朱と交われば

ぺたり、ぺたり。
呆然と、何が起こったのか理解できず、オレは腹に刺さるナイフに触れていた。
何度触れたところで、それは確かに己に刺さっていたし、それを刺した犯人は、どう考えても目の前の銀色だった。

「そんなに驚くことないだろぉ?なるべくしてこうなった。おかしなことは、何にもないじゃねぇか」

この場に恐ろしいほど似合わない笑顔を貼り付けて、スクアーロは仰向けに倒れたこちらを見下ろしている。
動けずに固まる綱吉も、周りに転がる気絶した守護者達も、混乱の広がる観覧席もすべてを無視して、スクアーロは嬉しそうに、腹に刺さったナイフの柄に足を置く。
ぐりっと腹の中でナイフが動き、瞬間走った激痛に、食い縛った歯の隙間から呻き声が漏れ出た。

「カスザメ……どういう、つもり……」

絞り出した声は掠れて、聞き取りづらい。
それでも奴には届いたようだ。
無邪気、とでも言えば良いのだろうか、可愛らしく小首を傾げて、スクアーロは笑顔のままで言葉を返した。

「?わかんねぇのかぁ?……はあ、だりぃ、本当てめぇは、察しも悪ければ諦めも悪くて……あ"ー、イライラするよなぁ」
「っ」

本当に面倒くさそうなスクアーロの横顔。
そんな彼女の眼下で、顔を歪ませる。
こんなに苦しいのは、ナイフの痛みのせいだろうか、それとも……。

「スクアーロ!お前どういうつもりだ!」
「了平達に何するつもりだコラ!」
「……スクアーロ、お前、自分のボスを裏切るつもりなのか?」

観覧席の声がオレの耳に届く。
スクアーロの耳にも届いているはずだ。
しかしニコニコとした表情を変えることなく、スクアーロはただオレのことだけを観察するように見ている。

「……8年間、ゆりかごの時から、随分と長い時間が流れた」

ふと、スクアーロの口から言葉が落ちた。
騒いでいた観覧席に、しんと沈黙が降りる。
ゆりかご、という言葉に、リボーンがわずかに反応した。

「8年前に、ヴァリアーがボンゴレ本部で起こしたクーデターのことだな」

スクアーロは答えなかった。
ただ、その顔に浮かべていた笑顔に、濃い影が射す。
あの日、オレの封印された、あの日。
あれから、こいつがどんな道を歩いてきたのか、オレは知らない。
何も、知らずにここまで来てしまった。

「あの日、お前は9代目に封印された。側にいたオレは、お前を助けることも、身代わりになることも出来ず、絶望へと突き落とされた」
「!やはり、XANXUSは9代目の零地点突破で……!」
「ひでぇよなぁ?散々自分の息子として好き勝手しておいてよぉ、反抗した途端に叱るでも殴るでも、ましてやケジメつけて殺すでもなく、あのジジィは封印して、なかったことにしたんだよなぁ」
「9代目は……そんなつもりじゃ……!っ!」

スクアーロの言い様に、堪らずと言った様子で、沢田綱吉が口を出した。
そんなガキの言葉に、ようやくスクアーロがそれらしい反応を示した。
その変化に、思わず目を見開く。
あいつの顔からは、一切の表情が消えていた。

「……あのジジィがどんなつもりだったかなんて、知らない。そのせいで、オレは地獄を見た」
「地獄……」
「だから決めたんだ。この男を、ボンゴレを、全てをぶっ壊してやる。終わらせるんだ、今日、ここで」

温度のない平坦な言葉だった。
しかしだからこそ、その言葉の本気さがわかる。
ぶっ壊す、終わらせる、その言葉に、胸の内がじわじわと冷気に侵されていくように感じた。
何があったのか、わからない。
だが、この強かな女が、すべて壊したいと思うほどの何かがあったのだ。
知りたいと思った。
今の今まで、目を背け続けていたことに、向き合いたいと。
だから、そんな顔をしないでくれ。
何で、なんでそんな泣きそうな顔で、オレに武器を向けるんだ。
こんなに、こんなにも、側にいたいと望んでいるのに。
……もう、全てが遅いのか?

「別に、ガキどもを殺す気は、ない」
「さ、沢田殿達は、見逃すということなのか……?」
「……もう、関係ない奴は殺したくない」
「え?」

蚊の泣くような声が聞こえたのは、たぶんオレと沢田綱吉の二人だけだろう。
疲れたように深く息を吐いたスクアーロは、オレの元へ1歩近付いた。

「さあ、もう良いだろぉ。……とどめを、刺してやるよ、御曹司」
「すく、あーろ……」

力なく土を掴む。
逃げ出す気力などなかった。
怒りも、湧かない。
ただ、諦念だけに満たされて、最期が、こいつの牙を受けての死であるのならば、それもまた良いかと、ゆっくりと瞬きをする。
離れた場所で、沢田綱吉がこちらへ這いずり寄ろうとしているのが見えた。
スクアーロの懐から出されたナイフが、高く高く振り上げられる。
その切っ先は、まっすぐオレの喉元を狙っている。

「やめっ」
「じゃーな」
「っ!」

腕の動きは、素早すぎて見えなかった。
死ぬのだと、そう思ったとき、辺りには甲高い金属音が響いていた。

「っ!てめぇ……」
「貴様……!どういうつもりだ、スクアーロ!!」
「レ、ヴィ……」

スクアーロがナイフを手放している。
奴の前には、バチバチと雷撃を纏った傘を構える、レヴィ・ア・タンが立っていた。
てっきり、殺されているんだと思っていた。
『殺したくない』という言葉は、仲間達にも当てはまるのだろうか。
なのに、オレのことは殺すのだな。

「どういうつもり……」
「ボスに!何をしようとしていた!遂に気が触れたか!?」

鸚鵡返しに言ったスクアーロに、レヴィの奴が怒鳴っている。
驚いた、アイツなら、問答無用で殺しにかかると思っていたのに。

「こんな戦い、無意味にも程があるだろう。だから、終わらせる。終わらせて、……解放を」
「終わら……何を言っている!ボスを傷付けることが終わりだと!?何を考えている!お前は今までずっと、ボスが10代目を継ぐために力を尽くしていたはずでは……!」
「……そう、だな」

レヴィに向けられていた瞳が、ようやくこちらに戻ってきた。
銀色が近付いてくる。
視線を動かし、その瞳の奥を覗こうとした。
だがそれはふいと逸らされて、視界の外へ消えた。
腰の辺りで、カチャカチャと音がする。
一瞬、服でも脱がされるのかと思った自分を殺したい。
どうやらスクアーロは、チェーンにボンゴレリングを填めているようだった。
最後に、オレの指へ大空のリングが填められる。

「な、何を……」
「10代目、なれるかな」
「は?」
「こいつに、10代目が出来るだろうか、なぁ?」
「どういう意味だ……?」

スクアーロの声と、レヴィの声。
その言葉の意味に気が付き、はっとして体を起こした。
『体を起こした』……?
どういうことだ?
体に、力がみなぎっている。
体が起こせる。
拳が握れる。
隣を見れば、スクアーロがにこりと笑いかける。
その目に、狂気が過るのを見た。
力が溢れる。
力、が……止まらない……止められ、ない……!!

「うっ、お……ぐお、あああああ!!?」

皮膚が裂ける。
喉の奥から鉄臭さが込み上げてくる。
満ち満ちた力が、行き場を失って暴走している。
体がズタズタに引き裂かれるような痛みに、血反吐を吐く。

「なっ!?ボス!!」

がくがくと体が崩れ落ちる。
駆け寄ってくる男の影が辛うじてわかった。
だが直後、その影が物凄いスピードで吹っ飛ばされる。
固い地面に倒れ混むオレに近付いたのは、男の影ではなく、細身の女の……スクアーロの影で。

「ほぅら、わかっただろぉ?」
「ぐ、あ……」

大空のリングが引き抜かれる。
体中に掛かっていた重みが消える。
それでも、負ったダメージは消えずに、体はもう、指の一つすら動かすことが出来なかった。

「リングが、XANXUSの……血を、拒んだんだ……」

本当の後継者の言葉は、静かな中庭によく響いた。
オレの頭を膝に乗せたスクアーロが、『良くできました』とでも言うかのように、優しい微笑みを浮かべていた。
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