天女戦記

  ここは、とある武家屋敷。
 夜も更けたこの時間に、任務を承るおんながおったと。
 この女、元服したものの結婚しておらず、ある武家の家督を受け継いであったと。名は紗季という。

「この度、大川殿からのお願いがある。『天女』という少女を始末してほしいそうだ」

 大川殿とは忍術学園の学園長だ。
 この女の父親とは古い仲であった。

「して紗季よ。この依頼受けてくれるか?」
「――はい。ですが何ゆえ私なのでしょうか? このくらいの任務には私が直接行く必要があるとは思えませんが……」
「……大名の其方にしか任せられぬのじゃ。本来ならわしが行かねばならなかったがのぉ。げほっ、げほ……」

 紗季の疑問をそうそう打ち消すよう、命令をくだされた父の言うことならばと、紗季はそれ以上何も言うことはなかった。それよりも、咳がでる父が心配になる紗季だった。

「それより、父上、お加減はいかがでしょうか」

 そんな、心配な顔をする娘に対し、60を過ぎた男は、布団より状態を起こして紗季に笑みを向ける。
この時代、60は長生きしているほうだ。

「紗季よ、心配はいらぬ。それよりそなたこそ、『天女』とやらに気をつけるのじゃぞ」
「承知しております。では行ってまいります。なにかあれば、義虎にお伝えくださいませ」

「うむ。では、頼むぞ」

 紗季は大広間の襖をぴしゃりと閉め、姿勢を崩さないように立ち上がった。病弱な父が国を空けている間に亡くなるかもしれない。そんな気持ちを抑えながら後ろ髪を引かれる想いで部屋を出たのだった。屋敷の静けさが紗季の心を包み込む。しかし、彼女は独り、父の部屋の前に立っていた。その部屋からは父の微かな呼吸音が聞こえるだけだった。病気の父を置き去りにするのは心苦しいが、大川殿からの依頼は待ってはくれない。

「父上……」

 彼女は部屋の襖をそっと開け、父の寝顔を見つめた。病気の父は眠りに落ちており、穏やかな表情を浮かべていた。彼女の心は複雑だった。父親の面倒を見ていたいが、父親の言葉に逆らうこともできない。それに、父がお願い事をしてくることなど少ない。ならば、父の願いを叶えようと心に決めた。

「おやすみなさい、父上。良い夢を……」





 夜風に吹かれながら、書状を書く手を止めて深くため息をついた。戦国大名の家に生まれ、豊かな環境で育ったが、それは突如として破綻した。

 武家の家に生まれた私、出身は越後国。
 今の日本で言う新潟県だ。
 最近では日本各地のことを知るようになり、私は忍術学園があることを知った。
 それ忍たま!? と驚いたのが懐かしい。
 大川殿からの依頼で、天女という私と同じような記憶を持つ少女が現れたという。
 その少女のおかげで、忍術学園の内情は大変らしい。

 ふと、人生について振り返る。私は戦国大名の家に生まれた。しかも、国を治めるまぁまぁの影響力ある家柄。
 家臣もいるし、領地運営もしている。そんなこんなで、幼少期はなんの苦労もなかった。食べ物に困ることも、衣類にも困らず恵まれていた環境だった。

 そんなあるとき、後継者の兄が死んだ。兄が死んだことにより、後継者争いが勃発した。
 
 家臣の裏切り、豪族による一揆、他国との戦に国は大いに荒れた。
 ついには父も体を壊し、戦に出られるような状態ではなくなってしまった。
 父が表舞台に立てなくなったことで、民や家臣は離散し国の崩壊まであと一歩のところだった。
 私が政略結婚し、他国との同盟を組むという手段もあったのだが、私以外に上杉家の直系血族はいなかったため婿養子として迎えるしかなかった。

 しかし婿養子が権力を持つことにより、下克上で他国に征服される恐れた父はついに、悩みながらも私に家督を譲って、後継者争いを治めようとした。

 家督を継いでからというもの、兵法に外交、武術、内政などなど目まぐるしい日々を送った。
 握ったこともない木刀を振り回し、戦に出て死にかけたりしながらも、数十年をかけてなんとか国の平穏を取り戻した。

 忍たまの世界とは思えないくらい、ハードモードすぎるよ……。 われながら、よくやったよ……ほんとに。

 だから、今回の依頼も半端な気持ちでやれば死ぬこともあるんだろうなぁ……。

「姫様、皆さまご到着いたしました」

 侍女の呼ぶ声に、ハッと現実に引き戻される。
「すぐに行く」と返事をし書状を懐にしまい込み、重い腰を上げた。

大広間の上座に座った紗季は、50人以上もの家来たちが頭を下げるのを見て、彼らに手を振った。

「顔を上げなさい。待たせてしまってすまなかったな」

 彼女の声は優雅でありながら、力強さも感じられた。父の命に従い、一時的に国を離れることになっていたが、その際の統治を息子の義虎に任せると宣言した。

 会議は進行し、紗季は家来たちに指示を出し、国の方針について議論を交わした。餓死者の状況や物資の生産に関する報告があり、彼女は権力を濫用しないように家来たちに呼びかけた。

「ほかに何かあるか?」と紗季が尋ねると、縁談の書簡が届いたとの報告があった。

「そうか。お前たちはどう思う? 昔、お前たちが言っていたように嫁ぐべきかどうか……どうだ?」紗季は家来たちの意見を尋ねる。

「いえいえ、姫様はこの国の宝でおられますので、決して」
 と一人の家来が答えると、他の家来たちも同意の意を示した。

「そうか、ではこの縁談は丁重に断らせていただこう。すぐに返事と返礼品をおくっておいてくれ」

 紗季はしっかりとした口調で述べ、家来たちにその指示を出した。

「では、解散とする。ご苦労であったな」

 紗季は家臣たちに労いの言葉をかけ、会議を終わらせた。大広間を出て自室に戻ればすぐに侍女がお茶を持ってきた。

「姫様、お茶菓子でもお持ちいたしましょうか?」と侍女が尋ねる。紗季は微笑みながら少し考えてから答える。

「……そうね。お願いするわ」

 侍女は頭を下げて、部屋から出て行った。
 しばらくして彼女が戻ってきて、お茶菓子を置くと、紗季はほっと一息ついた。
 
 しかしすぐ、厳粛な表情で書類を眺めながら、彼女は国の現状や課題について考えを巡らせた。縁談の断りの手紙の文面や、返礼品の選定についても頭を悩ませた。

 一方で、心には忍び寄る不安もあった。父の病状が気がかりであり、自身が国を離れることで不測の事態が起こるのではないかという心配もあった。

「しかし、私が不在でも、義虎はきっと国を守ってくれるだろう」と彼女は自信を持ちながらも、心の中で祈るように思った。

 その後、紗季は書類に目を戻し、国の行政や調査報告を熟読し始めた。彼女の仕事はまだ終わっていなかった。

――――――――――――――――――


「母上、お呼びでしょうか?」

 そっと部屋に入ってきたのは、上杉家の若殿であり、紗季の後継ぎである義虎だ。
 この青年は紗季の養子として迎え入れた息子。彼は上杉家の血を引く者でありながら、孤独な境遇にあった。しかし、彼が最適な後継者として選ばれたのは、単に血筋の良さだけでなく、その人格と能力によるものである。

「遅い時間に呼び出してすまなかった。しばらくの間、国を空けることになり、その間の統治を任せる」
「えぇ!?」

 義虎は驚きを隠せず、目を丸くした。

「そんなに驚かなくてもいい」と紗季は穏やかな口調で続けた。

「家臣たちにも話を通している。何か問題があれば忍び衆を通じて連絡するように。木綿と米の生産は止めないようにし、水害の際はすぐに知らせるように。それ以外のことは家臣たちに任せればいい。あと、病床の父上のこともよろしく頼む」

「はい、母上が戻ってくるまでに必ずや国を守って見せます」

 義虎は母上に頭を下げて返事した。

「それと、そなたの奥方は出産の予定日が近いはずだ。できる限り彼女のそばにいて支えるように。そなたがいれば、彼女を安心するだろう」

 紗季自身は、子を産んだことがないにしろこの時代は子供と共に、母体である母親が死亡することが多かった。紗季はそれを危惧し、義虎に忠告をしたのだった。

「では、頼んだぞ。日も暮れるし、そなたも早く城に帰って休みなさい」
「はい、母上。失礼いたします。おやすみなさいませ」

 紗季は息子を見送り、部屋に戻るとひとりつぶやいた。

「ふぅ、これで一段落だな」

 机に向かい、書類を手に取る。筆を持ち、書状に手を動かし始めた。

 「私にもついに孫が生まれるのか」と紗季はしみじみと思った。彼女の表情には、ほんのりとした微笑みが浮かんでいた。微笑むと同時に心の中で息子の成長をしみじみ、感じていた。

 書状を終えた後、机の上に筆を置いた。布団に横になると、少し眠りにつく前に、窓から差し込む月明かりを見つめた。そのやさしい光が部屋を満たし、彼女の心を安らかに包み込んだ。

 やがて、彼女の瞼は重くなり、眠りについていった。夢の中で、彼女は家族や国の未来についての思いを馳せながら、静かな眠りに浸った。

翌朝、朝日が優しく差し込む中、紗季は目を覚ました。布団から身を起こし、窓から外を見ると、朝焼けが美しい景色を描いていた。

「姫様、おはようございます。朝餉の準備が整っております」と侍女が部屋に入ってきた。
 侍女は紗季の着替えを手伝いながら、忍術学園に行く際の荷物について侍女が尋ねると紗季は笑顔で答えた。

「遠いので金銭は多めに持っていきたい。それと、薬と食料を用意してもらいたい」

 侍女は頷きながら、「承知しました、姫様。早速手配いたします」と侍女が答えた。侍女が戻ってくると、荷物の用意は終わり、紗季は忍術学園に出かける準備が整った。

 紗季は忍術学園に向かうために馬に乗ると、手綱を引きながら馬を走らせた。その後ろには忍び衆、城で働く侍女や武士が何人かが護衛をしていた。

「……忍び衆はともかく、そなたたちが付いてくるのだと聞いていないのだが」

 城下町に下りてもまだついてくる、部下に紗季は苦笑いをしていた。

「はい、国を出るまでお供させていただきます」

 きりっとした態度で、先頭を立つ武士が私に顔を向け答えた。
 頑固な家来たちを説得するのは難儀だろうと、紗季は「ありがとう」と感謝を伝えた。

 城下町の大通りを通ると、商人や領民が紗季が率いる一団を見つめていた。

「雪椿様よ!」
「本当だわ、どこかへ行かれるのかしら」
「あら、後ろにいるのは忍び衆じゃない?」
「じゃあ、他の国への旅路かしら」

 紗季は領民たちにに微笑みながら手を振った。雪椿とは彼女の通り名だ。
 厳しい冬の寒さや雪などの困難に耐えながらも、春になると美しい花を咲かせるその姿は、幼いころから苦労をしながらも国を豊かにし、時には困難な状況に立ち向かいながらも、常に前向きに進む紗季と重なったのだという。

 人々に希望と勇気を与える存在として、紗季の人柄を慕っていたのだ。

「雪椿様~、旅に出られるならぜひ持って行ってくだされ。作り立ての干し肉でございますぞ」

 男は売り物だった干し肉を紗季に渡した。その様子を見て、他の店主も紗季に酒や米やら装飾品などを渡した。

「ただで、もらうことなぞできん。其方たちに税もかけておるのだからさすがに、払わせてほしい」
「いいえ、これは贈り物なのです!」
「そうですわ、旅の道中に売って資金源にして頂いてもかまいません!」
「ん、そうか。では、ありがたくいただこう」


 紗季は領民からもらった品物を忍び衆に持たせることにした。

 城下町を後にすると、景色はますます自然に囲まれていった。領民たちの手振りや、田畑を耕す人々の姿が心地よく紗季の目に映った。

 村に入ると、子供たちが歓声を上げて駆け寄ってきた。「この村の人たちは元気ですね」と微笑む紗季は、馬を降りて村人たちと挨拶を交わした。そして、子供たちを呼び寄せ、彼らの手を引いたり抱きしめたりした。

「そろそろ、いかねば。お邪魔してしまったようだ」

 紗季は馬に跨り、出発した。
 関所に着くと、簡単に手続きをし大勢の家来に見送られ、忍び衆を引き連れた紗季は越後の国を後にした。

 ふと、家来が不安そうな顔をしているのに気が付き、紗季は満面の笑顔で手を振った。

 家来たちは、紗季の笑顔を見て安心して手を振り返した。
 紗季が見えなくなるまで見送ると、彼らは城へと戻っていった。

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