天使の落しもの

 天使である私が人間界で生活を始めて3日が経つ。
 なのに私の落としものは未だ見つからない。
 人にも天使にも大切なもの。
 私はそれを見つけるまで天界に帰ることが許されない。


 そして今日も探す。
 空から水が降ってくるが、気にせず街の中を探し歩く。

 すると突然水が止み、顔を上げるとそこには一人の男性の姿。



「よければこの傘を使ってください」



 そう言い私に傘を握らせると、男性は持っていた鞄を傘代わりにして走っていく。
 私は顔を上げ、握らされた傘に目をやると再び探す。

 大天使様は人間界に私の落としものがあると言っていた。
 私の大切な落としもの。
 きっとこの世界のどこかにある筈だ。


 翌日。
 結局昨日も見つけられなかった。
 今日は見つけられるだろうかと思いながら、昨日男性から借りた傘を手に外へと出かける。

 人間が使う傘という物。
 水から自分の身を守るものであることは知っているが、特に私は必要とはしていなかった。
 だが、また昨日の様に水が降ってくると服が身体に張り付き動きづらくなる。
 昨日知った知識を得て、私は傘を片手に今日も探す。

 空を見上げたり、地面を見たり。
 どこに落としたかわからないものを探す。

 すると一人の人物と目が合う。
 あの人は、昨日私に傘を貸してくれた人。
 男性は私へと歩み寄ってくると「風邪は引かれませんでしたか?」と尋ねてくる。
 どちらかというと私より、この男性のが風邪を引いても可笑しくないと思うのだが。



「あれくらい大丈夫です。貴方こそ大丈夫でしたか?」

「はい。私の家はここから近いので」



 変わった人間だ。
 不安そうにしたかと思えばニコリと笑う。
 こうも人はコロコロと表情を変えるものなのだろうか。

 だがそんなことはどうでもいい。
 私は落としものを探さねばならないのだ。

 話はこれで終わりだろうと思いその場から去ろうとすると、男性は私を引き止めた。
 まだ用事があるのだろうかと振り返ると、男性の視線が私の手元へと向けられていることに気付く。



「すみません。借りた傘を返すのを忘れていました」



 持っていた傘を男性の前に差し出し、私はペコリと頭を下げる。
 どこの誰かもわからない人とまた会うことなどないと思い、自分の傘として扱っていた。

 水が降って服が張り付くのは嫌だが、買いに行く時間が惜しい。
 濡れるのは仕方がないものと耐えるしかないと思っていると、男性の声が耳に届く。



「その傘は差し上げます。また濡れたりしたらいけませんから」



 どうやら濡れずに済みそうだが、なら何故私を引き止めたのか尋ねる。
 すると男性は、昨日から私が探しものをしているんじゃないかと気になっていたことを話す。
 今も地面をキョロキョロと探す私の姿を見て、まだその探しものは見つかっていないのではないかと思ったらしい。

 男性の言葉通りのため、その通りであることを伝えると「私も手伝います」と言い出した。
 勿論私は断る。
 これは私が落としたものであり、他の者では決して見つけることができないから。



「何故ですか? 一人より二人で探した方が見つかる確率は上がりますよ」

「いいえ。残念ですが見つかる確率に変わりはないんです。何故なら私が探しているものは──」



 私の探しものを聞いた男性は、手を口元に当て突然クスクスと笑い出す。
 なんだかその反応に、ムッとしてしまい「何が可笑しいんですか」と冷たく言う。



「失礼しました。それは私ではお役に立てませんね」

「はい。なので、私はこれで失礼します」



 そう言いその場を去るとき、何故か私の脳裏に男性の笑い顔が思い出され、頬がほんのり熱くなる。
 理由はわからない、でも、その日はずっとあの男性のことが脳裏にチラつき探すことに専念できなかった。

 私の落しものは、私にしか見つけられない。
 そして、この世界のどこかに必ずあると大天使様は言った。
 だが、人間界に来て数日経つのに手がかりすら見つからない。

 実は私自身にも、その落しものがどんなものかわかっていない。
 自分が落としたものを自分が知らないなんて可笑しなことかもしれないが、あの男性は笑っていた。
 口ぶりも、何か知っているような感じだったと今更気付く。



「明日、また会えるだろうか……」



 その日も見つからないまま翌日を迎え、私は傘を手に今日も探す。
 だが、いつもとは違う。
 普段は地面を探すばかりだが、今日探すのはあの男性。
 家はこの近くと言っていたからここにいれば見つかるだろう。


 そう思っていたのが今から9時間以上前。
 天使にとって時間の流れなどあっという間だが、今は人間の姿をしているせいか時間が長く感じる。

 このベンチに座り続けているせいでお尻が痛くなってきた。
 それに、少し肌寒い。
 人間は、夏は熱く冬は寒いと聞くが、秋でこんなにも寒いとは思わなかった。

 考えてみれば、今私は天使ではなく人間。
 身体の作りも人間そのものになっている。

 あの時男性に傘を貸してもらわなければ、私は風邪という人間界でのウイルスにかかっていたかもしれないのだと思うと感謝しなければならない。
 風邪など引いていれば探すどころではなくなっていただろう。

 私の最初からの態度はお世辞にもいいと言えたものではない。
 丁寧な言葉で話してはいたものの、言葉は私の口から冷たく発せられていた。



「私は、何を考えているんだろう……」



 今までこんなこと気にしたことはなかったのに、私はどうしてしまったのか。
 この寒さと長い時間に可笑しくなってしまったのか。



「こんな薄着で何をされているんですか」



 声と共に先程までの寒さが和らぐ。
 私の肩には羽織が掛けられており、顔を上げるとずっと探していた男性の姿が瞳に映る。
 心配そうな視線は、風邪を引いていないかと尋ねたときと同じ表情。



「貴方を待っていたんです」

「今日は仕事が休みで外には出ていなかったので……。いったいいつからここに?」

「朝の九時です」



 その言葉に男性は驚く表情を見せ、私の腕を掴むと近くの喫茶店へと入った。
 男性は私の分の珈琲も注文すると「ここで温まりましょう」と言う。

 運ばれてきた珈琲を飲むと、全身が温まる。
 寒さと温かさ、両方を初めて知った瞬間だった。



「私に何か用事があったのではないですか?」

「はい。私の落しものなんですが、貴方は何か知っている口ぶりでしたので」



 だから教えてもらいたいと言えば、男性は少し困ったように笑う。
 やはり知らないのだろうかと視線が下に向く。



「説明が難しいですが、それはすでにあなたの中にあります。そして沢山経験して得るものです」

「経験……。どんなことをすればいいんですか?」



 体を乗り出して男性に尋ねると、男性はクスクスと笑い出す。
 頬がまた熱くなり私は椅子に座り直すと視線を下に落とす。
 よくわからないが、顔が見られない。

 そんな私の耳にそっと届く言葉は、私の落しものを見つける手がかりになる。



「感情というのは、ひとりひとりが拾い集めて作られるんですよ」



 その言葉の意味はまだわからない。
 でもきっと見つかるのだと思えた。
 少なくても、この男性の側にいればきっと──。


《完》
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