朱と交われば

呆然と手を見下ろす。
なぜ、なぜ、なぜだ、なぜなぜなぜ……!!!
つい最近自分の立場を知った程度のガキが、なんで零地点突破を……なぜオレの手が氷漬けにされているんだ!

「そんな、バカな……」

手を覆い尽くす氷が、オレの血を、時を、全てを否定しているように感じてならない。
オレには成し得ることの叶わなかった、零地点突破という奥義。
成し得る、どころか、ジジィはその存在すらオレに隠し続けていた。
それを、今、あのガキが披露して見せた。
吐き出す息はこんなに熱いのに、手は余りの冷たさに感覚を失っていく。

「こんなことが!!!なぜだ‼ありえん‼おまえみてぇなカスにボンゴレの奥義など……‼」

どれだけ叫んでも、氷から発せられる冷たさから逃れることは出来ない。
冷気が体全体を覆い尽くしていくように思えた。
この傷が、前にもオレが零地点突破を受けた証拠だと言うのならば、なぜオレが再びここに立っていると思うのだ。
オレはこんなちゃちな氷に屈しない。
こんな、この程度の障害に、立ち止まる気なんて更々ない!

ーー バギャン!

膝に叩きつけた氷が、皮膚を突き破りながら砕けた。
まだ、まだだ。
これごときで、オレは折れたりなどしない。
そんなこと、このXANXUSがするものか。

「無駄だXANXUS。これ以上やるのなら、9代目につけられたその傷ではすまないぞ」

ぶつんと頭の中の何かがキレた。

「だまれ‼オレは名にX(10)の称号を二つ持つ男、XANXUS!!!てめーごときに屈すると思うか‼勝つのはオレだ‼ボンゴレの10代目は‼このオレだ!!!」

氷に覆われた手が、炎を灯すことはない。
それでも、敵に向けて駆け出した。
止まることなんてもう出来ない。
敵を殴り殺さなければ、オレの先に道はない。
しかし、目の前の敵影はふっと掻き消え、次の瞬間には鳩尾に痛烈な一撃を食らって吹っ飛ばされていた。
膝をつく。
悔しい、悔しい、なぜだ、どうしてこんなことに、なんで、なんで……。
血反吐を撒き散らしながら、必死で顔を上げた。
目の前にいたのは、どこにでもいそうなガキで、だがその手にはめたグローブは、容赦なく冷気を放ち、俺へと伸びてきていた。

「零地点突破、初代(ファースト)エディション」

捕まれた腕が、氷に覆われていく。
余りの痛みに叫び声を上げる。
ガキの声が聞こえた。
なぜだ、なぜお前は。
そんなこと、そんなことオレにわかるか。
黙れ、だまれだまれだまれだまれうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!!!!!!!

「うるせぇ!!!!老いぼれと同じことをほざくな‼」

痛みが全てを覆い、冷気が心臓さえも止める。
世界が、また闇に閉ざされた。


 * * *


校庭には、氷漬けにされたXANXUSと、苦しそうに息を吐き、地面に膝をつく綱吉の二人が取り残されている。
観覧席では観戦者達が、口々に綱吉を案じる言葉を上げてはいたが、校庭の二人の周りには誰もいなかった。
綱吉の守護者も、ヴァリアーの幹部達すら現れない。
敵の首魁は倒した。
倒したはずなのに、綱吉の心臓は、未だにどくどくと大きな音を立てている。
まだ、まだ何かある。
脳内で超直感が暴れまわっている。
わかっている、わかっているんだ。
何かがある、でももう立ち上がることすらままならない。
長い時間が過ぎたように感じる。
実際には一分程度の時間しか経っていなかったのだが、彼にとっては酷く焦れったい時間が過ぎていた。
早く仲間を見付けて、この危険で悲しい戦いを終わらせたい。
そんな思いを掻き消すかの如く、突然、グラウンドにパチパチという乾いた音が響いた。
ゆっくりと、リズムを刻むような調子のそれは、間違いなく誰かの拍手だ。
拍手の主は、暗闇の奥から溶け出るようにして現れた。

「ス……ぺルビ、スクアーロ……」
「はっ、見事な勝負だったなぁ?お互いボロボロ、どっちが勝つか最後までわからない、心踊る戦いだった」

にったりと弧を描く口許、余裕ぶった足取り。
その全てが、綱吉の魂を揺さぶり、火をつけていくようだ。
XANXUSは酷い男だ。
だがそれでも、命懸けだった彼との勝負を、見世物か何かのように扱われて、ふつふつと怒りが涌き出てくる。

「今更どういう、つもりだ……?XANXUSは眠りに、ついた……」
「じゃあ、覚ましてやらねぇとなぁ?」
「!?」

じゃらりと、彼の掌の上で音が鳴る。
そこには、6つのリングが並べられていた。
大空以外の全ての、守護者のリング。
何故彼が?
いや、それよりも、それを持っていたはずの者達は、どこに……!?

「自分の守護者の安否が心配かぁ?」
「っ!」

図星を突かれて、綱吉は目を見開いた。
にやにやと笑うその瞳の奥に、酷く冷めて黒々とした物があるような気がする。
ぞくりと背中が粟立った。
これは、恐怖か……?

「安心しろぉ、お前らのことを、殺す気はねぇ」
「え……」
「とは言っても、敵の言葉など信じられねぇだろぉ?無事がわかるようによぉ、連れてきてやったぜぇ」
「な……は……?」

スクアーロが何かを引っ張るような素振りを見せた。
ごろん、どさっと、何かが地面に転がる。
銀色の髪の毛、重たそうな竹刀、テーピングされた拳、アフロの頭、学ランの背中、右目を覆い隠す眼帯。
それらは全て、とても馴染み深いもので、綱吉の決して失いたくない、大切な者達であった。

「な……どういう……?みんな……?山本……!獄寺君‼なんでっ、皆!」
「うるせぇガキだなぁ。全員眠りこけてるだけだ。ビービーわめいてんじゃねぇぞぉ」
「うぐっ!?」

ずりずりと仲間達の元へ這い寄ろうとする綱吉を、スクアーロは容赦なく蹴り飛ばし、怠そうに首を傾げた。

「てめぇの大空のリングを合わせて、七つ。この七つ一揃えのボンゴレリングで、零地点突破の氷は溶ける」
「どういうことだ……!この氷は、死ぬ気の炎を封印する奥義で……」
「どんな技にも、難点はあり、そしてどんな毒にも解毒剤がある。8年前、9代目に氷漬けにされたこいつは、ある日突然、封印の氷から解放された。そこにあったのは七つの小さな焦げ跡だぁ。これが何を意味するのか、てめぇがどんなに馬鹿でもわかるだろぉ?」

はっと息を飲む音が、やけに大きく聞こえた。
七つの焦げ跡、七つのボンゴレリング、9代目の言葉、そして綱吉からリングを奪い取り、XANXUSへと近付いていくスクアーロを見て、超直感が殊更大きな警鐘を鳴らす。

「だ……めだ!やめろ‼」
「はっ、おせぇよ、クソガキ」

スクアーロの手の中で、ボンゴレリングが燃え上がった。
リングが、燃えるなんて……やはりスクアーロの言葉は本当なのだ。
立ち上る七色の炎が、少しずつ、だが確実にXANXUSを覆う氷を溶かしていく。
このままでは封印が解ける……!
スクアーロが何を考えているのかはわからない。
だがそれでも、放っておくのは絶対にまずいと言うことだけははっきりとわかっている。
だが綱吉の制止も虚しく、氷は全て溶け、封印が再び解き放たれた。

「ぐっ……あ……!」
「っ!ザンザス‼」

溶けてしまった。
重力に逆らえずに倒れていく体を、スクアーロがしっかりと受け止め、抱きかかえた。

「カスザメ……」
「ああ、どうにか全てのリングを集め終えたぜぇ」

スクアーロに抱き留められたまま、XANXUSは荒く息を吐き出している。
既に満身創痍で、これ以上戦えそうにはない。
だがそれについては綱吉もまた同じで、そしてスクアーロだけはそんな二人を簡単に倒せる程度の余裕がある。

「っ!よくやった、チェーンに……」
「ああ、でも、その前に」
「あ?」
「ま、て!スクアーロ、やめろ……!!」

早くチェーンにリングを嵌めろ、と言いたかったのだろう、彼の言葉は途中で遮られた。
疑問に首を傾げたXANXUSが、次の瞬間にはかっと目を見開いた。
スクアーロの手が離れていく。
純粋な驚愕を顔に貼り付けて、XANXUSが崩れ落ちていく。
その腹には、細身のナイフが突き立てられていた。

「……?な……んで……?」

XANXUSは怒るでもなく、呆然として、ぺたりとナイフの柄に触れている。
目の前で何が起こったのか、自分が何をされたのかが、理解できなかった。
あれだけ憎んでいた言葉を、思わず口に出すほどに、現実を受け入れることが出来なかった。
そんな彼に、スクアーロがにっこりと優しげな微笑みを向ける。
しかしその瞳は、これまでに見たこともないほどに、虚だ。

「ずっと待ってたんだよなぁ。あんたを、確実に殺すことのできる、機会を」

こんな時だと言うのに、その笑顔は酷く美しい。
残酷に思えるほどの美しさだった。
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