朱と交われば

起き上がってすぐに、これは夢だと思った。
ザンザスが不安そうな顔をするなんてあり得ない。
それに、左手がかなりきつく握り締められていた。
まるで、オレのことを心配するような顔に、行動。
夢じゃなければ何なんだ。
ザンザスがこんなことするわけない。
裏切った人間に、心を割くなんてボスはしない。
勝手に死にかけている馬鹿を気にかけるなんて、ザンザスがしちゃいけない。
肩に手を置かれそうになって、思わず飛び退り、睨み付けた。
夢だ。
悪夢だった。
何よりも許せなかったのは、命懸けで繋いだヴァリアー存続の道を、ふいにしかねない行動を、ボスであるザンザスが取っていたことだった。
裏切られてなお、裏切り者と繋がろうなんて、とんでもない。
例え夢であったとしても、そんな行動をとってほしくなかった。
頼むから、もう関わらないでほしかった。
オレを殺しに来たならまだしも、心配そうな顔でこちらを見てくるなんて、嫌で、嫌で、堪らなかった。
どうしてわかってくれない。
どうして……。
距離をとろうとしたオレを、しかしそのザンザスは強引に引き寄せて、そのままオレは腕の中に閉じ込められた。

『二度と、離す気はねぇ』

オレを見下ろしながら、ザンザスはそう宣った。
色々と言いたいことがあったのに。
全部が頭の中から吹っ飛んで消えた。
その瞳に灯る炎が、ハッキリと物語っていた。
夢なんかじゃない。
ザンザスは本気で、オレを手放す気がないのだ。
何でだろう、と呆然と思った。
そのまま、オレの意識は闇の中に飲まれていった。


 * * *


夢を見た。
懐かしい男に会ったのだ。
ベッドに寝たまま、身動きのとれないオレに、アイツは一言告げた。

ーー夢を忘れるな

夢ってなんだよ?
忘れるなって?
ああ、しかし、何か大切なことを言われた気がする。
夢の中で、男……が、オレは、涙が止まらなくて……。

ーースクアーロ

表情の薄い顔が近付いてくる。
頭を撫でる手は鉄の義手で、冷たく固いはずなのに、何故か仄かに暖かいような気がした。

ーー怖がらずに、一歩を踏み出せ

耳元で囁かれる言葉は、酷く優しい声色をしている。
でもその言葉はどれも抽象的で、彼が何を伝えたいのか、はっきりと掴むことが出来ない。

ーーオレ様を打ち破った女が、こんなところでくたばるなんて、ゆるさないからな

額に、口付けが落とされた。
子供扱いされているようでいて、その言葉はオレの手には重たいくらいの信頼が含まれている。
テュール。
お前もそんなことを言うのか。
あんなにたくさん、酷いことをしたのに、オレは死ぬことも許されないのか。

ーーあと、お前、たまには墓参りに来い

そんなことを言われて、そういえばここ数年、そんな余裕もなかったと気が付く。
テュールの手が離れていく。
気配が消えていく。
体は動かない。
追いかけることも、呼び止めることもできなかった。
オレは一人取り残されて、唯一動く脳ミソを回す。
夢……。
オレは死の瀬戸際で、何か、夢を見ていた。
踏み出すべき一歩ってなんだ?
怖がらずに……。
オレが怖いのは……オレは、失うのが怖い。
仲間を、居場所を、……命を捨てても守りたい大切な男を。


 * * *


水面に浮かび上がるような感覚と共に、オレは再び目を覚ました。
部屋は暗い。
夜……日付が変わる頃合いだろうか。
顔を覆っていたマスクを外す。
ふと隣を見てぎょっとした。

「ざっ……!!」

彼の名前を叫びそうになって、慌てて飲み込む。オレの隣、ベッドのそばのソファの上に、長い手足を投げ出すようにしてザンザスが眠っていた。
その姿を認識した一瞬で、いろんな考えが頭をよぎる。
やっぱりさっきのは夢じゃなかったんだ、とか。
死ぬ気で裏切ったのに、生き延びた上にザンザスに見舞われてるなんて、とか。
ザンザスがここにいて、ヴァリアーはどうなっているんだろう、とか。
このままこっそり抜け出して、誰にも邪魔されない内に、死んだ方が良いんじゃないか、とか……。
……オレは、オレが死んだ方が、全てが丸く収まったんじゃないのかと思っている。
裏切りの責任だけじゃない。
これまで殺してきた者達の怨念。
ボンゴレの犯してきた罪。
公にはとても出来ない黒い情報。
すべて、すべてを背負って墓場に入れば、後に残る禍根はきっと最小限で済む。
起こした上半身をそのままに、こんこんと眠り続けるザンザスを眺めた。
ザンザスは、オレが死ぬのを許さないと言った。
二度と離さないと。
ザンザスがオレを傍に置く以上、彼はボンゴレの……裏社会の闇から逃れることは出来ない。
その闇の深さを、おぞましさを、その16年の人生でも知り得なかった業を、じわじわと思い知るはめになる。
オレはマフィアの闇の象徴だ。
死のシンボルだ。
血濡れた道を行く、全てのマフィア達に寄り添う影法師だ。
一緒にいても、いい思いなんて絶対にしない。
だから、全てを封じ込めて死のうと思ったのに。

「なんで、離さないなんて……」

ぽたりと、手の甲に落ちたものを見て驚愕した。
雫だ。
ぽたり、ぽたりと、目尻から零れるそれが、手の甲を、パジャマを、濡らして止まない。
痛みはなかった。
ならばそれは、哀しみか。
自分の事なのに、まるで制御できないそれに、苛立ちが増す。


 * * *


何の前触れもなく、覚醒する。
深く眠っていたはずなのに、意識が無理矢理引っ張られるような感覚があった。
重たい目蓋を開いて、霞む視界を振り払うかのように、何度か瞬きを繰り返す。
次第にはっきりしてくる景色の中に、眠る前とは違うものがあった。
ベッドの上に体を起こす者がいる。
スクアーロが起きていた。
顔を擦って、肩を震わせていた。
ひくりと、ひきつるような嗚咽が聞こえた気がする。
泣いて、いるのだろうか。

「なんで……」

濡れた声が、頼りなさげに問い掛ける。

「なんで、オレにかまうんだ……」

スクアーロは、こちらを見ていない。
オレが起きていることには、気が付いていないらしかった。
それでも、問い掛けは続く。

「なんで、死なせてくれないんだ」
「なんで、ヴァリアーに戻ってくれない」
「なんで、ここに来ちまったんだよ」
「なんで、なんで……未来を、オレが必死で用意した世界を、受け入れてくれない」

スクアーロの用意した世界は、きっと居心地が良いのだろう。
ヴァリアーは解体されない事が決まっている。
今回の黒幕はスクアーロで、全てはこいつが死ぬことで解決している。
ヴァリアーも、騙されて使われた責任はある為、幹部達は事後処理、引き継ぎがが終わり次第謹慎。
一部の仕事は凍結されることになっているが、また少し時が経てば、再びこれまでと同じように動き始める。
失いがたい組織であるからこその、寛大な処置。
それでも、幹部ぐるみで計画した犯行であったなら、きっとこんな程度では済まなかった。
今ここで、拘束もされず、ヴァリアーボスのXANXUSとしてオレがいられるのは、間違いなくスクアーロが罪を被って死んだお陰だった。

「なんで……、止まらね……」

必死に涙を止めようとするスクアーロに、ゆっくりと近付いて、その肩を捕まえた。
びくりと震えて、跳ね返るように振り向いたスクアーロは、目を真っ赤に腫らしている。
目の端についた雫を拭ってやりながら、そっと答えた。

「お前に構うのは、お前が放っておけないからだ」
「ざ……!んむっ」

開こうとした口を、手のひらで押さえて封じる。

「お前を追い掛けたのは、一人寂しく死んでいこうとするお前が許せなかったからだ」
「ヴァリアーに戻らないのは、お前のいないヴァリアーを見たくないからだ」
「ここに来たのは、ただ、お前に会いたかったからだ」
「オレ達が、お前の選んだ結末を受け入れないのは、そこにお前がいないからだ」

いつもは切れ長で鋭い光を放つ瞳も、今は丸く見開かれ、涙の膜を張って揺れている。
口を塞ぐ手を外し、涙に濡れた頬に触れた。

「理屈なんてもう、どうでも良い。お前が傍にいないなら、オレにとってそこは地獄だ」
「で、も……」
「お前がなんと言おうと、お前の存在がオレにとっての足枷となったとしても、オレはお前を離さない」

スクアーロ、と、名を呼んだ。
びくっと、怯えたように見上げて、スクアーロは逃げるように身を引いた。

「ドカスが。もう、オレにとってお前は、失うことの出来ない半身のような存在になってる。今さら、オレを置いて消えるなよ」

同じ失敗はしない。
力を入れすぎないように、彼女の手を引いた。
戸惑う空気、微かな抵抗。
全部無視して、スクアーロの体を抱き締めた。

「オレがしたいからこうしている。未来のことなんざ、オレが知るか。オレは今、お前といたいからここにいる」

最後に一つ、もう一つ、言わなければならない言葉がある。
息を吸い込み、震えそうな喉を抑えて、ようやくそれを口にした。

「……好きだ、スクアーロ」
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