朱と交われば

「おお勇者よ、死んでしまうとは情けない……」
「……は?」

起きたら見知らぬ男が目の前にいた。
眼鏡を掛けて変わった服を着た、胡散臭い笑みの男だ。
あまりの怪しさに、反射的に距離を取る。
それにしても、どういう状況なのだろう。
キョロキョロと周囲を見回すも、辺りは一面黒い靄に覆われ、何があるのか全くわからない。
ただ、自分と男が立っている空間だけは靄がなく、チェス盤のような白と黒の市松模様の床があり、それら全てを汚れた裸電球が照らしていた。

「これまで何人もの君を見送ってきたけれど、こんなに死の瀬戸際ギリギリを歩き続けてきた個体は初めてだ」
「は……はあ?」
「ああ、私は怪しいものだが、君に対して敵意はないよ。安心なさい」
「あ、怪しいのは否定しねぇのか……」
「まあね、実際、怪しいと思っていたんだろう?」
「そりゃ、そうだが……」

男の言葉を反芻する。
『何人もの君』?
『個体』とも言った。
オレがかなり危険な事をしていたのも知って……。

「……オレぁ、死んだのか?」
「うん?そうだね、そうとも言えるし、違うとも言える」
「どっちだぁ。あんた、何者なんだよ。何を知ってる?説明しねぇなら、こっちにも考えがあるぜぇ」
「ははは、君じゃあ私には傷ひとつ付けられやしないさ」
「……てめぇ」

死んだのならば、計画通りだった。
それで良い。
だが、違うって言うのはどういうことなのだろう。
しかし男は何も答えない。
ただニタニタと笑っているだけだった。
服を触って確認したが、どうも武器はないらしい。
ここが地獄だと言うのなら、武器がないこともわかるが、だとしたら死んでないってのがわからない。
拳を握り、殴って吐かせようと隙を窺う。
そうして気が付いた。

「な……え……?体が、痛く、ない!?」
「ここは精神世界だからね。現実の怪我も、ここでは影響を与えない」
「どういう……」
「さあ、いい加減焦らすのも終わりにしようか。私の正体、だろう?私の名前は、チェッカーフェイス。いや、川平と言った方が呼びやすくていいかな?」
「川平……?」
「そう、そう川平だ。君に名前を呼ばれるのは、なんだか気恥ずかしいなぁ」
「はあ……?」

先程から、川平は随分と友好的に話し掛けてくる。
まるで、ずっと昔から知り合いだったように気さくに。

「残念ながら、私は君にとっての死神ではない。なんと言うかな、うぅん、私は君を助けたいんだよ」
「助けるって……どういう意味だよ」
「私の自己満足のようなものだからね、あまり重く受け止めなくてもいいんだけど。君を生き返らせてあげようと思ってね」
「は!?」

『生き返らせる』なんて、重く受け止めずにどうすればいいと言うのか。
かの神子の起こした奇跡か、それとも最後の審判のそれか、ともかく、生き返るなんて奇跡は冗談にしたって笑えない。

「信じてない?」
「当たり前だろうがぁ。寝言は寝て言え」
「でもそれが目的なのさ。まあ正確に言うと、死にかけている君の体を修復してやる、ってだけなんだけどね」
「……」

つまり、今自分は死にかけていて、だが完全に死んだわけではなく、そしてこれからこの男が体を修復すれば、オレは再び生きることが出来るってことなんだろうか。

「断る」
「ほう?理由を聞いても?」
「やることはやった。これ以上、オレが生きていても、迷惑をかけるだけだろう。潔く死んだ方が、……周りにとって良いに決まってる」

あんなやり方しか出来なかったけど、自分一人が泥を被って、強引に反乱を終わらせることはできた。
ザンザスはオレを恨むだろうけれど、それで良い。
ボンゴレを継ぐことも出来ず、クーデターの罪を負って、無気力に生きていくあいつなんて似合わない。
オレに乗せられて反乱を企て、オレが糸を引くことで全ては最悪へと向かい、オレに裏切られて仲間以外の全てを失ったアイツが、恨みと怒りをエネルギーに、仲間達と共に再び立ち上がってくれるのならば、その方が良い。
仲間達が、ヴァリアーの奴らがちゃんといるから、大丈夫。
あいつらにはそれぞれ、必要な仕事や伝は教えてあるし、力だって十分だ。
ザンザスの奴は、オレのことばかり信用して側に置いていたが、あいつらだってあいつの血筋を気にするような奴らじゃないし、純粋に強いザンザスを尊敬して側にいたいと願っているんだ。
十分信用できる、仲間達だと思うんだ。

「うむ、まあ断られるだろうとは思っていた。その理由が、他人の為であることもね。しかし、その言葉は本心かな?」
「……本心でないわけがないだろう。ここが精神世界であるのならば余計に、そういった誤魔化しは効きづらいんじゃあねぇのかぁ?」
「ふふ、そうだ。確かに嘘をつけばすぐに分かるとも。だが、嘘ではない嘘もある。本人が気付いていないだけで、それはただの建前でしかなかったりとか、ね」
「っ!オレが、本心では死ぬことを認めてねぇって言いたいのかぁ?はっ!なめられたもんだなぁ。オレは本当に、自分で選んで、死へと向かったんだぁ。そこに嘘はない。生きたいなんて、微塵も思って、ない」

そうだ。
もう生きることなんて求めちゃいない。
もし何かを求めているのだとすれば、それはきっと、ボスが、仲間達が、少しでも平穏に生きることだろうか。

「生きたいとは思わない。これは本音だろうな。君は短い人生の中で、随分と苦しい思いをしながら生きてきたわけだから」
「……」
「でも、死にたいわけではないんじゃないかい?だって、君、君が本当に望むことは、誰かの心を傷付けて得るものではないはずだろう」
「誰かの心を傷付けて……?誰が……オレが死んだところで、一時は思うこともあるだろう。だが、一瞬さ。一瞬……」

ほんの一瞬、その『誰か』が立ち上がるまでのただの一瞬だけ、その傷が役に立てば、それで……それでオレは……良い。

「……れ、痛……痛い……なんで……」
「ん、意地悪な質問をしてしまった。ほら、一度座りなさい。これで顔を拭いて。君を泣かせたなんて知られたら、きっと私は一生恨まれる」

渡されたハンカチを呆然と見る。
突然、刺すような痛みが胸に走った。
喉が詰まって、声がうまく出ない。
目の前は霞んでよく見えないし、後から後から、涙が零れ落ちて止まらなくなった。

「言っただろう。嘘をつけばすぐに分かるって」
「嘘、なんて……」
「一瞬悲しんでもらえればいいなんて、思うわけがないだろう。だって、君はあんなに想っていたんだから。君はあんなに大事にしてきたんだから。君はあんなに戦ってきたのだから、ね?」

男の手が、ゆっくり、ゆっくり、背を撫でた。
不思議と不快感はなくて、ただ、昔にもこんな風に触れられたことがあったような気がした。

「君の理想の結末はなんだい?君の見たい希望(ユメ)は?私に教えてごらん。なに、世界はどうせ閉じてしまって、何度も繰り返す悲劇を見ているだけの暇な男と成り果てた私だ。これくらいのチートも許されるだろうし、それくらいの力は蓄えているよ」

アイツが何の話をしているのかはわからない。
それでも、始めに言われたことはすんなりと頭に入ってきていた。

「オレの、夢は」

熱い瞼を閉じて想う。
ヴァリアーの屋敷で、ザンザスがのんびりと居眠りをしている。
未決裁の書類を持ったレヴィが困った顔で起きるのを待っている。
厨房の方からはルッスが用意するアフタヌーンティーの良い匂いが。
つまみ食いに向かったベルが追い返されてむくれた顔をしている。
通帳のチェックをしていたマーモンがレモネードをねだりに厨房に向かう。
オレはそこには見えない。
でもオレはここにいた。
そろそろお茶にしましょうとルッスの声が響く。
ベルとマーモンが早く行こうぜと声を掛けて庭へと走り出す。
目を擦り起き出したザンザスに、レヴィが声を掛けて庭へと誘う。
書類を置いて立ち上がった二人が、ボーッとしてないで早く行くぞとオレに言った。
オレはここにいた。
オレはここで、この場所で……

「見ていたい」
「何を」
「ただの日常を、皆がいる平穏を、オレはこの目で、眺めていたい」
「どうして」
「それはっ」

こんな夢を思い描いてしまうのは。

「好きなんだっ!ザンザスのこと、ヴァリアーの奴らが!オレの、ファミリーが……!」

ずっと、ずっと一緒にいた仲間達。
傷を負えば心配してくれて、異変があれば休めと怒って、こんなオレに、心を割いてくれた奴ら。
テュールがいた場所、初めて迎え入れられた家、かけがえの無い家族。
ああ、でも、もう。

「なのに、オレはあんなひどい裏切りをした!あいつらに会わせる顔なんて、もう……ないっ……」

例えそれが、罪を自分だけが被る為の苦肉の策だったとしても、裏切りはどうあがいても裏切りでしかない。
息が苦しい。
また会いたくて、また一緒に過ごしたい気持ちも本当だけれど、あんなことをした手前、会えない……会うのが怖いのも確かだった。

「良い子だね、ちゃんと言えるじゃないか。そうか、そうだろうね。怖いよね。でも、きっと大丈夫さ。だって皆、君をあんなに心配して、待ってるんだから」
「……は?」
「目覚めの時間さ、お姫様。起きたらちゃんと謝るんだよ。彼らは間違いなく許してくれるし、君の復活(リ・ボーン)を喜んでくれるだろうから」
「なっ……ちょっ、待て!復活って、オレはそんなこと望んじゃいな……」
「Addio(さようなら)スクアーロ。もう二度と、私に会いに来たりしてはいけないよ」
「お、おい!」

男の背を追って駆け出そうとしたスクアーロが、次の瞬間目に入れたのは、白い天井と、少し窶れたような顔をしたザンザスだった。
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