2部 忍術学園での生活

「なぜでしょうか、紗季さん、全然引っかかりません!」
「やっぱりくノ一なのよ! 私たちの作った罠に引っかからないんなんて」

 教室で井戸端会議をしているのは、くノ一教室のトモミ、ユキ、おシゲの三人である。
 紗季がここで生活をするようになってから数日が経っていた。
 彼女がくノ一教室の罠に1回も引っかからなかったことを不思議に思っていた。

 そのため、彼女たちは一度作戦会議を開くことにしたのであった。天女でないかを確かめるために。
 しかし、どうしたものかと考え込んでいるうちに時間だけが過ぎていき、授業が始まってしまった。若い山本シナ先生と後ろに事務員の格好をした女性が入ってくる。

 その女性は偶然にも紗季であった。

「紗季さんは元くノ一ということで今日は私の授業の補助として来ていただきました」

先生の言葉にクラスがざわつく。

「今日の授業は芸事、琵琶の稽古をいたします。まずは音階を弾いて行きましょう」

と先生がいうと皆それぞれ琵琶を持ち、練習を始める。しかし、琵琶の音程は中々そろわずまるで室内には不協和音が生まれていた。

紗季はというと、山本シナと何かを話していた。すると、山本シナ先生が静かにするよう鶴の一声を放った。

「今から、紗季さんがお手本で引いてくださいます。みなさんよぉく聞いていてくださいね」

 そういうと、紗季が座りそして、指先が弦に触れる。
 
 春はあけぼの ようよう 白くなりゆく山際
 少し明かりて 紫だちたる雲の細くたなびきたる……

 涼しげに歌うように紡がれる言葉と、力強く弾く姿にクラスのみんなは見惚れていた。
やがて演奏が終わると同時に拍手喝采が起こる。

「とても素晴らしかったわ。では、次は皆さんの番ですよ。順番にやってください。終わった方から休み時間は自由で結構です。では始めてください」

 と、言い終わるとすぐに生徒達は我先にとばかりに、次々と弾いていく。しかし、その音色に先程のような響きはなかった。

 その後、しばらく休憩となった。その間、質問タイムが設けられた。

 生徒たちは思い思いに紗季に声をかけたりしていた。紗季はその一つ一つに丁寧に答えていた。

「ここはこうして……そうそう上手」と、教える様子はとても教師らしく見えた。

「音をしっかり出すことを意識してみて、そうすれば少しコツがつかめてくるかもしれいない」と、紗季の指導により少しずつではあるが上達していく。

 その最中、トモミたちが紗季の元にやってきた。

「さっきの、すごくよかったですね。私感動しました!」と、紗季を褒め称えた。

 そのことに嬉しく思った紗季であったが、表情には出さずに

「ありがとう」と返した。

「ねぇ、紗季さんってどうしてそんなに楽器がうまいんですか?」とトモミは尋ねた。


 その問いに対して紗季はごまかすように、「……え~と、他のくノ一の人から教えてもらったの」と答える。嘘はついていない。
 
 実際紗季は忍者の人に習ったこともあるが、武家の姫として、幼少期からたたき上げられていたため、彼女にとって花嫁修業の一環であった。紗季自身、大名ということを隠しているため、少女らは知るはずもない。

 少女らは言葉に納得したのか、それ以上は聞いてこなかった。

「他にできることはありますか!」とトモミが聞くと、紗季はうーんと考えてから

「じゃあ、これなら……」と懐に手を突っ込む。
「なんですか? 手裏剣とか苦無? それとも焙烙玉?」と興味津々の様子である。

 紗季は紙と筆をさりげなく取り出した。
 筆を動かし、すらすらと、紙に和歌を書いていく。紗季は書いたものを三人に見せた。

 しかし、紗季に見せられたものを詠んで、トモミとユキとおシゲは首を傾げていた。

 紗季が詠んだ歌の意味が理解できなかったのである。

 それを察したのか、紗季は優しく解説した。
 ちなみに意味は以下の通りである。

 この世のすべてのものは いつかは滅びるもの、
 だからいつまでも変わらないものが欲しい。
 あなたがいれば、何も要らない

 それを解説すると、三人は顔を真っ赤にして俯いた。
 意味を理解したようである。
 そして紗季は続けて「これは、ある殿方に送られたものだけれど……」と言い微笑む。その様子に三人はますます頬を赤く染める。

  3人だけなく、くのいち教室からはしゃいだ声が聞こえてくるが、実際、この歌の意味は一般的には上記の意味である。

しかし、本当の意味を紗季はくのいち教室に教える。

「この殿方に送られた歌はね、あまり好きではないの。『いつまでも変わらないものが欲しい』と言っているのに。『あなたがいれば、何も要らない』なんて、矛盾よ。人間はいつか老いるのよ……なんて関係ないことを言ってしまったわね。兎も角、和歌を詠む教養があれば悪い男にも引っかからずに済むのよ」と補足する。

 その言葉を聞いた少女たちは感心している。

「流石です! 私たちにはわかりませんでした」と。

「でも、紗季さんはなぜそんなに詳しいんですか?」とユキが疑問をぶつけてきた。

「……長く生きているから色々あるのよ」と彼女は冗談めかしに言う。

 実際、紗季には現在も縁談の話が来る。紗季の地位や財産を狙った政略的な話ばかりだったが。そのようなことを考えていると授業の終わりを告げる鐘が鳴る。

 すると、紗季は礼をして、立ち去ろうとしたとき、くのいち教室の少女の一人が紗季を呼び止め
た。そして、何かを差し出してきた。

「紗季さん。これを受け取ってください」

と言って渡してくるので紗季は受け取る。
その中身は金平糖だった。

「ありがとう。大切に食べるわ」

 紗季は貰った金平糖を一つ食べて顔色を変えた。紗季は金平糖を舌の上で転がし、懐から懐紙を出し吐き出した。

「……痺れ薬が入っているわね。……誰の仕業かしら?」

 懐紙をくしゃりと丸めて呟く。手を閉じたり開いたりして、痺れがないのかも確認をしていた。
 紗季にとって、この程度の痺れ薬は効果がなく意味のないものであった。
 

 その光景を見た少女たちの顔色が一気に変わる。
 反射的に叱られると思った少女たちは、紗季が近づいて行くにつれ、恐怖で体が震えていた。

「……ごめんなさい!」

と頭を下げると

「……別に怒ってないから安心して」

 と紗季は一瞬困ったような顔をして笑顔で返した。

「金平糖に痺れ薬を混ぜるなんて見事だわ。きっと、一から作ったのね。ただ、金平糖にいれるよりも餡子とかに混ぜるといいと思うわ。金平糖は甘みしかないから薬などの風味がわかりやすいからね」

 とアドバイスをした。

 助言をされると思っていなかった少女たちは驚いたのか、「え……あ、はい」と呆けた返事をする。

 
 そのことに、紗季は笑いながら、金平糖を渡したソウコと呼ばれる、くのたまの頭を撫でた。くのいち教室の 生徒たちは褒められることに慣れていないようで、頬を赤くしながら嬉しそうにしていた。

 その姿に紗季は少しばかり寂しさを感じていた。
 なぜなら、彼女達と自分を重ねていたからである。

(私にも同じ時期があったなぁ。周囲から褒られるのがとてもうれしかった。こうして、頭を撫でてくれるひとはいなかったけれど)

 と子供時代を思い出していたら、こうして食事に異物を盛られ、暗殺されかけたことがあるなぁと、嫌な思い出も彼女の脳裏に蘇ってきたのだ。

 そのことに紗季は無意識のうちに眉を歪め拳を強く握る。その仕草をみたユキたちは、怒らせたと勘違いしたのか、紗季に恐る恐ると話しかけてくる。
その声を聞いた紗季は我に帰る。

 すると、くのいち教室の少女らが

「紗季さんって、おいくつなんですか? 若いですよね」

 と聞いてきた。

 紗季はその質問に、思わず驚いてしまった。そして、年齢を言うべきか迷うが、彼女たちを信用することにした。嘘をつく必要はない。

「もう三十超えてるのよ」

 と正直に答えると、三人の少女は驚きの声を上げる。

「見えないですねー!」とトモミは声を揃える。
「でも、三十路過ぎの女性にしては綺麗すぎますよね。肌も若々しいし」

 ユキは羨ましそうな声で言う。

 トモミとおシゲはうんうんと相槌を打つ。
 それを聞いていた他の少女も同意するように大きく首を縦に振る。
 紗季はくすっと笑う。嬉しいことを言ってくれるじゃない、と。

 
「ご結婚はされてますかー?」
「結婚はしていないけど、息子が一人いるわ」

と紗季はさらっと言う。

 それを聞いていたくのいち教室の生徒は興味津々といった様子である。が、

「こら! 次は裏山でのランニングでしょう? 急がないと遅刻しますよ!」

 と山本シナの一喝で慌てて教室を出ていく。
 その様子を見ていた紗季は苦笑いをしていた。

「すみません、紗季さん。それにしても、あの芸事の腕は私も見習いたいところですね」

 とシナ先生は言う。

 紗季は微笑みながらも、内心は焦りを覚えていた。


 なぜなら、紗季のことを探りに来ていたからだった。

 本業のくノ一になんて敵うわけもないのに

紗季は動揺を隠しながら、話に相槌をうつ。なんとか誤魔化せただろうかと話は終わった。
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