朱と交われば

オレの仕事は、ヴァリアーでの暗殺から、ボンゴレ内でも明かせないような暗殺や潜入などの任務に変わった。
ボンゴレとの関わりがわからないようにしろ、というオーダーに、オレは自分の姿を変えて応じることにした。
髪や目の色を変えたり、顔を少し隠すくらいで、守護者の奴らはオレがオレだと気付けなくなった。
案外簡単に殺せた自分の容姿に、流石に嘲笑を浮かべた記憶がある。
スクアーロを罰するはずなのにこれでは意味がないと怒る守護者達に、9代目も苦笑を浮かべていた。
オレが正体はばらさないでほしいと頼んだお陰で、奴らの勘違いがなくなることはない。
日々からの奴らの当たりが厳しくなったが、それだけだった。
あいつらは9代目に甘過ぎる。
仕事を任され始めてからも、ヴァリアーに帰してもらうことは出来なかった。
9代目に頼み込んで、変装道具を譲ってもらったり、部下に頼んで服を持ち込んでもらったり、馴染みの医師に診察を受けたり、任務に出たり、それ以外で外と接触することはなかった。
軟禁に近い。
飼い殺しとも呼べるか。
そんなある日、軟禁部屋に数人の男達が入ってきた。
9代目の呼びつけであれば、口が固いという小間使いの少年が来る。
今日は何か別のことがあるのか。
近付いてくる奴らを見上げながら、ぼんやりとそう考えていたオレは、後から思えばとんでもなくバカだった。
完全に気の抜けていたオレの鳩尾に、男の拳がめり込んだ。

「ぶっ!……ぅえ"」
「おい、口塞いどけ」
「ここ防音じゃないのか?」
「念のためだよ」
「おい、とっとと手錠も持ってこいよ」

体勢を立て直す暇もなく、手足を拘束されて、口に布の塊を押し込まれる。
状況が理解できずに、暴れようとした。
だが精々、枷が五月蝿く鳴るくらいで、奴らにとっては滑稽にしか見えなかったらしい。
後ろから羽交い締めにされた。
口に入れられた布の上に、さらに紐を噛まされた。
弱点となる腹部が無防備に晒される。

「んじゃあ、始めるか」

その言葉を皮切りに、複数の拳が、足が、体を打った。
痛い。
痛い。
痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……









気が付いたとき、オレは吐瀉物にまみれて床に転がっていた。
口から吐き出した布が目の前に転がっていた。
顔が汚れているが、そこに痛みはない。
服に隠れた部分ばかりを、徹底的に殴られたらしかった。
動かそうとした腕が痛くて、呻き声が漏れる。
壁の時計を見上げると、あれから30分ほどが経っていた。
何故こんな目にあったのかは、何となくわかった。
殴ってくる間中、仲間の仇だの、アイツの痛みはこんなものじゃないだの、酷く喚いていたから。
何となく記憶には残っていたけれど、その間オレは抵抗することもせずに、ただ打たれ続けていた。
腹を殴られた瞬間に、ふわっと体が浮くような感じがした。
痛いはずなのに、辛いはずなのに、苦しいはずなのに、何だか全てが他人事のように思えてならない。
ノロノロと起き上がって、ぺっと唾を吐く。
血が混じっていた。
口の中を切っていたようだ。
顔を洗って、口を濯いで、服を着替えて、床をきれいにする。
そうすれば、もうここで何があったかなんてわからない。
オレが黙っていれば、誰も損をしないのだ。
その後、オレを呼びに来た少年の後をついて9代目の元へ行く。
仕事だと言われた。
あるマフィアを調査しろと言う。
淡々と仕事をこなして、また部屋に閉じ込められる。
朝起きて、軽く動いて、ぼんやりとする。
そしてまた、そろりと扉が開けられた。

「よぉ、また来たぜ、サンドバックさんよぉ」

下卑た笑みに、景色が遠退いていくように感じた。
ごりっと嫌な音を立てて、喉に指が食い込んでいる。
親父も、あんな顔をしてオレの首を絞めていた。
目の前が真っ赤に染まる。
いや、どちらかと言うとそんな自分の姿を、どこか遠くから見ているような感じだった。
……昨日よりも長かったな。
ふと気が付いた時、時計を見上げてそんな感想を抱いた。
今日は飯を食う前だったから、吐いたのは胃液くらいでそこまで汚れていない。
少しほっとしながら起き上がった。
時間は、そろそろ6時。
夕御飯の時間だ。
人が来る前に、片さないと。
のろのろと雑巾を手に取った。
そんなことが続いた。
ずっと続いた。
いつまでも、いつまでも、オレが軟禁から抜けてヴァリアーに短期間だが戻れるようになっても、リンチはなくならなかった。
ずっと、ずっとずっと続いたそれは、夜眠ろうとすれば夢に見て、関係のない場所にいても思い起こされて、いつまでも、いつまでも、どこまでもオレを追い掛けてくる。








「お前らは知らないだろぉ、毎日のように同じ場所を殴られ続ける痛みも、首を絞められ続けて真っ黒な痣が消えなくなることも、口の中がタバコの火で焼け爛れる苦しみも、泥水の中に頭突っ込まされてもがく屈辱も、剥がされた爪を見たときの虚しさも、何も、なにも、なにもなにも、知らない……!」

血を吐くような声で、と言うのはこの事か。
自分にこんな声が出せるなんて思わなかった。
足元に脱ぎ捨てた隊服が落ちている。
破いたハイネックから、手の形になっている痣が見えているはずだ。
はだけたシャツから覗く腹には、痣だけでなく、切り傷、火傷等々、見るも無惨な傷のオンパレードだ。
目の前で言葉を失って目を見開くザンザスを見て、自分の顔が歪な微笑みを浮かべている。

「9代目から与えられる任務だって、酷いもんだった。毎日のように血を浴びて帰る。間近で撃ち殺した奴の脳髄が飛び散るのが見える。足で踏み抜くだけで喉が潰れる。オレが会うのは、敵と標的だけだった。世界が血にまみれて見えた……」

今だって、その世界は真っ赤に染まって見えて、手は革の手袋の中までじっとりと血で汚れていて、他の皆も血を被っている。

「……それでも待ったんだ。ずっと待ってた。戻ってくるかもわからなかったけど、それでもずっと、お前のことを信じて待ってたんだ」

真っ赤な男が、身動ぎをした。
訳がわからないと、言われているようだった。
オレは困惑を浮かべるその顔に向けて、一層顔を歪める。
あの日、ザンザスが目覚めたあの日、オレの世界は終わったんだ。

「裏切り者って、呼ばれるまでは」

酷いことを言うよな、と、目玉がこぼれ落ちそうな位見開いて、驚きを露にするザンザスをせせら笑った。
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