朱と交われば

――ちょっと待て、何か肝心なことを忘れていなかったか。

霧戦が終わり、帰って、夜食食って、風呂入って、ベッドに寝転んだ直後、オレはようやく思い返して頭を抱えた。
結局カスザメがどっちを好きなのか、まるでわからなかったじゃねぇか!
いや……、いやいや、違う、そうじゃねぇ。
そもそもオレは何で、こんな大事なときにそんな下らないことを考えているんだ、悩んでいるのだ。
くそ、カスザメの癖に……。
あまりにも勝手すぎる憤りを向けられたカスザメからすれば、理不尽きわまりないだろうが、やはりアイツがはっきりしないのが悪い。
なんで、なんでオレが、こんなことで長々と頭を抱えていなくちゃならないんだ。
どうして、オレは……

「何も、知らない……」
「何か知りたいことでもあんのかぁ?」
「あ……、っ?~っ!!!??」

頭上から降ってきた声に、一瞬硬直し、すぐに慌てて起き上がった。
オレを覗き込んでいたカスザメが、驚いて数歩後退る。

「なっ……なんでっ」
「い、いや……何度かノックしたんだが、反応がなくて……。すまん、何か邪魔したみたいで……」
「いや……邪魔、では……」

悩みの種であった奴の突然の登場に、しどもどと言葉を紡ぐ。
困惑したようなカスザメが、目の前で突っ立って、不安そうに……いや心配そうに?オレの顔色を窺っている。
なんで、こいつがオレの部屋に……。

「明日のことを、話そうかと思ってたんだが……」
「あ?明日?」
「……明日は、待ちに待った雲戦だ。今のところ計画通り、順調に進んでいるが、何があるかわかんねぇからな」
「……ああ」

そうか、明日、もしも相手があっさり負けたり、モスカがうまく動かなかったりすれば、オレ達の計画は破綻する。
相手は向こうのエースだと聞いた。
強いのだろう。
人相手であれば。
だが、モスカを前にすれば、それも並の人間と変わりない。

「モスカの調整は、完了している。あとは明日、奴らを絶望の底へ突き落とす。それだけだぁ」
「……ああ」

部屋にモスカが入ってくる。
鉄の装甲のその中に、あのジジイの体が収まっている。
意識もなく、ただのエネルギー体として、モスカの心臓として利用されている。

「……はっ」
「ザンザス?」
「ざまぁねぇな、クソジジイ」
「……」
「散々人のことを利用してきた、てめぇの末期がこれか。……そこで見ていろ、お前が薄っぺらい希望とやらを託したガキどもが、オレ達の力に蹂躙されていくその様を……」

オレを、我が子だなどと嘯いて、真実を教えるでもなく、自由にさせるでもなく、9代目の息子という名の鎖で縛り、飼い殺し続けてきた。
オレに反目の予兆を見て、ヴァリアーへと突き放し、そこで見付けたオレのカスザメのことも、奪おうとした。
今、どんな気持ちで、そこにいる。
後悔しているか?
オレを、恨んでいるか?
泣いてでもいるのか?
こうなった理由くらい、わかっているだろう。
あの気弱そうなガキと、その部下どもが、モスカを壊したとき、その中からどんな顔をして出てくるのか、想像しただけで、愉快だ。

「ザンザス」
「なんだ」
「……今も、9代目は憎い、か?」
「決まってるだろうが、ドカスが」

すぐに、頷けた自分に、どこか安堵した。
カスザメは、オレの言葉に薄く笑みを浮かべている。
モスカの影に潜むように笑う、そのシルエットに一歩近付いた。

「着いてこい」
「当たり前だろ、どこまでも、着いてくさぁ」

オレの目の前に跪いたカスザメは、不自然なほどに綺麗な笑顔で、オレを見上げた。

「必ず、お前のためにボンゴレボスの椅子を持ってくる」
「……しくじったら、かっ消す」
「御随意に」

口をついて出た暴言にも、カスザメは動じることもなく頷く。
綺麗な髪と、旋毛が見えている。
徐にそれに手を重ねて、ゆっくり、ゆっくりと、撫でる。

「え?あ……の、ザンザス?」
「……スクアーロ、この、戦いが終わったら……」
「へ?」

かつて、伝えられなかった、言葉を。
今回こそは、必ず伝えてやろう。
お前を……お前が……

「……戦いが終わったら、話す」
「……?ああ」

絹のように滑らかな、銀色の髪。
武骨な自分の指の上を、柔らかく撫でて滑り落ちていく。
オレが何を言いたかったのか、スクアーロにはまるでわかっちゃいないようだったが、大人しくオレの手で頭を撫でられながら、銀色の瞳だけが此方に向く。

「なあ、ザンザス」
「……」
「ボンゴレのこと、憎いか」
「……あ?」
「お前の父親の組織、まだ恨んでるか」
「……決まってるだろう。あのジジイ諸とも、ぶっ壊して、今度はオレが支配する」

オレの答えに、スクアーロはうっすらと微笑みを浮かべるだけだった。
先程の問いと、よく似た問い掛け。
一瞬戸惑い、カスザメの頭から手を外して答える。
カスザメは、オレの答えを聞くと、スッと立ち上がった。

「安心しろ、明日、あのジジイはくたばる」
「知ってる」
「……うん、じゃあ、今日はゆっくりと休め」

スクアーロの手が、伸びてくる。
抵抗せずにいれば、黒い手袋をはめた手が伸びてくる。
するりと頬を撫でられて、珍しいその行動に、少し驚く。
何故だか、名残惜しそうな、寂しげな表情に見えて、思わずその手を掴んだ。

「っ……なんだ?」

こっちの台詞だ、と言いそうになったが、それよりも、奴の表情の変化が気になった。
オレが指を掴んだ瞬間、端正なその顔が一瞬歪んだ。
それほど強く掴んだつもりはなかった。
怪我でも、していたのか?
一体いつの間に……。
オレから逃れようと、手の中で蠢く指を、さらに強く握る。
奴の眉間に、深くシワが刻まれた。

「離してくれ」
「……怪我か」
「そんなんじゃあねぇ。豆潰しただけだぁ」
「……」

嘘だ。
直感がそう囁く。
そうだ、そういえばこいつ、オレの前で全く手袋を外さない。
この下はどうなっている?
手袋の端に手を掛けた。
スクアーロはそれを嫌がったのか、強引に手を引き戻そうとする。

「ザンザス、もう……」
「うるせぇ、ちゃんと見せろ」
「っ!……やめろ」
「やめね、え……っ!?」
「わっ!?」

嫌がるカスザメを取り押さえようとした。
それと同時に、カスザメが思い切り腕を引いた。
バランスを崩して、カスザメを押し倒す。
幸いだったのは、倒れた先がソファの上だったことか。
柔らかいクッションの上に、カスザメの体が深く沈み込む。
その体の上に、オレの体が突っ込んだりしたら、奴は潰れてしまっていただろう。
だがギリギリで、肘掛けや座面に手をつき、押し潰すのは免れた。

「う"……」
「……カス、が」
「ご、め……」
「っ……今、退く」

呻き声と、弱々しく謝る声が、胸の辺りから聞こえた。
吐息が、当たる。
押し倒したスクアーロの目が、少し潤んで、オレを見上げていた。
どくどくと鳴る心臓が、痛い。
ハイネックの襟から覗く白い肌が、酷く艶めいて見えた。
ごくりと、喉が鳴る。

「ざ、ん……?」
「っ……わ、るい。退く」

もっと触れたい、もっと、もっとこの澄ました顔を歪めてしまいたい。
だが、前に見てしまった、あの泣きそうな顔が脳裏を過る。
ダメだ、今は、ダメ。
唇を噛んで、ふと、視線を下ろすと、スクアーロの耳が見えた。
上の方が、真っ赤に染まっている。
呆然とそれを見下ろしていると、耐えかねたらしいスクアーロに、胸板を押されて、強引に退かされた。

「っ……じゃ、明日、な」
「あ、ああ……」

平静を装って、そそくさと部屋を出ていくカスザメを、呼び止めることも出来ずに、ただ見送る。
その顔色はいつもと変わらないように見えたが、やはり耳の先が紅潮していた。
怪我を、確認することは出来なかったが、あいつが男女どちらを好きなのかは、解決した気がする。
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