白い世界で生まれた二人
何故此処にいるのか、どう生まれたかもわからない。
自分の名前すら知らずに目覚めたその者の場所には真っ白な世界が広がており、同じ色白で同じ羽を背につけている人達がいた。
「あら、見かけない顔ね。もしかして、今生まれたばかりなのかしら。お仲間が一気に二人なんて初めてだわ」
ウキウキと話す女に色々聞きたいことはあるが、その者は言葉を上手く発することができない。
それを見た女が「生まれたばかりならまだ話せないわよね」と笑みを浮かべると「生まれたばかりなら先ずは勉強よ」とその者の腕を掴み連れて行く。
向かった先には、一人の男と一人の女。
その者の目と男の目が合うと、何故か二人見詰め合う。
言葉もなくじっと見詰め合っていると、その者を連れてきた女は何処かへと行ってしまい、残った女が話しだしたため二人の視線が女へと向けられた。
女は自分達を天使と呼ばれる者だと説明する。
天使になれる者はとても貴重であり、今回のように二人も天使のたまごが生まれてくることは珍しい。
「それじゃあ今日から二人には、私と一緒に立派な天使になるための勉強をしてもらうわよ」
こうして始まった天使の勉強会だったが、日にちが経つにつれ二人は普通に会話ができるまでに成長していった。
天使の勉強で教わるのは天使の仕事。
天使は人を監視し、天国に逝く人を導く案内人。
ただそれだけの簡単な仕事に思えるかもしれないが、天使は人が生まれてから死ぬまでの間を水鏡 に映し監視し続けなければならない。
いくら天使が死なないとはいえ、人の一生を監視するのは気が遠くなるような仕事。
「それじゃあ、今日のお勉強はここまでよ。このあとは、水鏡が使えるようになるまで特訓を続けてちょうだいね」
天使に睡眠は必要ない。
生まれてからは勉強、特訓の繰り返し。
授業が終わり、あとは各自で水鏡の練習をするだけだが、一度も話したことのない男のことが気になっていた。
「ねえ、水鏡ってできるようになった?」
「まだ」
さりげなく話しかけてみると、そっけない返事が返される。
天使は人の監視と天国への案内をするだけで愛想などは関係ないが、男のたまごは周りの天使達と明らかに何かが違っていた。
二人がまだ天使のたまごだからという訳ではなく何かが違うのに、その理由がハッキリしない。
「よかったら一緒に練習しない」
「別にいいけど」
気づけば女は男に声をかけていた。
お互いに水鏡を用意すると瞼を閉じ念じる。
水鏡は器のような物に水を入れ念じると、自分がこれから一生を見続ける人間が水に映るというもの。
今二人が使っている水鏡は練習用のため人は映らないが、人間世界が映し出されればその時点ではれてたまごから天使として認められる。
そうなれば、本当の水鏡を受け取り天使としての仕事がスタートするというのに、何度試しても水鏡に映る気配はなく、二人は苦戦していた。
水面に映るのは自分の顔だけ「もうだめだー」と後ろに倒れる女の横では、今も練習を続ける男の姿。
意外と真面目な男も上手くいっていないようだ。
それでも続ける男の姿を横目で見ていると、不意に男の視線が女へと向けられ「なに」と尋ねる。
「あー……真面目だなと思って」
「お前ももう少し頑張ったらどうだ」
「はいはい、どうせ根性なしですよだ」
男の言葉にムッとし起き上がると、女は再び念じ始める。
それからどのくらい経ったのかわからない。
女の水鏡に少しずつ変化が現れた。
水の表面が波打ち始め、人の世界が映し出される。
「やった、成功した!」
喜ぶ女の横では男が今も練習を続けており、その様子をじっと見守る。
一緒に生まれ、一緒に今まで学んできた二人。
できることなら二人で天使になりたいと女は望んでいたが、結局男の水鏡に変化はないまま授業が始まった。
「よくやったわね。これで貴女は、今日から立派な天使よ」
そう言い渡されたのは、天使が持つ本物の水鏡。
これで天使として認められたのだと思うと嬉しい反面、寂しさが残り、男をチラリと見る。
男の回りに何やら黒い影が見えたような気がしたが、女が瞬きをした一瞬のうちにその影は消えてしまった。
「それじゃあ貴女には授業が終わった後、初の天使の仕事をしてもらいます。今まで学んできたことを忘れないようにするのよ」
女はたまごとしての最後の授業を受ける。
この授業が終われば天使としての仕事が始まるというのに、男とこうして授業を受けるのも最後だと思うとやはり何だか寂しいものを感じ女の表情が曇る。
それから時間は経ち授業も終わると、女の天使が他の天使に呼ばれたため、しばらくの間待つこととなった。
その場に残ったのは男のたまごと、はれて天使の仲間入りを果たした女。
気まずい空気が流れる中、男がその場から去ろうとしたため慌てて女が呼び止める。
振り返った男の瞳はとても冷たく、思うように声が出なくなる女を放って男は飛び去ってしまう。
あの瞳を見た瞬間、まるで全身が凍りついてしまったかのような感覚になった。
このまま放っておけるはずもなく男を追うが、すでに姿は見えない。
闇雲に探したところで見つかるとも思えず考えていると、何やら天使が集まり騒がしい場所が目につき、気になった女はその場所へと降りた。
「まさか、堕天使になる者がいるなんて」
「早く大天使様を呼んできて」
胸騒ぎを感じ天使を掻き分けその中心へと向かえば、頭を両手で押さえ苦しむ男の姿があった。
今度はハッキリと見える。
男の纏う黒いものが。
「貴女、もう少し離れなさい。堕天使なんて汚れた者に触れたら私たち天使もただではすまないわ。皆も、この堕天使から離れて大天使様を呼びに行くわよ」
他の天使達が大天使様を呼びに行くなか、ただ一人女はその場に残っていた。
言われた通り離れなくてはならないというのに、苦しむ男を放っておくなどできない。
何か自分にもできることはないかと考えたとき、授業で習った堕天使のことを思い出す。
堕天使は、嫉妬などの醜い感情を持ち、それが次第に膨れ上がった天使が堕ちる。
「ねえ、しっかりしてよ。聞こえてるんでしょ」
声をかけても苦しみの声を上げるだけで、羽は付け根から次第に黒くなり始める。
「やるしかない」
女は決意の言葉を口にすると男に近づいていき、蹲る男を前からそっと抱き締めれば、女の頭の中に何かが流れ込んでくる。
それは男の記憶。
男は天使になるため生まれたあの日から毎日努力していたが、その努力が実ることはなく、男の中に少しずつ黒い影を落としていく。
そんな男に追い討ちをかけるように、自分と同じ日に生まれた天使のたまごが先に天使となった。
沢山練習している男の姿や心の痛みが女の脳に、心に流れ込む。
「貴方は私なんかより沢山努力してきたんでしょ。なら、こんなところで諦めていいの?」
「ッ、おれ、は……」
「貴方は天使になるの! そのためにこの場所に、この白い世界に生まれてきたの。だから……こんなところで諦めないで天使になってよッ!!」
怒鳴るように、そして苦し気に女が叫ぶと、男の黒く染まっていた羽が次第に元の色へ戻っていく。
その様子に安心した女だったが、これで男と一緒に天使になることは叶わなくなった。
何故なら、堕天使についての授業で教わったことの中に、絶対にしてはいけないことがあった。
それは、堕天使になった者に触れ、その天使の闇を触れた者に移すという行為。
これを行えば、まだ完全に堕天使と化していない者は救えるが、対価として触れた者が堕天使となりこの天界から追放される。
「俺は……。おい、お前の羽——」
「じゃあね。頑張って天使になってよね」
女は黒い羽をバサリと広げると飛び去り消えてしまう。
この白い世界の中で目立つその黒く染まった女の姿が見えなくなるまで男は見続けた。
その頬には綺麗な雫が伝い、白い世界に溶けて消える。
その後、男ははれて天使となった。
女が自分を犠牲にしてまで救ってくれたその心が、闇に染まることは二度とないだろう。
きっと今も何処かにいる女の事を考えながら見上げる。
なにもない真っ白な世界。
どこを見ても真っ白だが、男の心には黒がいた。
汚れてなどいない、自分を救ってくれた黒い翼を持つ白い天使が。
《完》
自分の名前すら知らずに目覚めたその者の場所には真っ白な世界が広がており、同じ色白で同じ羽を背につけている人達がいた。
「あら、見かけない顔ね。もしかして、今生まれたばかりなのかしら。お仲間が一気に二人なんて初めてだわ」
ウキウキと話す女に色々聞きたいことはあるが、その者は言葉を上手く発することができない。
それを見た女が「生まれたばかりならまだ話せないわよね」と笑みを浮かべると「生まれたばかりなら先ずは勉強よ」とその者の腕を掴み連れて行く。
向かった先には、一人の男と一人の女。
その者の目と男の目が合うと、何故か二人見詰め合う。
言葉もなくじっと見詰め合っていると、その者を連れてきた女は何処かへと行ってしまい、残った女が話しだしたため二人の視線が女へと向けられた。
女は自分達を天使と呼ばれる者だと説明する。
天使になれる者はとても貴重であり、今回のように二人も天使のたまごが生まれてくることは珍しい。
「それじゃあ今日から二人には、私と一緒に立派な天使になるための勉強をしてもらうわよ」
こうして始まった天使の勉強会だったが、日にちが経つにつれ二人は普通に会話ができるまでに成長していった。
天使の勉強で教わるのは天使の仕事。
天使は人を監視し、天国に逝く人を導く案内人。
ただそれだけの簡単な仕事に思えるかもしれないが、天使は人が生まれてから死ぬまでの間を
いくら天使が死なないとはいえ、人の一生を監視するのは気が遠くなるような仕事。
「それじゃあ、今日のお勉強はここまでよ。このあとは、水鏡が使えるようになるまで特訓を続けてちょうだいね」
天使に睡眠は必要ない。
生まれてからは勉強、特訓の繰り返し。
授業が終わり、あとは各自で水鏡の練習をするだけだが、一度も話したことのない男のことが気になっていた。
「ねえ、水鏡ってできるようになった?」
「まだ」
さりげなく話しかけてみると、そっけない返事が返される。
天使は人の監視と天国への案内をするだけで愛想などは関係ないが、男のたまごは周りの天使達と明らかに何かが違っていた。
二人がまだ天使のたまごだからという訳ではなく何かが違うのに、その理由がハッキリしない。
「よかったら一緒に練習しない」
「別にいいけど」
気づけば女は男に声をかけていた。
お互いに水鏡を用意すると瞼を閉じ念じる。
水鏡は器のような物に水を入れ念じると、自分がこれから一生を見続ける人間が水に映るというもの。
今二人が使っている水鏡は練習用のため人は映らないが、人間世界が映し出されればその時点ではれてたまごから天使として認められる。
そうなれば、本当の水鏡を受け取り天使としての仕事がスタートするというのに、何度試しても水鏡に映る気配はなく、二人は苦戦していた。
水面に映るのは自分の顔だけ「もうだめだー」と後ろに倒れる女の横では、今も練習を続ける男の姿。
意外と真面目な男も上手くいっていないようだ。
それでも続ける男の姿を横目で見ていると、不意に男の視線が女へと向けられ「なに」と尋ねる。
「あー……真面目だなと思って」
「お前ももう少し頑張ったらどうだ」
「はいはい、どうせ根性なしですよだ」
男の言葉にムッとし起き上がると、女は再び念じ始める。
それからどのくらい経ったのかわからない。
女の水鏡に少しずつ変化が現れた。
水の表面が波打ち始め、人の世界が映し出される。
「やった、成功した!」
喜ぶ女の横では男が今も練習を続けており、その様子をじっと見守る。
一緒に生まれ、一緒に今まで学んできた二人。
できることなら二人で天使になりたいと女は望んでいたが、結局男の水鏡に変化はないまま授業が始まった。
「よくやったわね。これで貴女は、今日から立派な天使よ」
そう言い渡されたのは、天使が持つ本物の水鏡。
これで天使として認められたのだと思うと嬉しい反面、寂しさが残り、男をチラリと見る。
男の回りに何やら黒い影が見えたような気がしたが、女が瞬きをした一瞬のうちにその影は消えてしまった。
「それじゃあ貴女には授業が終わった後、初の天使の仕事をしてもらいます。今まで学んできたことを忘れないようにするのよ」
女はたまごとしての最後の授業を受ける。
この授業が終われば天使としての仕事が始まるというのに、男とこうして授業を受けるのも最後だと思うとやはり何だか寂しいものを感じ女の表情が曇る。
それから時間は経ち授業も終わると、女の天使が他の天使に呼ばれたため、しばらくの間待つこととなった。
その場に残ったのは男のたまごと、はれて天使の仲間入りを果たした女。
気まずい空気が流れる中、男がその場から去ろうとしたため慌てて女が呼び止める。
振り返った男の瞳はとても冷たく、思うように声が出なくなる女を放って男は飛び去ってしまう。
あの瞳を見た瞬間、まるで全身が凍りついてしまったかのような感覚になった。
このまま放っておけるはずもなく男を追うが、すでに姿は見えない。
闇雲に探したところで見つかるとも思えず考えていると、何やら天使が集まり騒がしい場所が目につき、気になった女はその場所へと降りた。
「まさか、堕天使になる者がいるなんて」
「早く大天使様を呼んできて」
胸騒ぎを感じ天使を掻き分けその中心へと向かえば、頭を両手で押さえ苦しむ男の姿があった。
今度はハッキリと見える。
男の纏う黒いものが。
「貴女、もう少し離れなさい。堕天使なんて汚れた者に触れたら私たち天使もただではすまないわ。皆も、この堕天使から離れて大天使様を呼びに行くわよ」
他の天使達が大天使様を呼びに行くなか、ただ一人女はその場に残っていた。
言われた通り離れなくてはならないというのに、苦しむ男を放っておくなどできない。
何か自分にもできることはないかと考えたとき、授業で習った堕天使のことを思い出す。
堕天使は、嫉妬などの醜い感情を持ち、それが次第に膨れ上がった天使が堕ちる。
「ねえ、しっかりしてよ。聞こえてるんでしょ」
声をかけても苦しみの声を上げるだけで、羽は付け根から次第に黒くなり始める。
「やるしかない」
女は決意の言葉を口にすると男に近づいていき、蹲る男を前からそっと抱き締めれば、女の頭の中に何かが流れ込んでくる。
それは男の記憶。
男は天使になるため生まれたあの日から毎日努力していたが、その努力が実ることはなく、男の中に少しずつ黒い影を落としていく。
そんな男に追い討ちをかけるように、自分と同じ日に生まれた天使のたまごが先に天使となった。
沢山練習している男の姿や心の痛みが女の脳に、心に流れ込む。
「貴方は私なんかより沢山努力してきたんでしょ。なら、こんなところで諦めていいの?」
「ッ、おれ、は……」
「貴方は天使になるの! そのためにこの場所に、この白い世界に生まれてきたの。だから……こんなところで諦めないで天使になってよッ!!」
怒鳴るように、そして苦し気に女が叫ぶと、男の黒く染まっていた羽が次第に元の色へ戻っていく。
その様子に安心した女だったが、これで男と一緒に天使になることは叶わなくなった。
何故なら、堕天使についての授業で教わったことの中に、絶対にしてはいけないことがあった。
それは、堕天使になった者に触れ、その天使の闇を触れた者に移すという行為。
これを行えば、まだ完全に堕天使と化していない者は救えるが、対価として触れた者が堕天使となりこの天界から追放される。
「俺は……。おい、お前の羽——」
「じゃあね。頑張って天使になってよね」
女は黒い羽をバサリと広げると飛び去り消えてしまう。
この白い世界の中で目立つその黒く染まった女の姿が見えなくなるまで男は見続けた。
その頬には綺麗な雫が伝い、白い世界に溶けて消える。
その後、男ははれて天使となった。
女が自分を犠牲にしてまで救ってくれたその心が、闇に染まることは二度とないだろう。
きっと今も何処かにいる女の事を考えながら見上げる。
なにもない真っ白な世界。
どこを見ても真っ白だが、男の心には黒がいた。
汚れてなどいない、自分を救ってくれた黒い翼を持つ白い天使が。
《完》
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