朱と交われば
最近、イライラする時間が減ったような気がする。
イライラした時は、すぐに物を投げる。
しかしいくら投げても、平然とした顔をして交わされ続けていれば、それも次第とバカらしくなってくる。
「カスザメ」
「酒だろぉ?ツマミ作ってやるから、酒ばっかり飲んでないでちゃんと胃に食い物入れろよぉ」
呼んだだけで察して、投げ付けた空瓶をキャッチしたカスザメは、若干呆れたような顔はしていたものの、すぐに立ち上がってキッチンへと向かう。
間もなく、酒の肴を持って出てきた。
オレの部屋のキッチンは、もはや奴の領域と化している。
「ん"、どうぞ」
料理の皿にまで、奴の几帳面さが出ているようだ。
綺麗に並べられたチーズを摘まみながら、最近ハマっているワインに舌鼓をうつ。
すぐに部屋を出ていこうとしたカスザメを見て、オレはそれを何となく呼び止めた。
「おい、カス」
「あ"?なんだぁ?」
「……酌をしろ」
「良いけど、珍しいこともあるもんだなぁ」
意外そうな顔をして、カスザメはオレの横に立った。
普段は、一人で飲むことを好むオレの性格を知っていて、部屋を出ていこうとしていたのだろう。
しゃがんでワインボトルを持ったカスの肩を、思い切り掴んで隣に座らせた。
「うお"!?」
「ここでやれ」
「あ、あ"あ!?」
「やかましい。でかい声を出すなカス。カッ消すぞ」
「は……ぅ……悪い……」
叱ると、しょんぼりと肩を落として、塩らしくワインを注ぎ始める。
グラスから一口ワインを啜り、膝を組んでソファーの背もたれに寄り掛かる。
ゆったりと寛ぐオレの隣で、カスザメはそわそわと落ち着きがない。
「……おい」
「な、なんだよ?」
「落ち着け」
「そんなん言われてもよぉ……。今日のお前、何か変だ……。酌しろとか、隣に座らせるとか。もしかして何かあったのかぁ?」
先程の言葉が余程効いたのか、いつもよりもずっと小さな声で、しどもどと話しながら見上げてくる。
大人しくしていれば、少しは可愛げもあるってもんだ。
もう一口ワインを飲み、いつもよりも間近にある顔を覗き込む。
銀色の目は戸惑ったように、うろうろと視線を漂わせていたが、しばらくするとじっとオレを見詰め返してきた。
オレ達の間には、奇妙な沈黙と緊張が生まれる。
「……ザンザス」
神妙な顔をして、カスザメが沈黙を崩す。
「あ?」
体勢は変えないままで応えた。
「足痛い……」
「知るか」
覗き込む時に、オレは自然と奴の膝に手をついていたらしい。
ずっと動かさずに体重を掛け続ければ、そりゃあ痛くもなるだろう。
オレの知ったこっちゃねぇがな。
「……なんか怒ってんのかぁ?」
「なぜ、そうなる」
「……ちょっと恐い、から」
「オレのどこが恐い」
「わかんねぇけどっ……!とにかく、一旦退いてくれ、よ……」
別に怒っていた訳じゃねぇ。
イライラしてもいない。
むしろ機嫌は良い方だった。
カスザメが、また無理してるかもしれなかったから、少し体調を探ってやろうと思っていただけだ。
だが、目の前の馬鹿は何を勘違いしているのか、泣きそうな面を晒して震える声で退いて欲しいと訴えてくる。
そう言われたら、余計に退きたくなくなる。
「剣帝をぶっ殺した奴が、随分と情けない顔してんじゃねぇか」
「っ!」
「こんなカスザメに殺られたっつー、剣帝ってのもたかが知れて……」
「違う……」
「あ?」
言葉の途中で遮られた。
こいつがオレの話を遮るなんて、珍しいこともあるものだと、そう口に出す暇もなく、オレは胸元を強く押されて突き飛ばされていた。
「なにしやが」
「お前に……テュールの何がわかる!何も知らないくせに、知った風な口を利くな!」
「……はあ?」
「テュールを、バカにするな……!オレは……っ!」
ぎりっと、ソファーの皮が音をたてた。
カスザメが爪を立てたらしい。
奴らしくもなく、相当頭に血が上っているようだった。
だが一応、それを自覚できる程度の冷静さは残っていたらしい。
きつく目をつぶった後、カスザメは震える小さな声で、一言だけ呟いた。
「……ごめん」
あっという間に部屋を出ていく。
オレはそれを、ただ呆然と、阿呆のように目を見開きながら、見送ることしか出来なかった。
* * *
普段大人しい奴ほど怒ると恐い、なんて。
そんな話はデマだと、ただの迷信だと思っていた。
自分の行動が、普段あんなに強気な奴を動揺させているということに、少なからず優越感を覚えていた。
だから、あんなことを言ったのだろう。
翌日、カスザメとオレの間に、ほんの僅かに、溝が生まれた。
「ザンザス」
「……なんだ」
「昨日は悪かった。それより、この任務についてなんだが……」
それより、で済ませられることじゃあないだろう。
だが奴は、あの事について触れたのは話の始めだけで、それより後はいつもと変わらぬ鉄面皮で、ただ黙々と仕事をしている。
いつもと変わらないところが、嫌に恐ろしく感じる。
いや、鉄面皮なのは部下の前だけで、オレの前では普段なかなかこんな顔はしないから、とてつもなくよそよそしく感じる。
しかし、だからと言って、オレから話題を振るなんて、そんな面倒なことをする気にはなれない。
このザンザスが、そんなダサい真似はしたくない。
「……最後に、例の特別任務についてだぁ。5日後に執行できるよう、順調に準備を進めている」
「……そうか」
「オレ達はとにかく、お前と標的がタイマン張れるように他の雑魚どもを片すのに専念する。お前は標的と存分にやりあえ」
「……」
書類に目を落とし、こちらを見ようともしないスクアーロの、服の裾を軽く引いた。
「……なんだぁ?」
「……お前は」
結局、我慢できずに口を出した。
だがそこまで言って、口を閉じる。
なんと言えば良い?
わかっているのは、オレの昨日の言葉が、奴を著しく傷付けたのだろうと言うこと。
そして、奴はもう、その事に触れたくもないのだろうと言うこと。
今更、なんて言えば良い?
オレは、奴に与えることのできる言葉なんて持っていなかった。
「……お前は最後までついてこい」
「……まあ、戦闘中にいつ邪魔が入るかもわからねぇ。もちろん、最後までお前の側で戦う」
言いたかった言葉とは、違った。
それでも、当然のように返ってきた声。
だが、いつもとは違う、義務的で冷たい声色だった。
「……他にも何かあんのかぁ?」
「別に……いや、もう一つ」
「あ"ん?」
俯いて書類の整理をしていたカスが、顔を上げてこちらを見たその瞬間に、オレはその後頭部をがっしりと掴み、がぶりとその首筋に噛み付いた。
自分だけが気にしているようなこの状況、酷く、イラつく。
ダサいとか、言いづらいだとか、もはや考えるのも面倒になった。
「い"っ……!」
「忘れろなんて言わねぇさ。……だが、今のてめぇはオレのもんだろうが。怒るなら、剣帝のためじゃなく、オレのために怒れ」
「な……は、……あ"あ!?」
くっきりと、白い肌に赤い噛み痕がついた。
自分のものだと証明しているようだった。
唇を舐めて、掴んでいた頭を離してやる。
この話題に触れられたくないとか、そんなことオレに関係ない。
オレはやりたいようにやるだけだ。
何より、オレに対してあんな態度をとるのが気に食わない。
この馬鹿には、いつものように尻尾振って嬉しそうに駆け寄ってくる姿が、一番あっている。
戸惑った様子で首筋をなぞり、その手とオレとを見比べて、カスザメは事もあろうにぷっと噴き出した。
「……なに笑ってやがる」
「いや……ふっ……だってお前、嫉妬してるみたいじゃん……くくっ。何かと思ったら、噛みついてくんだもん。びっくりした……ふはっ」
涙が滲むくらい笑っていやがる。
むっとするオレに、カスザメは目尻に溜まった涙を拭いながら、いつものように嬉しそうに笑った。
「ありがとなぁ、ザンザス。ごめんな。オレ、お前の物なんだもんな」
「チッ、当たり前だろうが、ドカス」
「オレ、そんなに怒ってるように見えたかぁ?」
「……知るか」
「そうかよ」
軽口を叩いて、カスザメは首の噛み跡を優しくなぞる。
痛いのか、いや、そういう顔ではない、と思う。
嬉しそうな顔で、カスザメは笑っている。
「首輪みてぇだなぁ。ちょっと恥ずかしいぜ」
「大事にしろ」
「うん」
躊躇うことなく頷いたカスザメは、軽い足取りで部屋を出ていった。
あんな笑顔ごときで、カスザメの機嫌ごときで、オレの心が動かされることなんてない。
……なんて、いい加減に強がるのも虚しくなるほど、オレはあのバカに興味を抱いてしまっているようだ。
いつか、この気持ちを言葉で表せることができたなら、その時オレ達の関係はどう変わるのだろうか。
口に含んだワインの味は、昨日よりも少しだけ甘く感じた。
イライラした時は、すぐに物を投げる。
しかしいくら投げても、平然とした顔をして交わされ続けていれば、それも次第とバカらしくなってくる。
「カスザメ」
「酒だろぉ?ツマミ作ってやるから、酒ばっかり飲んでないでちゃんと胃に食い物入れろよぉ」
呼んだだけで察して、投げ付けた空瓶をキャッチしたカスザメは、若干呆れたような顔はしていたものの、すぐに立ち上がってキッチンへと向かう。
間もなく、酒の肴を持って出てきた。
オレの部屋のキッチンは、もはや奴の領域と化している。
「ん"、どうぞ」
料理の皿にまで、奴の几帳面さが出ているようだ。
綺麗に並べられたチーズを摘まみながら、最近ハマっているワインに舌鼓をうつ。
すぐに部屋を出ていこうとしたカスザメを見て、オレはそれを何となく呼び止めた。
「おい、カス」
「あ"?なんだぁ?」
「……酌をしろ」
「良いけど、珍しいこともあるもんだなぁ」
意外そうな顔をして、カスザメはオレの横に立った。
普段は、一人で飲むことを好むオレの性格を知っていて、部屋を出ていこうとしていたのだろう。
しゃがんでワインボトルを持ったカスの肩を、思い切り掴んで隣に座らせた。
「うお"!?」
「ここでやれ」
「あ、あ"あ!?」
「やかましい。でかい声を出すなカス。カッ消すぞ」
「は……ぅ……悪い……」
叱ると、しょんぼりと肩を落として、塩らしくワインを注ぎ始める。
グラスから一口ワインを啜り、膝を組んでソファーの背もたれに寄り掛かる。
ゆったりと寛ぐオレの隣で、カスザメはそわそわと落ち着きがない。
「……おい」
「な、なんだよ?」
「落ち着け」
「そんなん言われてもよぉ……。今日のお前、何か変だ……。酌しろとか、隣に座らせるとか。もしかして何かあったのかぁ?」
先程の言葉が余程効いたのか、いつもよりもずっと小さな声で、しどもどと話しながら見上げてくる。
大人しくしていれば、少しは可愛げもあるってもんだ。
もう一口ワインを飲み、いつもよりも間近にある顔を覗き込む。
銀色の目は戸惑ったように、うろうろと視線を漂わせていたが、しばらくするとじっとオレを見詰め返してきた。
オレ達の間には、奇妙な沈黙と緊張が生まれる。
「……ザンザス」
神妙な顔をして、カスザメが沈黙を崩す。
「あ?」
体勢は変えないままで応えた。
「足痛い……」
「知るか」
覗き込む時に、オレは自然と奴の膝に手をついていたらしい。
ずっと動かさずに体重を掛け続ければ、そりゃあ痛くもなるだろう。
オレの知ったこっちゃねぇがな。
「……なんか怒ってんのかぁ?」
「なぜ、そうなる」
「……ちょっと恐い、から」
「オレのどこが恐い」
「わかんねぇけどっ……!とにかく、一旦退いてくれ、よ……」
別に怒っていた訳じゃねぇ。
イライラしてもいない。
むしろ機嫌は良い方だった。
カスザメが、また無理してるかもしれなかったから、少し体調を探ってやろうと思っていただけだ。
だが、目の前の馬鹿は何を勘違いしているのか、泣きそうな面を晒して震える声で退いて欲しいと訴えてくる。
そう言われたら、余計に退きたくなくなる。
「剣帝をぶっ殺した奴が、随分と情けない顔してんじゃねぇか」
「っ!」
「こんなカスザメに殺られたっつー、剣帝ってのもたかが知れて……」
「違う……」
「あ?」
言葉の途中で遮られた。
こいつがオレの話を遮るなんて、珍しいこともあるものだと、そう口に出す暇もなく、オレは胸元を強く押されて突き飛ばされていた。
「なにしやが」
「お前に……テュールの何がわかる!何も知らないくせに、知った風な口を利くな!」
「……はあ?」
「テュールを、バカにするな……!オレは……っ!」
ぎりっと、ソファーの皮が音をたてた。
カスザメが爪を立てたらしい。
奴らしくもなく、相当頭に血が上っているようだった。
だが一応、それを自覚できる程度の冷静さは残っていたらしい。
きつく目をつぶった後、カスザメは震える小さな声で、一言だけ呟いた。
「……ごめん」
あっという間に部屋を出ていく。
オレはそれを、ただ呆然と、阿呆のように目を見開きながら、見送ることしか出来なかった。
* * *
普段大人しい奴ほど怒ると恐い、なんて。
そんな話はデマだと、ただの迷信だと思っていた。
自分の行動が、普段あんなに強気な奴を動揺させているということに、少なからず優越感を覚えていた。
だから、あんなことを言ったのだろう。
翌日、カスザメとオレの間に、ほんの僅かに、溝が生まれた。
「ザンザス」
「……なんだ」
「昨日は悪かった。それより、この任務についてなんだが……」
それより、で済ませられることじゃあないだろう。
だが奴は、あの事について触れたのは話の始めだけで、それより後はいつもと変わらぬ鉄面皮で、ただ黙々と仕事をしている。
いつもと変わらないところが、嫌に恐ろしく感じる。
いや、鉄面皮なのは部下の前だけで、オレの前では普段なかなかこんな顔はしないから、とてつもなくよそよそしく感じる。
しかし、だからと言って、オレから話題を振るなんて、そんな面倒なことをする気にはなれない。
このザンザスが、そんなダサい真似はしたくない。
「……最後に、例の特別任務についてだぁ。5日後に執行できるよう、順調に準備を進めている」
「……そうか」
「オレ達はとにかく、お前と標的がタイマン張れるように他の雑魚どもを片すのに専念する。お前は標的と存分にやりあえ」
「……」
書類に目を落とし、こちらを見ようともしないスクアーロの、服の裾を軽く引いた。
「……なんだぁ?」
「……お前は」
結局、我慢できずに口を出した。
だがそこまで言って、口を閉じる。
なんと言えば良い?
わかっているのは、オレの昨日の言葉が、奴を著しく傷付けたのだろうと言うこと。
そして、奴はもう、その事に触れたくもないのだろうと言うこと。
今更、なんて言えば良い?
オレは、奴に与えることのできる言葉なんて持っていなかった。
「……お前は最後までついてこい」
「……まあ、戦闘中にいつ邪魔が入るかもわからねぇ。もちろん、最後までお前の側で戦う」
言いたかった言葉とは、違った。
それでも、当然のように返ってきた声。
だが、いつもとは違う、義務的で冷たい声色だった。
「……他にも何かあんのかぁ?」
「別に……いや、もう一つ」
「あ"ん?」
俯いて書類の整理をしていたカスが、顔を上げてこちらを見たその瞬間に、オレはその後頭部をがっしりと掴み、がぶりとその首筋に噛み付いた。
自分だけが気にしているようなこの状況、酷く、イラつく。
ダサいとか、言いづらいだとか、もはや考えるのも面倒になった。
「い"っ……!」
「忘れろなんて言わねぇさ。……だが、今のてめぇはオレのもんだろうが。怒るなら、剣帝のためじゃなく、オレのために怒れ」
「な……は、……あ"あ!?」
くっきりと、白い肌に赤い噛み痕がついた。
自分のものだと証明しているようだった。
唇を舐めて、掴んでいた頭を離してやる。
この話題に触れられたくないとか、そんなことオレに関係ない。
オレはやりたいようにやるだけだ。
何より、オレに対してあんな態度をとるのが気に食わない。
この馬鹿には、いつものように尻尾振って嬉しそうに駆け寄ってくる姿が、一番あっている。
戸惑った様子で首筋をなぞり、その手とオレとを見比べて、カスザメは事もあろうにぷっと噴き出した。
「……なに笑ってやがる」
「いや……ふっ……だってお前、嫉妬してるみたいじゃん……くくっ。何かと思ったら、噛みついてくんだもん。びっくりした……ふはっ」
涙が滲むくらい笑っていやがる。
むっとするオレに、カスザメは目尻に溜まった涙を拭いながら、いつものように嬉しそうに笑った。
「ありがとなぁ、ザンザス。ごめんな。オレ、お前の物なんだもんな」
「チッ、当たり前だろうが、ドカス」
「オレ、そんなに怒ってるように見えたかぁ?」
「……知るか」
「そうかよ」
軽口を叩いて、カスザメは首の噛み跡を優しくなぞる。
痛いのか、いや、そういう顔ではない、と思う。
嬉しそうな顔で、カスザメは笑っている。
「首輪みてぇだなぁ。ちょっと恥ずかしいぜ」
「大事にしろ」
「うん」
躊躇うことなく頷いたカスザメは、軽い足取りで部屋を出ていった。
あんな笑顔ごときで、カスザメの機嫌ごときで、オレの心が動かされることなんてない。
……なんて、いい加減に強がるのも虚しくなるほど、オレはあのバカに興味を抱いてしまっているようだ。
いつか、この気持ちを言葉で表せることができたなら、その時オレ達の関係はどう変わるのだろうか。
口に含んだワインの味は、昨日よりも少しだけ甘く感じた。