鳴海歩

【む】


「夏の香りがするだろう?」

そう言って、兄貴が置いていった麦わら帽子。
そもそも、今は夏じゃない。
まったく訳が分からなくて、とりあえず放っておいたのだが、やがて病室の開いた窓から、ひやりとした風と共に爽やかな香りが漂ってきた。

…これは、柚子?

揺れるカーテンの下で、ゆらゆらと風を受ける麦わら帽子。
ひょい、と持ち上げたそこには、大きな柚子がひとつ、鎮座していた。
ふわり、と広がる香り。
手にした麦わら帽子を眺めて、何となく、ゆるく編んだおさげ髪が浮かんだ。

あぁ、アレの髪は、こんな色をしていたんだったか。

清々しい香りと、彼女の髪の色。
青く冷たい空と、暖かな雲を見上げて、久し振りに俺は、心から少し、笑った。
これを用意したのが兄貴だってことだけが、気に入らないけれど。



『むぎわらぼうし』
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