「はい、ちょっと待っててくださいね」
私は押し入れを開けて下の段にあるケースの中から卒業アルバムを取り出した。高校生の頃の卒業アルバムを手に赤木さんの隣に座り、私のクラスが写っているセピア色の集合写真の載っているページを開く。
「これは一年生の時の集合写真です」
白いセーラー服の群衆の中、私は中段の左側にいる自分を指さした。
「あ、これが私です」
「この頃の美月さん、髪短いね」
高校一年生の頃の私を見て赤木さんが言う。今とは違ってショートボブくらいの髪の長さだ。
「はい、中学生の頃は学校の規則で全員短髪だったので。あ、私の隣にいるこの子は中学から大学まで一緒のお友達なんです」
赤木さんの顔を覗き込むと、いつものポーカーフェイスなのだが、少しばかり不思議そうな顔をしていた。
「あの、赤木さん?」
「ああ、悪い……この時の美月さんを何処かで見た事がある気がして」
彼は顎に手を当てると、じっと写真の中の私を見る。何処で出会ったかを思い出すように。
でも、私と赤木さんは去年のあの夜が初対面のはずだ。それ以前に出会っている記憶は私にはない。
「もしかしたら、街か何処かですれ違ってて、無意識のうちに覚えてたのかもしれませんね」
「まあ、同じ東京に住んでたらすれ違ってるかもな。君の友達、良い子そうだね」
「はい!とっても良い子で、優しいんですよ」
それから私は卒業アルバムを捲りながら写真を見返していく。一年生の時のスキー林間学校の写真、体育祭で私のいたクラスが1位になった時の皆でじゃれついている写真、文化祭で友達と歩いている写真に、修学旅行の北海道での写真。
思い出を語る私を、赤木さんは相槌を打ち、時に笑いながら聞いていた。
そして私の顔写真と作文が載ったページが開かれる。学校生活を振り返ってと、将来の事について書いた作文だ。
「あぁっ…!そこは見ないでください…!」
「なんで?いいじゃない」
「ダメ!だめです…!恥ずかしいです…!」
赤木さんはひょいっと私の手から卒業アルバムを奪っていくと、私のページに目を通していく。手を伸ばしてアルバムを取り返そうとするも、彼も腕を伸ばして取られまいとしている。私の身長では届くはずもなく、手は虚空を掴むばかりだ。
「もうっ、返してくださ──あっ!」
バランスを崩して私は赤木さんの方へと倒れてしまった。
間一髪の所で赤木さんが私の肩を掴んで支えてくれたものの、上体を赤木さんの胸板へと預けるかたちになってしまった。
赤木さんの体温が、匂いが、鼓動が伝わってきて、私はかぁっと顔が赤くなっていくのを感じる。ハッと顔を上げると、赤木さんと目が合った。
彼も少し驚いているようで、目を丸くしてこちらを見つめている。
ほんの2、3秒の出来事だった。それなのに、赤木さんと目が合った刹那の時間がとてもゆっくり流れているように感じた。
そして、今の状況は良くないという認識が生まれ、我に返る。
「すっ、すみませんっ!今離れます!」
私はサッと赤木さんから離れると、正座をして赤木さんを直視できないでいた。
恥ずかしい、事故とはいえ、はしたない事をしてしまった。でも、少しラッキーと思ってしまっている自分がいて、なんて浅ましいんだと自己嫌悪に陥る。
「すみません、あの……痛くなかったですか?」
「いや、全然。俺の方こそごめん」
「そんな、赤木さんは悪くないです!私がムキになってしまって」
「……これ、返すね。君のことが知れてよかった」
赤木さんが卒業アルバムを閉じて返してくるので、私は受け取り、それを膝の上に乗せた。
「私の事……ですか?」
そう尋ねると、赤木さんは煙草に火をつけて煙を吸うと、外に向かって吐き出してから言った。
「よく一緒に居るのに、俺は君の事をあんまり知らねえと思ってね」
偶然なのだろう。それでも、赤木さんも私と同じ事を思っていたのが無性に嬉しくて、頬が綻んでしまう。
「私も……同じ事を思ってました、赤木さんの事を知りたいって」
「へぇ、そりゃあ嬉しいな。そういうの、シンクロニシティ現象って言うんだってね」
「シンクロニシティ?」
赤木さんは頷いた。
「今日行った雀荘のオヤジが言ってたよ、同じ事を同時に考えたり、行動したり。ちょっとスピリチュアル寄りの現象らしいけど」
「へぇ〜、そういう偶然にも名称があるんですね」
「偶然、ねぇ」
そう言うと赤木さんは煙草をふかし、紫煙を吐いた。
「俺は偶然じゃあねえと思うけどな」
「? どうしてですか?」
「多分、波長が合うんだろうな。だから同じ事を同じ時に考える」
赤木さんの黒い瞳が私を捉える。どこまでも真っ直ぐな彼の視線を、私はただただ逸らせずにいた。
「ねえ、美月さんは今、何を考えてる?」
「私、は……」
貴方の事を考えてる、貴方が好きだ、なんて恥ずかしくて、死んでも言えない。どうにかしてこの気持ちを隠す為に、私はチラリと時計を見る。
時刻は夜の0時を少し回ったところだ。これだと思い、私は何とか言葉にする。
「そ、そろそろ……寝ようかと、思ってました」
そう答えると、赤木さんは喉の奥で低く笑うと、煙草を灰皿に押し付けて火を消す。
「そうだね、俺もそう思ってたところさ」
窓を閉めて、赤木さんは灰皿を持って台所へ向かい、水で灰皿に溜まった吸殻を綺麗にすると、白熱電球の紐に手を掛けた。
「電気、消すよ」
「あ、はいっ。おやすみなさい、赤木さん」
「ああ、おやすみ」
私が布団に入った事を確認すると、赤木さんは小さく笑ってから電気を消した。
赤木さんが布団に入る音がして、改めて今の状況はあまりよろしくないのでは?と考える。
好きな人とひとつ屋根の下、布団は違えど寝床を共にしている──そう思った途端、ぶわりと頬が熱くなり、体中の血液が沸き立つような感覚に襲われた。
余計な事を考えないように私はぎゅっと目を瞑り、体を横にして丸める。
こんなに落ち着かない夜は初めてで、それでも目を瞑っていれば私の意識は闇に溶け落ち、次の日の朝を迎えたのだった。
映画や小説で見聞きしたこの台詞は本当なのだと、私は妙に納得した。
朝起きて、隣で眠る好きな人の寝顔を見る。勝負事の時とは打って変わった、年齢相応の無防備な寝顔が愛しくて──この寝顔を毎日でも観察していたい。
「……ん、美月さん」
起きた彼は目を擦り、気だるそうに上半身を起こした。
「おはようございます」
「……ん、おはよう」
寝癖でボサボサになった髪を気だるそうに掻き、ここを仮宿としている赤木さんはしばらくボーッとしている。
赤木さんは少し朝が弱い。
朝8時、朝食を作るために顔を洗って身支度を整えると、私は台所に立つ。それと入れ替わるように赤木さんが洗面所へと入って言った。
いつだって私の作る朝食はシンプルなもので、ほうれん草の胡麻和えに、とうふとわかめ、長ネギの味噌汁、白米に納豆、そして卵焼きだ。
調理の様子を赤木さんは相変わらずそばで見ていて、高鳴る心臓の鼓動が彼に聞こえていないか不安になる。
聞こえるはずがないのは分かっている。
けれど──好きな人がそばにいるだけで、こんなに鼓動が早くなるだなんて知らなかった。
二人で食べるいつもの朝食が、好きな人と一緒だとこんなに美味しくなる事も。
赤木さんがふと笑う顔を見て、目が離せなくなる事も。
いってらっしゃいと見送ってくれる幸せも。
全部、全部──初めてで、少し前まで見ていた私の世界はモノクロだったのかと錯覚してしまうほどに。
恋をしてから、私の目に映る何気ない日常の景色が彩やかに見える。
そして、彼と離れている時間が切なくも愛おしい──こんな感情、今まで無かった。
電車の移動中、大学の講義中のふとした瞬間、バイトの少し暇になった時間に、彼は何をしているかな、何処の雀荘にいるかな、帰ったら居るかな、なんて取り留めなく考えてしまう。
──ああ、これじゃあまるで病気みたいじゃない。
「なんか美月さ、ちょっと変わった?」
「え?」
共に昼食を摂っていた中学校からの友人にそう言われ、私は思わず箸を止める。
「いや、なんか雰囲気っていうの?上手く言えないんだけど何か変わったなぁ〜って。化粧変えた?うーん」
「そんなにまじまじ見ないでよ」
唸る友人の勘は当たっていて、確かに私は変わった。主に私の在り方、考え方が。
私の人生はただ死に向かって歩み続けるだけの過程に過ぎないと思って生きていた。私が目指すのは死のみ。だから過程なんて正直、どうでもよかった。
生き急ぐのみ、歩みを止めるべからず、だった。──彼に恋をするまでは。
桜の木の下で彼は言っていた、恋をしたら考えが変わるかも、と。全く持ってその通りだ。
人を初めて好きになって、こんなにも過程が、生きる事が楽しいと思えた。前向きに生きてみようと思えた。
「ま、とにかく良い意味で変わったよ。私は今の美月、好きだな」
包み隠さず、正直な思いを伝える彼女に私は微笑み、ありがとうと礼を言う。時計を見るとあと20分で次の講義の時間だ。そろそろ移動しなければならない。
「私、次の講義あるからそろそろいくね」
「うん、頑張って〜」
ひらひらと手を振る彼女に私も手を振り返し、弁当箱をバッグにしまうと席を立ち移動した。
今日の講義を全て終えて帰路につく。電車に揺られて降車駅に到着する頃には17時になっていた。赤木さんは今朝、種銭に1000円貸してほしいと言っていたので、私は以前赤木さんが置いていったお金を渡した。赤木さんのお金なので返さなくていい、と一言添えて。
帰ってきているだろうか、それともまだ麻雀を打っているだろうか。それとも麻雀ではない別の博奕をしているのか。どちらにせよ、きっとお腹を空かせて帰ってくるだろうから、帰ったら夕食の準備に取り掛かろう。
今日の献立を考えながら歩いていると、タバコ屋の前に差し掛かり、白い髪に見慣れたポロシャツを着た彼の姿が見えた。
「赤木さん……!」
こちらに気がついた赤木さんは軽く手を振って私を見た。どうやら煙草を買っていたようで、ハイライトの青い箱を二つ持っている。
「大学お疲れ様」
「赤木さんもお疲れ様です、今日はどうでした?」
「別に特段強い相手じゃあなかったな。……ああ、そうだ、明日組の代打ちする事になったんだ。明後日の朝になったら帰るよ」
「分かりました、明後日ですね。明後日……」
ふと、言ってから気がついた。赤木さんは、私の部屋に帰ってくるつもりなのだと。そんな事を言われるのは初めてで、少し嬉しくなってしまう。
「明後日は、その……朝ご飯は組で食べてきますか?」
「いいや、終わったらすぐ帰る」
「分かりました、それじゃあ朝ご飯作って待ってますね」
「悪いね、ありがとう」
そんな他愛のない会話をしていると、住まいのさくら荘が見えてきた。階段を上り、アパートのドアを開けて部屋に入る。ただいま、と言うと赤木さんも続いてただいま、と言った。
晩御飯を作っている最中、赤木さんは相変わらず私の隣で料理をしている様子を見ている。
見ているのだけれど──何だかやっぱり、少し距離が近いように感じる。
包丁を使っている時や、フライパンを使っている時は距離を取っているけれど、それ以外がなんだか全体的に近いような……私の意識のし過ぎだろうか。
何はともあれ、本日のメインディッシュ 麻婆茄子のできあがり。それから中華風スープに白米、切り干し大根を器によそって今日の晩御飯の完成だ。
晩御飯を食べながら、お互いラジオに耳を傾けニュースを聞いていた。去年開催された東京オリンピックの選手のインタビューが流れ、メダルを獲得した選手がその時の心境を語っている。
「赤木さん、去年のオリンピック見ましたか?」
「見たけどたまたまやってた体操だけだな。そん時は代打ちやってた組のテレビで見たっけな」
「あ、私も体操見ました。大家さんの部屋で見せて頂いたんですけれど、凄かったですよね」
「ククク、そうだね」
そんな世間話をしながら食事をして、いつもの様に一緒に洗い物をすると、私は勉強をしなければならないので赤木さんに先にお風呂に入るように伝えた。
彼が入浴している間に布団を広げ、卓袱台を退けると学習机に座って勉強をする。今日の予習と新たに出された課題をしていると、赤木さんがお風呂を終えて居間にやってきた。窓を開けて灰皿を手に取り、窓際に置いて一服している。
その様子をちらりと見て、私は勉強にまた集中する。図書館から借りてきた統計学の本を広げ、今日纏めたノートを睨んでいると、ふと視界に大きな骨張った手が見えた。そして近くなるハイライトの匂い。
振り返ると赤木さんが後ろにいる。片手を机の上に置いて、私の頭の上からノートを覗き込んでいた。
「あの……」
どうかしましたか?と聞こうとした時、こんなに至近距離にいるとは思わずにドキドキしてしまう。
今にも体温が伝わってきそうな距離に、私はなんとか平静を装って尋ねる。きっと何か用事があるのがしれない。
「どうかしましたか?」
「……勉強、何してるのかと思って」
どうやら私が何を勉強しているのか気になったようで覗いているみたいだ。赤木さんと私の生活は大分違う、きっと彼の好奇心が沸いたのだろう。
「今日は統計学です」
「統計学?」
「はい、簡単に言うと過去のデータから規則性や不規則性を導き出すんです。あ、それこそ博奕にも使ってる方はいますよね」
「経済学部ってそういうのも勉強するんだ、文系かと思ってた」
「確かに経済学部って文系のイメージが強いですけど、学ぶ事は結構理数系なんです」
いけない、普通に話せているだろうか。赤木さんとの距離が、彼の匂いが近くて、心臓が破裂してしまいそうだ。
「へぇ、こういう感じなんだ」
椅子の背もたれに赤木さんの手が置かれ、もっと距離が近くなる。私の顔の横に、赤木さんの顔がある。
ダメ、ダメだ──心臓が破裂しそうなくらい動いてる。
顔が熱くなって、息が苦しくて、離れてほしいのに──このままでいたいと思ってしまう。矛盾した気持ちがせめぎ合う。
「ねえ、美月さん」
名前を呼ぶ赤木さんの低い声が少し耳にかかって、目がぐるぐると回るような感覚に襲われ、ぎゅっと目を瞑る。それが限界だった。
「す、すみません、少しお手洗いにいってきますね!」
立ち上がり、私はそそくさとお手洗いに駆け込んで心臓の鼓動が落ち着くのを待った。
違う、赤木さんのそばから離れたかったわけじゃないのに──でも、今の私を見られたくなくて、恥ずかしさと赤木さんが好きという気持ちで頭がいっぱいになってしまって、それが何故だか辛くて、平常心を保てなくなる。
人を好きになるとは、恋をするとは、こんな気持ちになるものなのかと私は胸を抑えた。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。もう大丈夫のはず、居間に戻ると赤木さんは窓を開けて本を読んでいた。
リリリ…リリリ…と秋の虫達の声が聞こえて、秋の訪れを感じさせる。私は椅子に座りまた勉強に着手した。それから数分後、今日の分からなかった部分の予習が完了し、私はうーんと声を上げて体を伸ばす。
「お疲れ様、美月さん」
「ありがとうございます。あら、赤木さん三四郎読んでるんですね」
「ああ、これね。昨日から読み始めた」
私は赤木さんの隣に座ると、三四郎の本を覗き込む。物語は三四郎がヒロインの美禰子と出会った辺りだ。
ふと、二人が出会う場面を見て私は思い出す。去年の今くらいの時期に、赤木さんと出会った夜の事を。
あの日も、こんな月が綺麗な夜だった。
思えば私は赤木さんの事をよく知らない。よく知らない、と言うのは博奕の他に何が好きとか、何が嫌いとか、何処に住んでいたのかとか、学生時代はどうだったのか、そう言った今の彼を象っているものを、私は何一つ知らない。
彼の在り方は知っているのに、そう言ったものを知らないなんて、よく考えてみたらおかしなものだ。
赤木さんの事をもっと知りたい、心の距離が少しでも近くなれたら嬉しい。思い切って私は赤木さんに色々聞いてみる事にした。
「赤木さんは、読書は好きですか?」
「まあ、宿とかで暇つぶし程度には。乱読ってやつだな。君の部屋にあった魂の存在定義についてって本は、なかなか興味深かったよ」
「あの哲学書、面白いですよね。私も好きです。魂は輪廻転生するっていう考え方は、私は良いなって」
「俺もだ」
ふと、その本の話題になって私は赤木さんにある質問をしてみた。
「赤木さんはもし生まれ変わったら何になりたいですか?」
そう尋ねると、彼は本を閉じて少し外を見てから、考えるかのように黙り込む。暫くして私の方を見て言った。
「そうさな……姿かたちはどうあれ、また俺は俺として生きられたらいいな」
その答えは、とても彼らしくて素敵だと思えた。この人はとても心が、魂が綺麗なのだと感じた。
赤木さんの高潔さは、きっとこういう所から来ているのかもしれない。
「美月さんは?」
「え……」
「美月さんは生まれ変わったら、何になりたい?」
赤木さんに同じ質問をされて、私は少し驚いてしまった。生まれ変わったら、私は何になりたいだろうか。
以前なら、別の答えだった。
狂ったように生き急ぐこんな人生、死を好奇心から求める人生は間違っている。だから、もしも生まれ変わるのなら、私は私じゃない生き物になりたいと答えただろう。
でも、今なら──まだ自信はないけれど、答えられる。
「私も……また、私として生まれ変わりたいです。でも、次はもう少し普通の子になりたいかな」
この恋がまたできるのなら、生まれ変わっても私であってもいいかもしれない。彼に出会って、そう思えるようになれた。
「そう?俺は今の君も……良いと思ってる」
「あ、ありがとうございます……」
その言葉が嬉しくて、少し恥ずかしくて照れてしまう。照れを隠すべく、私は話題を変える事にした。
「赤木さんって、学生の頃はどう過ごしてたんですか?」
「急にどうしたの?」
「いや、赤木さんって昔はどうだったのかなって少し気になって。私、赤木さんの事あまり知らないので……」
自分で尋ねておいて、変な質問をしてしまったのではないかと気が気でない。しかし、赤木さんはいつものように穏やかでゆったりとした口調で答えてくれた。
「ククク、どこにでもいるチンピラ学生だったな。喧嘩して、チキンランして、代打ちして」
「喧嘩、チキンランは分かりますけど学生の頃から代打ちやってたんですか?!」
「中学生の頃にね。ま、普段は学校行かないでフラフラしてたかな。それからは工場で働いたり、辞めたりを繰り返して、またこうしてフラフラしてんだ」
私には到底想像できない人生をこの人は送ってきたのだろう。
でも、確かに分かる事もある。
彼は博奕の才気、己の直感と感性、そして博徒としての矜恃で、今までを生きてきて──そして、これからもそうして生きる。
それは並の人間では決して歩む事のできない修羅の道。彼はその道をどこまでも真っ直ぐに、時に愚直に進むのだろう。
「ねえ、美月さんは学生時代どうだったの?」
「わ、私ですか?私はその……普通に学校に行って、普通に授業を受けて、友達と遊んで」
自分で言っていて、どこまでも普通の学生時代で面白みのない話になってしまう。その時、ふと卒業アルバムがあった事を思い出した。これを見ながら話せば、多少は面白みのある話になるかもしれない。
「良かったら卒業アルバム見ますか?」
「いいの?」
「はい、ちょっと待っててくださいね」
私は押し入れを開けて下の段にあるケースの中から卒業アルバムを取り出した。高校生の頃の卒業アルバムを手に赤木さんの隣に座り、私のクラスが写っているセピア色の集合写真の載っているページを開く。
「これは一年生の時の集合写真です」
白いセーラー服の群衆の中、私は中段の左側にいる自分を指さした。
「あ、これが私です」
「この頃の美月さん、髪短いね」
高校一年生の頃の私を見て赤木さんが言う。今とは違ってショートボブくらいの髪の長さだ。
「はい、中学生の頃は学校の規則で全員短髪だったので。あ、私の隣にいるこの子は中学から大学まで一緒のお友達なんです」
赤木さんの顔を覗き込むと、いつものポーカーフェイスなのだが、少しばかり不思議そうな顔をしていた。
「あの、赤木さん?」
「ああ、悪い……この時の美月さんを何処かで見た事がある気がして」
彼は顎に手を当てると、じっと写真の中の私を見る。何処で出会ったかを思い出すように。
でも、私と赤木さんは去年のあの夜が初対面のはずだ。それ以前に出会っている記憶は私にはない。
「もしかしたら、街か何処かですれ違ってて、無意識のうちに覚えてたのかもしれませんね」
「まあ、同じ東京に住んでたらすれ違ってるかもな。君の友達、良い子そうだね」
「はい!とっても良い子で、優しいんですよ」
それから私は卒業アルバムを捲りながら写真を見返していく。一年生の時のスキー林間学校の写真、体育祭で私のいたクラスが1位になった時の皆でじゃれついている写真、文化祭で友達と歩いている写真に、修学旅行の北海道での写真。
思い出を語る私を、赤木さんは相槌を打ち、時に笑いながら聞いていた。
そして私の顔写真と作文が載ったページが開かれる。学校生活を振り返ってと、将来の事について書いた作文だ。
「あぁっ…!そこは見ないでください…!」
「なんで?いいじゃない」
「ダメ!だめです…!恥ずかしいです…!」
赤木さんはひょいっと私の手から卒業アルバムを奪っていくと、私のページに目を通していく。手を伸ばしてアルバムを取り返そうとするも、彼も腕を伸ばして取られまいとしている。私の身長では届くはずもなく、手は虚空を掴むばかりだ。
「もうっ、返してくださ──あっ!」
バランスを崩して私は赤木さんの方へと倒れてしまった。
間一髪の所で赤木さんが私の肩を掴んで支えてくれたものの、上体を赤木さんの胸板へと預けるかたちになってしまった。
赤木さんの体温が、匂いが、鼓動が伝わってきて、私はかぁっと顔が赤くなっていくのを感じる。ハッと顔を上げると、赤木さんと目が合った。
彼も少し驚いているようで、目を丸くしてこちらを見つめている。
ほんの2、3秒の出来事だった。それなのに、赤木さんと目が合った刹那の時間がとてもゆっくり流れているように感じた。
そして、今の状況は良くないという認識が生まれ、我に返る。
「すっ、すみませんっ!今離れます!」
私はサッと赤木さんから離れると、正座をして赤木さんを直視できないでいた。
恥ずかしい、事故とはいえ、はしたない事をしてしまった。でも、少しラッキーと思ってしまっている自分がいて、なんて浅ましいんだと自己嫌悪に陥る。
「すみません、あの……痛くなかったですか?」
「いや、全然。俺の方こそごめん」
「そんな、赤木さんは悪くないです!私がムキになってしまって」
「……これ、返すね。君のことが知れてよかった」
赤木さんが卒業アルバムを閉じて返してくるので、私は受け取り、それを膝の上に乗せた。
「私の事……ですか?」
そう尋ねると、赤木さんは煙草に火をつけて煙を吸うと、外に向かって吐き出してから言った。
「よく一緒に居るのに、俺は君の事をあんまり知らねえと思ってね」
偶然なのだろう。それでも、赤木さんも私と同じ事を思っていたのが無性に嬉しくて、頬が綻んでしまう。
「私も……同じ事を思ってました、赤木さんの事を知りたいって」
「へぇ、そりゃあ嬉しいな。そういうの、シンクロニシティ現象って言うんだってね」
「シンクロニシティ?」
赤木さんは頷いた。
「今日行った雀荘のオヤジが言ってたよ、同じ事を同時に考えたり、行動したり。ちょっとスピリチュアル寄りの現象らしいけど」
「へぇ〜、そういう偶然にも名称があるんですね」
「偶然、ねぇ」
そう言うと赤木さんは煙草をふかし、紫煙を吐いた。
「俺は偶然じゃあねえと思うけどな」
「? どうしてですか?」
「多分、波長が合うんだろうな。だから同じ事を同じ時に考える」
赤木さんの黒い瞳が私を捉える。どこまでも真っ直ぐな彼の視線を、私はただただ逸らせずにいた。
「ねえ、美月さんは今、何を考えてる?」
「私、は……」
貴方の事を考えてる、貴方が好きだ、なんて恥ずかしくて、死んでも言えない。どうにかしてこの気持ちを隠す為に、私はチラリと時計を見る。
時刻は夜の0時を少し回ったところだ。これだと思い、私は何とか言葉にする。
「そ、そろそろ……寝ようかと、思ってました」
そう答えると、赤木さんは喉の奥で低く笑うと、煙草を灰皿に押し付けて火を消す。
「そうだね、俺もそう思ってたところさ」
窓を閉めて、赤木さんは灰皿を持って台所へ向かい、水で灰皿に溜まった吸殻を綺麗にすると、白熱電球の紐に手を掛けた。
「電気、消すよ」
「あ、はいっ。おやすみなさい、赤木さん」
「ああ、おやすみ」
私が布団に入った事を確認すると、赤木さんは小さく笑ってから電気を消した。
赤木さんが布団に入る音がして、改めて今の状況はあまりよろしくないのでは?と考える。
好きな人とひとつ屋根の下、布団は違えど寝床を共にしている──そう思った途端、ぶわりと頬が熱くなり、体中の血液が沸き立つような感覚に襲われた。
余計な事を考えないように私はぎゅっと目を瞑り、体を横にして丸める。
こんなに落ち着かない夜は初めてで、それでも目を瞑っていれば私の意識は闇に溶け落ち、次の日の朝を迎えたのだった。