朱と交われば

我が耳を疑った。
好きだと……言ったのか?
ザンザスが、オレを?
きっと間抜けな顔をしているオレを、ザンザスは物凄く神妙な顔付きで見下ろしていた。
顔色が赤い気がする。
少し、凍傷の跡が浮き上がっていた。
本気なのだとわかってしまい、一瞬呼吸を忘れた。
だが脳は、固まるどころかいつも以上に回り出していた。
ザンザスの言葉を反芻する。
まさか、オレの企みが全てバレている?
誰かが話した?
いや、オレの企み全てを打ち明けた人間なんていない。
ヴァリアーの幹部達が、知り得る全てを話したとしても、行き着くのはあくまで、『オレがボンゴレの連中に何をされてきたのか』までだ。
だからこんな事件を起こした、そこまでしかわからないはずなのに。
いや、一人だけ、コヨーテのおっさんなら、オレがザンザスのために行動したと言う答えに行き着くかもしれない。
だが、あのおっさんが全部話したのか?
あれもあれで、保守派筆頭なのだ。
波風は立たないのが一番良い。
そう考えるタイプ。
不要な諍いは芽が出る前に根を殺してしまう人間。
それが、何故わざわざ話すんだ。
オレの体を、キツく抱き締めて離そうとしないザンザスに、僅かに抵抗してみる。
むしろ力が強まる結果に終わり、尚更困惑した。
好きだって?好き?ザンザスが、オレのことを?
胸の辺りがざわざわとした。
なんで、なんで今さら。
そもそもどこに、そんなことになるきっかけがあったんだよ。
オレが、ずっと昔に諦めた感情なのに、なんで今さら持ち出して、こんなの……ズルい……。

「お前は、どうなんだよ」
「おっ!れは……」

声が裏返った。
ザンザスの胸板を押しても、全く動かない。
びくともしない。
息が苦しい。
なんでこんなことに。
目の前がぐるぐるする。

「お前なんか……!好きなわけ……!」
「……嫌い、か」
「ちがっ!ち、違う……そういうことじゃ……」

ザンザスの聞いたことのない声に、思わず否定する。
ちがう、違う!
嫌いって言わなきゃ。
そうすれば、ザンザスだって、諦めてくれるかもしれない。
もしかしたら、嫌いならもう顔も見たくないってなって、殺してくれるかも。

「き、きらい……きらいっ、で……」
「オレは、お前が、好きだ」
「~っ!うるさい!お前のことなんか好きじゃない!オレは!オレが、どんな気持ちで、こんなことしたのか……!」

嫌いって、言わなきゃいけないのに。
辛うじて、好きじゃないって言った、その後は何故か、言葉が止まらなくなってしまって。

「辛かったか」
「辛いよ!辛いに決まってんだろぉ!裏切りなんて嫌だ!痛いのも、苦しいのも、皆嫌だった!でもっ!」
「戦った」
「そうだよ!オレは!ヴァリアーを失いたくなかった!ヴァリアーが、オレの家なんだ。ファミリーなんだよ!それに、ザンザスが!ザンザスが苦しむところなんて、見たくない!」
「なぜ」
「うるさい!オレは、オレだって、好きだった人が、死ぬとこなんて、見たくない……!ザンザスが、死ぬなんてやだ……!ヴァリアーからいなくなるのも、辛い顔見るのも、リングに拒絶されて全部失うのも、9代目を殺すのも、またどこかに幽閉されるのも、見たくない!」

苦しい、苦しい。
息が出来ない。
頭が沸騰しそうだ。
目の前が白黒と目まぐるしく点滅して、光の瞬きがオレを殺そうとしているようだ。
ザンザス、ザンザス……。
死ねば、誰にも咎められずに、あんたの傍にいられるだろうか。
辛いんだよ、誰も彼もが、責め立ててくる。
オレのせいでボンゴレが弱体化したって言う人がいる。
オレのせいで人がたくさん死んだって言う人がいる。
オレがいなければ、ザンザスもこんな凶行に走らなかったんだろうって言われたんだ。
オレは、ザンザスの知らないところでたくさん人を殺した。
拷問じみたことを、したし、された。
汚されて、死んだ方がましだと思った。
子供が殺されるところを見た。
老人が殺されるところを見た。
男が殺されるところを見た。
女が殺されるところを見た。
止められなかった殺戮と、救えなかった命が、オレの背中に山ほど乗っている。
子供を殺した。
老人を殺した。
男を殺した。
女を殺した。
大きな組織を潰した。
小さな組織も潰した。
たくさん殺して、たくさん潰して、血塗れになって、ガタガタのボロボロになって、スクラップ同然の体だったけど、それでも、ザンザスのことを待った。
でも、久々に見たザンザスは、オレを裏切り者と呼んだ。

「その通りだよ、な」

一通り喚いて、叫んで、泣いて、言葉を吐いて空っぽになって、口を動かすのも億劫になってきた。
なのに、言葉はまだ止まらない。

「オレきっと、やろうと思えばザンザスのこと助けられた。ボンゴレリングに秘密があるって、わかってた」

それでも行動を起こさなかったのは、ザンザスを解放することは、彼にとって幸せなのかどうかと、考えてしまったからだ。
もう自分は、何も知らない小娘じゃない。
ボンゴレはもう、次の後継者候補を見付けていた。
ヴァリアーという居場所は、椅子は、必死で守っていたけれど、ボンゴレにはもう、ザンザスの座る椅子がない。

「オレは、待つなんて言って、ずっと祈ってたんだよ。ザンザスが、目覚めなければって!」

裏切り者という言葉は、すんなりと受け入れられた。
そして、恥ずかしくなった。
自分はザンザスの傍にいて良い人間じゃなかったのだ。
だからせめて、少しの間だけ、傍で、少しでも過ごしやすい場所を整えるまで、手伝わせて欲しかった。

「ザンザスなんか嫌いだ!大嫌いだ!オレは、オレが、こんなに頑張ったのに、なんで台無しにするんだよ……。オレが全部墓場まで持っていって、終わりだったのに、なんで会いに来ちゃうんだよ……!オレにっ、オレにはもう、ザンザスの傍に立つ資格なんてない!」

もう終わったんだ。
オレがすべき事は全部、やり尽くした。
だからもう、眠らせてくれ。

「ザンザスなんて、大嫌い」


 * * *


「下手くそ」

オレに向かって、大嫌いだなんて言った女に、それだけ言って軽く手刀を叩き込む。
声もなく頭を抑えて蹲ったスクアーロに、そんなに強かったかと自分の手を見た。
どうにも力加減というものが昔から苦手だ。
相当痛かったのか、なかなか起き上がらないスクアーロをそのままにして口を開く。

「何が大嫌いだ、カスザメが」
「つっ……う……。オレは、本当に……」
「大嫌いな男の幸せを願う馬鹿がいるか。大嫌いな男に不利な秘密を墓場まで持っていく馬鹿がいるか。大嫌いな男が幽閉されることに傷付く馬鹿がいるか」
「だって……!」
「うるせー、黙れ。テメー、いつからそんなに、嘘が下手になった?」
「っ!」

大嫌いだと言ったスクアーロの顔は、今にも泣き崩れちまいそうなくらいに苦しげだった。
袖口で涙の滲む目元や、濡れた頬を拭ってやって、顔の赤いスクアーロをベッドに寝かせる。
やはり熱が下がっていないらしい。
痣の酷い首に触れると、高い体温がはっきりと伝わってきた。

「ザンザス……」
「好きなくせに」
「……」
「お前が何と言おうが、オレは考えを変える気はない」
「なら、どうするんだよ……。オレが生きてると知れたら、今度こそは……」
「お前はもう心配するな。後は、オレに任せろ」

布団を整えてやり、荒い息を吐きながら見上げてくるスクアーロと、視線を合わせる。
熱で潤んだ瞳を見返し、少し迷った後に、冷却シートの剥がれた額に唇を付けた。
58/64ページ
スキ