第一部 末路

ヘルガは、この世界の仕組みを知ったのだ。あの”怪物”。”鬼”と呼ばれる彼らの食料として育てられていた。自分たちが住んでいた孤児院は飼育場プラントと呼ばれる施設であり、食用児を育てていたのだ。里親なんていない、かつての家族が死んでいると知ったときヘルガの胸の内に浮かんだものは絶望と憎悪であった。


眼前に垂れてくる髪を払い、泣くなと叱咤する。涙など流している暇はない。

生き延びなければ、私は死んでしまう。

こんな怪物たちに、涙を見せてたまるか。

ヘルガは飼育補佐シスター候補として、”本部”のシスター育成学校に行くことになったヘルガは思う。

(生きてれば、きっとなんとかなるわっ……!)


起床の音が鳴る。灰色の服へと着替え、寝癖を整える。鏡には、12歳とは思えないほど、憔悴した少女の顔が映る。起床の音が忌々しく、誰かが死なないことを願うばかりのヘルガだった。


ヘルガがここにきた初日、音に気付かず、点呼に遅れた少女は落第として、”出荷”されてしまった。一つのミスも命とりとなることを彼女は噛み締めた。

寝坊するだけで、死ぬことを知った彼女は寝ることもままならなかったのだ。けれど、体というのは不思議で、自然とこの音で起きられるようになるまで、今は環境に順応し始めていた。

「No.31264、ヘルガ」

ヘルガの識別番号ナンバーである。

階段を下るとすぐに広間があった。食堂は皆一緒なので席に着くと同じ年齢くらいの子たちがいる。姉妹とまとめられはするが、飼育場ハウスの姉妹ではないのだ。

情報交換を防ぐためか、食事中はあまり喋ってはいけないため誰も真顔で食べるものだから怖かった。ヘルガ自身も、無垢な瞳でスープをかき込む子供たちを見て、気持ち悪くなっていた。

(美味しくないわ)

食事をしているときは、年上の教育係に見られている。ヘルガと同じ机で食べている少女、姉妹たちは人のボロを出す瞬間を伺っていた。相互監視というやつだった。

食事が終われば、授業と訓練が始まる。

ここのカリキュラムは特殊だ。飼育監ママは食用児の品質管理を任される。家事や医療技術を学ぶと共に、実技訓練として、食用児の捕縛術や護身術、対人格闘技を学ぶ必要があった。

また、飼育監ママは、頭脳も重要だ。頭が良くなければ、子供に出し抜かれ、脱走させてしまう恐れがあるからだ。

つまり、どのような状況に対応できるよう多種多様の知識や技術が叩き込まれるのである。もちろん、体力作りも欠かせない。毎日のように行われるマラソンに加え、筋力トレーニング、柔軟運動、筋トレ、戦闘練習などやることも多くある。そのため、朝早く起こされランニングをし、昼食後はすぐに勉強、夜になれば就寝時間になるまで、勉学に勤しみ、睡眠は深夜帯になってしまうのだ。それでも、他の子供たちに遅れないよう、出荷されぬよう必死に食らいついていくしかないのだ。

シスター養成学校での生活で特に苦手なものは格闘訓練だった。蹴落とし、蹴落とされる相手でもヘルガは容赦なく、対戦相手の隙を見つけ攻撃していくのだ。相手が反撃しようとすればするほど、相手の行動パターンを読み取っていく。そうしていけば、いずれ自分が勝つことができるのだ。

彼女はこの”ハウス”で生き抜くために、戦う力を身に付けなければならなかった。

しかし、いくら知識をつけても彼女の心は晴れることはなかった。ここでの暮らしは想像を絶するものばかりなのだ。毎晩、怪物に襲われる夢にうなされ、落第の印を押され、出荷される夢を見るのだ。かつて、自分と同時期に飼育補佐シスター見習いとして入った少女の最期を思い出し、震えて目が覚めることもあった。それと同時に怪物や、飼育補佐シスター教育係に引きづられていった、姉妹たちを見捨てた罪悪感が湧き上がる。


(狂ってるわ。この世界も、人間もそして私も)


ヘルガは、枕に顔を押し付けながら寝た。明日を生きるために――。


16歳、彼女は黒いワンピースと白いエプロンを着た服姿をしていた。今日から、彼女は飼育補佐シスターとなったのだ。変わったことと言えば、行動範囲が広くなったことと、職務が増えたことだ。シスターとなれば、看護師や医師やシスター候補の教育係など多岐に及ぶ。農園というシステムを維持するためにはどれも必要な仕事であり、人間がやらなくてはならなかった。また、シスターには出産という義務があり、新たな食用児を産むのだった。

変わらないことは周りの姉妹達を蹴落とすことだ。今度は、飼育監(ママ)を目指す為だった。少しでも長く生き残るためには、常に最善の選択をしなければいけなかった。


(あぁ、いつまでこの地獄を生きなければならないのだろう)


まるで、鼬ごっこじゃないかとヘルガは瞳を伏せる。


ヘルガは特別とまではいかないが、優秀だった。将来は、シスターの教育係か、医師や看護師もしくは、飼育監ママになるだろうと周りから言われていたほどだった。採取的に彼女は、大母様グランマ飼育補佐シスターの地位までたどり着くことができたのだ。


けれど、ある日を境に彼女の生活は終わりを迎える。20歳になったころ、ヘルガは大母様グランマに呼び出されたのだ。ドアを開けると、冷たい空気が彼女を包み込んだ。グランマの部屋は広く、高い天井には重々しいシャンデリアが吊るされている。柔らかな光が部屋中を不気味に照らしている。


部屋の中央には、大きな木製のデスクが置かれ、その上には山積みになった書類と古びた地球儀が鎮座していた。デスクの背後には豪華な椅子があり、その椅子に大母様グランマが威厳を持って座っている。彼女の鋭い視線が、部屋の薄暗さを一層際立たせていた。


「あなたは優秀でした。けれど、残念だわ。‘落第’よ」

「どうしてでしょうか?!」

「理由を聞きたいのかしら?」


「はいっ……」


「ふむ、あなたの年齢でその落ち着きと賢さは素晴らしいわ。だけど、あなたは子供を産むことができない身体なの」


大母様グランマの言葉に息を呑んだ。


「こればかりは、運が悪かったわね。連れて行きなさい」


「……っそんな! 嫌ですっ……! 私は、死にたくないっ!!」


その叫びが虚しく響く中、大母様グランマの部屋の扉が静かに開かれ、二人の補佐役である、シスターが入ってきた。彼女たちの冷たい目がヘルガを見据え、無言のまま彼女を拘束した。ヘルガは必死に抵抗しようとしたが、その力はあまりにも無力だった。

「待って……待ってください……!」


ヘルガの声は震え、涙が頬を伝う。大母様はその様子を冷ややかに見つめていた。


「さようなら、ヘルガ。あなたの努力は無駄ではなかったわ。あなたの犠牲は、他の子供たちと、高貴なお方たちの糧となるでしょう」


その言葉が、ヘルガの心に深い絶望を刻んだ。そして、ヘルガは抵抗を止め、力なく鬼たちに引きずられていった。彼女の視界はぼやけ、涙が頬を伝う。冷たい廊下を進むたびに、彼女の心は重く沈んでいった。
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