朱と交われば

勝負は、圧巻であった。
やはり、というべきか、呪われた最強の赤ん坊であるマーモンは、恐ろしく強い。
だがそれに歯向かう敵の少女も、かなりの腕の持ち主だった。
その細腕に携えた槍を一つ振るえば、あるはずのない火柱が立ち上ぼり、気が付けばマーモンの攻撃からも逃れ、背後を取ってみせる。
チラリと横に立つ右腕を見上げる。
奴はいたく感心した様子で試合を見ていた。

「……ん、どーかしたかぁ?」

視線に気が付いたのだろうか、カスザメがクッと首を傾げて問い掛けてくる。
オレは少し悩んで、口を開く。

「……あれ、どう思う」
「あ?あー……まだ、後ろに何か、いそうだな」
「後ろ……」
「……まあ、今日は負け予定の勝負だぁ。オレらは高みの見物といこうや」
「……ああ」

そういやぁ、今日は敗戦予定の戦いだったか。
霧戦、雲戦で、オレ達は勝つ気がない。
雲戦での敗北が、この戦いにおける最後の喜劇開幕の合図だ。
この勝負は、マーモンが上手く相手を煙に巻き、勝たせてやれれば、それで良い。
オレとしては、とっとと殺ってしまえば良いと言う気持ちがでかいが、しかしそれでは、ここまでカスザメが積み重ねてきた作戦の意味がなくなる。
それにしても、何なのだろうか、この漠然とした気味の悪さは。
先程から、胸に大きなものがつかえているように感じて、気分が悪い。
相手の少女は奮闘していたが、マーモンはそれを軽々と圧倒する。
あのドカス、この勝負は勝てねぇと言うこと、忘れてはいないだろうな……。
イライラし始めたことにさえ気付かれたのか、隣から伸びた手が、軽くオレの肩を叩いた。

「安心しろぉ。マーモンも馬鹿じゃあねぇし、それに相手だって、……ここで終わるほど諦めの良いやつじゃあねぇさ」
「あ?」

まるで、知り合いの話でもしているかのような物言い。
不審に思い振り向こうとした、その瞬間に、オレの耳に何かが砕ける音が届いた。

「!」

はっと目を戻すと、フィールド上にはあの少女が仰向けに倒れていた。
その腹が、じわじわと陥没していく。
あれは、一体なんだ……?

「腹が……臓器がないのか……?」

スクアーロの呟きに、首を傾げた。
ならば何故、こうして歩き、戦い、生きていた?
あれは、まさか……。

「にわかに信じがたいが、彼女は幻覚でできた内蔵で延命していたらしいね……」

マーモンの言葉に、敵のチビどもが驚きの声をあげる。
教えられていなかったのか。
それで仲間だなんて、笑わせる。

「骸……様……、力になりたかった……」

『力になりたかった』という小さな呟きが、死にかけた少女の唇から零れる。
心臓を、冷たい手で撫でられたように感じた。
恩人の力になりたい、ただそれだけのために、彼女は死にかけている。
ならば、ならば自分の横にいるこの女は、どうなのだろう。
一瞬、少女の姿と、スクアーロの姿が重なって見えた。
横で、ベルやレヴィが何か話している。
そうだ、これではオレ達の勝ちになる。
オレはそれで構わないが、しかしカスザメは、ただ勝つだけでは足りないと言っていたはず。
マーモンのやつ、やはり忘れてたんじゃあないのか?

「霧が娘をつつんでいくぞ!」

はっと顔を上げると、確かに少女の体を、濃い霧が包み始めていた。

「なーに、最後の力を振り絞って、自分の醜い死体を隠そうとする。女術士によくある行動パターンさ」
「……違う」
「え?」

マーモンの言葉に異を唱えたのは、オレの隣で、剣の柄を握るスクアーロだった。
警戒心を顕に、霧の立ち込める辺りを睨んでいる。
オレもまた、不穏な気配を感じていた。
この部屋中を覆う殺気、そして彼女の呟いた『骸様』という人間の存在。
頭の奥の方で、警鐘がなっている。
何かが来る……。
そう感じたのは、オレ達だけではなかったらしい。
部屋の反対側で、ガキ……十代目候補のチビが頭を抱えている。

「あいつが来る‼六道骸が‼骸が来る!!!」

ガキの叫び声に誘われるように、霧の中から感じる気配が、強くなっていく。
六道骸……、一体何者なのだろうか。
カスザメは、何を知っている……?
霧の中心から、怪しげな笑い声が響いてきた。

「クフフ、クフフフ」

カスザメが柄を握る手の力を強める。
今、誰かが下手に殺意をもってこいつや、オレに近付けば、あっという間に叩き斬られることだろう。
こんな時だというのに、オレは少し安心した。
この女は、スペルビ・スクアーロは、きっと、例え恋人がいたとしても、主であるオレを優先する。
オレという主の力になるためならば、死すら厭わないだろうが、オレの右腕はああも簡単にくたばるような惰弱な人間ではない。
……その、こいつの想い人が自分であれば、など……戯れ言が浮かんできたが、頭を振ってそれを払った。

「随分、いきがっているじゃありませんか。……マフィア風情が」

霧の中から現れ、マーモンを軽く吹っ飛ばしてみせたその男は、酷く異様な雰囲気を身に纏っていたが、それでもオレは安心して椅子に座り続けていられる。
スクアーロは、柄から手は離さないままで、半歩ほどオレに近付いた。
護りは万全であるとでも言いたげに。
冷たくせせら笑うような表情の男と、マーモンが向かい合っている。
吹っ飛ばされはしたものの、大したダメージではなかったらしい。
その男の正体を、マーモンは知っていたようだ。
復讐者の牢獄へ囚われ、そこから脱走を計り、そして再び捕まり、最下層の牢獄へと繋がれた男、六道骸。
ああ、あの乳くせぇガキよりかは、戦えそうだ。
マーモンは、飄々と掴み所のないその男に、苛立ったように口調を荒らげた。
極寒の風が男を襲い、一瞬、その動きを封じたようにも見えた。
だが、あの男はまるで堪えていねぇ。
すぐに、マーモンを蔦のような植物が襲い、締め上げる。
圧されている……。
もちろん、勝つ気のない勝負であるから、負けたところでどうということもないが。
しかしまさか、アルコバレーノであるマーモンが圧し負けるとは……。
突然、床が捲れ上がり、空間が歪み始める。
幻覚……しかしそれは今まで以上に強力で、オレさえもその幻覚に脳を捕らわれる。

「チッ!ザンザス、掴まれ!」
「なっ……」

重力に従って、オレの腰掛けていた椅子が落ちていく。
横から伸びてきた革手袋をはめた手が、オレの腕を掴んで引き留めた。
周りを見る。
レヴィやベルは……、なんとか踏み留まっている、というところか。
カスザメは痛いほど強く、オレの手を握っていた。

「ったく、あのバカは……。もう少し周りのことを考えろっつーの。ザンザス、気分は悪くねぇかぁ?」
「……問題ねぇ」

比較的被害の少ない場所へ下がる。
オレの手を引くカスザメの顔は、青ざめているように見える。
バカはこいつだ。
オレの心配より、自分の心配をするべきなのに。
そうこうしている内に、マーモンの幻術が破られた。
勝負あった、か。
追い詰められてはいたが、奴のことだ、どうせ逃げるための余力は残してあるのだろう。
マーモンの姿が破裂し、塵となる。
元に戻った体育館の中央で、一人立ち上がった六道骸の手には、完成された霧のリングがあった。
勝負あり、霧の守護者戦は、予定通り、向こうの勝利だ。

「ゴーラ・モスカ、マーモンを捕らえてこい」

戦闘の最中、ずっと背後にいたそれに、命令を下す。
蒸気を吐き出すモスカと、再び椅子へ戻ったオレを見て、六道骸がこちらに言葉を投げ掛けてきた。

「まったく君は、マフィアの闇そのものですね、XANXUS」

どういう意図を持って、その言葉を吐いたのかは、わからない。
マフィアの闇。
確かにオレは、ボンゴレという組織の闇たる、ヴァリアーを背負い、血に濡れた道を歩いてきた。
この背にあるのは、死ばかりだ。

「君の考えている恐ろしい企てには、僕すら畏怖の念を感じますよ」

続けて届いた言葉に、思わず眉を跳ね上げた。
こいつ、オレ達の企みを知っている……のか?

「なに、その話に首をつっこむつもりはありませんよ。僕はいい人間ではありませんからね。……それに、これ以上話すと、そこの猟犬に噛み付かれかねない」

猟犬、言うまでもなくカスザメのことだろう。
オレよりも剣呑な視線を奴に向けたスクアーロは、恐らく奴がこちらの企みを話そうとすればすぐに、その首を切り落とすつもりなのだろう。

「ただ一つ、君より小さく弱い、もう一人の後継者候補を、あまりもてあそばない方がいい」

一方的にそう告げ、六道骸はこちらに背を向けた。
何を、今更。
もてあそぶも、もてあそばないもない。
もうすでに、この戦いを止めることは誰にも出来ない。
オレにも、9代目のジジイにだって。
次の戦いは雲戦。
そこで、ようやく事態は動く。
この煩わしい勝負も、終わりまで後僅か。
上がる口角を、押さえることは出来なかった。
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