白金の福音

誰もいない夜道を一人で走る。
息が切れて、顎が上がる。
苦しい、けれど、足を止めることは出来ない。
家まであと5分くらい。
早く、早く着け!
だがそう思うと同時に、背後に『それ』の気配を感じる。
「ひぃ!?来た……!」
それは、とても大きな獣のようだった。
だが確実にただの動物なんかじゃない。
荒い吐息は熱く空を焦がす炎。
アスファルトを砕く蹄は猪のもの。
しかし、ぐるぐると喉をならして涎を垂らす獰猛な顔は、どうみても虎のそれだ。
「だ……だれか……。誰か、助けて……!」
絞り出した声は情けなく震えている。
脚も、膝がガクガク笑ってもう立てない。
炎の吐息で、目の前の空気が揺らぐ。
ああ、オレここで死ぬのかな。
まだ読んでない本があったのに。
今度の放課後に鷹人と遊びに行くつもりだったのに。
母さんの晩ご飯、食べはぐれてしまった。
好きな女の子もまだいないのに。
まだ、まだ……死にたくない……!
「ヨシ!」
頭の上から懐かしい声が聞こえた。
あの化け物が吠える。
だがその鳴き声は途中で消えて、オレの前に誰かが立つ気配がした。
恐る恐る目を開ける。
目の前には、明るい茶髪を夜風に踊らせて、手に橙の炎を纏わせた黒いスーツの男が立っていた。
「ヨシ、助けに来たぞ」
「あ、あんたは……!」
それが、半年ぶりに見た父の姿だった。
オレの名前は『沢田吉宗』。
ごく平凡な中学二年生で、成績は良くもなけりゃ悪くもない、平均的で特徴のない人間。
このまま大きな事件もなく、普通に恋して、進学して、就職して、結婚して、普通のサラリーマンになるんだって思ってた。
だが今日この日を境に、オレの人生は激変する……。




──これは、オレが裏社会の存在を知り、自分の未来を見付けるまでの物語。



 
16/23ページ
スキ