やっぱりカレーは美味しいね
私は幼い頃から、なにかの視線を感じていた。
お化けとか妖怪が見える体質とかではなく、ただ誰かが見ているという感覚だけがあった。
年齢を増すごとに、それは私にとって普通になり、注がれる視線は気にならなくなった。
気づけば私も社会人となり、家を出て独り暮らしをしている。
本当はお父さんを一人家に残すことが心配で、私の職場近くに一緒に暮らそうと話したけど、お父さんが首を縦に振ることはないまま今に至る。
お父さんが家から離れたくない理由はわかってる。
私がまだ六歳だった頃亡くなったお母さんとの思い出があの場所にあるから。
私なんてもう、お母さんの顔すら思い出せないのに、お父さんはいつまでもお母さんとの思い出に縋りついてる。
「もしもし……うん、元気だよ。仕事終わりで疲れてるから切るよ」
定期的にかかってくるお父からの電話。
心配するくらいなら一緒に暮せばよかったのに。
お父さんを悲しませるお母さんは嫌い。
私とお父さんを残して逝ってしまったお母さんは大嫌い。
顔も声も思い出せないお母さんのことを、私が悲しむことはない。
お母さんが死んだのは交通事故。
お父さんが言ってたから覚えてる。
なんでかわからないけど、夕方になった頃にエプロンをつけたままお母さんは家を出て事故にあったらしい。
翌日私は、数カ月ぶりに実家に戻った。
なんだかんだいっても私をここまで育ててくれたのはお父さんだから。
家に帰った私を、お父さんはいつもの優しい笑みで迎えてくれてお茶を淹れてくれる。
懐かしい畳の香り。
家なんだなって実感して心が落ち着く。
「仕事はどうだ」
「うん、だいぶ慣れたよ」
久しぶりに交わす会話は少なくて、何を話したらいいのかわからない。
「お父さん、やっぱり私の家で一緒に暮らさない?」
「すまないが、私はここから離れるつもりはない」
その言葉で、私は怒りが込み上げた。
何時までもお母さんの思い出にしがみつくその姿が、私には許せなかった。
いない人の事を思い続けたって仕方ない。
先の事も考えてほしいって、つい怒ってしまった。
お父さんはぎこちない笑みを浮かべ、ただ一言「心配してくれてありがとう」と言った。
「もういい……」
私は二階の自室へ行った。
私が家を出たときのままのその空間に、私は唇を噛む。
元のままあるこの空間も、お母さんが生きていたときと何一つ変わらないこの家も、私は許せない。
お父さんだってこれからどんどん年を取る、なのにこの家から離れられない。
「ふざけないでよ……。私達を置いてったくせに、死んでも苦しめるつもりなの!!」
いつもの視線が今日は鬱陶しくて、ベッドにあった枕を掴むと壁に叩きつけた。
それでも着せない視線から逃れたくて、私は布団を頭から被り縮こまる。
ずっと感じる視線の中、いつしか私は夢の中にいた。
小さな私とお母さん。
顔は見えないけど、何か揉めている。
「今日はコロッケがいいって言った!!」
「ごめんね、明日はコロッケにするから今日はカレーで我慢してね」
身体が弱かったお母さん。
買い物に行けなくて、私との約束だったコロッケが作れなかった。
でも、幼い私にそんなことわかるはずもなくて、怒ってリビングを出た。
約束を破られて怒っていた私。
自分の靴を下駄箱に仕舞い、私は自室のクローゼットに隠れる。
そうとも知らずに部屋にやってきたお母さんは、私がいないことを確認して部屋を出ていく。
「お母さん驚いたかな。そろそろ下に降りてこっと」
リビングに行くとお母さんの姿はなく、カレーの香りが部屋の中一杯に広がっている。
「おかあさーん」
全ての部屋を見たけどお母さんはいなくて、それから夜になり空腹も限界となっていたとき、玄関が開く音に私は走っていく。
そこにいたのはお父さんで、私が「お母さんは?」って聞いたら「遠いところにお出かけしてるんだ」と言った。
お母さんが作ってくれていたカレーをお父さんと食べていると、お父さんは涙を流していたから「どうかしたの?」って聞いたら「あまりに美味しくてね」と泣きながら笑っていた。
今まで忘れていた記憶。
そう、あれは、お母さんが私を探しに家を出たから起きた事故。
目を覚ました私は布団の中にいて、頬は涙で濡れていた。
私のせいでお母さんは死んだのに、なんで私はお母さんの顔が思い出せないんだろう。
全てを思い出した私は布団の中で泣き続けた。
すると、突然布団越しに何かが私に触れる。
「ごめんね、コロッケ作ってあげられなくて。でも、あなたが無事でよかったわ」
忘れていたその声は、夢で聞いたお母さんの声。
優しくて温かい、お母さんの声。
「お母さん!!」
バッと布団から出ると、思い出すことができなかったお母さんの姿。
私はごめんなさいとお母さんに謝った。
何度も何度も泣きながら謝っていると、温かい手が私の頭にフワリと乗せられ顔を上げる。
そんな私の瞳に映ったのは、忘れてしまっていたお母さんの優しく笑みを浮かべた顔だった。
「っ……お母さん」
目を覚したとき、私は布団の中で縮こまりながら泣いていて、布団から出るとそこにお母さんの姿はなかった。
あれは夢だったのかわからないけど、リビングへと降りていった私はお父さんに謝ると、今まで一度も見ようとしなかったアルバムを見た。
そこには、夢で見たお母さんの姿。
その日から私は、定期的にお父さんと電話で会話するようになり、実家に行くことも増えた。
そしてあの日から変わったことがもう一つ。
私を見ていた視線からあの日を境にピタリと無くなった。
もしかしたらあの視線は、心配したお母さんだったのかもしれない。
「お父さん、カレーできたよ」
「ありがとう」
ねえ、覚えてる。
お母さんが最後に作ってくれたカレー。
あの時は泣いていたお父さんだけど、今は二人で「美味しいね」って笑顔を浮かべながら食べている。
私達はお母さんの思い出に縛られてるんじゃない。
お母さんがいた事を忘れないために、ここにいるんだよ。
《完》
お化けとか妖怪が見える体質とかではなく、ただ誰かが見ているという感覚だけがあった。
年齢を増すごとに、それは私にとって普通になり、注がれる視線は気にならなくなった。
気づけば私も社会人となり、家を出て独り暮らしをしている。
本当はお父さんを一人家に残すことが心配で、私の職場近くに一緒に暮らそうと話したけど、お父さんが首を縦に振ることはないまま今に至る。
お父さんが家から離れたくない理由はわかってる。
私がまだ六歳だった頃亡くなったお母さんとの思い出があの場所にあるから。
私なんてもう、お母さんの顔すら思い出せないのに、お父さんはいつまでもお母さんとの思い出に縋りついてる。
「もしもし……うん、元気だよ。仕事終わりで疲れてるから切るよ」
定期的にかかってくるお父からの電話。
心配するくらいなら一緒に暮せばよかったのに。
お父さんを悲しませるお母さんは嫌い。
私とお父さんを残して逝ってしまったお母さんは大嫌い。
顔も声も思い出せないお母さんのことを、私が悲しむことはない。
お母さんが死んだのは交通事故。
お父さんが言ってたから覚えてる。
なんでかわからないけど、夕方になった頃にエプロンをつけたままお母さんは家を出て事故にあったらしい。
翌日私は、数カ月ぶりに実家に戻った。
なんだかんだいっても私をここまで育ててくれたのはお父さんだから。
家に帰った私を、お父さんはいつもの優しい笑みで迎えてくれてお茶を淹れてくれる。
懐かしい畳の香り。
家なんだなって実感して心が落ち着く。
「仕事はどうだ」
「うん、だいぶ慣れたよ」
久しぶりに交わす会話は少なくて、何を話したらいいのかわからない。
「お父さん、やっぱり私の家で一緒に暮らさない?」
「すまないが、私はここから離れるつもりはない」
その言葉で、私は怒りが込み上げた。
何時までもお母さんの思い出にしがみつくその姿が、私には許せなかった。
いない人の事を思い続けたって仕方ない。
先の事も考えてほしいって、つい怒ってしまった。
お父さんはぎこちない笑みを浮かべ、ただ一言「心配してくれてありがとう」と言った。
「もういい……」
私は二階の自室へ行った。
私が家を出たときのままのその空間に、私は唇を噛む。
元のままあるこの空間も、お母さんが生きていたときと何一つ変わらないこの家も、私は許せない。
お父さんだってこれからどんどん年を取る、なのにこの家から離れられない。
「ふざけないでよ……。私達を置いてったくせに、死んでも苦しめるつもりなの!!」
いつもの視線が今日は鬱陶しくて、ベッドにあった枕を掴むと壁に叩きつけた。
それでも着せない視線から逃れたくて、私は布団を頭から被り縮こまる。
ずっと感じる視線の中、いつしか私は夢の中にいた。
小さな私とお母さん。
顔は見えないけど、何か揉めている。
「今日はコロッケがいいって言った!!」
「ごめんね、明日はコロッケにするから今日はカレーで我慢してね」
身体が弱かったお母さん。
買い物に行けなくて、私との約束だったコロッケが作れなかった。
でも、幼い私にそんなことわかるはずもなくて、怒ってリビングを出た。
約束を破られて怒っていた私。
自分の靴を下駄箱に仕舞い、私は自室のクローゼットに隠れる。
そうとも知らずに部屋にやってきたお母さんは、私がいないことを確認して部屋を出ていく。
「お母さん驚いたかな。そろそろ下に降りてこっと」
リビングに行くとお母さんの姿はなく、カレーの香りが部屋の中一杯に広がっている。
「おかあさーん」
全ての部屋を見たけどお母さんはいなくて、それから夜になり空腹も限界となっていたとき、玄関が開く音に私は走っていく。
そこにいたのはお父さんで、私が「お母さんは?」って聞いたら「遠いところにお出かけしてるんだ」と言った。
お母さんが作ってくれていたカレーをお父さんと食べていると、お父さんは涙を流していたから「どうかしたの?」って聞いたら「あまりに美味しくてね」と泣きながら笑っていた。
今まで忘れていた記憶。
そう、あれは、お母さんが私を探しに家を出たから起きた事故。
目を覚ました私は布団の中にいて、頬は涙で濡れていた。
私のせいでお母さんは死んだのに、なんで私はお母さんの顔が思い出せないんだろう。
全てを思い出した私は布団の中で泣き続けた。
すると、突然布団越しに何かが私に触れる。
「ごめんね、コロッケ作ってあげられなくて。でも、あなたが無事でよかったわ」
忘れていたその声は、夢で聞いたお母さんの声。
優しくて温かい、お母さんの声。
「お母さん!!」
バッと布団から出ると、思い出すことができなかったお母さんの姿。
私はごめんなさいとお母さんに謝った。
何度も何度も泣きながら謝っていると、温かい手が私の頭にフワリと乗せられ顔を上げる。
そんな私の瞳に映ったのは、忘れてしまっていたお母さんの優しく笑みを浮かべた顔だった。
「っ……お母さん」
目を覚したとき、私は布団の中で縮こまりながら泣いていて、布団から出るとそこにお母さんの姿はなかった。
あれは夢だったのかわからないけど、リビングへと降りていった私はお父さんに謝ると、今まで一度も見ようとしなかったアルバムを見た。
そこには、夢で見たお母さんの姿。
その日から私は、定期的にお父さんと電話で会話するようになり、実家に行くことも増えた。
そしてあの日から変わったことがもう一つ。
私を見ていた視線からあの日を境にピタリと無くなった。
もしかしたらあの視線は、心配したお母さんだったのかもしれない。
「お父さん、カレーできたよ」
「ありがとう」
ねえ、覚えてる。
お母さんが最後に作ってくれたカレー。
あの時は泣いていたお父さんだけど、今は二人で「美味しいね」って笑顔を浮かべながら食べている。
私達はお母さんの思い出に縛られてるんじゃない。
お母さんがいた事を忘れないために、ここにいるんだよ。
《完》
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