朱と交われば
「なあマーモン、幻術を教えてくれないか」
そう言って仰々しく頭を下げてきたあの子の事を、今でもハッキリと覚えている。
ゆりかごと呼ばれるようになったあのクーデターから、早3年。
ボク達ヴァリアーは、ろくに仕事も与えられず、ただただ、根城である屋敷で腐っている。
その間もスクアーロだけは、ボンゴレとヴァリアーとを行ったり来たりし続けていた。
クーデター後暫くは囚われの身となりボンゴレで。
1年半後辺りからか、少しずつヴァリアーに帰る機会を与えられて、たまにだけど顔を見ることが出来るようになった。
心配は、していた。
ボク達は仕事を回されなくなったとはいえ、クーデターを起こした反逆者としては、あまりにも破格の待遇を受けていたから。
代わりにあの子が、何か酷いことをされているんじゃないのかと。
そう思ってはいながらも、ボクは結局、何もすることはなかった。
あの子だって覚悟の上だった。
今さらボクが何をしたって、何かが変わることはない。
だから、ボクは動かない。
言い訳だ。
都合の良いことばかり並べ立てて、ボクはただビビって動かなかっただけだった。
今になって思うんだ。
あの時、助けに行っていたなら、あの子が余計に苦しむことは無かったんじゃないのかって。
いや、それ以上に、久々に会えたあの子の、あんなお願いを聞いていなければ、もっと、もっと早く、救えたんじゃないのか……。
「ム、なんで幻術を?君なら幻術なんてなくても、十分戦えるだろう?」
「手数が欲しい。……ヴァリアーを、少しでも長く存続させるために」
「……幻術には、適正がある。君が使えるかどうかはわからないよ?」
「それでも構わねぇ」
「ム……ボクの講義は高いよ?」
「う"……構わねぇ、ちゃんと払う」
ろくに給料なんてもらえてないはずなのに、それでも折れる気はないらしく、ボクは仕方なく頷いた。
適正なんてきっとない。
とっとと試して、諦めさせればそれで終わりだ。
「今日はヴァリアーにいられるんでしょ?なら、適正のあるなしくらい見てあげられる」
「あ……ありがとうマーモン!今日は夜までいられるんだぁ!だから、よろしく頼む!」
パッと綻んだ顔が眩しく見えて、思わずフードをより深くかぶり直した。
安心したような様子の彼に、自分もまた心が緩む。
「まずは何をすれば良いんだぁ?」
「……そうだね、まずは」
カーペットの上に胡座をかかせて、目を閉じるように指示する。
ふと、その銀色の目の下に濃い隈が有るのを見付けた。
「ねえ、スクアーロ」
「……なんだ?」
「……あ、いや……」
ちゃんと眠れてる?
ちゃんと休めてる?
辛くはないかい?
体調はどう?
そんなごく簡単な質問が、なかなか口から出てこない。
片目だけ開けてこちらを見てくるスクアーロに、思わず目を逸らす。
聞いてしまったら、このぬくぬくとした、安穏とした、ボク達の世界が、壊れてしまうような気がして。
「なんでも、ない。さあ、目を閉じて。ボクの言う通りにしてごらん。力は抜いて、思考を集中させて」
「ん」
「幻術というのは思考を操作し、支配する力だ。頭の中に武器を精製してごらん。君ならば……剣かな?いや、ナイフも使えたね。それとも、ワイヤーかい?」
「……」
そうして始めた講義は、ボクが想像していた以上に長く続くことになった。
結果的に言えば、あの子には僅かながら適正があった。
とは言っても、その幻術は弱々しく、単体で使うにはあまりにもお粗末なものだ。
支配できたのは視覚と嗅覚。
相手に色を誤認させるか、もしくは霞のような幻覚を見せる程度のもの。
そして血の臭いを誤魔化したり、仄かに何かの香りを漂わせたりする程度のままごとのようなそれ。
だけれどスクアーロは、その程度の力さえも、自身の立派な武器として身に付け、更なる高みへと踏み出した。
あの子にはもう、並みの幻術なんて効かない。
ボクの幻術だって、きっとまともに効くことはないだろう。
そもそも、あの子が本気で敵対しようとしたのなら、ボクなどいの一番に殺されて幻術を封じられるに違いない。
「……久し振り、スクアーロ」
「ん、久し振りだなぁ、マーモン」
遠方への長期任務があったらしい。
疲れたような背中に声を掛けると、重たい雰囲気はすぐに霧散して、穏やかな声音が返ってくる。
振り向いた背中で、随分と伸びた銀髪がさらさらと揺れる。
振り向いた顔、その目の下に隈はない。
でも彼は幻術を使っている。
じっとその端正な顔を見詰め続けていると、ばつが悪そうに目を逸らされた。
「んだよ、そんなに見てこられると、困るぞぉ」
「……別になんでもない。仕事、何事もなく終わったんだね」
「聞いてたのかぁ。まあ特に問題なく終わったが……この後また本部に戻らなきゃならねぇ。またお前の講義受けたかったんだけどなぁ」
「もう十分なレベルに達してると思うけれど、まだ勉強するのかい?」
「そりゃあ、まだまだ実戦に使うにはもの足りねぇしな」
「顔色を誤魔化す程度には使えてるんだから、十分でしょう」
「……そんなことはないさ」
ボクにわかるのは、彼が幻術を使っているということまでで、その幻の下に何があるのかということはわからない。
暴こうと思えば、きっと出来るだろう。
でもそれをして、真実を覗いてしまったとき、ボクは……ボク達は……。
「じゃあ、またな、マーモン」
「ム……」
スクアーロが背を向けて歩いていく。
ボクはその背をぼうっと見詰めながら、何とか一言だけを絞り出す。
「行ってらっしゃい、スクアーロ」
そんな当たり障りのない言葉しか言えなかったボクに、スクアーロは珍しく邪気のない微笑みを浮かべて『行ってくる』と返してくれた。
その言葉にボクは安心した。
また返ってくると、言質をとった気になっていた。
言葉が返ってきたからって、あの危なっかしい子がちゃんと戻ってくるなんて、まったく確かなことじゃなかったのに。
ボクはきっと、何度でも、何度でも、後悔することだろう。
愛着の沸いてしまったあの子を、情を移してしまったあの子を、最後まで止めることのできなかった、己の弱さに。
そう言って仰々しく頭を下げてきたあの子の事を、今でもハッキリと覚えている。
ゆりかごと呼ばれるようになったあのクーデターから、早3年。
ボク達ヴァリアーは、ろくに仕事も与えられず、ただただ、根城である屋敷で腐っている。
その間もスクアーロだけは、ボンゴレとヴァリアーとを行ったり来たりし続けていた。
クーデター後暫くは囚われの身となりボンゴレで。
1年半後辺りからか、少しずつヴァリアーに帰る機会を与えられて、たまにだけど顔を見ることが出来るようになった。
心配は、していた。
ボク達は仕事を回されなくなったとはいえ、クーデターを起こした反逆者としては、あまりにも破格の待遇を受けていたから。
代わりにあの子が、何か酷いことをされているんじゃないのかと。
そう思ってはいながらも、ボクは結局、何もすることはなかった。
あの子だって覚悟の上だった。
今さらボクが何をしたって、何かが変わることはない。
だから、ボクは動かない。
言い訳だ。
都合の良いことばかり並べ立てて、ボクはただビビって動かなかっただけだった。
今になって思うんだ。
あの時、助けに行っていたなら、あの子が余計に苦しむことは無かったんじゃないのかって。
いや、それ以上に、久々に会えたあの子の、あんなお願いを聞いていなければ、もっと、もっと早く、救えたんじゃないのか……。
「ム、なんで幻術を?君なら幻術なんてなくても、十分戦えるだろう?」
「手数が欲しい。……ヴァリアーを、少しでも長く存続させるために」
「……幻術には、適正がある。君が使えるかどうかはわからないよ?」
「それでも構わねぇ」
「ム……ボクの講義は高いよ?」
「う"……構わねぇ、ちゃんと払う」
ろくに給料なんてもらえてないはずなのに、それでも折れる気はないらしく、ボクは仕方なく頷いた。
適正なんてきっとない。
とっとと試して、諦めさせればそれで終わりだ。
「今日はヴァリアーにいられるんでしょ?なら、適正のあるなしくらい見てあげられる」
「あ……ありがとうマーモン!今日は夜までいられるんだぁ!だから、よろしく頼む!」
パッと綻んだ顔が眩しく見えて、思わずフードをより深くかぶり直した。
安心したような様子の彼に、自分もまた心が緩む。
「まずは何をすれば良いんだぁ?」
「……そうだね、まずは」
カーペットの上に胡座をかかせて、目を閉じるように指示する。
ふと、その銀色の目の下に濃い隈が有るのを見付けた。
「ねえ、スクアーロ」
「……なんだ?」
「……あ、いや……」
ちゃんと眠れてる?
ちゃんと休めてる?
辛くはないかい?
体調はどう?
そんなごく簡単な質問が、なかなか口から出てこない。
片目だけ開けてこちらを見てくるスクアーロに、思わず目を逸らす。
聞いてしまったら、このぬくぬくとした、安穏とした、ボク達の世界が、壊れてしまうような気がして。
「なんでも、ない。さあ、目を閉じて。ボクの言う通りにしてごらん。力は抜いて、思考を集中させて」
「ん」
「幻術というのは思考を操作し、支配する力だ。頭の中に武器を精製してごらん。君ならば……剣かな?いや、ナイフも使えたね。それとも、ワイヤーかい?」
「……」
そうして始めた講義は、ボクが想像していた以上に長く続くことになった。
結果的に言えば、あの子には僅かながら適正があった。
とは言っても、その幻術は弱々しく、単体で使うにはあまりにもお粗末なものだ。
支配できたのは視覚と嗅覚。
相手に色を誤認させるか、もしくは霞のような幻覚を見せる程度のもの。
そして血の臭いを誤魔化したり、仄かに何かの香りを漂わせたりする程度のままごとのようなそれ。
だけれどスクアーロは、その程度の力さえも、自身の立派な武器として身に付け、更なる高みへと踏み出した。
あの子にはもう、並みの幻術なんて効かない。
ボクの幻術だって、きっとまともに効くことはないだろう。
そもそも、あの子が本気で敵対しようとしたのなら、ボクなどいの一番に殺されて幻術を封じられるに違いない。
「……久し振り、スクアーロ」
「ん、久し振りだなぁ、マーモン」
遠方への長期任務があったらしい。
疲れたような背中に声を掛けると、重たい雰囲気はすぐに霧散して、穏やかな声音が返ってくる。
振り向いた背中で、随分と伸びた銀髪がさらさらと揺れる。
振り向いた顔、その目の下に隈はない。
でも彼は幻術を使っている。
じっとその端正な顔を見詰め続けていると、ばつが悪そうに目を逸らされた。
「んだよ、そんなに見てこられると、困るぞぉ」
「……別になんでもない。仕事、何事もなく終わったんだね」
「聞いてたのかぁ。まあ特に問題なく終わったが……この後また本部に戻らなきゃならねぇ。またお前の講義受けたかったんだけどなぁ」
「もう十分なレベルに達してると思うけれど、まだ勉強するのかい?」
「そりゃあ、まだまだ実戦に使うにはもの足りねぇしな」
「顔色を誤魔化す程度には使えてるんだから、十分でしょう」
「……そんなことはないさ」
ボクにわかるのは、彼が幻術を使っているということまでで、その幻の下に何があるのかということはわからない。
暴こうと思えば、きっと出来るだろう。
でもそれをして、真実を覗いてしまったとき、ボクは……ボク達は……。
「じゃあ、またな、マーモン」
「ム……」
スクアーロが背を向けて歩いていく。
ボクはその背をぼうっと見詰めながら、何とか一言だけを絞り出す。
「行ってらっしゃい、スクアーロ」
そんな当たり障りのない言葉しか言えなかったボクに、スクアーロは珍しく邪気のない微笑みを浮かべて『行ってくる』と返してくれた。
その言葉にボクは安心した。
また返ってくると、言質をとった気になっていた。
言葉が返ってきたからって、あの危なっかしい子がちゃんと戻ってくるなんて、まったく確かなことじゃなかったのに。
ボクはきっと、何度でも、何度でも、後悔することだろう。
愛着の沸いてしまったあの子を、情を移してしまったあの子を、最後まで止めることのできなかった、己の弱さに。