勇気に押され動き出す

 あの時、もう少しだけ私に勇気があったなら、何か変わっていたのかもしれない。

 私は中学の頃、一つ上の先輩に恋をしていた。
 その先輩は人気で、いつも周りには女の子がいて、告白どころかその中に入ることすら出来ずに遠くから見るだけ。
 結局一言も話せないまま先輩は卒業し、中学三年となった私は勉強に追われた。


 それから年月は過ぎ、高校を卒業した私は社会人となり会社で働くことが決まった。
 大手の会社ということもあり緊張しながらも初めての出勤日を迎え、上司についていき社内の一室に案内される。

 デスクが並んだ部屋には数人の人達がいて、上司が一人の人物の名を呼ぶと、椅子から立ち上がりこちらへと来た。



「彼は一年前からここに務めている恵(めぐみ)くんでね。わからない事は彼に聞くといいよ」



 そう言われ、私は自分の名を名乗り「よろしくお願いします」と挨拶をする。
 緊張で声が裏返りそうになったけど「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」と言われ顔を上げ、私は驚きで固まってしまう。

 相手の顔が緊張で見られずにいた私は、このときようやくその人物を知っていることに気づく。
 私が中学の頃に想いを寄せていた先輩だということに。

 名前で気づくべきだったのかもしれないけど、緊張状態であった私にそんな考える余裕はなくて。
 それに先輩とは中学の頃以来で気づけるはずがなかった。
 目にした瞬間に当時の記憶が思い出され、私の鼓動は静かに高鳴る。


 それから一週間が経ち、わからないことを先輩に尋ねながらも仕事をゆっくりと覚えていった。
 勿論先輩は、話したこともない私のことなんか知るはずもなく、単なる後輩として面倒をみてくれる。

 昔は近づく事さえできなかったのに、今はこんなにも近くで話せて一緒に働けることが嬉しかった。
 先輩は何も変わってなくて、それは見ためだけでなく周りの反応も。
 お昼休憩に入ると社内の女性達が先輩の周りに集まりだし、中学の頃を思い出させる。

 私もあの頃と変わらない。
 あの輪の中に入る勇気なんてないんだから。
 私はデスクでお弁当を食べながら、少し離れた先輩をチラリと見ると、一人の女性が先輩に作ってきたお弁当を渡している。
 昨日渡していた人とは違うから、彼女達の中で今日は誰がお弁当を渡すかを予め決めているんだろうなと想像できた。
 
 中学の頃の恋なんてもう忘れたつもりで、先輩への気持ちも既になくなているはずなのに、視界に移さなくても会話が耳に入り胸の辺りがチクチクと痛む。

 私はそっと立ち上がると、食べかけのお弁当を持って屋上へ向かう。
 扉を開ければ風が吹き付けてきたけど、あの場所に居続けるよりはずっといい。
 屋上に置かれたベンチに座ると、膝の上に食べかけのお弁当を乗せお昼の続きを食べる。

 今日で働き始めて一週間。
 先輩と女性社員達が話す光景を見続けて一週間。
 最初は気にしないようにしてたけど、遂に屋上まで逃げてきてしまった。

 私はあの頃のまま臆病で、仕事の事以外先輩に声をかける事すらできない。
 中学の頃もこんな自分が嫌だったけど、変わろうと思って変われるようなものじゃない。
 私にとって先輩は過去の恋で、今は職場の先輩。
 そう自分に言い聞かせていたとき、扉の開く音に視線を向ける。



「ここにいたんだね。隣、いいかな?」

「……はい」



 何で先輩が屋上に来たのかとか、今私の隣に先輩が座ってるとか、頭の中がぐるぐるとして心臓の音が煩くなる。
 先輩のことは意識しないように言い聞かせていたはずなのに、いざ本人が近くにいると意識しないなんてできなかった。

 顔が赤くなってないかとか、何か話しかけるチャンスなんじゃないかとか、頭がオーバーヒートしそうになっていると、口を開いたのは先輩だった。



「中学、同じだったよね」

「え?」

「いつも離れたところから僕のこと見てたよね」



 まさか気づかれていた。
 それも、中学の頃の事を覚えていてくれたなんて思わなくて、私は熱くなる顔を見られないように伏せる事しかできない。



「ハンカチ」



 その言葉に少し顔を上げると「キミだよね」と笑みを向け続けられた言葉に、驚きで目を見開く。



「何で知って……」

「クラスの子に聞いて直ぐにわかったよ」



 そう、中学の頃話したこともなかった私だけど、離れていたところから先輩を見つめていたある日、女子達に連れられ先輩達がその場から居なくなったそこには、一枚のハンカチが落ちていた。

 女子達の誰かが落としたのかなと思って拾ったら、ハンカチの隅にローマ字で刺繍された先輩の名前に気付いた。
 直接渡す勇気もなかった私は、先輩の教室へ向かい、一人の女生徒に先輩の落とし物であることを伝えてその場から逃げるように去った。

 あの時私は名前すら名乗らなかったのに、何故先輩は私だとわかったのか不思議に思い尋ねると「渡してくれた子が言ったんだ。顔を真っ赤にして、渡したら直ぐに行っちゃったってね」と言われても、私は更に首を傾げる。
 それだけで私だなんてわかるんだろうか。



「まだわからないかな?」

「はい」

「じゃあ特別にヒント。いつも離れたところから見ている人の事が僕は気になってた」



 まだわからず首を傾げたままでいると、先輩は更に続けた。
 ある日、自分の周りにいた女子に、離れた場所にいたその人物のことを聞いたら一つ下の学年の子だと言われ、気になってその教室を覗きに行ったらその子がいた。

 自分を離れたところから見てる時と違って、楽しそうに笑い話すその人物に視線が逸らせなくなっていたとき、偶然通りかかった女子に声をかけられる視線を向けると、そこにいたのは自分にハンカチを渡した女子。
 あるわけないと思いながら、そうであったらなんて考えながらその女子に、ハンカチを届けてくれたのはあの子か尋ねると「そうそう! あの子だよ」と言われ、何故かその時嬉しくて笑みを浮かべた。



「結局話すことも、お礼も伝えられなかった。いつもなら声くらいかけれるのに、キミには出来なかった」

「何故ですか?」

「それは、キミに惹かれていたから。この会社で出逢ったときも運命だと思った」



 思いもしない告白に驚く私に、先輩は目を細めて笑みを浮かべた。
 先輩も私と同じで声がかけられなかったんだと知り、手にギュッと力を込めると真っ直ぐに先輩を見る。

 先輩か勇気を出して伝えてくれた想い。
 私も変わらなくちゃいけない。

 少し足りなかった勇気が今の私の背中を押して言葉を紡ぐ。
 それは、中学の頃に終わったと思っていた物語を動かす瞬間──。


《完》
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