第3部 変生者
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ヘルガは、ベッドの天蓋を眺めながら、ふぅとため息をついた。寝心地の良いベッドと、温かい布団。何よりも広いベッドと、そこにあるぬくもり。それらは、まるで自分が守られているかのような安心感を与えてくれた。
ふと窓の外を見ると、いつも護衛役をしてくれる二人が外で鍛錬をしているのが見えた。
(私も、久しぶりに体を動かしたいわ)
ヘルガはそんなことを思いながら、ベッドの上で寝返りを打った。ここ最近、ずっと部屋の中で過ごしていたため、体が鈍ってしまっている気がする。それに、このままではどんどん太ってしまいそうだ。
(……明日は、外に出ようかしら。たまには、体を動かさないとね)
そう決心すると、ヘルガは起き上がって部屋の外へ出ることにした。
扉を開けると、目の前にレウウィスが立っていた。
彼はこちらをじっと見下ろし、口を開いた。
「そんな、物騒なものをもって、どこに行こうとしていた」
レウウィスの口調は静かだったが、明らかに怒気を孕んでいるとヘルガには分かった。
「外で、兵士の二人が訓練してるから混ざろうと思っただけ」
「だめだ」
別に勝手に邸宅の敷地外へ行くわけでもないのだし、良いではないかと思うのだが。無理やり行こうとすれば、彼は頑なについてこようとする。
このまま、連れて行けば兵士二人が縮こまってしまっては、気の毒だろう。
「なら、レウウィスが直接、私に稽古をつけてちょうだいな」
レウウィスは小さく溜息をつくと、仕方なくといった様子で、ヘルガに背を押され、裏庭にむかった。
「その前に一つ聞きたいことがあるんだが、ヘルガ私はそんなものを与えた覚えはないが……」
レウウィスはそう言いながら、彼女に向かって手を差し出した。彼女はその手を不思議そうな顔をしながら見ている。レウウィスは痺れを切らしたのか、無理矢理それを奪い取った。
「返してちょうだい。以前、二人に選んで買ったものなのよ。せっかく手入れをして綺麗にしたのに」
彼女は慌てて取り返しに行くが、レウウィスはそれをひらりとかわす。そしてまたもや奪い取る。レウウィスは、私が護身用に持っているナイフを見て顔をしかめた。
ヘルガは、もう一度、彼につかみかかるが、それも空しく捕まり地面に押し倒されてしまった。
「……怖い顔してる。レウウィス、言葉にしてくれないと分からない。……どうして欲しいの」
巨躯の男は彼女の腕を掴んだまま動かなかった。彼はじっと見つめていたが何も言わず、無言のまま彼女を見下ろしたままだった。
レウウィスはため息をつくと、彼女の額を小突いた。不機嫌な様子に、レウウィスが何を考えているのか分からなくなった。こんな風に黙られるくらいなら、何か言ってくれたほうがましだった。
「まさか、護衛兵士の二人に嫉妬しているの?」
冗談のつもりで口にしたつもりだった。だが、レウウィスは何も答えなかった。ヘルガから目をそらした。
(嘘でしょう……、本当なの)
彼は、しばらく黙っていたが、やがて低い声で呟くように言った。
「……あぁ、そうだ。君が他の男が選んだナイフを持っているのは気に食わない」
「でも、最終的に選んだのは私。そもそも、レウウィスが私に武器を持つのを禁止させたんですから」
レウウィスから、この邸宅がいかに安全と説明されても人間であるヘルガは被食者なのだ。自己防衛にナイフを持つことぐらい許されるべきだ。
ヘルガは、レウウィスに武器を持つことくらいいじゃないと訴えた。
「レウウィス、お願い。私の意思で戦うことを許してほしいの」
ヘルガは、彼の服を引っ張った。するとレウウィスは深い溜息をつくと、頭を掻きながら渋々といった様子でナイフを返してくれた。
「君には負けてしまうね」
ヘルガはほっとした表情で微笑むと、レウウィスにお礼を言う。それから、裏庭の木剣を取ると、「じゃあ早速稽古つけてほしいと、武器と構えた。
レウウィスは、木刀を持った彼女を一別したが、呆れた様子で首を振った。
レウウィスは容赦なヘルガの体に切りかかってきた。それを必死になって避けるが、すぐに反撃の隙を与えないように彼は次の攻撃へと移る。
レウウィスの棒が、ヘルガに襲いかかる。それを寸でのところでかわすが、バランスを崩して尻餅をついてしまった。そのまま後転しながら間合いを取った。
レウウィスは木の棒なのに、周囲の草は真っ二つになっている。彼が本気で振り回せば、ヘルガの体なんてあっという間に吹き飛ばされてしまうだろう。
しかし、彼は棒で肩を叩きながらこちらを見ていた。まるで獲物を追いつめる獣のような鋭い眼光。
(この目を見るのは、数年ぶりかもしれない。何度も追いかけてきた時の彼と同じだ)
ヘルガは、緊張しながらも木剣を構えた。だが、その瞬間、木剣は簡単に弾き飛ばされてしまった。レウウィスは、ヘルガの首元に棒を突きつける。
「降参するなら今のうちだよ」
ヘルガは、唇を噛むとレウウィスの木剣をはたき落とそうとした。だが、そんな抵抗も無駄だった。
「意外と頑固だよね」
そう言いながら、首に木刀を近づける。だが、レウウィスの攻撃は止まったままだった。ヘルガが避けようとすると、あっさりと首から離れた。レウウィスは木刀を手に取ると、地面に突き刺した。そして、ゆっくりとしゃがみ込むとヘルガの両手を握った。
「……もう逃げないと誓ってくれるか」
彼の手は震えていた。どうしてそんな事を聞くのか分からなかった。
ヘルガは少し考え込んだ。レウウィスは、自分を殺すことができる存在だ。
「当たり前じゃない、だってあなた以外に行く当てもないんだもの」
「……その言葉が偽りでないのであれば、武器を与えよう」
「ありがとう。ところで、いつ頂けるのかしら」
「王都に行った時だ。以前ヘルガに与えたのは、王都の特注品だ」
その時、レウウィスが何かを思い出したように口を開いた。
「共に王都に行かんか」
ヘルガは、突然の提案に戸惑った。だが、ヘルガが答えを出せないまま時間だけが過ぎていった。レウウィスは、ヘルガの様子を伺っている。彼はじっと待っていてくれた。だが、沈黙に耐えられなくなったのか、小さく息を吐くと再び言葉を発した。
「どのみち、君との婚姻のために行かねばならん」
聞き返すと、レウウィスは苦笑いした。どうやら冗談ではなかったらしい。
「……君を危険な目に遭わせることになるかもしれんが、構わんかね?」
ヘルガは、迷うことなく答えた。すると、レウウィスは忙しくなるなぁと答えながら歩き出した。ヘルガは彼の後を追いかけながら思った。
王都に行くということは、バイヨンのような貴族や以前訪れた町よりもずっと大きい場所なのだろう。ヘルガの頭の中には様々な想像が広がった。人間とバレれば、ヘルガだけではなくレウウィスも王族と言えど反逆罪となるだろう。
準備にも時間がかかると聞いた。王都に行くと決まった日から邸宅では慌ただしく動いていた。使用人たちの姿を見るとヘルガも動きたいと思ったが、屋敷の外へ出ることを許されなかった。外出の許可をもらうと邸宅を出て町を歩いた。目的は邸宅以外の他の鬼にも慣れること、鬼の社会について学ぶことだ。
レウウィスからは、「危険だと思えば、すぐ逃げること」と言われて外に出ることができた。
鬼たちと共に生活して、彼らの価値観を理解するのには時間がかかりそうだ。それに、彼らの行動一つ一つが人間のヘルガからすれば突飛なものに見えるので、気をつけなければならない。
けれど、街を歩くカップルのような鬼、今日のご飯は何かと尋ねる子供、井戸端会議をする鬼、みんなが幸せそうに暮らしているように見えた。
(彼らの食料が人間でなければ、分かり合えていたかもしれない。もし、昔に争い合っていなかったら……)
たらればの話をしたって仕方がない。でも、そんな世界が訪れていたならと思うことがある。
けれど、それは難しい事だろうと。
人間の本でも、戦争の歴史があることはレウウィスにもらった本で知っている。
鬼の社会でも身分制度による貧富の差、農園と王権による人肉の独占など、欲によって対立してきた歴史がある。
「……共存する道はないのかな」
ヘルガは小さく呟いた。レウウィスは、その声に気が付き振り返ると「また考え事をしていたのだね」と優しい声で話しかけてきた。
「考え事をしていたのよ、大丈夫なんでもないわ。ところで、どういう筋書きで私のことを話すつもりなのかしら」
そう言うと、レウウィスは少しだけ考える素振りを見せた。だが、すぐにこちらを向くと、「そうだねぇ……」と言って言葉を止めた。
しばらく待っていると、レウウィスは笑顔になった。どうやら思いついたらしい。そして、彼の口から語られたのは、とんでもないものだった。
なんて無茶な計画だと呆れたが、それしかないのだろうとヘルガは思った。
「しかし、これで欲深な姉上が納得するとも思わん」
レウウィスは危惧していた。鬼の王、女王レグラヴァリマは、親兄弟も殺し王の地位を奪い取った。結婚するということは、子供ができるということ。女王レグラヴァリマは新たな王位継承者の出現を恐れていた。だが、ヘルガはなんだそんなことと一蹴した。
「子供が産めない体なの。農園から出荷されたのもそれが理由よ」
ヘルガは肩をすくめた。
レウウィスは、なるほどと言いながら顎をさすった。
子供ができないのは、鬼と人間だからだと思っていたが、どうやら違うようだ。
「……黙っていてごめんなさい。生殖機能がないなんて知ったらあなたは悲しむのかもしれないと思って」
レウウィスの様子を見て、彼女は謝った。
ヘルガがそう言い終えると、彼は困ったように笑った。
すると突然彼は立ち上がって、手を差し伸べた。
突然の行動だったので戸惑っていると、レウウィスが口を開いた。
「……それを理由にするならば、姉上はいいとして民や貴族が黙っていないだろう。石女で王族の嫁になるとなれば、それは大きな反感を買う」
「それについて、マチルダと相談しているわ。平気よ」
レウウィスの言葉に答える。すると、扉のノック音と共に一人の女性が入ってきた。ラフィだった。
「大公様、王城より、手紙が届いております。いかがいたしましょう?」
レウウィスは、手紙を受け取ると開封し読み始めた。すると、次第に険しい表情になっていくのが分かった。
ヘルガは心配になって覗き込んだ。すると、彼は苦笑いしてヘルガに紙を手渡す。
「……女王殿下が城で婚姻の儀を挙げるようにとのことです」
レウウィスは溜息を吐いた。
「面倒なことになった。王都には婚姻の儀を行ったと報告するだけの予定だったはずが……致し方あるまい」
レウウィスはカウチから立ち上がり、ラフィに指示を出す。
一方のヘルガもマチルダこれからのことを話し合うために部屋を出た。
**
数週間をかけ、ヘルガたちは身支度や荷造りを整えたり、それに加えヘルガは礼儀作法を学んでいた。
王城に滞在するために、ドレスが必要になることを聞かされたヘルガ。
ヘルガは自身の体型に合うよう既製品手直しをしたり、一から作ることもある。
婚姻の儀には、白い服を纏うのが礼儀とされている。レウウィスの邸宅で行うものだからとシンプルな装いだったが、今回は王城で式を行うのだ。そうもいかない。
しかし、その準備に追われるヘルガは楽しげにしていた。レースをちまちまと縫い合わせ、刺繍を施す作業は嫌いではないのだ。むしろ好きである。しかし、ヘルガの手を止めさせたのはレウウィスからの一言であった。
「……楽しみだよ。君がどんな顔をして、花嫁衣装を身に着けるか」
「あら、当日のお顔はわかりませんよ。お面をつけてますからね」
とクスリと笑う。
「それもそうだな」
とレウウィスもつられて笑った。
ヘルガはそんな彼に少しだけ意地悪をしたくなったのだ。
「レウウィスもきっと、素敵な装束なんでしょうね。あなたの晴れ姿、早く見たいわ」
すると、レウウィスは目を丸くした後、声を上げて笑った。
ヘルガはそんな彼の様子に、自分の言葉が可笑しかったのかと首を傾げた。
レウウィスはひとしきり笑った後、ふっと微笑んだ。
「……そうだな。早く見たい」
レウウィスが背後から私の腰に手を回して抱き寄せてきた。
レウウィスは、ヘルガの肩に顎を乗せると耳元で囁く。
「今夜、いいだろうか?」
その言葉の意味を理解して、思わず頬が熱くなる。しかし、ヘルガは冷静に答えた。
「今、こんな大変な時期なのに……ダメよ」
レウウィスは少しだけ寂しそうな表情を見せた。ヘルガは言いすぎてしまったのではないかと。レウウィスの顎辺手を添え、面を取り口づけをする。そして、彼の瞳を見つめながら言った。
「……これで、我慢して」
おやすみなさい、ヘルガは額にキスをして部屋を出る。
一瞬の出来事にレウウィスは固まっていた。
ヘルガの唇の感触がまだ残っている。
据え膳食わぬなんとやら、という言葉があるが、レウウィスにとっては、それはまさにその通りだった。
私のことを捕食者だと思っていないのだろう。レウウィスの理性は、ヘルガの無邪気な行動によって崩壊寸前だ。
「私も堕ちたものだな……」
レウウィスは、なんとか自身を戒め天蓋付きのベッドに横になった。
ふと窓の外を見ると、いつも護衛役をしてくれる二人が外で鍛錬をしているのが見えた。
(私も、久しぶりに体を動かしたいわ)
ヘルガはそんなことを思いながら、ベッドの上で寝返りを打った。ここ最近、ずっと部屋の中で過ごしていたため、体が鈍ってしまっている気がする。それに、このままではどんどん太ってしまいそうだ。
(……明日は、外に出ようかしら。たまには、体を動かさないとね)
そう決心すると、ヘルガは起き上がって部屋の外へ出ることにした。
扉を開けると、目の前にレウウィスが立っていた。
彼はこちらをじっと見下ろし、口を開いた。
「そんな、物騒なものをもって、どこに行こうとしていた」
レウウィスの口調は静かだったが、明らかに怒気を孕んでいるとヘルガには分かった。
「外で、兵士の二人が訓練してるから混ざろうと思っただけ」
「だめだ」
別に勝手に邸宅の敷地外へ行くわけでもないのだし、良いではないかと思うのだが。無理やり行こうとすれば、彼は頑なについてこようとする。
このまま、連れて行けば兵士二人が縮こまってしまっては、気の毒だろう。
「なら、レウウィスが直接、私に稽古をつけてちょうだいな」
レウウィスは小さく溜息をつくと、仕方なくといった様子で、ヘルガに背を押され、裏庭にむかった。
「その前に一つ聞きたいことがあるんだが、ヘルガ私はそんなものを与えた覚えはないが……」
レウウィスはそう言いながら、彼女に向かって手を差し出した。彼女はその手を不思議そうな顔をしながら見ている。レウウィスは痺れを切らしたのか、無理矢理それを奪い取った。
「返してちょうだい。以前、二人に選んで買ったものなのよ。せっかく手入れをして綺麗にしたのに」
彼女は慌てて取り返しに行くが、レウウィスはそれをひらりとかわす。そしてまたもや奪い取る。レウウィスは、私が護身用に持っているナイフを見て顔をしかめた。
ヘルガは、もう一度、彼につかみかかるが、それも空しく捕まり地面に押し倒されてしまった。
「……怖い顔してる。レウウィス、言葉にしてくれないと分からない。……どうして欲しいの」
巨躯の男は彼女の腕を掴んだまま動かなかった。彼はじっと見つめていたが何も言わず、無言のまま彼女を見下ろしたままだった。
レウウィスはため息をつくと、彼女の額を小突いた。不機嫌な様子に、レウウィスが何を考えているのか分からなくなった。こんな風に黙られるくらいなら、何か言ってくれたほうがましだった。
「まさか、護衛兵士の二人に嫉妬しているの?」
冗談のつもりで口にしたつもりだった。だが、レウウィスは何も答えなかった。ヘルガから目をそらした。
(嘘でしょう……、本当なの)
彼は、しばらく黙っていたが、やがて低い声で呟くように言った。
「……あぁ、そうだ。君が他の男が選んだナイフを持っているのは気に食わない」
「でも、最終的に選んだのは私。そもそも、レウウィスが私に武器を持つのを禁止させたんですから」
レウウィスから、この邸宅がいかに安全と説明されても人間であるヘルガは被食者なのだ。自己防衛にナイフを持つことぐらい許されるべきだ。
ヘルガは、レウウィスに武器を持つことくらいいじゃないと訴えた。
「レウウィス、お願い。私の意思で戦うことを許してほしいの」
ヘルガは、彼の服を引っ張った。するとレウウィスは深い溜息をつくと、頭を掻きながら渋々といった様子でナイフを返してくれた。
「君には負けてしまうね」
ヘルガはほっとした表情で微笑むと、レウウィスにお礼を言う。それから、裏庭の木剣を取ると、「じゃあ早速稽古つけてほしいと、武器と構えた。
レウウィスは、木刀を持った彼女を一別したが、呆れた様子で首を振った。
レウウィスは容赦なヘルガの体に切りかかってきた。それを必死になって避けるが、すぐに反撃の隙を与えないように彼は次の攻撃へと移る。
レウウィスの棒が、ヘルガに襲いかかる。それを寸でのところでかわすが、バランスを崩して尻餅をついてしまった。そのまま後転しながら間合いを取った。
レウウィスは木の棒なのに、周囲の草は真っ二つになっている。彼が本気で振り回せば、ヘルガの体なんてあっという間に吹き飛ばされてしまうだろう。
しかし、彼は棒で肩を叩きながらこちらを見ていた。まるで獲物を追いつめる獣のような鋭い眼光。
(この目を見るのは、数年ぶりかもしれない。何度も追いかけてきた時の彼と同じだ)
ヘルガは、緊張しながらも木剣を構えた。だが、その瞬間、木剣は簡単に弾き飛ばされてしまった。レウウィスは、ヘルガの首元に棒を突きつける。
「降参するなら今のうちだよ」
ヘルガは、唇を噛むとレウウィスの木剣をはたき落とそうとした。だが、そんな抵抗も無駄だった。
「意外と頑固だよね」
そう言いながら、首に木刀を近づける。だが、レウウィスの攻撃は止まったままだった。ヘルガが避けようとすると、あっさりと首から離れた。レウウィスは木刀を手に取ると、地面に突き刺した。そして、ゆっくりとしゃがみ込むとヘルガの両手を握った。
「……もう逃げないと誓ってくれるか」
彼の手は震えていた。どうしてそんな事を聞くのか分からなかった。
ヘルガは少し考え込んだ。レウウィスは、自分を殺すことができる存在だ。
「当たり前じゃない、だってあなた以外に行く当てもないんだもの」
「……その言葉が偽りでないのであれば、武器を与えよう」
「ありがとう。ところで、いつ頂けるのかしら」
「王都に行った時だ。以前ヘルガに与えたのは、王都の特注品だ」
その時、レウウィスが何かを思い出したように口を開いた。
「共に王都に行かんか」
ヘルガは、突然の提案に戸惑った。だが、ヘルガが答えを出せないまま時間だけが過ぎていった。レウウィスは、ヘルガの様子を伺っている。彼はじっと待っていてくれた。だが、沈黙に耐えられなくなったのか、小さく息を吐くと再び言葉を発した。
「どのみち、君との婚姻のために行かねばならん」
聞き返すと、レウウィスは苦笑いした。どうやら冗談ではなかったらしい。
「……君を危険な目に遭わせることになるかもしれんが、構わんかね?」
ヘルガは、迷うことなく答えた。すると、レウウィスは忙しくなるなぁと答えながら歩き出した。ヘルガは彼の後を追いかけながら思った。
王都に行くということは、バイヨンのような貴族や以前訪れた町よりもずっと大きい場所なのだろう。ヘルガの頭の中には様々な想像が広がった。人間とバレれば、ヘルガだけではなくレウウィスも王族と言えど反逆罪となるだろう。
準備にも時間がかかると聞いた。王都に行くと決まった日から邸宅では慌ただしく動いていた。使用人たちの姿を見るとヘルガも動きたいと思ったが、屋敷の外へ出ることを許されなかった。外出の許可をもらうと邸宅を出て町を歩いた。目的は邸宅以外の他の鬼にも慣れること、鬼の社会について学ぶことだ。
レウウィスからは、「危険だと思えば、すぐ逃げること」と言われて外に出ることができた。
鬼たちと共に生活して、彼らの価値観を理解するのには時間がかかりそうだ。それに、彼らの行動一つ一つが人間のヘルガからすれば突飛なものに見えるので、気をつけなければならない。
けれど、街を歩くカップルのような鬼、今日のご飯は何かと尋ねる子供、井戸端会議をする鬼、みんなが幸せそうに暮らしているように見えた。
(彼らの食料が人間でなければ、分かり合えていたかもしれない。もし、昔に争い合っていなかったら……)
たらればの話をしたって仕方がない。でも、そんな世界が訪れていたならと思うことがある。
けれど、それは難しい事だろうと。
人間の本でも、戦争の歴史があることはレウウィスにもらった本で知っている。
鬼の社会でも身分制度による貧富の差、農園と王権による人肉の独占など、欲によって対立してきた歴史がある。
「……共存する道はないのかな」
ヘルガは小さく呟いた。レウウィスは、その声に気が付き振り返ると「また考え事をしていたのだね」と優しい声で話しかけてきた。
「考え事をしていたのよ、大丈夫なんでもないわ。ところで、どういう筋書きで私のことを話すつもりなのかしら」
そう言うと、レウウィスは少しだけ考える素振りを見せた。だが、すぐにこちらを向くと、「そうだねぇ……」と言って言葉を止めた。
しばらく待っていると、レウウィスは笑顔になった。どうやら思いついたらしい。そして、彼の口から語られたのは、とんでもないものだった。
なんて無茶な計画だと呆れたが、それしかないのだろうとヘルガは思った。
「しかし、これで欲深な姉上が納得するとも思わん」
レウウィスは危惧していた。鬼の王、女王レグラヴァリマは、親兄弟も殺し王の地位を奪い取った。結婚するということは、子供ができるということ。女王レグラヴァリマは新たな王位継承者の出現を恐れていた。だが、ヘルガはなんだそんなことと一蹴した。
「子供が産めない体なの。農園から出荷されたのもそれが理由よ」
ヘルガは肩をすくめた。
レウウィスは、なるほどと言いながら顎をさすった。
子供ができないのは、鬼と人間だからだと思っていたが、どうやら違うようだ。
「……黙っていてごめんなさい。生殖機能がないなんて知ったらあなたは悲しむのかもしれないと思って」
レウウィスの様子を見て、彼女は謝った。
ヘルガがそう言い終えると、彼は困ったように笑った。
すると突然彼は立ち上がって、手を差し伸べた。
突然の行動だったので戸惑っていると、レウウィスが口を開いた。
「……それを理由にするならば、姉上はいいとして民や貴族が黙っていないだろう。石女で王族の嫁になるとなれば、それは大きな反感を買う」
「それについて、マチルダと相談しているわ。平気よ」
レウウィスの言葉に答える。すると、扉のノック音と共に一人の女性が入ってきた。ラフィだった。
「大公様、王城より、手紙が届いております。いかがいたしましょう?」
レウウィスは、手紙を受け取ると開封し読み始めた。すると、次第に険しい表情になっていくのが分かった。
ヘルガは心配になって覗き込んだ。すると、彼は苦笑いしてヘルガに紙を手渡す。
「……女王殿下が城で婚姻の儀を挙げるようにとのことです」
レウウィスは溜息を吐いた。
「面倒なことになった。王都には婚姻の儀を行ったと報告するだけの予定だったはずが……致し方あるまい」
レウウィスはカウチから立ち上がり、ラフィに指示を出す。
一方のヘルガもマチルダこれからのことを話し合うために部屋を出た。
**
数週間をかけ、ヘルガたちは身支度や荷造りを整えたり、それに加えヘルガは礼儀作法を学んでいた。
王城に滞在するために、ドレスが必要になることを聞かされたヘルガ。
ヘルガは自身の体型に合うよう既製品手直しをしたり、一から作ることもある。
婚姻の儀には、白い服を纏うのが礼儀とされている。レウウィスの邸宅で行うものだからとシンプルな装いだったが、今回は王城で式を行うのだ。そうもいかない。
しかし、その準備に追われるヘルガは楽しげにしていた。レースをちまちまと縫い合わせ、刺繍を施す作業は嫌いではないのだ。むしろ好きである。しかし、ヘルガの手を止めさせたのはレウウィスからの一言であった。
「……楽しみだよ。君がどんな顔をして、花嫁衣装を身に着けるか」
「あら、当日のお顔はわかりませんよ。お面をつけてますからね」
とクスリと笑う。
「それもそうだな」
とレウウィスもつられて笑った。
ヘルガはそんな彼に少しだけ意地悪をしたくなったのだ。
「レウウィスもきっと、素敵な装束なんでしょうね。あなたの晴れ姿、早く見たいわ」
すると、レウウィスは目を丸くした後、声を上げて笑った。
ヘルガはそんな彼の様子に、自分の言葉が可笑しかったのかと首を傾げた。
レウウィスはひとしきり笑った後、ふっと微笑んだ。
「……そうだな。早く見たい」
レウウィスが背後から私の腰に手を回して抱き寄せてきた。
レウウィスは、ヘルガの肩に顎を乗せると耳元で囁く。
「今夜、いいだろうか?」
その言葉の意味を理解して、思わず頬が熱くなる。しかし、ヘルガは冷静に答えた。
「今、こんな大変な時期なのに……ダメよ」
レウウィスは少しだけ寂しそうな表情を見せた。ヘルガは言いすぎてしまったのではないかと。レウウィスの顎辺手を添え、面を取り口づけをする。そして、彼の瞳を見つめながら言った。
「……これで、我慢して」
おやすみなさい、ヘルガは額にキスをして部屋を出る。
一瞬の出来事にレウウィスは固まっていた。
ヘルガの唇の感触がまだ残っている。
据え膳食わぬなんとやら、という言葉があるが、レウウィスにとっては、それはまさにその通りだった。
私のことを捕食者だと思っていないのだろう。レウウィスの理性は、ヘルガの無邪気な行動によって崩壊寸前だ。
「私も堕ちたものだな……」
レウウィスは、なんとか自身を戒め天蓋付きのベッドに横になった。
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