お父さんとは呼べなくて

 私のお父さんは学校の教師をしている。
 それも、私が通う高校の科学教師。

 お父さんと言っても血の繋がりはない。
 私の本当のお父さんは事故で亡くなり、お母さんが再婚した相手が菅野すがの とおる

 そのお母さんも数ヶ月前に病気で亡くなった。
 私とこんな男を残して。

 お母さんより若くて、優しくてカッコイイ。
 普通なら自慢のお父さんなんだろうけど、私はそう思わない。



「今日の博ちゃんもかっこよかったね」

「ほんとほんと! あんな人がお父さんなんて羨ましすぎる」



 科学の授業が終わるといつも決まって同じ事を友達から言われる。
 その言葉を聞くたび私の心はムカムカとする。
 羨ましいならあげたいくらいだ。

 見た目も中身も良いのは認める。
 でも、私があの男を好きになることはない。



 下校時間。
 下駄箱で靴に履き替えていると声をかけられた。
 聞きたくもない声に眉をしかめて視線を向ければ、そこにいたのはあの男。



「今日はすぐ帰れるから、たまには外食に――」

「結構です。では先生、さようなら」



 冷たく言い放ち校舎から出る。
 家へと向かう帰路の途中、下駄箱で声をかけられたせいで周りの生徒が注目していたのを思い出し更にイライラ。

 私と先生が親子だということは皆が知ってるけど、それでもあんなところで夕食の話なんて何考えてるんだか。



「いや、あの男はこっちの気持ちなんて考えてないんだ」



 途中でコンビニに寄りお弁当を買うと、家で一人食べる。
 その後は、自室でスマホをいじって時間を潰していた。

 しばらくして玄関から鍵のあく音が聞こえ、帰ってきたのがわかる。
 だからといって声をかけたりはせず、お風呂を済ませたあとはまた自室に籠もる。

 一緒の家にいるだけでイライラする。
 何でお母さんはあんな男と再婚したのか。
 何でお母さんは私を置いて逝ってしまったのか。



「お母さん……お父さん……」



 その日、私は夢を見た。
 お母さんとお父さん、私の三人で暮らしていたときの夢。
 そして、お父さんが亡くなったあの日の夢。

 本当に突然だった。
 一本の電話が鳴り、お母さんが出た。
 私はソファに座りテレビを見ていたけど、お母さんが取り乱した様子で話していたのを覚えてる。

 電話を切るとお母さんは身体から一気に力が抜けたみたいに崩れ落ち、お父さんが仕事帰りに車の事故に巻き込まれて亡くなったと聞かされた。
 私が中学生の頃の事だった。

 それから数年後、私が中学三年生になった頃、お母さんにあの男を紹介された。
 お父さんが亡くなってから笑わなくなったお母さんがまた笑ってくれたことが嬉しくて、この人と一緒になることがお母さんにとっての新たな幸せになる。
 そう思ってた。

 その後直ぐに婚約した二人だったけど、それからお母さんの体調は日に日に悪くなっていき、病院での生活を余儀なくされた。



「いつもお見舞いありがとうね」

「当たり前でしょ。それより早く良くなってよね。来月には私も高校生なんだから」



 入学式の日は、終わったら直ぐに病院に来て制服を見せてあげようと考えていた。
 でも、入学式を迎える前日の深夜、一本の電話が鳴った。
 嫌な予感を感じながら出ると、お母さんの体調が急変したという連絡。

 私は直ぐにタクシーを呼んで病院へ向かった。
 病室にはナースや先生の姿があり、その声は遠くに聞こえる。

 お母さんはベッドで眠っているのに、何で先生やナースの人達は部屋から離れていくのか。
 わかっていながら、わかりたくなかった。

 その日私は朝まで病院にいた。
 スマホを何回も確認したけど、あの男からの連絡はなかった。
 それどころか婚約してから一回も家へ来ず、お見舞いすら来なかった。

 何も考えたくなかったけど、高校に受かったとき喜んでくれたお母さんの顔を思い出し、私は家へ帰ると制服に着替え入学式に向かう。



「科学担当は菅野 博先生。英語は――」



 今まで知らなかったあの男の職業。
 私は手にぐっと力を入れ握る。

 何の連絡もせず、お母さんを一人にした人。
 あの男に私が憎しみを抱いた瞬間だった。



「っ……最悪」



 今日の目覚めは最悪だ。
 リビングに行くとそこにはメモ用紙が一枚。
 なんのつもりか知らないけど、朝はいつも朝食を用意してあの男は学校へ行く。

 私は朝食には手を付けず、紙を捨てると食パンを食べる。
 紙に書かれている文字はいつも同じ「おはよう」の一言。


 学校に行くと、ガヤガヤと賑やかな空気に包まれる。
 家はいつも静かだから、何だかこの騒がしさも嫌じゃない。

 繰り返される同じ毎日。
 昔とは違う日常。


 その日のお昼、スマホにあの男からメールが来ていた。
 内容は「明日は休日ですから、昨日できなかった食事を今夜しましょう」というもの。
 私は返事もせず電源を切るとお昼を食べた。
 返事なんてしなくても、私があの男の誘いを受けたことなんてないんだからわかりきってる。

 午後の授業は科学があり顔を合わせることになったけど、とくに会話もなく終わった。
 友達からはまたいつもの羨ましいと言う言葉を聞かされイライラしてしまったけど、私があの男を嫌いな限りこれはおさえようがない。


 その日、いつものようにコンビニでお弁当を買って帰ると、視線に写真を捉えた。
 二人が亡くなってからもずっとリビングに飾り続けている家族三人が写った写真。

 思い出して辛くなるからあまり見る事も減ったけど、数年ぶりに手に取る。
 何だか写真たての後ろに違和感を感じて外してみると、そこには一枚の紙。



「お母さんの字……」



 書かれていたのは、私が知らない事実だった。
 お父さんが亡くなってしばらくしたある日、お母さんは治すことのできない病気にかかっていた。

 もって数年と言われたとき頭に浮かんだのは私。
 お父さんが亡くなって自分まで亡くなったらと考えたとき、私を一人にしないために出来ることを考えた。

 その時相談したのが、お父さんの後輩だったあの男。
 お母さんが事情を説明して頼むと、笑顔で「わかりました」と引き受けてくれた。
 その頼んだ事は、私を一人にしないこと。
 その約束を守るため、私が受けていた高校の教師となるために教員免許を取った。

 婚約したというのも嘘。
 苗字を変えずにいたのは、お父さんのことを忘れないためってお母さんが言ってたけど、そもそも変えること自体できなかったんだ。

 婚約して以降も家に来なかったり、お母さんのお見舞に来なかったりしたのも、全ては教師になってお母さんとの約束を果たすためだったんだと知ったとき、玄関の鍵が開く音が聞こえ、私は慌てて写真たてを元に戻す。

 リビングに入ってきて対面すると、何を話していいかわからない。
 考えてみたらまともに話したことなんてなかった。

 ぎこちなくも発した第一声は「夕食、外でするんですよね」という、私と先生の距離を縮める言葉。

 明日の朝は、あの手紙の返事を私からも言おう。
 お父さんと呼ぶのは難しいけど、毎朝朝食と一緒に置かれているメモ用紙の「おはよう」の挨拶を。


《完》
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