闇夜に覗くテレスコープ

昨日より一段と冷える朝。今日の夜空はきっと漆黒の闇に静寂の月が灯るのだろう。
着替えをする時に身震いをした。昨日はどちらかといえば暖かい日だったのに。秋の気温は気難しい。

今日もまた寝坊してしまって、人のいない静かな寮の部屋で私は荷物を急いでまとめる。
昨日も夜更かしをしたからか起きたのは皆が朝食に舌鼓を打ちそのまま授業へ向かう間の時間だ。私にはわざわざ起こしに来てくれるような気の置けない友人は少なくともスリザリンにはいないから、よく寝坊してしまう。
まあ、寮生活は自己責任。別に起こしてくれなかったからといって同室の子達を責めるつもりは毛頭ない。だって時間通り起きられなかった私が悪い。
とはいえ、急がなくては遅刻する。

朝一番は魔法薬学。
自身の机から昨日の放課後しあげたレポートと積み重なった教科書から魔法薬入門を取り出す。
(あ、フラスコ汚れている。それも内側)さすがに内側が汚れたフラスコを使って調合すればどんなことが起こるかわからないので取らないと、と思い袖を指で抑えながらこすると綺麗に汚れは取れた。そのかわり袖にまばらで薄い"しみ"が現れる。

そして2時間目の魔法史の授業のために終わっていないレポートの紙を鞄に詰める。魔法史の授業はもっぱら内職か睡眠の時間だ。
鞄はフラスコを無理に詰め込んだからか不格好に膨らんでいた。

鞄を指先に引っ掛けて談話室まで走る。相変わらず地下にあり直ぐ側に水のあるこの寮は湿った香りがする。その湿り重たい空気を蹴散らして談話室まで来た。

懐中時計をかぱりと開く。魔法でできた時計は針も文字盤もなくぐるりぐるりと星が回る。エスターと製作者である父と母しか理解できぬ時計。
(けっこう余裕で間に合うかな)
お金の余裕は心の余裕というけれどエスターとしてはお金よりも時間の余裕こそがエスターの心に余裕を与える存在だと思っているのでエスターは急ぐのをやめて落ち着いて魔法薬学の教室へと向かう。

スリザリンの寮監であるスラグホーン__生徒には裏でスラッギーと呼ばれている。__が担当教官を務めているためスリザリンの寮からほど近い地下に魔法薬学の教室は構えられていることもエスターの心と時間に余裕を与えた。

「あ」

唐突にどこからか声があがった。声変わり前の少年の声。周りには人がおらず、その声の先が私だとなんとなく察して声の出所に視線を向ける。ぺこり、と軽く頭を下げながら少し気まずそうに視線の先の少年は言った。

「お、はようございます」

その少年の姿を見てフラスコの汚れをスコージファイで綺麗にしたらよかった、と後悔する。昨日ふわりと杖を振るっていたのを思い出したから。もしそうしていたら袖が汚れることはなかったのに。あとで袖にかけておこう。

「はい、おはようございます。レギュラス・ブラック先輩」

そう呼ぶと先輩は軽く眉を下げた。何か気に障ることをしてしまっただろうか?
それにしても改めて見ると整った顔をしている。……気がする。私の趣味は独特だと誰かに言われてから美醜に対して自信がない。けど、みながきゃーきゃー言うような美貌の持ち主だと思う。実際に同室の女生徒が言っていた気がするし。
結局美醜については私が好きかどうかが最も大切なのだけど。

「…レギュラスで構いませんよ」
「わかりました、レギュラス先輩」

なるほど、呼び名が気に入らなかったのか。
従順にエスターは首を縦に振った。年長者の言うことは素直に聞くタイプの人間である。
それだけ言ってさっさと立ち去ろうとするエスターにレギュラスはぎょっとして袖を掴んだ。

「……っ!ちょっと待ってください!」
「はい、何でしょうか?」

勢いよく引き止められてぶんと身体が激しく揺れたがエスターは特に気にすることなくレギュラスに尋ねた。
レギュラスは眉間と鼻に皺を寄せた。まるで家畜の糞の匂いを嗅いだかのように不快感を滲ませた表情だった。理解できない愚かで不合理的な行動を取る野生動物を見る目をしている。
断じて人に向ける表情ではなくレギュラスらしからぬ表情でもあった。

「何でしょうかじゃありません。スリザリン生たるもの身だしなみくらい整えなさい」
「えっと…」
「ぼたんが開きっぱなしですよ……第三、第四」

はて、どれのことだろうと首を傾げるエスターに初めは女性に対してこんなことを指摘するのは……と渋る思いで告げたレギュラスも杖で開いているボタンの位置を示す。開きっぱなしで一日を過ごすよりマシだろう。まあ、なによりもその手のことをエスターは気にする性質ではないが。

「あ、ほんとうだ」
「それにネクタイもまがっています。なんで短い方が前に出ているんですか?あと昨日髪を切りましたか?」

純粋に開いていることに気づいていなかったかのような声のエスターにずばずばとレギュラスは気になったことを指摘する。
女性が男性にされて嫌なことTOP3に入りそうな行動である、見た目のことを指摘されている状況にも関わらずエスターは冷静で淡々と受け止め怒りを覚えて逆上したりヒステリックな声を上げることもなかった。

ただ、エスターに浮かぶのは気づいたレギュラスに対する感嘆だけ。

「よく気づきましたね」
「自分で切ったんですか?長さがばらばらですよ」
「そうですか?」

自身の髪を一束指先で摘まむ。確かにこの髪他より二センチほど長い。また後で切ろうかな。前髪が目にかかるのが鬱陶しくって昨晩適当にじょきじょきと切り落としたのだった。
指摘されたネクタイを結びなおす。エスターは結びながら頭を捻って考える。

……なんでこうなるのだろう。

「せめて…屋敷しもべ妖精に切ってもらったらいかがですか?……どうしてネクタイを結びなおしてそうなるんです?」
「なんだか…面倒になって」
「貸してください。僕がやります」
「…ありがとう、ございます。」

先輩にやらせるのはと初めてエスターの声に戸惑いが混じった。
しかし、レギュラスはそのことを気にせず手際よくネクタイを巻いた。

「今日中に屋敷しもべ妖精に手伝ってもらって髪を切りそろえるように。スリザリン生たる自覚をもって振舞ってください」
「はーい」
「はーい、ではありませんよ……。ほんとうにわかっていますか?」
「うーん……じゃあレギュラス先輩、放課後にでも髪切るのでレギュラス先輩も手伝ってくれますか?」

何とはなしに頭に浮かんだ言葉をそのまま口から出す。エスターには時折こういう癖がある。母には思考を一度頭に留めてから発言しろ、と言われるけれど、そうしたら酷く回りくどい言い方になるのだとエスターはあるときに気づいた。普通は違うのかもしれないけれど母もエスターもきっと"普通"ではないのだ。現にエスターの発言にレギュラスは困惑している。エスターは他人の反応に鈍感なわけではないのでそれぐらいはわかった。

ただしなぜ困惑しているのかはよくわかっていない。そのずれがエスターを寮内で孤立させるに至ったゆえんである。

「え?」
「髪を切るの手伝ってくれません?」
「聞こえなかった訳じゃありません。…あなた本気で言ってます?」

どういう意味だろう?本気以外の何を口にするのだろう、と思いながらエスターは肯定した。

「はい、私レギュラス先輩の星に興味がありますし」

ほんとうに見事な星だ。どうして私は時を戻る前にもっと興味を持たなかったのだろう。星が変わったから興味を惹かれたのはあるけれど、何より黒く静かにそれでいて鮮烈に輝く星はほんとうに美しい。
エスターの目の前に立つレギュラスは困惑したように首を傾げた。

「すみません、先ほどからほんとうに何を言っていますか?」
「じゃあ失礼します」

一人ぽつんと呆気にとられたように立っているレギュラスを置いてエスターは寮を出た。余裕があったはずなのにそろそろ授業が始まる時間。授業開始7分前。ついついなぜか癖で回り道してしまうエスターにとっては致命的な時間である。
足をせっせと動かし最短距離を頭に浮かべるも気づいたら違うルートを通ってエスターは魔法薬学の教室についていた。

入学から一月経つとはいえまだ経ったの一月しか経っておらずまだ初々しくホグワーツに入れたことへの誇りと希望と勉強についていけるか寮の得点を減らさないですむか、期待に応えられないのではないかという焦りを持ち授業に向き合う生徒たちに混ざり授業を受ける。
エスターも昨日まではそうだった。……気がする。そうだったろうか。
エスターは母に『あなたは、自分のことと好きなことだけで頭をいっぱいにしてしまうのだから、何も深く考えず周りを少しは見ることよ。……無理だろうけど』と言われるほどにはマイペースで自分が次に何をしようか、今日は星が綺麗に見えるだろうか。昨日の記録は正確に取れていただろうかという周囲の人間にとっては些細でつまらないことで頭をいっぱいにしていたから、あまり純真にわくわくしていたかといえば微妙かもしれなかった。
けど、まあ少なくとも入学前はレイブンクローに入り毎日高くから星を観察し、星をモチーフにしているという寮で暮らし語らう日々を楽しみにしていた。無情にも組分け帽子には高らかに「スリザリン」と言われたが。

エスターは組分け帽子がエスターのどこにスリザリンの適性を見いだしたのかよくよくわからなかった。
狡猾さを自分が持たないことなんてエスターが一番良くわかっているし巻き戻った今だからわかることだけれど、真の友を得ることもなかったし。不思議なものである。

エスターにスリザリンは向いていない。

それゆえホグワーツでの日々は楽しいことも多かったけれど特段希望を持つことなく過ぎ去っていった。

__ああ、でも。天文学の授業と、偶然夜中に出会ったレイブンクローの先輩がまた寮へ案内してくれると言ってくれたことが楽しみだった。
そして実際にその先輩は私をレイブンクローに連れて行ってくれたし。大きくまるい瞳のダーティーブロンドをたなびかした先輩。

昨日は会えなかったけれど、今日は会えるだろうか。

そんなことを考えていると先生にあてられたが"たまたまよく"覚えていることだったので難なく答えられた。……1年生の勉強である。よく覚えていようがいまいが答えられなければ大問題だ。

そうして本日、最後の授業を受け終え城の外へ箒を片手に飛び出したエスターの頭にレギュラスのことは影ほどしかなかった。



ふわりふわりと飛びながら夕日を目を眇めて眺めるエスターに声がかかる。

「Msキャンベル」
「レギュラス先輩」

なぜだか来る気がしていたため、たいして驚かずにエスターは地上から自身を呼んだ先輩のもとにすいすいと向かいながら名を呼ぶ。
緩やかに螺旋を描きながら落ちていく。
レギュラスは目を見開いた。1年生とは思えぬほど箒の扱いが卓越している。

「……何しているんです?」
「箒で空でも飛ぼうと」
「もう夕暮れです。それに一年生の飛行術の授業はまだのはずでは?その箒は?」
「自宅から持ってきました。自宅で何度か飛んだことがあります。大丈夫です。私、飛べます。……レギュラス先輩も後ろに乗りますか?」
「いえ、遠慮しておきます。もうそろそろ外出禁止の時間ですよ?」
「そういえばそうですね。レギュラス先輩こそなんでこんな時間にこんな場所へ?」
「あなたを捜していたんです」
「?何故?」
「放課後に髪を切ると言ったじゃないですか!また何か例の先輩方がやらかしたのかと思って捜していたらこんなところに……」

エスターは驚いた。レギュラスとの約束を箒で飛んでいる最中に思い出しはしたがレギュラスが覚えており、守ると思っていなかったからだ。
冷静に考えればかなり一方的であったから。
そして、おそらく心配してくれたことにも。胸が少しだけ暖かくなる。

「それは……ご迷惑をおかけしまして……?」
「それに一年生は箒の持ち込み禁止ですよ?!」

レギュラスは興奮気味な様子で矢継ぎ早にエスターへ言葉を向ける。

「そうなんですか?昔母が持っていったときいて……」
「きっとお母上の代は大丈夫だったのでしょう。僕の両親の代も大丈夫でしたから。……ただ、過去に一年生が授業前に無茶な乗り方をしたらしく……今なら僕が持ってきたことにしておいてあげます。ほら、寮に戻りますよ」

レギュラスも落ち着いたようだった。外出禁止の時間が迫ってきたためそろそろ寮に戻らねばとそわそわしだしたが。エスターはまだ寮に戻りたくなかった。

「そういえば、レギュラス先輩。いつものご友人は?」
「……ついてくると言われましたが引き受けたのは僕なので」
「そうですか、レギュラス先輩って責任感が強いんですねぇ」
「褒めていますか?」
「もちろん。……あっ!レギュラス先輩!」
「今度はなんですか?」

振り向いたレギュラス。その瞬間風が吹いた。
眩しい太陽の最後の光に目が眩むと髪がレギュラスの視界を遮る。そして髪越しに見た姿に瞠目する。
目が吸い寄せられるのだ。
どうしても美しいとしか思えなかった。
夕焼けの紫雲の上で誇り高く輝く金星を。
黒に囲まれながらも輝く黒を。
煌めくその色を。

「見てください!一番星です。今日は雲が少ないので綺麗に見えると思ったんですよねぇ」

エスターの瞳はきらきらと輝いている。

「……もしかして、だからこんな時間に空をとぼうと?」
「はい!」

レギュラスは昨日知り合ったばかりの無邪気に笑う後輩に自身もまた微笑み返した。
ただ純粋にひたむきに好きなものを好きといえるのが、うらやましかった。
4/4ページ
スキ