朱と交われば

二冊目のノートを開く。
開いた途端にリボーンが珍しく、表情を険しくした。

「リボーン、何て書いてあるんだよ」
「……ゆりかごの後、スクアーロが経験した事だ」
「それじゃ……どういうことかわからないよ」

こんなに歯切れの悪いリボーンを見るのは初めてだった。
言いたくなさそうな様子に、どんな恐ろしいことが書いてあるのか、怖くなる。
でもオレはやっぱり、スクアーロの経験してきたことを知りたくて、マフィアがどんなものなのかを知りたくて、だから続きを促した。

「……1ページ目はゆりかごから一ヶ月後だ。そこで初めて、筆記具を手に入れることが出来たみてーだな。内容は……その日の行動記録だ。何時に飯を食ったか、何時に9代目に呼ばれたか、……何時にどんな暴行を受けたか」
「……記録、だけ?痛いとか、苦しいとか、帰りたいとか、そんなのは?」
「一切ねーぞ。ただ淡々と記録されてるだけだ」

まだ開いて2、3ページ目にも関わらず、既に彼の感覚やら心やら、そう言ったものは消え失せてしまったかのような記録の群れ。
オレが頷くと、リボーンは渋々と言った様子でイタリア語のそれを読んでいく。
ある日はただずっと殴られ続けて、またある日は逆さに吊られて、別の日には水桶に死にそうになるまで頭を突っ込まれる。
聞いているだけで、泣きそうになるくらい怖いその行為に、スクアーロはずっと耐えてきたのだろうか。
不意に、読み進めていたリボーンの手が止まった。

「リボーン?」
「……『書きたくない』」
「え?」
「これを見ろ」

リボーンに見せられたページは真っ白で、その中央辺りにたった一文が弱々しい文字で綴られている。
今まで淡々と記録していたにも関わらず、突然なぜ、書きたくないと言い出したのだろう。
勿論、こんな日々が続けばそう思うのは当然だろうけれど、『もう嫌だ』とか『辛い』『苦しい』とかじゃなくて、敢えて『書きたくない』と綴った。
じっとノートを見詰めても、その理由は全く検討がつかない。
ふと、次のページが嫌によれていることに気がつく。
恐る恐るそれを捲った。

「!?っ……う……」
「な、んだよ、これ……」
「っ……いったい、何が……」

真っ黒だった。
鉛筆か何かで塗り潰したのかと思うくらい、ページが真っ黒くなっていた。
でもそれはよく見ると、全て文字で埋められている。
何が書いてあるのかはわからない。
わからないけれど、ようやく、記録ではなく、彼の感情が綴られたのだと直感した。

「字がめちゃくちゃで読みづれーな」
「あ、こことか読めそうっすよ。……『いっそ死にたい』……読めなきゃ良かった……」

積極的に解読しようと身を乗り出した獄寺が一瞬にして撃沈する。
震える文字を見るだけで、言葉の通り今にも死にそうになっていたのだということだけはわかった。
読めそうな文字を拾い上げて、リボーンが訳していく。
『汚い』
『気持ち悪い』
『触らないで』
『痛い』
『やめて』
『怖い』
『見ないで』
『誰か助けて』
読めば読むほど苦しくなって、聞けば聞くほど胸が痛くて、思えば思うほどに悲しかった。

「ヴァリアーの人達は、気が付かなかったのかな……」

ふと過った疑問に、皆が難しそうな顔をして考え込む。

「ずっと隠してきたって感じっすよね」
「自分からは言わなさそうなのな」
「続きを読んでみるか……ん?」

いったい何度目だろう。
リボーンの紅葉のような手がピタッと止まる。
驚いていると言うより、怖いものを見たと言うより、何と言うか、戸惑っているように見える。
ゆっくりとリボーンが開いた次のページは、驚くほどに綺麗だった。

「え?」
「オレが読みます。これは……『ヴァリアーに一度帰ることが出来た。皆、元気そうで安心した。守らなければならない場所だと、再確認する。オレが戦っている内は、やつらに火の粉は掛からない』。……なんだ?突然普通に文字書いて……、次のページも」
「『生ゴミをぶつけられる。今日はまだましな日。任務もほぼなかった。ヴァリアーもいつも通り』。あのページがなかったみてーな書き方してるな。字も綺麗に整ってる。人が変わったみてーだ」

ずっと、狂気的な言葉の羅列が続いているのではなく、あれを書いたのと同じ人が、正気の人間と同じような物の書き方をしていた。
それが恐ろしいと思う。
あの狂気のページの名残は、欠片も見当たらない。
その後はただただずっと、毎ページ同じような内容が続くばかりだった。
三冊目もほぼ同じ。
四冊目に取り掛かり、半分ほど読み進めたときである。

「『気付かれた』……?」
「気付かれたって?誰に?」
「このページにはそれしかないみたいっすね」
「気付かれたって、仕事のことかな?」
「もしかしたら怪我してることに、かも。だとしたら、ヴァリアーの誰か?」
「ここには書いてねーな」

ペラペラとページを捲り、それらしい文を探す。
だが、見付かったのは意外な文だった。

「『コヨーテさんに医者を呼ばれた』……コヨーテ?コヨーテ・ヌガーか?」
「それってこの間、スクアーロを連れていったあの……?」

突然、絶妙なタイミングで現れた長めのロマンスグレーの髪の男。
義手らしい左腕と獣のような鋭い瞳。
知り合いであることに不思議はない。
だが『医者を呼ばれた』となると、話が違ってくる。

「恐らく先にあった『気付かれた』というのはコヨーテにだな。そしてコヨーテは、スクアーロの負った傷のことも知っていた。そして『医者を呼ばれた』という文に繋がる……」
「……でもそれなら何で、あんなになるまでスクアーロを放っておいたの?だって……」
「オレなら、敵に情けなんてかけられたくない、です。だってスクアーロにとって、ボンゴレは自分を痛め付ける敵で、それ以上に、命より大切な自分のボスの敵だった」
「確かに、獄寺の言う通りなのな。追い詰められた時って、自分の力で何とかしなきゃって思っちまうんだ。他の誰かを頼るって選択肢が見えなくなる……」

山本が少しだけ俯いて、膝の上においた拳をぎゅっと握る。
なにか言いたげな姿に、オレは山本の目の前に座り直した。

「山本、もっとなにか、気になることがあるの?」
「……スクアーロの目が、どうにも見覚えがある気がして、ずっと、考えてたのな」

スクアーロの、目?
山本にしては珍しく、言いづらそうで、戸惑っているような様子がある。
あの人の目に、山本はいったい何を見たんだろう。

「思い出したんだ。スクアーロのあの目、オレが並中の屋上から飛び降りようとしたときとおんなじ目をしてた……。スクアーロは、あいつは……始めから死ぬ気だったんじゃねーかって。日記読んだら、余計にそう思えてきちまって……」
「そ、そんな……!」

山本と仲良くなったきっかけの、自殺未遂騒動。
あの時の山本の目は、よく覚えていないけれど、でも言われてみれば確かに、あの時のスクアーロには、どこか諦めにも似た雰囲気があったように思える。

「だとしたら……大変だよ。スクアーロはコヨーテさんに連れてかれちゃったし……、やっぱりマフィアだから、こ、こここ殺されちゃったりとか……!」
「10代目!まだ山本の推測が本当かどうかもわかりません!それにそもそも、事情を知っている奴がいるなら、復讐者の奴らに突き出すだけで終わるかも……」
「あの怖い奴らに捕まるの!!?」
「あ、いや……その、可能性ですから!」

死ぬのも、捕まるのも、やっぱり納得いかなくて、なのに何をすれば良いのかも、自分に何が出来るのかもわからなくてただただ悔しさを噛み締めるだけ。
悔しくて堪らない。
自分ごときに出来ることなんて大してないってことは十分わかってるけれど、こうしている間にも、スクアーロは辛い思いをしているのだと思うと、悲しくて、辛くて、苦しかった。

「とりあえずこのノートはここまでで終わりみてーだな」
「って一人で勝手に読み進めてる!」

そんなときでもやっぱりリボーンはマイペースだ。
次のノートに手を伸ばし、パラパラとページを捲っては時折手を止めて読み込む。
スクアーロの日常はほとんど変わらなくて、いじめられてはそれを隠して、たまにコヨーテさんにバレて医者に突き出される、というパターンができてるみたいだった。
そしてページを読み進める内に、再びその言葉が出てくる。

「『気付かれた……』また誰かに知られたみたいだな。今度のは名前が……ん?」
「な、今度はなんだよ?」

その名前を聞いて、オレ達は次の行動を決めた。
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