ピンキーリングにまつわる二人の話
坂本探偵事務所の客用ソファに寝そべり、以蔵は己の右手を蛍光灯に透かした。
何度まばたきしても、手のひらを返してみても、その小指には銀色の輝きがある。
『わたしが以蔵さんのものだっていう証拠が欲しい』
そう言って、立香はスマホで宝飾ブランドのペアリングのホームページを見せてきた。
指輪なら、結婚を申し込む時にふさわしいものをプレゼントするつもりだ。しがない探偵の給料三ヶ月分などたかが知れているとしても、愛する気持ちを伝えたい。
だから最初は、立香のおねだりもそれほど真面目には受け取らなかった。
しかし立香は焦れたように何度も訴えた。
『早くもっと以蔵さんのものになりたい、でないと誰かに厭 な目で見られちゃう』
いっそ割り勘でも、と言い募る立香に、さすがに根負けした。
左手の薬指は空けておきたかった。二人で指輪をつける指の意味を調べ、今の二人にふさわしいものを選んだ。
幸い、ギャンブルを控えていたおかげで少しは自由な金があった。
宝飾店に行くなど初めてで、借りてきた猫のようにサイズを測られていた以蔵がおかしかったらしく、立香はころころと笑った。笑われることは不快だったはずなのに、盛りの花のような笑顔に心を掴まれてしまった。
昨日の日曜日にオーダー品を取りに行き、二人でつけ合った。愛情を示す言葉が胸からとめどなくあふれ、自然と抱き合った。
大学卒業まで手は出さない、という誓いを危うく破るところだった。ブラウスのボタンに手をかけようとしたところで正気に戻れた。
立香を送り帰して一人で寝る時も、右手の小指から温かい感触が湧き出て以蔵の全身を包んだ。
明けて今日は、朝から人の穢 い面を見せつけられる仕事だった。指輪をケースにしまって外回りをし、苦手なキーボードを打って報告書を作り、一分かけて手を洗って再び指輪をつけた。
こうして輝きを浴びていると、いい買い物をしたと思う。
以蔵もそう清廉な人間ではない。
武市を傷つけ、新兵衛を憤 らせ、他の様々な人に迷惑をかけた。借金を返せずに反社の領域に足を踏み込みかけたこともある。
しかし立香の笑顔を見れば、自分が綺麗なものになった気になれる。この娘を幸福にさせているのが自分だと思えば、存在意義を感じられる。
恋は人を狂わせる。
愛は人を美しくする。
「立香」
小声で呼べば、脳内でオレンジ色の髪が揺れる。小作りな顔がこちらを振り向き、金色の目に己が映る。
胸が苦しくなる。抱きしめて叫びたくなる。
こんな自分を、以蔵は知らなかった。
「立香、りつか……」
「なーに呼んでるんだ」
呆れたような、女の声が割り込んできた。
玄関ドアを見れば、龍馬の頭上でお竜が実体化すしていた。龍馬が出かける時、お竜は姿を消して寄り添う。
「気持ち悪いぞ、クソザコナメクジ」
「やかましいわ、こんスベタ」
ふわふわと漂ってきたお竜に、以蔵は罵声を投げる。
「以蔵さん、ソファ使ったらアルコールで拭いてね」
龍馬はジャケットをハンガーにかけながら言う。静かで優しげだが、以蔵の不正を許さないという意志を感じる。
腹立たしくなったが、雇い主の言うことだ。以蔵は棚のアルコールスプレーとペーパータオルで座っていたソファを掃除する。
「今日の仕事はどうだったかな」
「報告書はメールにテンプして送っちゅう。確認しぃ」
「リョーマはそんなこと聞いてないぞ。リツカとお揃いの指輪をつけて、気が緩んでないかって聞いてるんだ」
「ほがなわけないろう、わしは天才じゃ」
言い切る以蔵に、龍馬は苦笑する。
「僕は以蔵さんの真面目さを信じてるよ」
肯定されると、それはそれで落ち着かない。
「ほたえな」
「イゾーの方がうるさい」
「僕としては、立香ちゃんのおかげで以蔵さんがちゃんとしてくれて嬉しいよ」
どうも居心地が悪い。
しかし立香と出逢わなければ、以蔵は居心地の悪さを覚える前に逃げるか見捨てられるかしていたはずだ。この以蔵に甘い幼馴染みも、堪忍袋の緒の強さは無限ではないだろう。
「立香ちゃんのためなら頑張れるだろう?」
龍馬の、以蔵を理解していると言いたげな口ぶりは癪 だが、この言葉は認めざるを得ない。
「……今週の予定寄越しぃ」
以蔵が言うと、龍馬はカバンからタブレットを取り出して画面を以蔵に見せる。
調べてもらいたいこと、足で稼ぐべきこと、伝えなければならないことを一目で図解する龍馬は有能だ。そうでなければ、以蔵のような不器用な人間を使えない。
「わかった、わしに任せぇ」
「以蔵さんがいてくれて助かるよ」
「ほうか」
以蔵が不承不承うなずくと、
「もっとリョーマに感謝しろ」
お竜が龍馬をかばう。
「お竜さん、僕はいいから」
眉尻を下げる龍馬にも、(これでも)ひところほどには苛立たない。
ずいぶんと穏やかになった――のかもしれない。
結局、すべてのことが、立香と出逢って好転している。
何度まばたきしても、手のひらを返してみても、その小指には銀色の輝きがある。
『わたしが以蔵さんのものだっていう証拠が欲しい』
そう言って、立香はスマホで宝飾ブランドのペアリングのホームページを見せてきた。
指輪なら、結婚を申し込む時にふさわしいものをプレゼントするつもりだ。しがない探偵の給料三ヶ月分などたかが知れているとしても、愛する気持ちを伝えたい。
だから最初は、立香のおねだりもそれほど真面目には受け取らなかった。
しかし立香は焦れたように何度も訴えた。
『早くもっと以蔵さんのものになりたい、でないと誰かに
いっそ割り勘でも、と言い募る立香に、さすがに根負けした。
左手の薬指は空けておきたかった。二人で指輪をつける指の意味を調べ、今の二人にふさわしいものを選んだ。
幸い、ギャンブルを控えていたおかげで少しは自由な金があった。
宝飾店に行くなど初めてで、借りてきた猫のようにサイズを測られていた以蔵がおかしかったらしく、立香はころころと笑った。笑われることは不快だったはずなのに、盛りの花のような笑顔に心を掴まれてしまった。
昨日の日曜日にオーダー品を取りに行き、二人でつけ合った。愛情を示す言葉が胸からとめどなくあふれ、自然と抱き合った。
大学卒業まで手は出さない、という誓いを危うく破るところだった。ブラウスのボタンに手をかけようとしたところで正気に戻れた。
立香を送り帰して一人で寝る時も、右手の小指から温かい感触が湧き出て以蔵の全身を包んだ。
明けて今日は、朝から人の
こうして輝きを浴びていると、いい買い物をしたと思う。
以蔵もそう清廉な人間ではない。
武市を傷つけ、新兵衛を
しかし立香の笑顔を見れば、自分が綺麗なものになった気になれる。この娘を幸福にさせているのが自分だと思えば、存在意義を感じられる。
恋は人を狂わせる。
愛は人を美しくする。
「立香」
小声で呼べば、脳内でオレンジ色の髪が揺れる。小作りな顔がこちらを振り向き、金色の目に己が映る。
胸が苦しくなる。抱きしめて叫びたくなる。
こんな自分を、以蔵は知らなかった。
「立香、りつか……」
「なーに呼んでるんだ」
呆れたような、女の声が割り込んできた。
玄関ドアを見れば、龍馬の頭上でお竜が実体化すしていた。龍馬が出かける時、お竜は姿を消して寄り添う。
「気持ち悪いぞ、クソザコナメクジ」
「やかましいわ、こんスベタ」
ふわふわと漂ってきたお竜に、以蔵は罵声を投げる。
「以蔵さん、ソファ使ったらアルコールで拭いてね」
龍馬はジャケットをハンガーにかけながら言う。静かで優しげだが、以蔵の不正を許さないという意志を感じる。
腹立たしくなったが、雇い主の言うことだ。以蔵は棚のアルコールスプレーとペーパータオルで座っていたソファを掃除する。
「今日の仕事はどうだったかな」
「報告書はメールにテンプして送っちゅう。確認しぃ」
「リョーマはそんなこと聞いてないぞ。リツカとお揃いの指輪をつけて、気が緩んでないかって聞いてるんだ」
「ほがなわけないろう、わしは天才じゃ」
言い切る以蔵に、龍馬は苦笑する。
「僕は以蔵さんの真面目さを信じてるよ」
肯定されると、それはそれで落ち着かない。
「ほたえな」
「イゾーの方がうるさい」
「僕としては、立香ちゃんのおかげで以蔵さんがちゃんとしてくれて嬉しいよ」
どうも居心地が悪い。
しかし立香と出逢わなければ、以蔵は居心地の悪さを覚える前に逃げるか見捨てられるかしていたはずだ。この以蔵に甘い幼馴染みも、堪忍袋の緒の強さは無限ではないだろう。
「立香ちゃんのためなら頑張れるだろう?」
龍馬の、以蔵を理解していると言いたげな口ぶりは
「……今週の予定寄越しぃ」
以蔵が言うと、龍馬はカバンからタブレットを取り出して画面を以蔵に見せる。
調べてもらいたいこと、足で稼ぐべきこと、伝えなければならないことを一目で図解する龍馬は有能だ。そうでなければ、以蔵のような不器用な人間を使えない。
「わかった、わしに任せぇ」
「以蔵さんがいてくれて助かるよ」
「ほうか」
以蔵が不承不承うなずくと、
「もっとリョーマに感謝しろ」
お竜が龍馬をかばう。
「お竜さん、僕はいいから」
眉尻を下げる龍馬にも、(これでも)ひところほどには苛立たない。
ずいぶんと穏やかになった――のかもしれない。
結局、すべてのことが、立香と出逢って好転している。
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