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皇帝陛下と恋のしがらみ

 目の前にあるのは、かつては大富豪の邸宅だったという公園だ。
 以蔵は仕事柄、都内の地理を熟知している。
 どうやら目的地は、公園に面した小さなレストランのようだ。先導するコンスタンティノスとついて行く立香の背を護って立ち、以蔵も店内に入る。
 広くはないが天井は高く、天窓から入る光がフロアを照らしている。調度品は磨かれて輝き、ものを見る目のない以蔵にも高級感を伝えている。
 ウェイターが三人を窓際の席に案内した。予約を入れていたのだろう。
 立香を上座に座らせ、その正面に腰を据えたコンスタンティノスはにこにこしている。以蔵はしぶしぶと男の隣に着いた。

「今回の件とは別にこの店のことを聞いてね、楽しみにしていたんだ」
「何が出てくるんですか?」
「それは来てのお楽しみだ」

 コンスタンティノスの言葉に微笑む立香を、斜め前から見る。
 目の前のことに新鮮な感情を向け、喜んでいる顔が魅力的すぎる。いつもくるくる変わる表情を楽しんでいるが、やはりこういう顔が一番いい。
 それを正面から受け取れないことがとても――とてつもなく悔しいのだが!
 己の不徳の致すところではある。
 ほどなく、店員が三つのコーヒーカップとパフェグラスを捧げ持って来た。
 グラスの背はそれほど高くない。だがその中身はぎっしり詰まっていて、縁には新鮮な和梨が花咲くように飾られている。
 目の前に差し出されたグラスを見た立香が、小さく歓声を上げた。

「パフェ!」
「和梨のパフェだね。ヨーロッパではなかなか和梨を食べる機会がないから」

 コンスタンティノスも嬉しそうだ。
 以蔵も興味はなくもない。
 普段味の濃い酒の肴を食べることが多い以蔵だが、味蕾は決して死んではいない。質のいい甘味を食べればうまいと思う。
 しかし、立香を優雅にエスコートできる男のおすすめとあらば、それだけで心が曇る。

「食べる前に一枚撮ってもいいですか? みんなに見せたいんです」
「いいとも! 楽しいことはシェアすべきだ。私にもSNSを見せてくれないかな」
「それは……ずかしいのでダメです」
「もちろん、無理は言わないさ」

 そう言ってコンスタンティノスは、スマホで写真を撮った立香がスプーンを構えたのを確認してから、グラスのてっぺんに盛られたホイップクリームをすくった。以蔵も二人にならってグラスを引き寄せる。
 甘すぎず、和梨の繊細な味を引き立てる上品な味わいだ。グラスの縁を飾る果実はみずみずしく、歯ごたえもいい。普段別に梨を好んでいない以蔵をもうならせる。
 下層には梨のソースのかけられたバニラアイスとヨーグルトにグラノーラ、底面にはコンポートとよく冷えたゼリーが敷かれている。
 結局、以蔵もかなり夢中で完食した。
 立香の顔は輝いていた。

「最っっっ……高でした! なにこれおいしい! 語彙力がなくなる!」
「喜んでもらえて嬉しいよ。イゾウ、君はどうかな」
「悪うない……です」
「よくわからないが、いい感想なのはわかる。君はそんな顔もできるのだね」

(どがぁな顔しゆううがじゃ)

 善属性は本当に度しがたい。

「私も実に満足できた。このために来日したと言うのは……さすがに過言だけれどね。リツカはこれを想い人と一緒に食べたいと思ったかな」

 コンスタンティノスは声に愉しさをにじませる。
 中年男性のガールズトークが始まった。決して脂ぎってはいないのが更に厭だ。

(そん想い人、おまんの隣におるがぞ)

 しかし立香は空のグラスに視線を落とす。

「それが……わたしの好きな人、わたしみたいな子供になんて全然興味ないんです」

 声にも悲哀が表れている。
 以蔵の立香への想いは、今のところまったく伝わっていないようだ。伝えないようにしているから当然ではあるが、それはそれで納得できない。勝手な男だと自分でも思う。

「おや、それは……君のようないい子の純真な想いを受け取らないとは」

 コンスタンティノスは大仰に返した。

「私は独身だからわからないところもあるだろうが、それでも君の一途さに心を動かされない男がいるとはにわかには信じがたい」

(動かされちゅう! 動かされすぎちゅうぐらいじゃ! 勝手なこと言いなや!)

「でも実際、その人がわたしに恋愛感情を向けていないのは確かなので」

(好きじゃ、しょうげに愛しちょる! いつもおまんの気持ちに応えたい思うちょる!)

 以蔵の気も知らず、二人は会話を重ねる。

「陛下、結婚されてなかったんですか?」
「――二度、死別してね」
「……! すみませんっ」
「君が謝ることじゃない。――だから、若い人の幸せは祈りたくてね」
「ありがとうございます……陛下もおつらいのに」
「君は優しい子だ」

 コンスタンティノスは柔らかく笑った。立香はうっすら目を潤ませながらうなずく。
 二人の会話に入ったら、望ましくないことも口にしてしまいそうだ。

(おまんを好きじゃ言えたらどんだけ……)

「まぁ、私は君の泣き顔を見たいわけじゃない。ここはフレーバーティーも絶品のようでね」

 コンスタンティノスが視線を投げたタイミングで、ウェイターがカップの茶を運んでくる。秋らしい、金木犀の香りが漂ってきた。

「いい匂い……」
「少しでも君の恋心が救われればいいのだが」
「救われたいです、わたし」

 立香は悲しげに微笑む。こんな表情を見たくて我慢しているわけではないのに。
 慎ましげにカップを持ち、そっと傾ける立香を見る。茶を口に含むと、その顔が少しだけほころんだ。

「おいしい」
「そう言ってもらえれば、私も救われる」

 二人の会話に、以蔵は気取られないようため息を吐く。
 以蔵は己の我慢のゴールを二年半後に設定している。立香が大学を卒業しても気持ちが変わらないようなら、抱きしめて応えたい。もちろん、こんな男に騙されていたと気づくようなら諦めようと思っている。実行できるかはさておき。
 己がひどく無駄なことをしている気になる。

「陛下はいつ帰られるんですか?」
「いつまでも国を空けているわけにはいかないからね。今週末には帰る予定だ」
「淋しいです」
「もし君がよければ、私の連絡先を教えたい。多忙ではあるが、できるだけ返すようにするから」

(ほがなこと聞きなや立香! 男は! みんな! 狼じゃ!!)

 立香の細い肩を掴んで揺さぶりたい衝動に駆られるが、己の作ったしがらみに縛られている以蔵は何もできない。
 愚かだ。滑稽すぎる。
 スマホを傾け合う二人を止めることができないまま、以蔵は茶を飲む。むせかえるような金木犀の香りが、今は苦しい。
 カップの持ち手が繊細すぎて、力の入れようを間違えたら折ってしまいそうだ。
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