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皇帝陛下と恋のしがらみ

 ――ともあれ。
 以蔵は今、ベストとジャケットを身に纏って三ツ星ホテルのロビーに立っている。スラックスにはプレスも入っている念の入れようだ。普段せいぜいがよれたワイシャツに皺の寄ったスーツを着る程度の以蔵にとっては、最大限のおめかしである。

「以蔵さん、ちゃんとしてるね。かっこいい」

 隣の立香は、タイト気味の寒色のワンピースを着ている。どこで調達したのか、二連のパールネックレスを身につけた姿も、普段の元気さとは一線を画していて可憐た。

「おまんがまともな恰好せぇうたやいか」
「だって……」

 立香は言葉を濁すが、以蔵のだらしなさを知っていれば念押ししたくなるだろう。気持ちはわかる。
 二人並んでいれば、デートの待ち合わせにも見えるだろう。実際当たらずとも遠からずではあるが、似て非なるものでもある。

「おまん、どこ行くか聞いちゅうがか」
「それが、何も教えてくれなくて」

 こそこそ話していると、お目当ての人物がエレベーターのドアから現れた。男に遣うのは変な表現だが、華がある。

「やぁ、お待たせしてしまったかな」

 赤い手袋に包まれた手が挙げられた。仕立てのいい黒スーツから赤いベストを覗かせた男の見た目は若い。以蔵より少し上か、下手をすれば同い年くらいにすら見える。これで四十路よそじだと言うのだから、王族という生き物は霞でも食っているのではないかと邪推してしまう。

「いえいえ! たいして待ってませんから」

 首を振る立香から、気のせいか星がきらきらと舞っているようにも見える。やはり女は、セレブの雰囲気に弱いのだろうか。主語を大きくしすぎか。

「気を遣わせたならすまないね。ところで……」

 男はちらりと以蔵を見た。

「私はてっきり、君が同性の友人を連れてくるかと思っていたのだが」
「なんじゃ、おまんわしになんぞ文句があるがか」

 思わず、売られているかも定かではない喧嘩を買ってしまう。
 しかし男は数秒口を開けた後、立香に視線を向けた。

「えぇと……すまない。彼は、なんと?」

 その口調には、まったく悪気がない。

「『あなたは私に何か文句があるんですか』って」
「ふむ! 文句なんてあるわけがない、リツカの選んだ友人なんだ。それに君は、よく仕事をしてくれただろう」

 男は善性を前面に見せて笑った。こういう表情ができる者などろくでもない、と思ってしまう以蔵の心の方が歪んでいるのだろう。
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