朱と交われば

「し、失礼します!」

ドアを開けると、そこは電気が消えていて、ひっそりと静まり返っていた。
綱吉達が訪れたのは、今、ヴァリアーの面々が軟禁状態で過ごしているホテルの一室だった。
一瞬誰もいないように見えたが、奥のソファの上で、何かがもぞもぞと動いたのが見える。
怠そうに体を起こしたシルエットには、冠のようなものがついていた。

「……んだよ、何の用?王子達、今お前らの相手してる暇ないんだけど」
「べ、ベルフェゴール……」
「ム、僕もいるよ、何の用だいリボーン」
「マーモンか」

寝ていたらしいベルフェゴールも、どこからともなく現れたマーモンも、不機嫌さを隠すことなく態度に表している。
獄寺が部屋の電気を付ける。
部屋は酷い有り様だった。
お菓子の袋やジュースの空ボトルが散らかって、その中に毛布やクッションが埋もれている。
換気もしていないのか、空気がこもっている。

「XANXUSに会いに来たんだぞ。ついでにお前らにもな」
「無理だね。ボスは誰とも会わないよ」
「ししし、ほんとほんと、医者すら近付けねーんだもん。お前らなんて絶対無理だね」
「でも、すぐに会わなきゃいけないんだ……」

胸元には『あのノート』を抱き締めていて、すぐにでもそれを彼の元へ届けたい気持ちを押さえ、綱吉はキョロキョロと部屋を見回す。
部屋には数個のドアがついていて、どこに行けばXANXUSに会えるのかわからない。

「なんでボスに会いたいの?君は僕らの敵じゃないか。会った瞬間殺されたっておかしくないよ」
「それはっ!めちゃめちゃ嫌だけど!でも……!」
「じゃ、なんで?用件によっちゃあオレらが殺しちゃうぜ。ししっ」
「オレらがさせねぇよ」
「ちょっと見せてーものがあるだけなのな!どこに行けば会えるのか教えてくんね?」
「……見せたいものって?一体、君達は何を持ってきたのさ?」

マーモンの特徴的なへの字口は、更に角度を増していて、彼が訝しんでいることを如実に示している。
いや、何かを予感しているのかもしれない。
綱吉の抱き締めていたノートの束に顔を向け、『それは何だい』と強めの口調で問いかけてきた。

「S・スクアーロの思い残しって奴だぞ。XANXUSを連れてこいマーモン。憤怒の炎を宿した男が、随分と大人しいじゃねーか。オレが叩き起こしてやっても良いぞ」
「スクアーロの!?でもなんで君達が……!」
「渡せ!」

マーモンが驚愕でポカンと口を開く横で、ソファーに寝そべっていたはずのベルフェゴールが、唐突に綱吉に飛び掛かった。
ナイフも出さず、素手で掴みかかってノートを引っ張る。
慌ててそれを防ごうと腕で庇いながら、綱吉はベルを止めようと声をあげる。

「ちょちょっ!ちょっと待って!引っ張ったら破れるから!」
「なら手ー離せっての貧民!」
「んなー!貧民!?」
「てめー!10代目のどこが貧民だゴラァ!」

そりゃあ王子様からしてみれば他のほとんどの人間なんて貧民に見えるだろう。
見も蓋もない暴言を皮切りに、罵詈雑言や拳が飛び交う。
主にベルフェゴールと獄寺のものだが。
しかしそんな彼らのいさかいを、止める声があった。

「ベルちゃん!落ち着きなさいよ。無理に引っ張って読めなくなったらどうするの」
「それに、それが何だかはわからんが、見るのならボスが最初だ。……その気力があるかはわからないが、な」
「ルッスーリアと、レヴィ・ア・タンだな」

団子状になった少年たちの中から、ベルだけをつまみ上げて引き剥がすと、ルッスーリアは疲れたようにため息を吐いてソファーに腰を下ろした。
彼(彼女?)のその様子に、綱吉達は少しだけ安心する。
少なくとも、全員が全員、問答無用で襲い掛かってくるわけでは無さそうだ。
何より意外だったのは……。

「意外だな。お前はすぐに殺しに掛かってくると思ってたぞ、レヴィ・ア・タン」
「……今までのボスであれば、お前達を殺せばお喜びになられただろう。今は、きっとなんとも感じない。オレがお前達を殺す理由がない」
「殺せば喜ぶって……。いや、今は?今、XANXUSはどうしちゃったの?」
「ボスは……」

言い淀む様子に、一層不安が募る。
大空戦の結末、スクアーロに手を伸ばした彼の様子、そしてノートにあった二人のやり取りを見ていて、少しだが関係性がわかってきた。
XANXUSにとって、スクアーロは今までにないほど彼に近付き、そして常に傍に寄り添い続けた貴重な存在だったんだろう。

「ム、そんなに気になるなら、見ていけば良い。そのノートを見せるついでにね。……安心しなよ、さっきはああ言ったけど、ボスは君達を殺せないと思うし」
「え?いいん、ですか?」
「殺せないってのはどういうことだよ。アイツ、そんなに傷が酷かったのか?」

確かに、リングから拒否されたせいで彼が負った傷は深かった。
更にスクアーロから受けた傷だって、すぐに治るような軽いものではない。
しかしきっと問題は物理的な外傷よりも、精神的な傷、なのかもしれない。
他の幹部達がマーモンに反論することもなく、綱吉達はマーモンとレヴィに連れられて奥の部屋へと進んだ。


 * * *


体が重くて、動けない。
胸には鉛が詰まっているようで、手足には錆びた鉄の鎖が絡まっているようで、喉の奥には綿が塞いでいるようで、肌には濡れた布が張り付いているようで。
気持ち悪くて、何度も嘔吐した。
胃の中に何もなくなっても、気分が悪くてたまらない。
なくなってしまった。
いなくなってしまった。
どこかへいってしまった。
鮫、オレの、銀色の綺麗な鮫。
どうして、なぜ、オレの、元にいるって、言ったのに。
最期まであいつはいなくならないと思っていたのに。
オレがどんなになったって、傍にいるはずだったのに。
手に握り締めたボロボロの隊服に顔を埋める。
酷い血の臭いと薬の臭い。
あいつの生きた世界の臭い。
苦しかったんだろう、辛かったんだろう、正気を失うくらいに。
それでも、オレを裏切ったなんて信じられない。
信じたくない。
だって、奴は言ったじゃないか。
きっと役に立つって。
傍に置いておけって。
あいつが言ったんじゃねぇか。
なのに何で、あいつの方から離れてくんだよ。
どうして。
許せない。
ここまでオレを信用させておいて、なんで、なんで、なんで……!

「XANXUS」

名を呼ばれた。
カスザメじゃない。
あれからしつこく付き纏う、レヴィの声とも違う。
ボロボロになって煤けたカーテンから目をそらし、ドアの方を振り向いた。

「大丈夫だよ」

入ってきたのは、あの沢田とか言うガキだった。
何が大丈夫なんだ……?
お前が、お前と戦ったりしなければ、こんなことにはならなかったかもしれないのに、今更のこのこ現れて、何言ってやがるんだよ。

「スクアーロは、ちゃんとXANXUSのことを、大事に思ってたんだよ」
「……は?」

目の前に、ボロいノートが差し出される。
何言ってるんだ。
なんでこいつがスクアーロのことをしゃべるんだ。
霞む視界の中に、あいつの名前が飛び込んできた。
ノートには、あいつの字で、あいつの名前が書かれていた。

「お腹減ってない?傷は大丈夫?XANXUSにどうしてもそれを読んでほしくて来たんだけど……。やっぱり一度、休んでからの方が良いよね。えっと……オレ、飲み物持ってくるから、ちょっと待ってて!」
「……なあ」
「え?」

出ていこうとするガキの背中に呼び掛ける。
立ち止まって振り向いたそいつに、どうしてもわからなかったことを聞いた。

「カスザメは、オレのことが嫌いだったのか」
「いや全然。むしろスクアーロ、XANXUSのこと好きすぎ。ちょっと引くくらい」
「……」

食い気味に答えられて、呆気にとられた。
ここまで断言されるとか、あいつはいったいこいつらに何言ったんだ?

「大丈夫だよ、読めば、わかるから。その……少し辛いことも書いてあるけれど、きっとスクアーロは、XANXUSがいたから、大丈夫だったんじゃないかな」
「……なんで、お前はオレに、そんなことを」
「え?それは……なんでだろ?よくわかんないや」
「……」
「あ、いやその、オレも許せないことがあったから……。もちろん、XANXUS達が友達に、仲間に、酷いことをしようとしたのも許せないよ。でも、それとは別に、目の前で苦しんでいる人がいて、オレはそれを救えるかもしれないのに、放っておくのが、嫌だった、って感じ、かな……」
「……感謝なんてしねえ」
「まあそうかな、とは思ってたけど……面と向かって言われると落ち込む……」

ふと、顔をあげる。
暗く沈んでいた視界が、いつの間にか広く明るくなったような気がする。
部屋は酷い有り様だ。
カーテンは破け、置物は叩き壊され、花瓶は割れて花が床で枯れている。
無事なところが見当たらない程の惨状。
一番怖いのはこれを自分でやった記憶がまったく思い当たらないところだ。
日付を確認する。
あの日からもう、何週間も、何ヵ月も、何年も過ぎていたような気がするのに、実際にはほんの数日も経っていなかった。
窓辺に移動し、夕暮れの明かりの下でノートを開く。
それはどうやら日記のようで、オレは、オレのいない8年間と、この時になってようやく、真正面から向き合ったのだった。
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