白金の福音
情けないことに、オレがその事件を知ったのは、妻がヴァリアーを飛び出した後だった。
息子達が何者かに拐われた。
そいつらはどうやら、ヴァリアーが以前潰した組織の残党だったそうで、誘拐が発覚した30分後には、ヴァリアーは敵を特定していたし、それが判明した瞬間には、スペルビは敵の潜伏場所に当たりをつけて飛び出していた。
そして彼女は誰よりも早く走り、そして目についた敵を拷問して、子ども達の居場所を聞き出した。
用済みの敵達は皆殺しになっていたらしい。
その場はまるで血の海のようになっていたという。
そして、辿り着いた敵の拠点で彼女が見たのは、敵の男に蹴りつけられている我が子の姿だった。
その男の脚を切り落とした。
その場にいた全員を殺した。
その姿はきっと、悪魔のように見えたことだろう。
気絶したアルと、泣きじゃくるマリーを抱えて、キャバッローネに帰ってきた彼女は血みどろだった。
彼女を保護して、子ども達を救護室に運び、命に別状がないと知って胸を撫で下ろしたとき、彼女の姿は消えていた。
そして今、オレはヴァリアーの屋敷から出禁を食らっている。
面会拒否とのことらしい。
理由の検討はついている。
オレが間に合わなくて、彼女一人に全てをやらせてしまったから?
違う。
うちの部下達が子ども達の家出に気が付かなかったから?
違う。
オレとの結婚生活に嫌気が差した?
それも違う。
彼女は自分を責めているのだ。
自分へ復讐をする為に、子ども達が使われたのだと知って、自分の過去を恨んでる。
こうなったら暫くは梃子でも動かない。
苦しいことがあると、仕事に逃げる癖は、昔から変わらない。
幸い、アルもマリーも、大きな怪我はなかった。
二人とも次の日には元気に起き出して、母親の姿を探していた。
「母さんはどこ?」
母さんはお仕事でしばらく帰ってこられなくなっちゃったんだよ。
「母さん、泣いてなかった?」
……泣いてないよ。
母さんはとても強い人だからね。
「母さんがたくさんの人を殺してたんだ」
それは……アルとマリーを助ける為に、悪い奴らを倒したんだ。
「オレが、もっと強かったら、母さんは泣かなくても良かったのかな」
アルは強いよ。
妹のことをちゃんと守ったじゃないか。
「オレは、母さんのことも守りたいんだ」
そう言ったアルの目に、覚悟の炎が灯っているのが見えた。
二人からは、どうして家出をしたのかも聞いた。
あの日の喧嘩を見られてしまっていたとは、オレとしたことが気を抜きすぎていたか。
だが、これでオレも覚悟を決めた。
さあ、まずはあいつに会いに行かなければ。
* * *
自分のせいだ。
周りの人は決してそうは言わないが、今回の件は間違いなくオレのせいだった。
数年前に潰した組織だった。
残っていたのはまだ幼い子ども達で、彼らまで殺す必要はなかろうと、見逃してしまったのが悪かったのだ。
何より問題なのは、自分の性別も、子どもがいることも、バレてしまっていたと言うことだろう。
何処からバレたかは、この際もうどうでも良い。
既に何人もの人間が知ってしまっていることだった。
遠からぬ内に、敵にもバレるとは思っていた。
ここまで隠し通せたことが奇跡だと思う。
だがそれをわかっていて、オレは油断をしていた。
そうなることはないと思っていた。
この幸せがとても脆いことなんて、ずっと、ずっと前から理解していたのに。
「戻れない……」
あの子達の側には戻れない。
オレがいれば、またあの子達は襲われるかもしれない。
縁を切ろう。
別れよう。
永遠に喪うくらいなら、その方がきっと良い。
「もう、戻ってきてくれないつもりか?」
部屋に自分以外の声が聞こえた。
ハッとして顔を上げると、月明かりの照らす窓辺に、ひっそりと立つ人影がある。
「ディーノ……なんで……」
ヴァリアーの連中には、しばらく家族とは会わないと伝えてあった。
だからここまで入れるはずがないのに、どうやって部屋に来たのだろう。
「こうやって窓から忍び入るのは、お前の専売特許だと思ってたんだけどなぁ」
「忍び入るって、お前は……」
ヴァリアーの奴らの監視を抜けて、ここまで入ってきたのか?
部下がいないとへなちょこになる、この男が。
「アルもマリーも、もう元気だよ」
「……そうか」
「二人とも、お前に会いたがってる」
「っ……」
会えない。
会いたくない。
血みどろになったオレを見て、怯えた目をしていたんだ。
二人は、堅気の道を選ぶことだってできるのに、ここでオレが裏社会のことを教えてしまったら、きっと戻れなくなってしまう。
「会えない、もう二度と会えない。だってオレは……」
「人殺しの暗殺者だから?だから、オレ達をおいて逃げ出すのか?」
「ち、違う!もしまた同じことが起こったらどうするんだよ!オレは、お前達を危険に晒したくない……!だから、もう子ども達とは、関われない……!」
「許さない」
「は……!?」
許さないと、そう言ったのか?
月明かりに浮かび上がるディーノの顔は、激しい怒りを浮かべて歪んでいる。
怖いと思って、反射的に身構えてしまう。
「こんなことが起こるなんてのは、お前と結婚した時からちゃんとわかってた。わかってたくせに、今回何も出来なかったことは、ほんと、情けねーけどな」
「そんなことはない……!それにあの連中は、オレが見逃したのが悪くて……」
部屋に脚を踏み入れて、ディーノが一歩、二歩と、こちらに詰め寄ってくる。
それに会わせて、じりじりと後退していく。
たまに感じる、この威圧感は嫌いだった。
この男が、どこか遠く感じてしまう。
「アルもマリーも、勿論オレも、オレ達の為にお前が悲しむのは絶対に嫌だ」
「オレは!オレのせいで大切な人達が傷付くのは耐えられない!またっ、同じことが起きるのが怖い……!」
「同じことを起こさないように、アル達とも話をしよう。一人で抱えないでくれよ。一人で全部、決めないでくれ!オレ達、家族だろ……?」
ついに壁際まで追い詰められる。
暗闇の中から、鋭い視線が突き刺してくる。
「あいつらに、マフィアの話はしない!怖がらせるかもしれない!もしかしたら、心に傷をつけるかも」
「アルは、ちゃんと全部覚えてた」
「っ!」
アルはもう7歳で、もう、人を殺すことが悪いことだと、はっきり理解している。
血みどろのオレを見て、怯えていたのも、知っていた。
「アルは、お前を探してた。今度は、母さんのこと守りたいって言ってたよ」
「そんな、こと……」
「ちゃんとあいつは向き合ってる。オレ達も、隠さずに向き合わなくちゃならないんだ」
少しだけディーノが屈んで、視線が真っ直ぐ合う。
「なあ、あいつらにきちんと、オレ達の仕事の話をしよう」
頭が真っ白になる。
パニックの頭で思ったのは、『あの子達に嫌われたくない』という事で。
なんて情けないのかと、涙が出そうになった。
「あの子達は大きくなってるよ。毎日成長してる。いつか必ず、オレ達の仕事についても知ってしまう。なら、ちゃんとオレ達の口で話すべきだと、オレは思う」
「でも……、オレはっ……!」
「初めの内は、お互い戸惑うかもしれないけど、オレ達が本気で向き合えば、きっとあの子達は理解してくれる」
「い、嫌だ……。その話は、あの子達の未来を、決めてしまうかもしれない!」
「違う!オレ達の仕事と、あいつらの未来は関係ない!……オレの覚悟は決まってる。お前を離さないし、あの子達からも離れさせない。だから、四人でちゃんと向き合おう。受け入れあおう。な?」
後はお前だけだと、そう言われているようだった。
オレは、どうすればいいのかわからない。
また、あの怯えた目を見るのが怖い。
このまま、離れてしまえば、あの子達を傷付けることも、自分が傷付くことも、ないのに。
「怖くても、向き合わなきゃ。だってオレ達は、あの子達の両親なんだから」
そっと抱き締められる。
親って、なんだろう。
「あの子達に隠し事して、嘘吐いて、手を離して、関係を絶つよりも、例え自分が傷付くことになっても、正直に向き合うべきだ。大丈夫、大丈夫。だってオレ達の子なんだから」
二人の笑顔が浮かぶ。
二人から離れたら、もうその笑顔は見られないだろう。
もう、母と呼ばれることもなくなってしまうだろう。
大丈夫、なんて根拠のない言葉を、信じてしまってもいいのだろうか。
傷付けたくないし傷付きたくない。
けれど、オレは……またあの笑顔で、二人に母と呼ばれたい。
「はな、す」
「うん」
「向き合うよ」
「ああ」
「一緒にいたい」
「オレも」
決めてしまった。
こわい、怖くて堪らない。
ああ、二人が何も知らない時に戻れたらどんなに嬉しいだろう。
息子達が何者かに拐われた。
そいつらはどうやら、ヴァリアーが以前潰した組織の残党だったそうで、誘拐が発覚した30分後には、ヴァリアーは敵を特定していたし、それが判明した瞬間には、スペルビは敵の潜伏場所に当たりをつけて飛び出していた。
そして彼女は誰よりも早く走り、そして目についた敵を拷問して、子ども達の居場所を聞き出した。
用済みの敵達は皆殺しになっていたらしい。
その場はまるで血の海のようになっていたという。
そして、辿り着いた敵の拠点で彼女が見たのは、敵の男に蹴りつけられている我が子の姿だった。
その男の脚を切り落とした。
その場にいた全員を殺した。
その姿はきっと、悪魔のように見えたことだろう。
気絶したアルと、泣きじゃくるマリーを抱えて、キャバッローネに帰ってきた彼女は血みどろだった。
彼女を保護して、子ども達を救護室に運び、命に別状がないと知って胸を撫で下ろしたとき、彼女の姿は消えていた。
そして今、オレはヴァリアーの屋敷から出禁を食らっている。
面会拒否とのことらしい。
理由の検討はついている。
オレが間に合わなくて、彼女一人に全てをやらせてしまったから?
違う。
うちの部下達が子ども達の家出に気が付かなかったから?
違う。
オレとの結婚生活に嫌気が差した?
それも違う。
彼女は自分を責めているのだ。
自分へ復讐をする為に、子ども達が使われたのだと知って、自分の過去を恨んでる。
こうなったら暫くは梃子でも動かない。
苦しいことがあると、仕事に逃げる癖は、昔から変わらない。
幸い、アルもマリーも、大きな怪我はなかった。
二人とも次の日には元気に起き出して、母親の姿を探していた。
「母さんはどこ?」
母さんはお仕事でしばらく帰ってこられなくなっちゃったんだよ。
「母さん、泣いてなかった?」
……泣いてないよ。
母さんはとても強い人だからね。
「母さんがたくさんの人を殺してたんだ」
それは……アルとマリーを助ける為に、悪い奴らを倒したんだ。
「オレが、もっと強かったら、母さんは泣かなくても良かったのかな」
アルは強いよ。
妹のことをちゃんと守ったじゃないか。
「オレは、母さんのことも守りたいんだ」
そう言ったアルの目に、覚悟の炎が灯っているのが見えた。
二人からは、どうして家出をしたのかも聞いた。
あの日の喧嘩を見られてしまっていたとは、オレとしたことが気を抜きすぎていたか。
だが、これでオレも覚悟を決めた。
さあ、まずはあいつに会いに行かなければ。
* * *
自分のせいだ。
周りの人は決してそうは言わないが、今回の件は間違いなくオレのせいだった。
数年前に潰した組織だった。
残っていたのはまだ幼い子ども達で、彼らまで殺す必要はなかろうと、見逃してしまったのが悪かったのだ。
何より問題なのは、自分の性別も、子どもがいることも、バレてしまっていたと言うことだろう。
何処からバレたかは、この際もうどうでも良い。
既に何人もの人間が知ってしまっていることだった。
遠からぬ内に、敵にもバレるとは思っていた。
ここまで隠し通せたことが奇跡だと思う。
だがそれをわかっていて、オレは油断をしていた。
そうなることはないと思っていた。
この幸せがとても脆いことなんて、ずっと、ずっと前から理解していたのに。
「戻れない……」
あの子達の側には戻れない。
オレがいれば、またあの子達は襲われるかもしれない。
縁を切ろう。
別れよう。
永遠に喪うくらいなら、その方がきっと良い。
「もう、戻ってきてくれないつもりか?」
部屋に自分以外の声が聞こえた。
ハッとして顔を上げると、月明かりの照らす窓辺に、ひっそりと立つ人影がある。
「ディーノ……なんで……」
ヴァリアーの連中には、しばらく家族とは会わないと伝えてあった。
だからここまで入れるはずがないのに、どうやって部屋に来たのだろう。
「こうやって窓から忍び入るのは、お前の専売特許だと思ってたんだけどなぁ」
「忍び入るって、お前は……」
ヴァリアーの奴らの監視を抜けて、ここまで入ってきたのか?
部下がいないとへなちょこになる、この男が。
「アルもマリーも、もう元気だよ」
「……そうか」
「二人とも、お前に会いたがってる」
「っ……」
会えない。
会いたくない。
血みどろになったオレを見て、怯えた目をしていたんだ。
二人は、堅気の道を選ぶことだってできるのに、ここでオレが裏社会のことを教えてしまったら、きっと戻れなくなってしまう。
「会えない、もう二度と会えない。だってオレは……」
「人殺しの暗殺者だから?だから、オレ達をおいて逃げ出すのか?」
「ち、違う!もしまた同じことが起こったらどうするんだよ!オレは、お前達を危険に晒したくない……!だから、もう子ども達とは、関われない……!」
「許さない」
「は……!?」
許さないと、そう言ったのか?
月明かりに浮かび上がるディーノの顔は、激しい怒りを浮かべて歪んでいる。
怖いと思って、反射的に身構えてしまう。
「こんなことが起こるなんてのは、お前と結婚した時からちゃんとわかってた。わかってたくせに、今回何も出来なかったことは、ほんと、情けねーけどな」
「そんなことはない……!それにあの連中は、オレが見逃したのが悪くて……」
部屋に脚を踏み入れて、ディーノが一歩、二歩と、こちらに詰め寄ってくる。
それに会わせて、じりじりと後退していく。
たまに感じる、この威圧感は嫌いだった。
この男が、どこか遠く感じてしまう。
「アルもマリーも、勿論オレも、オレ達の為にお前が悲しむのは絶対に嫌だ」
「オレは!オレのせいで大切な人達が傷付くのは耐えられない!またっ、同じことが起きるのが怖い……!」
「同じことを起こさないように、アル達とも話をしよう。一人で抱えないでくれよ。一人で全部、決めないでくれ!オレ達、家族だろ……?」
ついに壁際まで追い詰められる。
暗闇の中から、鋭い視線が突き刺してくる。
「あいつらに、マフィアの話はしない!怖がらせるかもしれない!もしかしたら、心に傷をつけるかも」
「アルは、ちゃんと全部覚えてた」
「っ!」
アルはもう7歳で、もう、人を殺すことが悪いことだと、はっきり理解している。
血みどろのオレを見て、怯えていたのも、知っていた。
「アルは、お前を探してた。今度は、母さんのこと守りたいって言ってたよ」
「そんな、こと……」
「ちゃんとあいつは向き合ってる。オレ達も、隠さずに向き合わなくちゃならないんだ」
少しだけディーノが屈んで、視線が真っ直ぐ合う。
「なあ、あいつらにきちんと、オレ達の仕事の話をしよう」
頭が真っ白になる。
パニックの頭で思ったのは、『あの子達に嫌われたくない』という事で。
なんて情けないのかと、涙が出そうになった。
「あの子達は大きくなってるよ。毎日成長してる。いつか必ず、オレ達の仕事についても知ってしまう。なら、ちゃんとオレ達の口で話すべきだと、オレは思う」
「でも……、オレはっ……!」
「初めの内は、お互い戸惑うかもしれないけど、オレ達が本気で向き合えば、きっとあの子達は理解してくれる」
「い、嫌だ……。その話は、あの子達の未来を、決めてしまうかもしれない!」
「違う!オレ達の仕事と、あいつらの未来は関係ない!……オレの覚悟は決まってる。お前を離さないし、あの子達からも離れさせない。だから、四人でちゃんと向き合おう。受け入れあおう。な?」
後はお前だけだと、そう言われているようだった。
オレは、どうすればいいのかわからない。
また、あの怯えた目を見るのが怖い。
このまま、離れてしまえば、あの子達を傷付けることも、自分が傷付くことも、ないのに。
「怖くても、向き合わなきゃ。だってオレ達は、あの子達の両親なんだから」
そっと抱き締められる。
親って、なんだろう。
「あの子達に隠し事して、嘘吐いて、手を離して、関係を絶つよりも、例え自分が傷付くことになっても、正直に向き合うべきだ。大丈夫、大丈夫。だってオレ達の子なんだから」
二人の笑顔が浮かぶ。
二人から離れたら、もうその笑顔は見られないだろう。
もう、母と呼ばれることもなくなってしまうだろう。
大丈夫、なんて根拠のない言葉を、信じてしまってもいいのだろうか。
傷付けたくないし傷付きたくない。
けれど、オレは……またあの笑顔で、二人に母と呼ばれたい。
「はな、す」
「うん」
「向き合うよ」
「ああ」
「一緒にいたい」
「オレも」
決めてしまった。
こわい、怖くて堪らない。
ああ、二人が何も知らない時に戻れたらどんなに嬉しいだろう。