白金の福音
一度だけ、母と大喧嘩をしたことがある。
父とは何度も喧嘩したことがあったけれど、母とはその一度きりだった。
美人で、何でも出来て、強くて、優しくて、たくさんの人に慕われている母。
でもその仕事は、ヴァリアーは、世間的には犯罪者と呼ばれるもので、今はどこかしらの金持ちを護衛する任務が多いみたいだけど、昔は悪徳マフィアを殺す仕事がメインだと聞いた。
その仕事を良いか悪いかで言えば、十中八九悪い仕事だろう。
ただ、幼い頃から穏やかで平和なキャバッローネのシマを見てきて、他のシマでは危険なクスリや武器が出回っていることもあると知って、そのクスリや武器が、堅気の人達を傷付けることもあるのだと知って。
母が殺してきたのは、うちのシマもそうして汚そうとする、そういう奴らだと。
一般の人達を平然と傷付けて私腹を肥やす悪者共を、自分の母がやっつけていたのだと思うと、少なからず誇らしく思えた。
憧れたんだ。
自分の手を血に染めてでも、顔も知らない誰かを守る母に。
そして同時に、その仕事を嫌っている母に気付く。
自分がやっていることは間違っていると、心の中で違和を抱いて、それでも誰かがやらなければならないから、必死でそれをこなしてきたのだ。
自分も、その背を支えてあげられるくらい、強くなりたいと思った。
「母さん、オレ、ヴァリアーに入りたい」
その言葉が、オレと母の喧嘩の切っ掛けになった。
母は顔を真っ青にして、『それはダメだ』と言った。
ヴァリアーは人殺しの集団だ。
ボスがその依頼を受けたなら、相手がどんな人間であれ、絶対に任務は遂行しなければならない。
相手が子どもだったときもあったし、標的もろとも、家族全員を殺さなければならないこともあった。
決して憧れてなるようなものじゃない。
ヴァリアーは、人の命を奪った連中が、最後に行き着く終着点だと、そう語る母の顔は、今まで見たことないくらいに怒りを表していた。
それでもオレは諦めなかった。
今、母のいるヴァリアーと、父の率いるキャバッローネは固い同盟を結んだ状態にある。
オレが入ること自体は問題ないはずだ。
人を殺したことは、まだない。
でもいつか、自分は誰かを殺すだろうという確信があった。
家族を傷付けようとする誰かを見ると、強い怒りで頭がいっぱいになる。
どんな手を使ってでも、排除しなければならないと、そう思ってしまう。
そう思うのはマフィア相手だけじゃない。
町のごろつき達に絡まれてもそう思うし、マリーにちょっかいかけようとするナンパ野郎にだってそう思う。
オレは元々、どこか普通の人とはずれてるんだという確信が、ずっと昔からあった。
オレは、人を殺せる人間だ。
それを、合理的だと飲み込めるタイプの人間なのだ。
「父さんの後を継ごうとは、思わないのか?」
「……思わない」
全く考えなかった訳じゃなかった。
父だって、立派な人だ。
うちのシマを歩けば、たくさんの人に声をかけられて、帰ってくる頃には車いっぱいに貰い物が溢れている。
そんな素敵な人だ。
父は、どこに居ても必ずその場を明るく照らし出す、太陽のようだと思う。
オレは、そんな風にはなれない。
誰かを、何かを管理することは出来るかもしれないけれど、周りの人を惹き付けるような人間じゃない。
目が眩むほど強く輝くようには、なれない。
それになにより、オレには跳ね馬の刺青は現れなかった。
まだ、兄妹どちらにも現れてはいないけど、きっとそれが現れるならマリーだと、まだ10歳にもならない頃からそう思ってた。
マリーは明るい。
とても天真爛漫で、ふと目を惹かれる華やかさがあって、そしてファミリーからも、シマの人たちからも、とても可愛がられ、愛されている。
オレが可愛がってもらえなかった訳じゃない。
オレもたくさん世話になった。
オレだって可愛がってもらったんだ。
ただ彼らを見てオレが思うのは、自分が手を汚してでも護りたい、ということで。
昔に見たことのある、他の酷いマフィアのシマでは、薬物中毒者が路地に座り込んで死にかけてることも、街中で何の罪もない女性が殴られることも、親のない子どもが腹を空かせて倒れてることも普通だった。
オレは、その普通を、絶対に自分の世界に入れたくない。
その為になら、人殺しなんて何でもない。
そう思ってしまうオレは、きっと父のようにはなれないし、オレが住むべき場所は、マリー達のいる明るい場所より、ヴァリアーのおじさん達がいる場所だと、そう思ったのだ。
「そんなこと……!今決めなくたって良い……。ヴァリアーに来るのは、もっと後からで遅くないから……」
その時オレは、母を泣かせてしまったけれど、でも今回ばかりは譲る気はなくて、オレはそのまま家を出て、XANXUSさんの元に転がり込んだ。
小さい頃は、ただの怖いおじさんだと思ってたけど、正体を知ってみれば、あの強い母を惚れさせた、強大な力の持ち主らしい、圧倒的な強さを感じて、萎縮しそうになる。
「ヴァリアーに、入りたいです」
「……なぜだ?」
「家族を、ファミリーを、シマの大切な人達を、裏社会の闇から護りたい。オレの、この手で……!」
XANXUSさんは深くは聞かなかった。
ただ、一度鼻を鳴らして笑い、オレより後ろのドアに向けて話し掛けた。
「成り行きで入ったテメーとは大違いだな、カスザメ」
「……はあっ、はっ……、お前も、止めてくれよ、ザンザス」
ドアにもたれ掛かるように、母が息を切らせて立っていた。
オレを追い掛けてきたのかと思って、どうしても止めるつもりなんだと、少し身構える。
「本人がここまで言ってんのに、親のお前が止めるってのか?」
「親だから止める!オレが犯罪者だからって、息子まで同じようになることは……!」
「オレは犯罪者になりに来た訳じゃない!」
「っ!似たようなことだ」
「違う!オレは、自分の手で皆を護りたいから、ここに来た!マリーには明るい世界を生きててもらいたいんだ!オレは、誰かを守るために誰かを切り捨てることをおかしいとは思わない。でもアイツは違う!……母さんだって、本当はこの仕事が嫌いだって知ってる」
「それはっ!」
「オレは母さんと違う!マリーや母さん達の為に、殺せる。オレは守るためにここに来た。母さんが何と言おうと、オレの意志は絶対に変わらない!!」
「ぐっ……」
母さんはきっと、オレが少し変わっていることには気が付いてた。
オレとベルさんの気が合うのも、たぶんそこら辺が理由だったんじゃないかと思う。
そしていつかは、オレが『こうする』って思ってたんじゃないだろうか。
だから、まだ早いって、後からでも良いって言う。
でもオレは、今が良い。
母さんがヴァリアーに入った歳。
父さんがキャバッローネを継いだ歳。
「カスザメ、テメーがどうしても認められねぇと言うのなら、お前がこいつの覚悟を試せ」
徐にXANXUSさんが声をあげた。
覚悟を試せと言うのはどう言うことだろう。
「は……覚悟?」
「こいつを鍛えろ。しごき倒せ。それで根を上げるようなら、お前の息子はそれまでだったと言うことだ。しかし耐えられたなら、その時は潔く認めろ」
「そ、そんな……」
「そうしてくれ!母さん……お願いします!!」
しばらくの間、沈黙が続く。
母さんも大概頑固だけど、オレも譲らない。
母さんは何度か、戸惑うように口をはくはくと動かし、何度も俯いては視線をあげて、ようやく声を出した。
「……甘やかさないぞ」
「っ!はい!」
「死ぬかもしれないんだぞ」
「覚悟してる。でも、絶対に死なない」
「っ……絶対なんてものはない。お前がまともに戦えるようになるまで、前線には絶対に出さない」
「構わない。すぐに強くなってやる!」
母さんがへなへなと座り込む。
XANXUSさんはオレ達を見て、ずいぶんと楽しげに笑っていた。
やっぱり直接この人に交渉しに来て良かった。
「ぶははっ!おもしれぇ、丁度今、ベルが幹部候補生を集めてる。お前もそこに加われ。監督官はカスザメ、お前を推薦しといてやる」
「はい!ありがとうございます!」
「ぶはっ!テメーのガキは素直で良い。この際吐くまで追い詰めてやれ」
「……了解した、ボス」
力なく母さんが言って、XANXUSさんはまた笑う。
それから数年、オレは母さんに認められ、ヴァリアーの幹部候補として所属し続けている。
父とは何度も喧嘩したことがあったけれど、母とはその一度きりだった。
美人で、何でも出来て、強くて、優しくて、たくさんの人に慕われている母。
でもその仕事は、ヴァリアーは、世間的には犯罪者と呼ばれるもので、今はどこかしらの金持ちを護衛する任務が多いみたいだけど、昔は悪徳マフィアを殺す仕事がメインだと聞いた。
その仕事を良いか悪いかで言えば、十中八九悪い仕事だろう。
ただ、幼い頃から穏やかで平和なキャバッローネのシマを見てきて、他のシマでは危険なクスリや武器が出回っていることもあると知って、そのクスリや武器が、堅気の人達を傷付けることもあるのだと知って。
母が殺してきたのは、うちのシマもそうして汚そうとする、そういう奴らだと。
一般の人達を平然と傷付けて私腹を肥やす悪者共を、自分の母がやっつけていたのだと思うと、少なからず誇らしく思えた。
憧れたんだ。
自分の手を血に染めてでも、顔も知らない誰かを守る母に。
そして同時に、その仕事を嫌っている母に気付く。
自分がやっていることは間違っていると、心の中で違和を抱いて、それでも誰かがやらなければならないから、必死でそれをこなしてきたのだ。
自分も、その背を支えてあげられるくらい、強くなりたいと思った。
「母さん、オレ、ヴァリアーに入りたい」
その言葉が、オレと母の喧嘩の切っ掛けになった。
母は顔を真っ青にして、『それはダメだ』と言った。
ヴァリアーは人殺しの集団だ。
ボスがその依頼を受けたなら、相手がどんな人間であれ、絶対に任務は遂行しなければならない。
相手が子どもだったときもあったし、標的もろとも、家族全員を殺さなければならないこともあった。
決して憧れてなるようなものじゃない。
ヴァリアーは、人の命を奪った連中が、最後に行き着く終着点だと、そう語る母の顔は、今まで見たことないくらいに怒りを表していた。
それでもオレは諦めなかった。
今、母のいるヴァリアーと、父の率いるキャバッローネは固い同盟を結んだ状態にある。
オレが入ること自体は問題ないはずだ。
人を殺したことは、まだない。
でもいつか、自分は誰かを殺すだろうという確信があった。
家族を傷付けようとする誰かを見ると、強い怒りで頭がいっぱいになる。
どんな手を使ってでも、排除しなければならないと、そう思ってしまう。
そう思うのはマフィア相手だけじゃない。
町のごろつき達に絡まれてもそう思うし、マリーにちょっかいかけようとするナンパ野郎にだってそう思う。
オレは元々、どこか普通の人とはずれてるんだという確信が、ずっと昔からあった。
オレは、人を殺せる人間だ。
それを、合理的だと飲み込めるタイプの人間なのだ。
「父さんの後を継ごうとは、思わないのか?」
「……思わない」
全く考えなかった訳じゃなかった。
父だって、立派な人だ。
うちのシマを歩けば、たくさんの人に声をかけられて、帰ってくる頃には車いっぱいに貰い物が溢れている。
そんな素敵な人だ。
父は、どこに居ても必ずその場を明るく照らし出す、太陽のようだと思う。
オレは、そんな風にはなれない。
誰かを、何かを管理することは出来るかもしれないけれど、周りの人を惹き付けるような人間じゃない。
目が眩むほど強く輝くようには、なれない。
それになにより、オレには跳ね馬の刺青は現れなかった。
まだ、兄妹どちらにも現れてはいないけど、きっとそれが現れるならマリーだと、まだ10歳にもならない頃からそう思ってた。
マリーは明るい。
とても天真爛漫で、ふと目を惹かれる華やかさがあって、そしてファミリーからも、シマの人たちからも、とても可愛がられ、愛されている。
オレが可愛がってもらえなかった訳じゃない。
オレもたくさん世話になった。
オレだって可愛がってもらったんだ。
ただ彼らを見てオレが思うのは、自分が手を汚してでも護りたい、ということで。
昔に見たことのある、他の酷いマフィアのシマでは、薬物中毒者が路地に座り込んで死にかけてることも、街中で何の罪もない女性が殴られることも、親のない子どもが腹を空かせて倒れてることも普通だった。
オレは、その普通を、絶対に自分の世界に入れたくない。
その為になら、人殺しなんて何でもない。
そう思ってしまうオレは、きっと父のようにはなれないし、オレが住むべき場所は、マリー達のいる明るい場所より、ヴァリアーのおじさん達がいる場所だと、そう思ったのだ。
「そんなこと……!今決めなくたって良い……。ヴァリアーに来るのは、もっと後からで遅くないから……」
その時オレは、母を泣かせてしまったけれど、でも今回ばかりは譲る気はなくて、オレはそのまま家を出て、XANXUSさんの元に転がり込んだ。
小さい頃は、ただの怖いおじさんだと思ってたけど、正体を知ってみれば、あの強い母を惚れさせた、強大な力の持ち主らしい、圧倒的な強さを感じて、萎縮しそうになる。
「ヴァリアーに、入りたいです」
「……なぜだ?」
「家族を、ファミリーを、シマの大切な人達を、裏社会の闇から護りたい。オレの、この手で……!」
XANXUSさんは深くは聞かなかった。
ただ、一度鼻を鳴らして笑い、オレより後ろのドアに向けて話し掛けた。
「成り行きで入ったテメーとは大違いだな、カスザメ」
「……はあっ、はっ……、お前も、止めてくれよ、ザンザス」
ドアにもたれ掛かるように、母が息を切らせて立っていた。
オレを追い掛けてきたのかと思って、どうしても止めるつもりなんだと、少し身構える。
「本人がここまで言ってんのに、親のお前が止めるってのか?」
「親だから止める!オレが犯罪者だからって、息子まで同じようになることは……!」
「オレは犯罪者になりに来た訳じゃない!」
「っ!似たようなことだ」
「違う!オレは、自分の手で皆を護りたいから、ここに来た!マリーには明るい世界を生きててもらいたいんだ!オレは、誰かを守るために誰かを切り捨てることをおかしいとは思わない。でもアイツは違う!……母さんだって、本当はこの仕事が嫌いだって知ってる」
「それはっ!」
「オレは母さんと違う!マリーや母さん達の為に、殺せる。オレは守るためにここに来た。母さんが何と言おうと、オレの意志は絶対に変わらない!!」
「ぐっ……」
母さんはきっと、オレが少し変わっていることには気が付いてた。
オレとベルさんの気が合うのも、たぶんそこら辺が理由だったんじゃないかと思う。
そしていつかは、オレが『こうする』って思ってたんじゃないだろうか。
だから、まだ早いって、後からでも良いって言う。
でもオレは、今が良い。
母さんがヴァリアーに入った歳。
父さんがキャバッローネを継いだ歳。
「カスザメ、テメーがどうしても認められねぇと言うのなら、お前がこいつの覚悟を試せ」
徐にXANXUSさんが声をあげた。
覚悟を試せと言うのはどう言うことだろう。
「は……覚悟?」
「こいつを鍛えろ。しごき倒せ。それで根を上げるようなら、お前の息子はそれまでだったと言うことだ。しかし耐えられたなら、その時は潔く認めろ」
「そ、そんな……」
「そうしてくれ!母さん……お願いします!!」
しばらくの間、沈黙が続く。
母さんも大概頑固だけど、オレも譲らない。
母さんは何度か、戸惑うように口をはくはくと動かし、何度も俯いては視線をあげて、ようやく声を出した。
「……甘やかさないぞ」
「っ!はい!」
「死ぬかもしれないんだぞ」
「覚悟してる。でも、絶対に死なない」
「っ……絶対なんてものはない。お前がまともに戦えるようになるまで、前線には絶対に出さない」
「構わない。すぐに強くなってやる!」
母さんがへなへなと座り込む。
XANXUSさんはオレ達を見て、ずいぶんと楽しげに笑っていた。
やっぱり直接この人に交渉しに来て良かった。
「ぶははっ!おもしれぇ、丁度今、ベルが幹部候補生を集めてる。お前もそこに加われ。監督官はカスザメ、お前を推薦しといてやる」
「はい!ありがとうございます!」
「ぶはっ!テメーのガキは素直で良い。この際吐くまで追い詰めてやれ」
「……了解した、ボス」
力なく母さんが言って、XANXUSさんはまた笑う。
それから数年、オレは母さんに認められ、ヴァリアーの幹部候補として所属し続けている。