第一部 末路
少女は幸せであった。
名はヘルガ。グレーの髪と黒色の瞳が印象的だった。年齢は11歳だ。
ヘルガはグレイス=フィールドハウスという、孤児院で暮らしていた。
両親の顔も知らない。物心ついた時にはもう孤児院にいたのだ。
グレイス=フィールドハウスの孤児院の子供たちは、みんな家族のような存在だ。
そんなヘルガも11歳、最年長であった。彼女は他の子たちと体を動かすことなく、いつも本を読みながら過ごしていた。
青空の木の下で遊んでいる年下の兄弟たちの声を聴くのが、幸せだったと記憶している。
「ヘルガ、一緒に遊びましょうよ?」
「ママがいうのなら……」
ママに呼ばれ、しぶしぶついていく。最年長だからみんなのことをお願いねと言われると、断りきれない。
今日は、鬼ごっこをするらしい。鬼は年下の男の子たちだ。
いつかの鬼ごっこで、すぐに捕まったら「つまんないの!」とブーブー言われたことがあるので、今回は頑張って逃げ切るつもりである。
「それでは、はじめますよ~」
「わ~い!!」
こうして始まったゲームだが、案外楽しかった。
普段、運動をしないヘルガはすぐにバテテしまいほとんどを木の上でやり過ごしていた。
「つまらないのぉ……」と文句を言う子もいたが、最後までヘルガは残り逃げる側の勝利となった。
そして、お昼ご飯の時間になったので皆で食べることになった。
今日のメニューはサンドイッチだ。
具材はハムやレタス、トマトなど様々ある。
ヘルガは、パンにマヨネーズとマスタードをつけて食べるのが好きなのだ。
「いただきまぁす!」
一口かじってみる。
うん、やっぱりおいしい。
隣にいる子は、玉ねぎが入っているのが苦手らしく泣きべそをかいている。
「はい、ハンカチ。涙いて」
「ありがとう、ヘルガ」
「どういたしまして」
子供にはよくあることだから気にすることはない。
こういう時は、ゆっくり背中をさすったりするといいのかな。ママが教えてくれたことを思い出しながら、手を動かしていた。
しばらくして、落ち着いたようで安心する。
「ヘルガ、お母さんみたいだね」と笑われたが、悪い気はしなかった。
いつかは、子の孤児院にいるママのようになれるだろうとそんな淡い夢をみていた。
それから半年、ヘルガは12歳になっていた。誕生日パーティーをすることになり、準備をしている。
テーブルには豪華な料理が並び、子供達は嬉しそうにはしゃいでいた。
「わー!!ご馳走だ!!」
「ケーキもあるよ!」
「こら!静かにしないとダメだよ」
「「はーい!」」
「まったく、あなたたちは……」
「ふふっ、いいじゃないか。さあ、食べようか!」
主役は私達なんだからと、ママに言われて席に着く。目の前にある大きなバースデーケーキを見て、思わず笑顔になる。
「ヘルガ、おめでとう!」
「「おめでとー!」」
「ありがとう、みんな……」
「ほら、ろうそくを吹き消して」
「うん……」
フーッと息を吐き、火を消す。
拍手が起こり、照れくさくなる。
「さあ、次はあなたの番よ」
「えっ……?」
「何を驚いているの?あなたの為の誕生日パーティーなのよ」
「でも……私は」
「早く座りなさい」
「はい」
椅子に座ると、ママはヘルガの前に立った。
「ヘルガ、貴方は本当によくやってくれたわ」
「……」
「明日でお別れ何てなんだか寂しいわ」
「私もだよ、ママ」
ヘルガは、明日で里親に出されることになっていた。
12歳まで里親に出されるという決まりである個々の孤児院。里親に出される兄妹しか見ていなかったヘルガは自分だけがどうして選ばれないのか、不安に駆られる日もあった。そんなときは、家族が励ましてくれる。ヘルガは、この孤児院が大好きだった。けれど、ここを出ていくということは、家族と離れることになる。
嬉しさと反面正直、不安だった。
「大丈夫よ、ヘルガ。新しい家に行っても元気で暮らすのよ?あと、運動もちゃんとするように!」
「わかっているわ、ママ」「じゃあ、そろそろ寝ましょうか」
「うん」
ベッドに入ると、いままでのことのことを思い出す。
初めて鬼ごっこをした時、男の子たちに泣かれたことがあった。
みんなと遊んだのは、楽しかった。
いつも一人で本を読んでいたヘルガにとって、新鮮だった。
「もっと……遊べばよかったな……」
ぽつりと呟くと、自然と目頭が熱くなり涙がこぼれた。そしてそのまま、眠りにつくのであった。
「おはよう。ヘルガ、準備はできた?」
「うん、いつでも」
「じゃあ、行きましょうか」
ヘルガは、孤児院を出る。
冷たい風がヘルガのグレーの髪を揺らし、彼女の小さな体を包む。
彼女は、今日兄妹たちとお別れだ。正確には血のつながっていない、孤児院の家族たちと。孤児院のママに連れられ、手をつなぎながらかつての家(孤児院)を後にする。これから、里親の基へ行くのだ。自由な生活が待っているのだと、信じてやまない彼女は頬を高揚させていく。
ヘルガは、背側の門が降りていくのを孤児院を眺めながら見ていた。
ヘルガ、と呼ばれて振り返ると見たことのない生物がいた。爪は鋭く、目は複数ある。、複数の目を動かし遥か小さい少女を見下ろしている。
あまりの怖さに悲鳴をあげそうになるが、必死で堪える。
ママと助けを呼ぼうした彼女はもう一度母親の手を掴もうとする。しかし、手には何も感じなかった。慌てて振り向くとそこには何もいなかった。そこでようやく気づいたのだ。
――ママは、怪物の仲間だったんだ。
孤児院の門を振り返ると、薄暗い空の下で黒々とした鉄格子が沈黙している。彼女の心臓が早鐘のように鳴り響く中、冷たい夜の空気が肺にしみわたる。ヘルガの震える指が鉄格子に触れた瞬間、氷のような感触が彼女の手を走り抜けた。
「ヘルガ、戻ってきなさい」
恐怖に体を歪める彼女の肩を叩いたのは、孤児院のママだった。
「あなたは、運がいいわ。さぁ、選ばせてあげます。一重に、”死ぬか””生きるか”です。生きれば、私のように孤児院にまた戻ってこられます……。ほらあの車の荷台をごらんなさい」
指差された方を見ると、そこには子供らしき人影が見えた。しかし、様子がおかしい。胸には何か植物のような、赤い花が刺さっていて瓶詰にされている。
なんだろう、あれ……。
動揺する少女の思考を読んだかのようにママは答えた。
「彼らは食用児ですよ。私は、そんな食用児たちの世話をする飼育監。さぁ、あなたはどちらになりたい?ママになるか、それとも死ぬか」
ママは微笑んでいる。まるで、それが当たり前だと言うように。
ヘルガは怖くなり、頷いてしまったのだ
かつてママだった女性は、優しく微笑むとその手を握りしめ「新しいおうちでもがんばってね」と無機質な声色で言ったのだった。
ヘルガの心に思ったことは一つ。
――死にたくない。
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