第一部 末路


 ヘルガはむくりと起き上がる。土の上に寝かされていた。見たことのない場所で、これから出荷されるのかと不安が胸を締め付ける。周囲を見回すと、薄暗い森の中にいることに気づいた。木々の間から差し込 むわずかな月明かりが、彼女の不安を一層際立たせる。


冷たい風が彼女の髪を揺らし、遠くからは不気味な動物の鳴き声が聞こえてくる。ヘルガは立ち上がり、周囲を慎重に見渡した。闇夜に包まれた森は、まるで生き物のように息をひそめているようだった。歩き出そうとすると、なにかに引っかかって転んでしまった。手形を確認しながら、荷物をかき集めると、その中に見慣れない物が混じっていることに気づいた。ヘルガは恐る恐る袋を開け、中を確認する。すると、食材と共に、銃とナイフが入っていた。

(何もないよりはましね)

彼女はそう考え、銃を握りしめ、食料を手にして再び森を彷徨い始めた。

しばらく歩くと、目の前に川が現れた。流れは穏やかだが、水はとても澄んでいる。彼女は水を飲もうと川に近づこうといた時、何者かが彼女の腕を掴み口を覆った。

「しーっ、なにもせずこっちに来て」

赤髪の少女、人間であった。

あぁ、希望はあったのだ。外の世界で人間は生き延びていたんだ。

彼女にとって、その事実は大きな安心をもたらした。少女はヘルガの手を引きながら森の奥へと進んでいく。彼女は黙ってその後をついていくと、洞穴のようなものが見えた。彼女は少女に手を引っ張られるままその中へ入っていく。


「あんた、ダメだよ。周りを見ずに行動するなんて、自殺行為だ。今頃喰われてるよ?」

赤毛の少女は呆れた様子で言った。彼女は小さく謝罪を口にしながら、洞穴の中を観察する。どうやらここは天然の洞窟らしい。入り口は狭いものの、奥には広い空間が広がっていた。壁際には木の実が積まれている。

「まあいいか。とりあえず座ろうか。あたしは、シャーリーていうんだ。あんたの名前は?」

彼女は近くの地面に腰かけると、隣をポンッと叩いた。

「ヘルガ……私は、ヘルガよ」

シャーリーはヘルガをじっと品定めするように見つめた後、軽く頷いた。シャーリーはヘルガの首元の番号を見て察したのだ。

「あんた、高級農園GF(グレイス=フィールド)出身だね? 」

「えぇ、そうよ」

「あたしは、GB(グローリー=ベル)だよ」

服をめくり上げ左腹部を見せると、アルファベットと数字が羅列されている。ヘルガの期待は打ち抜かれた。この子も農園出身だ。外の世界で生まれた人間ではないのだと。

「ヘルガねよく聞いて。これは、儀祭(ティファナ)を決めるゲームよ」

「どういうこと……!?」

「 あたしたち人間は鬼の貴族たちの遊び道具なんだ。彼らは私たちを狩ることで楽しんでいる。『楽園』と言っていたよ」

ヘルガは驚きと恐怖で声を失った。「そんな……どうして……」

「あんたも何か失敗して落第の印を押されてしまったんだろ?この楽園はそういう希少な成人して、最上物以上の食用児が集められるのさ」

食用児は頭の良さ、体つきによりランク付けされる。並・上物・最上物・特上の区分に分けられる。ヘルガたちの様に、成人まで生き残っている食用児は最上物以上が確定されているのだ。

シャーリーは真剣な表情でヘルガを見つめていた。

ヘルガはその視線から逃れるように目を逸らすと、シャーリーは溜息をついた。

「 あたしも、対人格闘の成績(スコア)が悪くって、気付いたらここにいたよ」


シャーリーの言葉に嘘はないと感じた。しかし、シャーリーはどこか達観した様子で淡々としていた。まるで自分には関係のない事だという風に。ヘルガの瞳が揺れると、シャーリーは肩をすくめた。

「そんな顔するなよ。まだ外に出れただけましと思うしかない」

シャーリーはそう言うと、食料を取り出し、ヘルガに差し出した。


「食料が足りなくなると、餓えて死んでしまう。生き残るためならなんでもやるんだよ」


ヘルガは戸惑いながらもそれを受け取る。それは、果実であった。ヘルガが手に取った瞬間、シャーリーは彼女の頭を撫でた。その手は優しく温かい。まるで母親のような温もりがあった。ヘルガは目頭が熱くなり、涙が出そうになるのを堪える。シャーリーの優しい手が離れ、言われるがままに、実を口に運ぶ。とても甘い果汁が広がったのだ。

(あぁ、美味しい。味がちゃんとする)

養成学校では、味を感じられなかった。ただ栄養を摂取するためだけに食事を摂っていたから、『生』か『死』かの緊迫感で生活をする中、食事を楽しむことなどできなかった。ヘルガは涙を流し、嗚咽しながら、必死に咀しゃくして食べ続けた。


「へぇ、子供を産めないから出荷されたんだねぇ。そんな前例、聞いたことないよ」 シャーリーは、意外そうな声で言った。ヘルガは、食べながら首を縦に振った。シャーリーはヘルガの隣に座っており、背中合わせで周囲を見張っていた。


「それにしても、ここの食材はどこから手に入れてるの?」ヘルガは不安を押し隠しながら尋ねた。


「森の中で見つけたんだ。危険を冒しても食糧を確保するしかないからね。あたしたちは、生き延びるために何でもやるんだ」シャーリーは冷静な声で答えた。


ヘルガはその言葉に励まされるように、再び食事に集中した。お腹が満たされるにつれて、少しずつ力が戻ってきた。しかし、心の奥底には依然として不安と恐怖が渦巻いている。


「この場所、いつまでも安全とは限らないよね?」ヘルガは心配そうに言った。


「そうだね。だからこそ、私たちは次の行動を考えなければならない。ここに長く留まるのは危険だわ」




彼女たちは外で生き残るために生活を始めた。倒れていた場所からは離れて、穴ぐらを掘った。食料は湖から魚を獲ったり、果物を採ったりしてなんとか凌いだ。毎日が生き延びるための挑戦だったが、二人は協力し合いながら、少しずつ環境に適応していった。


日が昇ると同時に起床し、周囲の警戒を怠らずに、食料の調達に出かける。湖で魚を捕まえるヘルガの手には、以前の恐怖心とは違う、確固たる決意が宿っていた。シャーリーは果物を集めながら、常に背後に注意を払っていた。


「これで今日の食料は十分ね」シャーリーは満足げに微笑んだ。


「でも、いつまでもこの生活が続けられるわけじゃない」ヘルガは不安を隠せないまま答えた。


「そうだね。でも今は、この一瞬一瞬を大切にしよう。私たちは生き延びている。それが何よりも大事なことよ」


夜が訪れると、二人は洞窟に戻り、火を焚きながらその日の出来事を語り合った。暗闇の中で揺れる炎が、彼女たちの心を温めた。外の世界は危険で溢れているが、希望を持ち続けることで、生きる力を見つけていた。


「ヘルガ、私たちはきっとこの森を抜け出せる。そして、自由を手に入れるんだ」シャーリーは力強く言った。

「うん、絶対に抜け出して見せるわ」

ヘルガは笑顔で答えると、シャーリーも笑い返す。


「私はここで死ぬなんて嫌だ。必ず生き延びようね」


ヘルガとシャーリーは、互いに励まし合えば何とかなると信じていた。だが、二人ともわかっているのだ。ここから逃げ出すことはとても難しいということが。


「シャーリー、距離はあるけれど前方に鬼の足跡があったわ」ヘルガは慎重に言いながら地図を広げた。

「そろそろ、本格的に移動しないとまずいかもしれない」

シャーリーは眉間にしわを寄せた。

せっかく作った寝床を移動するのは惜しかったが、殺されるよりましだとまだ希望はあると彼女たちは言い聞かせた。

シャーリーはヘルガを抱きしめた。彼女も震えていた。

シャーリーは、ヘルガを安心させるように笑みを浮かべると、ヘルガもつられて微笑んだ。
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