朱と交われば

「うぇっ!なあこれ、味変だよ、スクアーロ」
「は?」

久々に、スクアーロがヴァリアーに帰ってきた。
仕事は少し溜まっていたけれど、強引に腕を引いてキッチンに連れ込む。
スクアーロにパンケーキでも作らせてやろう。
オレがまあまあだって笑ってやれば、あいつはそりゃ良かったなって笑い返してくれるから。
なのにその日のパンケーキは、酷い出来だった。
砂糖と間違えて塩でも使ったのか、酷くしょっぱいし、何より匂いがいつもと違う。
いつもは甘いハチミツの香りと、ナイフを入れればバニラの香りが漂って、口に含めばふんわりとしたとろけるような優しい生地の感触があるのに、今日のは普段と比べるまでもなく、おかしな匂いがしたし、不味かったし……いやもう本当に不味かった。
嫌がらせのつもりで、スクアーロの口に失敗作の大きな塊を突っ込んでみる。
大きすぎた塊に吐きそうになりながらも、スクアーロは口に入ったそれを噛み始めたけれど、いまいちピンと来ないという顔をしてしばらく咀嚼していた。

「えぇと……ん、甘くはない、かも?酸っぱい?いや……しょっぱい……?苦いのか?辛くは……ない?」
「はあ?どう食べたって苦じょっぱくて不味いじゃん。お前いつの間に味音痴になったわけ?」
「……さあ」

今度は自分から、パンケーキに手を伸ばす。
ぱくりと一口放り込み、しかしそれでも味がわからないのか、困ったような顔をして咀嚼をする。
普通の味覚をしている奴なら、間違いなく口に入った時点で吐き出すような味だ。
にも拘らず、味もわからないまままた食べようとするスクアーロに、慌てて皿を遠ざけた。

「ん?食うのかぁ?」
「食わねーし!つーかお前も食うなよ。こんなもの食ったらホントに腹壊すぜ」
「あっ」

皿の上の失敗作を近くのゴミ箱に全て放り込む。
こんなもの食ったら絶対、腹壊すし体も壊す。
残念そうにゴミ箱を見るスクアーロに、キッチンから適当に持ってきた調味料を投げ渡す。
首を傾げる様子に苛立ちながら、どれでも良いから舐めてみろと命じた。

「なんで?」
「味、分かんないなんて絶対おかしいだろ。どんくらいわかんねーのか確認して、医者に言わないとまずいんじゃね?」
「……医者には言わない。わりぃがこの事は黙っててくれ」
「はあ!?」

塩を一口舐めて、『砂食ってるみたいだ』と眉間にシワを寄せる。
本当に、ろくに味が分かっていないらしい。

「……なんで?何で医者には言わねーの?なんかまずいことでもあるの?」
「心配されたり、変に気遣われるのは嫌だし、何より今は不安定な時期だろぉ。弱味は、出来るだけ見せたくねぇしな」
「でもっ!」
「大丈夫さぁ。お前も、黙っててくれるな?」
「っ……、おかしくなったら、ちゃんと言えよ」
「おう」
「それが条件だからな」
「わかった」
「破ったら、殺してでも医者に連れてくぜ。しし」
「あ"?メチャクチャだなぁ、それ」

普段の仏頂面を崩して、へらっと笑うスクアーロに、言い知れない不安が広がる。
本当に黙っていて良いのだろうか。
やっぱり、誰かに言わないといけないのでは?
放っておいたら、スクアーロはもっと大変な事になってしまうのでは?

「……ありがとな、ベル。ごめんなぁ、こんな面倒なことに、巻き込んで」

いつの間にか近寄ってきたスクアーロに、頭を撫でられた。
申し訳なさそうに下げられた眉と、疲れたような声。
どうしてこいつがこんなことになっちまったのか、原因はわからないの一点張りで誤魔化されてしまったけれど、わからなくたってわからないなりに、この異常を解決する方法はきっとあるはずだから。

「すぐに、何とかしてやるよ。だから、それまでは何かあったらオレに相談しろよな、先輩」

顔にはいつものニヤニヤとした笑みを貼り付けて、有るだけの虚勢を張って言い放った。
それは、スクアーロにはバレていたかもしれないけれど、あいつは少しホッとしたように顔の緊張を解いて頷いてくれた。
スクアーロは、ほとんどの味覚を感じなくなっていた。
今のあいつにとって、食事というのは口に物を入れ、咀嚼し、飲み込むという作業でしかない。
美味しいという感覚はなかったし、ただ日常生活に必要だから行うだけの、いっそ仕事の一環とでも言わんばかりの行為。
治すことは、結局できないままだった。
その後からオレは、たまにあいつが料理を作る横に立って、味見をしたり、味付けをしたりしている。
治してやらなきゃ、とは思っていた。
でもオレはどこか、誰にも変わることの出来ないだろうその立ち位置に、胡座をかいてしまっていたのかもしれない。
最後の最後まで、オレはスクアーロの痛みを知ることはなかった。
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